夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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プラヤ・デル・カルメン(Playa del Carmen)→
                 キー・カーカー(Caye Caulker)
2005.07.25〜28
メキシコ→ベリーズ

移動内容
2005年07月25日プラヤ・デル・カルメン→チェトマル
08:00-08:15 宿から新バスステーションに徒歩で移動。途中ホテルに寄って、支払いを済ませる。
09:30-14:13 バスにてチェトマルに移動。
バス運賃(N$165/人=US$15) by 現金
14:30-14:44 バスターミナルからタクシーで街の中心に移動してホテル探し
タクシー運賃(N$50=US$4.55) by 現金
15:00 ホテルにチェックイン
2005年07月26日チェトマル→ベリーズ・シティー
08:58-09:04 宿の支払いを済ませ、タクシーにてバスターミナルに移動。
タクシー運賃(N$10=US$0.91) by 現金
11:45-12:11 バスにてベリーズ・シティに向けてに移動し、まずメキシコの国境に到着。バス運賃(N$84/人=US$7.64) by 現金
12:11-12:25 メキシコ出国手続き。
12:25-12:30 再度バスに乗車して、ベリーズの国境に到着。
12:30-12:45 ベリーズの国境に到着。ベリーズのビザ取得と入国手続き。
この間、乗ってきたバスは、私たちを置いて出発。
12:45→1145 時差が発生したので、時計を1時間戻す。
11:45-14:51 ベリーズの国境で、ひたすら次のバスを待つ。
15:00-17:29 バスでベリーズ・シティーに移動。前のバスチケットは有効。
17:32-17:41 タクシーにてバスターミナルから宿に移動。
タクシー運賃(B$6=US$3) by 現金
2005年07月27日ベリーズ・シティ
午前中 ベリーズ・シティからキー・カーカーへ行く方法と時間の調査、ベリーズ・シティからグアテマラのフローレスに行くバスチケットの買える場所とバスの出発場所の確認。
2005年07月28日ベリーズ・シティ→キー・カーカー
09:00-09:14 徒歩にてホテルからボート乗り場まで移動。
10:35-11:22 ボートにてベリーズ・シティからキー・カーカーに移動。
ボート往復運賃(B$35/人=US$17.5) by 現金
※ボートは片道のみだとB$20(US$10)。戻りのチケットは購入日から6ヶ月有効なので、往復で購入。
11:35-12:00 自転車運搬人に荷物を運んでもらいながら、ホテル探し。
荷物運搬代金(B$20=US$10) by 現金
※2005.7現在、US$1=N$11(メキシコペソ)、US$1=B$2(ベリーズドル)で計算しています。

 久しぶりに国をまたぐ移動。しかも、行き先はベリーズという2人にとっては未知の国であり、またビザが必要なのに取得しておらず、国境で取得する予定でもあったので、充分に休養を取りながらゆっくりと進むことにした。

 最終目的地はベリーズのキー・カーカーという島だが、初日はメキシコとベリーズの国境に一番近い、メキシコ側のチェトマルに宿泊。2日めは、長年ベリーズの首都であった(現在はベルモパンに遷都されている)ベリーズ・シティーで2泊、その後キー・カーカーに移動するという予定を立てた。バックパッカーの人なら、この行程を1日でこなす人が多いだろう。しかし、大きな荷物をかかえていること、ビザがないこと、ベリーズの次に向かうグアテマラの調査をベリーズ・シティでした方がよいだろうという判断のもと、上記のような日程にした。

●移動第一日目(2005年07月25日)
 プラヤ・デル・カルメンからチェトマルまでは、新バスターミナルから、ADO社とMUNDO MAYA社の2社からそれぞれ午前中に4〜5本ずつ出ている。運賃はADO社がN$165(US$15)に対し、MUNDO MAYA社はN$116(US$10.55)で、チェトマルまでの所要時間はそれぞれ4.5時間と6時間となっている。できれば、1日の乗車時間を4時間までにおさえたい我々は、当然ADO社を選択した。バス出発の1時間前だというのに、残席数が8席になっていて、少し驚いた。ADO社のプラヤ・デル・カルメン9時15分発のバスを利用するなら、前日にチケットを押さえておいた方がいいかもしれない。

