夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
目次Today's imagesTravel sketch食の楽しみPeopleAccommo旅行費用
Excursion移動の記録旅先で住むとしたら更新履歴日誌問合せAbout usENGLISH
北米
アメリカ合衆国
メキシコ
中米
グアテマラ
コスタリカ
南米
ペルー
ボリビア
アルゼンチン
チリ
ヨーロッパ
オーストリア
中東
ヨルダン
アフリカ
エジプト
ケニア
マダガスカル
ナミビア
ボツワナ
ウガンダ
 
郷土料理で撃沈〜プエブラ(2005.06.10 訪問)
メキシコ:プエブラ
 メキシコ・シティからバスで東に2時間行くと、プエブラという観光都市がある。メキシコを代表するモーレやペピアンソースやチレス・エン・ノガタという料理の発祥地だということで、ユネスコの世界文化遺産に登録されている旧市街地ともども、料理を楽しみに行こうと、メキシコ・シティからデイトリップを試みた。

 メキシコ・シティからプエブラに行くには、中心地の東に位置する東方向行バスターミナルに行く。宿からは地下鉄のメトロ3号線ウニベルシダード(Universidad)行に乗り、2つ南下してバルデラス(Balderas)駅で降り、メトロ1号線のパンティトラン(Pantitlan)行に乗り換えて、6つ目のサン・ラザロ(San Lazaro)駅で降りる。

 改札を出て人の流れに沿っていくと、不可逆式の回転扉を抜けて駅の外に出る。そこから駅に沿って右方向に進むとバスターミナルがすぐある。それを知らなかった私たちは、左方向に向かって歩き始めた。同じようにバックパッカーでコロラドから来たアメリカ人の若い女性と知り合って、3人で人に道をききながら迷いながら10分ほども歩いて、やっとバスターミナルに到着。バスターミナルと地下鉄駅はひとかたまりの区域にあり、時計で考えると、地下鉄の出口は7時の所に出てくる。バスターミナルは9時を内側に入った所にあるのだが、私たちは7時から6時、5時と遡る方向に歩いて2時頃から内側に入っていったことになる。(ま、この状況がわかったのは帰路。この時点では、東方向バスターミナルって意外に遠いじゃん、と思っていた。)

 ここには、ADO社のチケットブースがあって、おばちゃんにプエブラまでのチケットは一人N$100と言われて購入した。そのチケットブース売り場から、更に歩いて、やっとバス発着所に到着。バス発着の待合ロビーでもチケットを販売していて、こちらで買うとN$90と書いてある。このN$10の違いはいったいなんなのか?おばちゃんのシークレットインカムなのか?未だに疑問は解消されていない。

 さてADO社のバスに乗り込み、メキシコ・シティからプエブラのランドスケープを楽しむ。相変わらずバスからの眺めは面白い。メキシコの西海岸からずーっと移動してきたが、メキシコ・シティの手前のケレタロ辺りまでは、砂漠に巨大なサボテンの木がニョキニョキとした風景が多かったが、メキシコ・シティ以東ではもっと湿度が多いためか、森林や畑の風景が多い。

 さて、2時間後にプエブラに到着して市バスに乗る。「セントロ(中心部)に行くか?」と確認して乗ったバスは、何だか街のはずれを走っているようだ。

 そこで、プエブラ市街地の地図を広げて、現在地を確認。プエブラの街は道が碁盤の目のようになっている。中心部のソカロをかすめて、南北にシンコ・デ・マヨ(5 de Mayo)通りと東西にレフォルマ(Reforma)通りが十字に交差している。シンコ・デ・マヨ通りをはさんで、西側が奇数、東側が偶数の番号がつく通りで、シンコ・デ・マヨを離れるにしたがって数字が大きくなる。シンコ・デ・マヨに並行する道の名前は、レフォルマよりも北ならば「数字+Norte」、南なら「数字+Sur」となる。また、レフォルマ通りをはさんでは、北側が偶数、南側が奇数の通りで、レフォルマを離れるにしたがって数字が大きくなる。レフォルマに平行する道には「数字+Poniente」という名前がついている。という法則があることがわかった。(文章で説明すると複雑だが、つまりとてもわかりやすい、と言いたい。)

 で、自分たちのいる場所を確認すると、やっぱり街のはずれをずーっと走っている。そろそろ降りないとまずい、と判断して降りたところは、中心部のソカロから10ブロックも離れたところだった。バスのおやじめー、何て不親切な奴だ。これでセントロと言えるのかー!とぶつぶつ文句を言っていたが、1ブロックが比較的短いのでソカロまではそんなにかからなかった。「バスはセントロに行く」というバスの運ちゃんの発言は、あながち間違いでもなかった。

 プエブラのソカロ付近は、最近、都会住まいの私たちの目には、とてものどかな田舎町に映った。ソカロでメキシコ学生集団に英語で話しかけられた。どうやら英語を勉強しているらしく、英語の質問文を観光客に投げて、答えてもらい、その様子をビデオに撮って教材にしようということらしい。質問する彼のノートには、「プエブラではどこが一番よかったですか?」やら「プエブラの印象をお聞かせください」やら「プエブラの街を良くするには、もっとどうしたら良いですか?」やらいっぱい質問が書かれている。今着いたばっかりなので、あまり答えることもできなかったが、彼のノートの質問文が、全部heを主語にして書いてあったので、全部直してあげた。ユネスコの世界遺産のせいか、この小さな街にも世界中から観光客がやってくる。この街で生きていくのに、英語は必須になっているのかもしれない。

