夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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チチェン・イツァー (2005.06.15 訪問)

メキシコ・シティの国立人類学博物館に行った時に、チチェン・イツァーのコーナーに気になる彫刻があった。とぼけた顔で腹筋運動のような恰好をしているこの彫刻は、一体何なんだろう?
 こんな疑問をうっすら持ちながら、ユカタン半島のカンクンに6月13日に入った。

 新しい街に到着すると宿巡りの作業が待っている。今回は、14日に宿巡りをして、ついでに15日のチチェン・イツァー行きのツアー予約もしようということになった。

 チチェン・イツァーまでは、普通のバスも出ているので、自力でも行ける。しかし、テオティワカン同様、ツアーで回りたいと思っていた。なぜならば、こうした文化遺跡を見て回る場合は、ツアーの解説があるのとないのでは、面白さが大分違うからだ。自力で行く場合の交通費と遺跡への入場料を合わせるとN$326(約3200円)くらい。この情報をもとに、ツアーを探すことにした。ツアーの内容はどこも同じような感じで、行き帰りのホテルまでのバス、昼食、遺跡への入場料金、ガイドといった感じで、価格はUS$45〜US$65といったところ。決め手がよくわからないので、代理店の雰囲気(ちゃんとしたオフィスを構えている)と、そこで働いている人の雰囲気(真面目に商売してそうな、信用がおけそうな人が働いている)と、周りのお客さんの雰囲気(ここを利用している人がまっとうかどうか)からUS$50の英語のツアーに決めた。自力で行くのとの差、2200円はガイド代と昼食代と思えば、まぁまぁの線じゃないかなぁ。

 ツアー催行会社はXelhaという名前。近くのホテルまで朝7時にバンで向かえに来てくれて、向かった先は、ホテルゾーンの南端にあるテーマパークだった。そこから大型バスに乗り換えるそうだ。私たちのバスは37番だと告げられた。まだ開場していないテーマパークには、同じようなバンや大型バスで連れてこられた主にアメリカ人などが続々と集まってくる。やがて、「はい、31番の人はこちらー」「はい、26番の人はこちらー」という具合に、番号のプラカードを持った担当者に連れられて、該当のバスに乗り込んでいく。私たちも37番プラカードに従って、自分たちのバスに乗り込んだ。バスは、メキシコ移動に使われる1等バスを更にちょっとグレードアップした感じで、バスの中ほどからも乗降できるようになっている観光バスだった。

 8時30分過ぎに、バスは出発。ガイドは初老のメキシコ人男性。ガイド歴も長いようで、いいツアーにあたったという感じがした。ガイドは、スペイン語と英語の2ヶ国語で解説されていく。「私も、この年になって英語の勉強を始めて、英語ガイドもやっておりますが、私の英語、わかりますかな?」というガイドに対して、好感のこもった拍手がおこったりして、バスの中の雰囲気は、とてもよかった。バスは一路、チチェン・イツァーに向かう。森林を切り開いて、チチェン・イツァーに向かって道を作ったのだろう、まっすぐな道がずーっと続いていく。途中で小さな街により、バスの中から、ソカロや街の様子を見学、その後、トイレ休憩で土産物屋に20分ほど立ち寄り、チチェン・イツァー近くのホテルIK-KILに到着したのが11時半頃だった。

 この辺りにはセノテ(Cenote)と呼ばれる泉が数多くあるそうだ。石灰岩質のユカタン半島では、降った雨が地中に吸い込まれ、地下の空洞に溜まっていく。この空洞の上の地面が陥没してできたのがセノテなのだそうだ。「到着したホテルは敷地内にセノテがあり、泳ぐことができます。泳がなくとも、見るだけでも面白いので、ここで30分時間をとります。」というガイドの解説があり、みんなどやどやとバスを降りた。人の波についてホテル敷地内を歩いていくと、人がかたまって下を見下ろしている背中が見えた。何だ、何だと近づいてみると、洞窟の下の方に、深ーい青緑色のセノテが見え、数人が泳いでいる。これが、セノテか。右手に、階段があるので、下りてみることにした。階段は洞窟をくり抜いたもので、ビルでいうと、5〜6階分くらいも下りていく。水面は、近くでみるともっと緑色を増し、上からの太陽の光のあたり具合で、様々な色を醸し出して、ちょっとトロっとした感じに見える。中を覗くと、真っ黒な出目金のような魚が泳いでいる。水着を用意してきた人は、はしごを5段ほど伝って、トプンと水に入ることになっている。先刻のバスの解説では、深さが3.8mあるそうで、足は到底つかない。通常なら臆するところだけれど、高い気温と湿度で汗ばんだ今は、この冷たい泉に入りたくてうずうずした。水温は地下水なので年中同じで17度ほど。水からあがった人は、かなり冷たいと言っていた。次回来る時には必ず水着を持ってこようと思いながら、今回は断念してバスに戻った。