 Pmimera Plus社のバスでは、ジュースや軽食(クロワッサンサンドやクッキー)などが付いていたが、ADO社は何もつかない。慣れた地元の人は、バスターミナルの隣にあるスーパーで、サンドイッチやコーラを買って乗車していた。しまった!と思ったが、もう出発時刻。しかし約1時間後に、トゥルムのバス停に停車したので、大急ぎでスナックとパンと水を購入した。

 メキシコはバスも道路も問題なく、4.5時間のところ5時間かかったものの、バスは無事にチェトマルに到着した。問題は、チェトマルという街だ。バスターミナルにはインフォメーションらしいものは見当たらない。今日の宿泊先をどうやって探したらよいのだろう。

 とりあえず、タクシー乗り場にいって観光案内所に連れて行ってほしいというと、そんなものはないと言われた。で、いやなパターンなのだが、タクシーの運転手にUS$30〜US$40くらいで、適当な宿があったら連れて行ってほしいと頼むはめになった。運転手の連れて行ってくれた宿は気に入らず、他もう1ヵ所に案内してもらったが、これも気に入らず、そこで降ろしてもらって、自分で探すことにした。タクシー代金は、最初N$30(US$2.73)と言っていたのが、2軒のホテルを回ったからとN$50(US$4.55)に値上がりされた。ちんぴらのような運転手だ。ま、多少の金額で喧嘩してもしょーがないので、さっさと支払ってお引取り願った。


チェトマルの市場から1徒歩15分で
海沿いに行けるが海は濁って汚い。
ハリケーンの影響か環境汚染なのか
定かではない。
 夫に荷物を見てもらって、身軽になって少し歩きまわったら、通りに面したところから半分までリニューアルが終了しているが、後ろの半分は、まだ改装中というくらい新しく、この値段にしては、アメニティーやタオルも良くて、とても満足できる宿が見つかったので、そこに落ち着くことにした。

 今回は運よく見つかったから良かったものの、知らない街で案内もなく宿を探すのは、本当に疲れる。でも、移動中だからこそ、快適で疲れの癒せる空間がほしいところだ。今回のように、余力があったら、自分で探すのが正解だろう。

●移動第二日目(2005年07月26日)
 今日は、今回の移動のメインイベント「国境越え」だ。

 昨日、「街の地図はどこで得られるのか?」と宿泊しているホテルで聞くと「向かいのHoliday Innのフロントだ」と、何のてらいもなく、答えてきた。設備はまっさらで気持がいいが、サービスには改良の余地が大分ありそうなホテルだなぁ、と思いながら、Holiday Innのフロントを訪ね、地図とともにチェトマル行きのバスの時刻を聞いた。11時45分だといわれたのだが、昨日到着したバスターミナルのタイムスケジュールには10時45分と書いてあった。むむむ。どちらを信用すべきか?どちらも信用できなくって、9時半とかだったらどうする?と様々な不安が心をよぎった。

 というわけで、あんまり意味がないけれど、他にやることもないので、9時にタクシーでバスターミナルに向かった。どこの土地でも経験することだが、その街に到着した昼下がりのタクシーの運ちゃんは、観光ズレしてちょっと割高な値段を請求するが、その街を出る朝のタクシーの運ちゃんは、大抵正直な値段を提示する真面目な人が多い。今回も、来た時の3分の1の値段を言ってきた。100円か300円かという違いなので大差はないのだが、やはり朝の運転手の対応は気持がいい。

 バスは11時45分だった。どうしてバスターミナルのタイムスケジュールが違っていて平気なんだろう。Holiday Innはチェトマルのホット・ステーションか?アメリカ資本のこのホテルがなかったら、この街は旅行者にとって、非常にい辛い街になるだろう。それにしても、今までいたメキシコの街とは違って、いよいよこれから混沌とした中米・南米の世界に入っていくことを予感させるような街、それがチェトマルだった。待ち時間2時間の間に、チェトマル市の観光局のアンケート係りが来たので、思いのたけをアンケート用紙にぎっしり書き込んであげた。でも、反映されるかどうかはわからないなぁ。

 バスは定刻に出発。荷物を車体の下に入れることができる大型バスではあるが、今までのバス会社の車体と比べるとランクがかなり落ちる。おお、中米になってきた。30分も乗らないうちにメキシコ側の国境に到着。ここで乗客は一旦バスを降り、メキシコ出国の手続きを行う。といっても、建物があるわけではなく、小さな小屋の中にいる係官に、パスポートとツーリストカードを差し出すと、パスポートに出国の日付のスタンプを押してくれるという簡単なものだった。出国の手続きは無事に終了し、全員がバスに戻ると、今度はベリーズの国境を目指してバスは走り始めた。