 昼も近い。インフォメーションに行き、とにかく名物の料理を食べさせてくれるレストランを聞いた。インフォメーションのお姉さんは、我々のガイドブックにも掲載されている一番有名なレストランを紹介してくれた。本当は、もっと地元の穴場的な情報が欲しかったのだが、仕方ない。自力で探すことにした。ソカロの北方面に民芸品市場があり、その東側に数件のレストランがあるというガイドブックの情報をもとに行ってみた。

 お目当てのレストランは、名物料理を出す店ばかりが、道の両端に4〜5件ずつ並ぶ通りにあった。私たちが来ると、いっせいに店からメニューをかざしたウェイターやウェイトレスが寄ってくる。どのメニューにも、モーレ、チレス・エン・ノガタがあり、売り子もそのメニューを指差して「モーレもある、チレス・エン・ノガタもある」と言う。空腹を抱えて、他の地域のレストランを見に行くのは面倒だったので、その中で一番やる気に満ちたウェイトレスのレストランに行くことにした。

 店は、前面に壁がなく、全部オープンな作り。簡単な椅子とテーブルがおいてある奥に、オープンキッチンがあり、そこで調理してくれるようだ。入口にマネキンがいて、ちょっと怖い雰囲気をかもしだしている意味がよくわからない。メニューから、鶏肉のモーレ(Pollo en Mole)とチレス・エン・ノガタ(Chiles en Nogada)を注文。キッチンの中でお母さんが調理を始めた。というか、できあがっているチレス・エン・ノガタを冷蔵庫から取り出して、電子レンジに入れている。オー・マイ・グッドネス。これでは到底期待できる味は出てこないだろう。やがて「チン」という音とともに温まったチレス・エン・ノガタが皿にのった。さて、ソースはどうするのか?胡桃のソースの素をタッパから出したお母さんは、別のウェイトレスに何事かを申し付けた。ウェイトレスが走って店をでる。数分で、ビニール袋に入った牛乳をお母さんに渡すと、お母さんは牛乳パックをはさみで開けて、胡桃ソースとあわせた。おいおい、材料がなかったってことじゃん。この時点で、もう期待するのは完全に諦めた。このレベルで、この値段は高いじゃないか。

 まずは、モーレが来た。モーレソースは、メキシコ内でこれまでも何度か食したことがあるソース。チョコレートの原料カカオと唐辛子と数種類のスパイスが入り、甘いような辛いような苦いような味。さて、本場の味は?と食してみると、今までにない甘さがある。メキシコ・シティより西では、そんな甘くなかった。うーん、どうでしょう。私としては甘くないモーレが好みだ。

 そして、お待ちかね(?もはや、あまり待ってもいなかったが)のチレス・エン・ノガタがやってきた。巨大でちょっと辛いピーマンに、バナナの角切り、棗っぽい実、ピーナッツ、僅かに鶏肉の裂いたものの煮物をを詰めて、衣をつけて揚げ、上から胡桃ソースをかけて、ざくろの実とコリアンダーの葉を飾っている。緑と白と赤というメキシコの国旗の色を使っており、9月16日の独立記念日の祝い料理だと聞いている。上にのったざくろの実と胡桃の白いソースで、見た目はとても可愛い。さて、お味は?バナナの酸味と胡桃ソースの甘みとチリの辛味が一体化している。これを食事だと思って食べるのは、辛かった。デザートだと思った方が、まだ納得できる。宿のご主人から、チレス・エン・ノガタは店によって、おいしいところとまずいところの格差があると聞いていたので、今日は最高にまずい所に来てしまったと思った。ソースが甘すぎる。もっとくるみの風味を効かせて、こんなにじゃりじゃりするほど砂糖を入れなければ、上品で面白い趣向だと思う。また、中の具もバナナ比率が高すぎて酸味が突出しているが、もっと肉を多くして、鶏肉に少し酸味と辛味があるくらいにすれば、おいしくなるかもしれない。極めつけは、できあいを電子レンジで温めていることだ。揚げたてに胡桃ソースをかけたら、香ばしい風味を楽しめたかもしれない。一口食べるごとに、ああすれば、こうすれば、と思いつく。怒りというのは、アイディアの起爆剤量になるらしい。だいたい、料理の発祥地といいながら、この誇りのなさが一番腹が立つ。日本だったら、讃岐でうどんがまずいなんて、許されないだろう。あーあ、大失敗だ。

 この食事のあとは、もう街を見る気も失せた。ざっくりと見物してさっさと帰ることにした。しかし、どうしても何かおいしい経験をして帰りたい私は、最後にバスターミナルでカモテを買った。カモテもプエブラの名物で、街中のある通りにはカモテの看板をかかげた店が何軒もあった。サツマイモにレモン味やオレンジ味のフレーバーをつけて、砂糖衣でコーティングしたもの。宿に帰って、他の宿泊客と食べた。救われた。これは好評だったし、自分もおいしいと感じた。中は舟和の芋ようかんを柔らかく、もっと甘くしたような味。濃い日本茶が合いそうだと、誰かが言っていたが、その通り。(カモテの写真は「本日の献立6月10日」の夕食の写真クリックで詳細)

 プエブラは期待が大きかっただけに、失望も大きかった。有名なお店に行けばよかったのか?宿の奥さんに聞いたら、その有名店はメキシコ・シティにも支店を出しているそうだが、決しておいしくはない、ということで、高いお金を払って失望するよりは、ましだったことがわかった。しかし、だとすると郷土料理発祥の地、プエブラにはおいしいレストランはないのか?そんなはずはあるまい。課題の残るプエブラ観光だった。
 
このサイトを友人に知らせる
目次About Us免責事項著作権とリンク
(c)2005-2006 海外生活実践研究会 All rights reserved