夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
目次Today's imagesTravel sketch食の楽しみPeopleAccommo旅行費用
Excursion移動の記録旅先で住むとしたら更新履歴日誌問合せAbout usENGLISH
北米
アメリカ合衆国
メキシコ
中米
グアテマラ
コスタリカ
南米
ペルー
ボリビア
アルゼンチン
チリ
ヨーロッパ
オーストリア
中東
ヨルダン
アフリカ
エジプト
ケニア
マダガスカル
ナミビア
ボツワナ
ウガンダ
 
2005.12.10〜12
ビーニャ・デル・マルとバルパライソ2泊3日の旅
チリ:国内旅行
 サンティアゴからバスで2時間乗って太平洋沿岸まで行くと、ビーニャ・デル・マルという町に出る。ビーニャ・デル・マルとそのすぐ南にあるバルパライソは、サンティアゴから気軽に来られる温暖な保養地として、現地の人にも人気があるし、ヨーロッパからの観光客も多く訪れる所である。

 保養地と聞くと、コルドバの体験を思い出す。コルドバでは保養地を巡る日帰りツアーを行ったが、保養地というのはその場所に数日滞在してこそ、その良さがわかるもので、日帰りでぐるぐる周って面白い所ではない。ビーニャに対しても、ガイドブックを読む限り同じような印象がある。

 しかし、日本人のバックパッカーの間では、ビーニャで数日を過すということが、他の国の観光客とは少し違った意味を持っている。みんなの目的地は、ビーニャ・デル・マルにある日本人宿「汐見荘」なのだ。ここで他の日本人バックパッカーと一緒に、海産物三昧の日を送って、日ごろのコレステロール不足を解消するのが常なようであり、色々な人のサイトで、この宿での食事風景を見ることができる。そんな極楽な宴会を体験できるならば、ビーニャに行く価値もあるなぁとサンティアゴの宿に荷物を置いて、ビーニャ・デル・マルまででかけてみることにした。

●まずは食材調達から
 サンティアゴの同じ宿に宿泊していた日本人バックパッカーで、先にビーニャに行った先達は、まずサンティアゴの日本食材を扱っている店で日本米や醤油や味噌を買い揃えてから行っていた。先達はあらまほしきことなり。

 サンティアゴには日本食材を扱っている店が意外に多い。我々が歩いた限りでは、金太郎という和食レストランの近くでMerced通り沿い、Miraflores通りとP.Montt通りの間に数件、中国系の店で醤油や味噌や米のある店を見つけた。この並びには中華料理店や富士料理店という和食の店も並んでいる。

 宿の情報ノートには、マポチョ川(Rio Mapocho)を越えて川に並行して走る道で、川から3本目のAndres Lepez de Bello通り沿いのPatronato通りとLoreto通りの間に、中華食材店と韓国食材店が並んでいる所があり、そちらが紹介されていた。これよりもっと西に向かって歩き、Florida通りを越えてから左手にあるモールの2階にも韓国食材店がある。こちらの3件の方が、我々がみつけた区画よりも規模が大きかったので、米、醤油、味噌、ハウスバーモントカレーのカレールーを調達してビーニャに向かうことにした。

 この界隈は、安売りの下着をひっくり返すおばちゃん達がいたり、アクセサリー屋で暇そうに店番している化粧だけは派手な女性がいたりする。よく言えば活気に満ちた区域、まぁちょっと猥雑な感じのするところだった。主に衣類を中心とした小さな商店がわさわさと立ち並んでいて、人通りも多い。

 サンティアゴは西側に新市街、東側に旧市街があり、宿のあるBaquedano駅付近からサンタ・ルシアの丘の西側一帯は、旧市街に属する。新市街は新しいビルが建っていて、近隣の住宅街も青々とした前庭を備えたヨーロッパ調の素敵な家が多かった。旧市街は道は広いが建物が古いので、ちょっと陰鬱な感じがする。しかし、今回の食材探しで、同じ旧市街とはいえマポチョ川をはさんで南側と北側ではまた雰囲気がガラッと変わることがわかった。川より南側は、多少は洒落たカフェなどもあって都会的だが、川から北側となると下町の風情で、違う都市に来たような気分になる。川の付近に中央市場があるために、こんな分岐になっているのだろうか?新宿と浅草が隣り合わせている、という感じで面白い。