 ベリーズ側の国境は10分くらい先であった。ベリーズに入るのには日本人はビザが必要だ。日本政府は、日本への入国審査を厳しくするなど、ベリーズに対して何らかの締め付けを行っているのだろう。アメリカ人もヨーロッパ人も必要ないのに、日本人だけビザが必要な状況なのだ。まぁ、日本という国を守るための政策の余波がこんな所に来ているのだろう。

 メキシコ・シティーのベリーズ大使館に行った時に、2年前の情報でUS$45だった6ヶ月有効のマルチプルビザが、US$75に値上がりしていた。ベリーズってそんなに行く価値のある国なのか?という疑問が湧いた我々は、ベリーズのビザを保留して、もう少し情報を集めることにしたのだった。そしてカンクンに移動。ベリーズに行った人も多く、まぁ、行っておこうという結論に達したものの、カンクンのベリーズ大使館は閉鎖されて、後は国境で取得するしかない、という状況だった。いやぁ、参ったと思いながらも、他にどうしようもなくて、今日という日が来てしまったというわけである。事前情報では、国境でビザを取得していると時間がかかるので、バスに置いていかれることがある、ということはわかっていた。だから、同乗しているメキシコ人の男性と、隣の席のイギリス人カップルにバスを出さないようにお願いもしておいた。これで、準備はOK。これだけの人に頼んでおけば、大丈夫だろうと思っていた。

 しかし、である。ベリーズへの入国手続きの列に人々が並んでいる中、「我々はビザの取得が必要なのですが」と言ったところ、作業している係官は「そのまま列に並んでいてくれ」という。それでは、時間がかかってしょうがないだろう。今用紙が欲しいのに。しかし、仕方がない。やっと自分達の番が回ってきた。「ビザを取得したい」というと引き出しに用紙がない。「奥に行って探してくるから」と係官は言って、数分かかった。用紙に記入が終了。係官が「一人US$100ですから」という。なにー?いきなり一人US$25もの上乗せとは。多少の賄賂はいたしかたないと思っていたが、いきなり大きくきたな!

 しかし、もう手続きをしているのは我々のみで、バスの運転手は張り付きで見守っているものの、目が合うと自分の腕時計を指して「もう、時間がない」というゼスチャーをする。んなこと言ったって、私らのせいではない。さぁ、いよいよ始まったか、中南米の理不尽さ。そのうちバスの運転手は去っていったが、外にバスは待機していてくれている。

 もう賄賂でも仕方がないと支払うと、今度は「奥の上官にサインをもらってくるから」とオフィスに消えたオフィサーがしばらくして出てきた。「上司は今、昼食に出ているので、もう一人のオフィサーが処理するので、もう少し待ってください」ということだった。それから何分後だったろうか、ブルンブルンとエンジンの音がして、我々のバスがザーっと走って行ってしまった。

 あーあ、とうとうやられてしまった。遅いんだなぁ、仕事が。たくさん賄賂取ったんだから、せめて早く仕事をするのが礼儀ではないだろうか?それから数分後、「いやぁ、午前中からの仕事がたまっちゃってて、遅くなってしまいました。すみません。すみません。」と最後は日本語で「スミマセン」と言う。あー、その変な日本語がますますむかつく。やめてー。

 どこの国でも役人というのは扱いにくいという話は聞く。しかし、今までここまで最低の経験をしたことがなかった。5000円以上のボーナスを得たせいか、2人のオフィサーはめちゃくちゃ上機嫌な対応だった。「これから、キー・カーカーに行くのかい?そりぁ、うらやましいなぁ。立場を代わってほしいよ」と言うので、「あーそーかい、じゃぁ私に代わってUS$100のビザ代金でも払ってもらおうか!」と言いそうになったが、事態がややこしくなりそうだったので、想像の範囲にとどめておいた。