 さて、いったいいつ遺跡にいくのか?気の早いアメリカ人女性の一人が尋ねた。これから昼食を1時間ほどとって、それから遺跡に3時間滞在するということだった。昼食を摂るレストランに向かおうとした時に、2名が戻っていないことがわかった。10分ほど待つが、戻らない。ガイドが運転手に指示した。「バモス(行こう)」。えー?行っちゃうの?日本のツアーだったら、探しに行くだろうと思うのだが、そこは自己責任の文化の国。周りの誰も騒ぐことなく、2名を置いてバスは出た。妙なところで、ここは外国なんだなぁと痛感した。

 さて、レストランはホテルのような所で、土産物屋と広いダイニングとプールまである。ビュッフェ形式のダイニングは大きな広間で、長いテーブルが何本も並び、端に料理のトレーが並んでいる。我々のバスの一行も、並んで料理を取った。昼食で向かいの席に座ったのは、リタイアメントをしたアメリカ人夫婦。コロラドから来たそうだ。奥さんが、「世界で行きたい場所リスト」を作っていて、お得なツアーがあると全部アレンジして、2人で旅行しているのだそうだ。「僕は、ついていくだけさ」と旦那さんが言う。カンクンの前には、中国に旅行してきたそうだ。ある日、新聞で中国までのフライトとホテルと全部食事がついてUS$1000という旅行会社の広告を奥さんが見つけ、即刻申し込んだそうだ。確かに安い。コロラドから北京まで16時間のフライトが大変だったこと、兵馬俑を訪れた時の驚きなど、面白おかしく話してくれた。奥さんは、土産物の兵馬俑のミニチュアにいたく感動したようだ。「あんなに、小っちゃいのを、あんなにたくさん作れるなんて、中国人は何て忍耐強いんでしょう。アメリカ人なら途中で投げ出しているわ」と兵馬俑そのものよりもミニチュアに感動しているのが面白かった。2人ともニコニコして、心から旅を楽しんでいる様子が印象的だった。

 さて、昼食後、バスに5分も乗ったら、いよいよチチェン・イツァーの遺跡に到着。ここからは、スペイン語組と英語組は別行動。英語組みには、今までのガイドさんがついてくれた。入口からピラミッドや神殿がある広場までには、陶器や布やピラミッドの置物などの土産物屋が並ぶ。5分もしないうちに、お目当てのピラミッドが見えてきた。

おお、これがチチェン・イツァーのピラミッドか!緑の森林と青い空を背景に、白くそびえるククルカン神殿は、テオティワカンよりも美しい。さっそくピラミッドの説明かな?と思ったら、そこは素通りで、左手のジャガーの神殿の方に向かった。

ジャガーの神殿では、人影に驚いた全長70cm程のイグアナ3匹が草むらから這い出て、神殿のくずれかけた階段(今は立ち入り禁止になっている)を上っていく姿が見られた。神殿の内部壁面や石柱に彫られた戦士の姿を見物して、ジャガーの神殿の裏手の競技場に回る。広い競技場の壁面には、7人で1チームの戦士が2組掘り込まれており、一人の戦士は首が落とされて、7本の蛇となって血がほとばしっている図柄になっている。これは、最初、負けたチームのリーダーが罰則として首を切られたと考えられていたが、後の調査により、勝ったチームのリーダーが栄光の証として、神に首を捧げたという説に変ったそうだ。いずれにしろ、残酷な話である。高みで見物するロイヤルファミリーは、一体どんな気持でこの行事を見守っていたのだろうか?競技場の周りを石組みの客席が取り囲んでいるのだが、そのために、競技場の端から端まで声が良く響くという。競技場の真ん中あたりで、ガイドさんがパンと手を打つと、7回くらい反響していた。その位置の南側の客席の上には、石の枠があり、春分と秋分にはその石枠をきっかり通して太陽の光が入ってくるという説明もあり、マヤの人々がいかに天文学に精通していたかがわかるそうだ。このあたり、ガイドさんの受け売りであり、私の聞き間違いもあるかと思うので、間違っていたらお許しいただきたい。とにかく、天文学に詳しく残虐性のある文明だったんだなぁというのが、私の理解である。