●第一日目
 さて、食材も調達できたのでビーニャへ出発だ。サンティアゴからビーニャに行くには、地下鉄L1に乗ってUnibercida de Santhiago(サンティアゴ大学駅)で下車して、駅に直結しているアラメダ・バスターミナルAlamedaからバスに乗る。バスは数社から頻繁に出ているので、事前にチケットを買うことはしなかった。我々はTur Busというバスのカウンターで、直近に出るバスのチケットを購入した(片道C$3200=US$6.23)。

 朝8時半前に出たバスは、1時間半を過ぎるころからどんどんと坂を下りていった。かなたに海が見えて、手前には斜面にずらりと家が並んでいる。ビーニャはそんな地形の町だった。2時間足らずで、ビーニャのバスターミナルに到着。我々は宿に電話して予約を入れてあったので、とにかくバスを降りたその足で、市場に直行した。市場は、バスターミナルから徒歩で5分ほど行った所にある。午前10時20分だというのに、市場の半分は店を閉めていた。もともと開いていないのか、もう時間が遅くてしまったのかは定かではない。

 しかし、開いている店にはまだ豊富に魚介類があったので、ここで海産物を調達。市場の中には八百屋も入っているし、市場の外には様々な食料品店やスーパーもあるので、必要なものは全部ここで揃った。

 いやー、買った買った。こんな感じの価格だった。
買ったもの 買った量 Chile$ US$ 写真
はまぐり 2kg(A$600/kg) 1200 2.33 @
ムール貝 2kg(A$500/kg) 1000 1.95 @
シャコ 500g(A$2800/kg) 1400 2.72 A
白身魚 体長60cmを半身 1225 2.38 なし
かにの剥き身 1kg 3500 6.81 B
いか 500g(A$2400/kg) 1200 2.33 C


@はまぐりとムール貝

A茹でてもこのままの色。くるっと巻いている

B白くてジューシーで甘い

Cほたるいかの大きいような感じ。

 両手いっぱいに買い物袋をさげて、今度は宿まで移動だ。

 「汐見荘までは86番のバスに乗るとよい」などとガイドブックに書いてあったが、市場の前を通るバスに聞くと、「そっちにはいかないよ」と言われてしまう。市場前を走るタクシーは、乗り合いタクシーのようで、やはり「そっちの方には行かないなぁ」と断られてしまう。どうやらベルガラ広場Plaza Vergaraまで行かないと、汐見荘方面のバスやタクシーは拾えないようなのだ。仕方なく歩き始めたら、暇そうなタクシー運ちゃんに出会った。汐見荘の住所を見せると、汐見荘に電話して住所を確認して乗せて行ってくれることになった。料金を聞くとC$2500(US$4.86)で行くという。まぁ、そんなもんだろうと早速乗り込んだ。宿に到着してから料金を支払おうとすると、何故かC$2000でいいという。よくわからないけど、安く済んでしまった。

 後で聞いたところ、バスターミナル付近にいるタクシーは割高で、C$4000は取るそうだ。もし、汐見荘に行くのなら市場付近をブラブラしているタクシーを捕まえるのがいいのかもしれない。あと、バスは探しづらいので電車で行くという方法もある。ビーニャ・デル・マル駅からバルパライソ方面に乗って2つめのRec・・・ちょっと名前を控えていなかったので忘れたがRから始まる駅で降りる。改札を出て、左手の坂をあがりきって車通りの多い商店の並ぶ通りに出たら右に行く。左手2本目くらいがBaquedano通りなので、その坂をずーっと上がっていった左手に汐見荘がある。車通りの多い通りまで来たら、住民にBaquedano通りがどこか聞けば、知っているはずである。

 こうして宿にたどりつき、さっそくハマグリでボンゴレを作って食べた後、近隣の散歩にでかけた。塩見荘から海に向かってずっと下っていくと、電車の走る海沿いの道に出る。ここまでの道沿いは、ほぼ住宅だ。サンティアゴの喧騒を離れてここに来たら、ホッとする家庭的な空気が辺りに漂っていた。

 12月の潮風はまだ少し冷たいが、日差しは強かった。左手に突き出した半島の向こうは、もうバルパライソだ。

 この日は、これだけの散歩で済ませ、夜の宴会の準備にいそしんだ。予定通りに初日の夜から宴会。(食事の内容は「今日の献立2005年12月10日夜」を参照

●第二日目
 この日は、朝から天気があまり良くなかったが、昼食後、隣のバルパライソへ出かけてみた。電車でビーニャと反対方向に乗って、終点まで行き、そこから数駅分、ぶらぶらと散策して電車に乗って帰ってきた。昼過ぎから出て夕方までの時間で、アンセソールに2本乗ってみることもできたし、町並みも見ることができた。所要時間4時間もあればバルパライソをぐるっと見ることができると思う。