 それから20分くらいは、ずーっとむかむかしていた。だいたいベリーズがビザ代金を値上がりするから、メキシコ・シティで取らなかったんだ。もう、ここで引き返してベリーズに行くのをやめりゃぁよかったんじゃないの?行く価値あるのかねぇ、本当に。とぶちぶち、ぶちぶち言う私に対して、「数千円のことで、いつまでもこだわっている方が、自分の時間を無駄にしてることになるから、やめたら?」と夫に諭された。この夫の言葉に、一気に怒りのボルテージがヒートアップした。偉いです!夫は常に偉いです!正しいです!聖人君主のようです!あーもう、どいつもこいつもむかつく。喉も渇いた。お腹もすいた。出発前に買っておいた、サンドイッチとコーラは、バスと共に去っていってしまったのだった。

 と、ふと目をやると遠方にパラソルが見え、売店と思しきものが見える。「ちょっと飲み物買ってくるわ」といってみると、車の中にキッチンを備えた、移動式食堂だった。中ではおばあちゃんと、車の外でおじいちゃんがいて、飲み物を出したり、お客さんと談笑して忙しそうだった。おじいちゃんは「どっから来たんだい?」と私に尋ね、日本だと答えると、そうかそうか、遠いところから来たんだねぇとうなずいた。で、「うちのばあさんの飯は旨いから、日本のみなさんに勧めてくださいな」などと言っていた。このほのぼのとした会話で、怒りもクールダウンし、本当にお弁当もおいしかったので、私の気持は正常に戻っていった。衣食足りて礼節を知るってやつですね。

 さて、お昼ご飯を食べてゆっくりしても尚、あと2時間ほど待ち時間があった。木陰にいると風がきて割と涼しい。考えてみたら、ビーチの木陰で風に吹かれているのも、ここにいて風に吹かれているのもあんまり変わりない。どこにいようと、旅行は旅行なのだと思えてきた。我々のバスの3時間後に出発したバスがやっと見えてきた。

 体の大きな黒人のバス運転手にバスのチケットを見せると、ニコリともせずにチケットを見て、半券を切ってよこした。まぁ、乗れるってことか。何の会話もないまま、バスに乗り込んだ。待っているとビザの必要のないイギリス人などが、サクサクと手続きを終えて建物から出てくる。誰を待つこともなく、バスはすぐに出発した。

 ベリーズという国は、長いことイギリスの統治下にあってここ数十年で独立した新しい国らしい。そのせいか、メキシコではあまり見なかった住居前と後ろに芝生の庭を構えた家が多い。のどかな風景を走って約2時間半後、ベリーズ・シティーに到着した。

 バスのターミナルのバス発着場は舗装されておらず、ところどころに大きな窪みがあり、水溜りになっている。バスを降りると、バスの敷地と外を隔てる鉄格子に、ベリーズ人が大勢張り付いていて、大きな声で「タクシーはどうよ、タクシーは」と叫びながら鉄格子を掴んで、ガタガタと音をたてる。この場面だけ見たら、映画の刑務所のシーンかと思っちゃうような、そんなちょっと怖くなる程の営業っプリだった。チケット制のタクシーがあろうはずもなく、街の地図を置いているインフォメーションも絶対にない、という確信が持てるような、物凄い混沌ぶりだった。近づいてきた男性がタクシー運転手だと名乗り、大声で叫ぶわけでもなく普通な対応だったので、彼にお願いすることにした。

 ガイドブックに掲載されていた宿は、オーナーが替わって、違うホテルになっていた。あまりいい宿でもないが、この街を夕方にうろうろするのはもっと危なそうだ。とりあえず、ここに2泊を決めた。

●移動第三日目(2005年07月27日)
 今日の目的は、キー・カーカー行きのボート乗り場の確認と時間の確認と、グアテマラのフローレス(因みにこの街はペテン県に所属する、ペテン県って・・・、今から不安になる名前だ)に行くバスについての調査。

 フローレス行きのバスについては、観光案内所に行ってもらちがあかなかったので、唯一の高級ホテルであるラディソンホテルに行って、そこのツアーカウンターで聞くと、チケットを販売している旅行会社を紹介してくれた。旅行会社を訪ね、バスについての情報を得てから、キー・カーカー行きのボートについて調べようと、ボート乗り場に行くと、そこにフローレス行きのバスチケット販売店が3つもあった。