 この後も、頭蓋骨が石に彫られたところや、プラネタリウムのような形の天文台をめぐり、ガイドさんの懇切丁寧な説明に、ほほーと感心したり、ふふーんと納得したりしていた。ガイドさんの説明の中で、一番感心を持ったのは、先刻通りがかったククルカン神殿の春分と秋分の話だ。1年のうちのこの2日に起こる現象で、ククルカンの頂上にある窓から光が入り、対角線上のピラミッドの一辺が、上から順々に照らされる瞬間があるという。段々になっている階段の上から一段ずつ下に向かって照らされていく様は、蛇が天上から降りてきてくるように見えるという。神殿のいたるところには蛇がモチーフになっている。それだけに、この現象は、神がかったものに映り、ガイドさんは何回見ても鳥肌が立つという。機会があったら、私も見物したいなぁと思った。

 一通りのガイドも終わり、あとの1時間半は自由行動となった。当然、私たちはククルカン神殿にのぼることにした。テオティワカンよりも勾配がきついが、高さはそれほどない。タイの暁の寺院くらいかなぁといいながら、一気にのぼった。




頂上の周囲を巡る部分は、思ったより狭い上に、もちろん手すりなどはついていないので、やや怖い。皆、おそるおそる歩いている。が、その怖さを乗り越えて、行く価値のある景色だ。旧チチェン・イツァーと思われる白っぽい建物が、鬱蒼とした森林の中に、ぽつりぽつりと見える。視界には、空と緑と遺跡しかなく、電線も看板も近代的な建物もない。

 頂上に立つ建物に入ると、足元に穴があいている部分がある。この神殿は2重構造になっていて、実は、中にもう一つサイズダウンしたピラミッドがあるということだった。この穴の下にあるはずだ。しかし、そこはフタをされていて、入ることはできない。ピラミッドの下のどこかから、この内部のピラミッドに入る入口があるはずだったが、今回はみつけられなかった。

 建物を出て、周囲をぐるっと回ると、今度は眼下に戦士の神殿が見えてくる。戦士の神殿は今は立ち入り禁止になっていて、このククルカン神殿の頂上から眺めるか、周囲から見上げるしかない。私がメキシコ・シティーの国立人類学博物館で見た、あのおとぼけ顔の彫刻が、戦士の神殿の真ん中にぽつんといる。ガイドさんの説明では、この像は、腹の部分に、生贄の心臓をのせるための台がある、生贄用の置き台だということだった。あんなとぼけた顔に作っているのが、また更に残虐な感じがするねぇ。戦士の神殿の意味や生贄の話はあるものの、造形物とその背景としては、ここはとても美しい。

 こうして、頂上からの眺めを堪能して、下に降りることにした。因みに、ククルカン神殿に上れるのも、今月(2005年6月)いっぱいで、その後は遺跡保存のため、立ち入り禁止となってしまうのだそうだ。ククルカン神殿に上れないということになると、観光の目玉は、まだあまり人気の出ていない他の遺跡になるかもしれないなぁ。最初で、最後のククルカン神殿からの眺めとなった。下りの階段では、多くの白人が座り込んでいたり、手をつきながら一段ずつそろそろと降りる中、我々は手すりにも頼らず、夫などは日傘を片手にヒョイヒョイと降りる。「何でかなぁ?日本人はバランス感覚がいいのかなぁ?」と私が言うと、「いや、足が短いからだよ」と夫が即答する。納得。今回だけは、足が短くて良かったと思った。

戦士の神殿は、下に降りてから目の前まで見に行ったが、やはり恰好よかった。その右側に並ぶ、巨大な石柱群が昔のアイドルのプロモーションビデオのロケ地っぽくて、アイドル気分で柱の影からちょっと顔を出してみたりして遊べる。

 おおっと、もう集合の時間だ。3時間の滞在ということだったが、じっくりと説明もあり、案外短いように感じた。今回のツアーは、セノテにも連れて行ったくれたし、ガイドさんの説明も丁寧で、大満足だった。帰りのバスの中では、Xelha社による、今回の旅行についてのアンケートがあった。顧客満足度をフィードバックするあたり、この会社はアメリカの会社あるいはアメリカのコンサルタントがいると思われる。メキシコ人の中には、アメリカをあまり好きではないという人もいるが、観光産業においては、こうした良い影響も与えてくれるのは、認めざるを得ないだろう。

 ガイドさんは集めたアンケートに熱心に目を通していた。本当に真面目な人だ。また、こんなガイドさんに出会いたいものだ。
 
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