 バルパライソは、海岸に沿って細長い平地があり、それより奥は急な斜面になっている。遠くからみると、色とりどりの家が斜面に並んで、おもちゃのような風景を作り出しているのが特徴だ。メキシコのグアナファトといい、ボリビアのラ・パスといい、斜面に家を建てると、家の壁が遠くから見えるので、色とりどりにしてみたくなるのだろうか。どの斜面都市も家の色が華やかで、ここも例外ではなかった。

 こうした斜面に住む住民の足として欠かせないのがアンセソールだ。斜面を登るためのケーブルカーで、町のあちこちに乗り場がある。一回の運賃は上りがC$150(US$0.29)、下りがC$130(US$0.25)だった。

 アンセソールの乗り場は、表通りからちょっと引っ込んだところにある。日曜日の今日は、あまり観光客もおらず、利用するのは地元の人が多いようだった。

 こんな曇った日曜日に、古めかしいアンセソールに乗っている古めかしい人たちを眺めていると、バルパライソが時代に取り残された町なんじゃないかという気がしてくる。しかし、実の所、サンティアゴに次ぐ都会だそうなのだ。

 狭い入り口には木のバーがあり、もぎりの女性に運賃を支払って、バーを回して中に入る。目の前には木の箱と、レールが急な斜面を伝っているのが見えた。

 木の箱の中は1.5m四方くらい。待っていると、地元のじいちゃんやらが乗り込んできて、出発となった。

 2車線あるアンセソールは、上と下がいつも同時に出発するのかもしれない。2回乗ったが、2回とも、上から降りてくる箱とすれ違った。

 乗っている箱はこんな感じ。いやー、こうして見ると、木の箱の塗装もはげはげで、よくちゃんと動いているなぁと感心する代物だ。

 乗車時間は2分くらいだろうか。でも、これは確かに便利な乗り物だ。

 アンセソールに乗って上にあがっても、何があるというわけでもない。高い所にきたので、港が見渡せるカフェでもあればいいのだが、あいにく見つけられなかった。斜面の家を間近に見てみると、案外古い家が多く、古い家なのに色だけがけばけばしく、安キャバレーの古参のホステスみたいだ。遠目で見ている方が、きれいに見える。私は新しくてカッコいい建物が好きなので、こういう風景を見るとどうしても辛口になってしまうのだが、これをノスタルジックという人もいるだろう。


 そんな雰囲気ではあるが、海岸沿いの平地に向かって、斜面を徒歩で降りていくのは面白かった。斜面に沿って、道が複雑に交差していたり、曲がりくねった道の向こうに、突然あでやかな花がたくさん咲いた家があったり、家々の間から垣間見える海が近づいてくるのを見ることができる。斜面を歩くというのは、自分の目線が変わっていくので、どんどんと風景が変って見えてくる。加えて、この辺りの道がくねくねしているので、そんな空間で歩くということ自体が面白かった。

 平地に降りてからは、海沿いにビーニャの方向に向かって歩いていった。

 途中、桟橋が海に突き出しているデッキがあったり、もう少し暖かくなったら海水浴しようと、今から水着で寝そべる人のいる浜辺があったりした。

 もっと時間があったら、こうした浜辺にお弁当持参で行ってみるのも楽しかったかもしれない。

 ぶらぶらと歩いていたら3駅くらい歩いてしまった。帰りはそこから電車に乗って帰った。電車のチケットはC$600(US$1.18)だが1日有効チケットなので、こうして散策する場合には都合がいい。

 こうして夕方には宿に戻り、再び夜の宴会料理作りに励んだ。(食事の内容は「今日の献立2005年12月11日夜」を参照

●第三日目
 今日はお昼ご飯を食べて、サンティアゴに帰る日だったので、近所の商店を物色するくらいで、どこにもでかけなかった。それにしても、本当に海産物尽くしの3日間だった。いやー、食べた、食べた。

 これが、我々のビーニャ、バルパライソ詣での全容。普通の観光とはちょっと違うので、参考になるかどうかはわからないが、サンティアゴを離れて太平洋の潮風に吹かれ、ノスタルジックなバルパライソを訪れるのはちょっとした気分転換になって、面白いのではないかと思う。大急ぎだったら、サンティアゴから日帰りでも可能だろう。


 
このサイトを友人に知らせる
目次About Us免責事項著作権とリンク
(c)2005-2006 海外生活実践研究会 All rights reserved