 じゃぁ、朝1時間もかけて歩き回ったのは、ここに来れば一発でわかっちゃったってこと?ったくもう、疲れる午前中だった。

 午後からは、午前中にエネルギーを使い果たしたので、眠ったりテレビを見たりして、ゆっくりと過ごした。

●移動第四日目(2005年07月28日)
 ベリーズ・シティーからキー・カーカーへのボートは、8時、9時、10時半、12時、1時半、3時、4時、5時半と結構頻繁にある。キー・カーカーでの宿を決めていなかったので、午前中に着こうと10時半のボートに乗ることにした。

 宿を9時に出て、スーツケースをそろそろと引っ張ってボート乗り場まで行った。荷物が異常に重いので、このデコボコのアスファルトをがつがつ引っ張っていくと、またもや車輪がいかれてしまうかもしれないからだ。通常の倍くらいの時間をかけて、ボート乗り場行くだろうという予想と、「大きな荷物を預ける場合は、乗船の20分前までにチェックインしてくれ」とチケット売り場に書いてあったので、早めに出発することにしたのだ。

 チケットは、往復割引の制度があり、しかも帰りのチケットは購入日から6ヶ月有効だと言われたので、往復購入した。荷物があることを告げると、チケット売り場の女性はマイクで誰かを呼んだ。呼ばれて来たのは、クーリエ係のエドガーだった。荷物は重いので、大切に扱ってほしいとお願いすると、「me、エドガーに任せておくれよ。meエドガーは、力持ち。大丈夫、大丈夫」と歌うように言った。とにかく、ご機嫌エドガーは、その後も口笛を吹きながら、歌を歌いながら、あちこちで「荷物はないかい?」とお客さんを勧誘している。自分の人生に満足することを知っているエドガーは、なかなか魅力あるキャラクターだった。見ていたら、一生懸命、我々の荷物を丁寧に運んでくれていた。B$1(US$0.5)という渋い金額しか小銭がなくって、申し訳なかったが、それでも明るい顔で受け取ってくれて助かった。


これらの大人数を詰め込んで、満席になった。


これは、キー・カーカーに到着した時に撮影。
前方が屋根がかかっている部分。
 船はキー・カーカーとその先のサン・ペドロに向かう客で、ほぼ満席、40人は乗船しているだろう。ガイドブックでは、キー・カーカー行きの船は屋根のないオープンタイプで、お客さんは船の縁のベンチに腰かけ、荷物は船の真ん中に寄せられている写真が掲載されていた。もし波がきたら、荷物が水を被るのではないかと心配していた。しかし、我々の乗った船は、半分屋根がかかっているタイプで、荷物は、屋根の下のお客用ベンチが蓋付きの荷物入れになっているので、全く濡れる心配のないタイプだった。

 出発してから5分もしないうちに、濁っていた水は美しいグリーンになってきた。やはり、河口付近だけ汚れているのかもしれない。小さめの船は波をパンパンと乗り越えながら、マングローブの林を抜けたりして割と激しい揺れだったが、この水上タクシーのスタッフは、そこかしこで睡眠をむさぼっている。慣れとは凄いものだ。30分で到着するかと思っていたら、風の関係か、小一時間かかってキー・カーカーに到着した。

 大きな荷物を持った私たちに、早速ポーターのフェデリコが近寄ってきた。今回は、荷物も重いし、宿も決まっていない。フェデリコの自転車(前に荷台がついている)に荷物を載せて、宿を紹介してもらうことにした。キー・カーカーは思ったよりも宿代が高く、リーズナブルなところは既に満室状態だった。4〜5軒回ってもらって、島の北端に近いようなところまで来て、「ねぇ、もっとないの?」とフェデリコに尋ねたら、「もう、勘弁してよ」と音を上げられた。しょーがない、予算よりかなり高めの一泊US$50で手を打つことにした。炎天下に重い荷物を運んでくれたフェデリコに、私としては充分だろうと思う金額のB$10(US$5)を渡すと、「いや、もうB$10欲しい」という。確かに荷物が重くて大変だったろう、ともう一枚札を渡したが、メキシコのタクシー代金などと比べても破格の値段だと思う。GNPとこうしたサービスの価格は、リゾート地においては関連性がなくなる。観光客が受け入れれば、国の経済力に関係なく、観光物価は釣りあがっていくのだ。きびしー!

 こうして、プラヤ・デル・カルメンからベリーズのキー・カーカーへの移動を終え、ひとまずここに落ち着くことにしたのである。
 
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