夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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サンタ・エレーナ(Santa Elena)→サマラ(Samara)
2005.09.25
コスタリカ国内移動

移動内容
04:30-06:00 宿からイルマ(Irma)に向けて移動。途中土砂崩れで全員下車。
バス運賃C600(US$1.23)/人 by 現金
06:00-06:34 徒歩で近隣の村へに移動。ピックアップトラックを出してもらうように、村人に交渉。
06:34-07:28 ピックアップでイルマまで移動。
ピックアップ運賃C600(US$1.23)/人 by 現金
07:49-08:58 イルマからバスでリベリア(Liberia)まで移動。
バス運賃C800(US$1.65)/人 by 現金
09:02-10:58 リベリアからニコヤ(Nicoya)まで移動。
バス運賃C565(US$1.16)/人 by 現金
12:00-13:04 ニコヤからサマラ(Samara)まで移動。
バス運賃C570(US$1.17)/人 by 現金
※2005.9現在、US$1= C486(コスタリカコロン)で計算しています。

 今回の旅行では、モンテベルデの次にニコヤ半島のいずれかのビーチに行ってから、南のマヌエル・アントニオ国立公園に行く予定だった。

 このいずれかのビーチを決めるにあたって、我々の希望は「白い砂浜、青い海」のところだった。同じニコヤ半島でも、ビーチによって砂の色が異なり、ガイドブックで見る限り、白い砂浜は「プラヤ・カリージョ(Playa Carrillo)」しかないようだった。モンテベルデの宿の主人が、いづこかに電話して調べてくれたものの、白い砂浜のビーチはここ以外に見つからない。プラヤ・カリージョには高級ホテルしかないという情報だったので、隣のサマラ(Samara)に宿泊しようと思い、サマラを目指すことにした。

 では、サマラに行くのにはどうやって行くのか?モンテベルデからは、2種類の行き方があるということだった。

 朝4時20分発(実際には30分に来たが)のプンタレナス行きに乗って、パン・アメリカンハイウェイ沿いのイルマという所で降りてニコヤ行きに乗る、あるいは、6時発のプンタレナス行きに乗って、パン・アメリカンハイウェイ沿いのチョメス(Chomes)という所で降りてニコヤ行きに乗る。モンテベルデの山を降りて、パン・アメリカンハイウェイまで行くという点では同じだが、通る道が違う。イルマの方がニコヤ寄りだし、早い時間に出発するので、こちらに決まりだ。4時20分のイルマ行きのチケットを購入した。

 4時10分には支度を終えて、宿の目の前のバス停を2階のキッチンから観察。そうなのだ。今回の宿は、バス停の目の前なので建物の中から外の様子が観察できるのが非常に良かった。キッチンの電気は消してあるので、外からこちらの姿は見えないだろうし、とっても安全な気分だった。

 バス停には旅行者らしい姿はなく、地元の人たちだけだった。怪しそうな人もいないので、下に降りていった。4時半にバスが来て、皆ぞろぞろと乗り込んだ。イルマまでの道のりは、やはり来た時とは違う道のようだ。朝早いけれど、途中で数人を拾ってバスは進んでいった。

 1時間後、バスが停車した。むむむ、前方を見ると土砂崩れで道路が半分ふさがっている。仕事先に向かう現地の男性たちが、これはいかんと総出で木々を取り除き、10分後、バスはそろそろと土砂を踏みつけて無事に通過した。

 ここ数日の大雨で、地盤が緩んでしまったらしい。6分後、二つ目の土砂崩れに遭遇。泥はそうでもないが、男性の腕の太さもある木が倒れ掛かっている。

 乗客の一人がのこぎりを出してきて(おいおい、一体何で持っていたのか?)枝を切る。他の乗客と一緒に切った木をどかして、ここも5分後に無事に通過した。

 まるでテレビゲームを地で行っているような木がした。今度は、猿でも空から落ちてくるというのか。

 それにしても、コスタリカの男性たちは頼りがいがあるし、仕事も早かった。「どうしようか?」などとあまり悩まず、テキパキと行動に移して問題を解決していく様は、「すてきー!」と目をハートにしたくなるたくましさがあった。

 そして3分後、第三の土砂崩れ。今回もどうにかなるかと、窓から首を出して土砂崩れを見たとたんに、「だめだこりゃ」と思った。もう道全体が、土に覆われてしまっているのである。戻ろうにもUターンもできない道である。この土をみんなでかきだしたら半日が終わってしまう。今まで運転に専念していた運転手も、さすがに携帯を手にとって応援を呼んでいるようだった。さて、どうしようか?今まで頑張ってきた男達は、ことさら真剣に話し合っている。因みに、この時山の夜が明けてきて、朝もやが立ち込めるすがすがしい森林の風景は、最高に美しかった。どうせ、言葉もよくわからないので、思いっきり朝の美しい風景を撮影して、みんなの決断を待った。

 動きがあった。どうやら、土砂崩れを徒歩で乗り越えて、下の村まで降りてタクシーを呼んでもらって、それに分乗してハイウェイのイルマまで行こうということになったらしい。驚いたことに、バスの運転手さんは、皆から代金はしっかりと徴収して、皆も黙って支払っていた。自然災害は、バス会社のせいではないから、というのがコスタリカ人の判断なのだろう。日本だったら、土砂崩れでバスが立ち往生したら、代替のバスを要請して皆で待つだろう。早く行きたい人がいるのなら、せめてここまでの運賃は払い戻しをするだろう。この常識というかしくみの違いに驚いた。

 総勢14名は、助け合いながら土砂崩れを越えて、先の村にむかって歩いた。前から作業姿の男性が歩いてくる。と、第四の土砂崩れがその後ろに見えた。どうやら、彼は、この土砂を乗り越えやすいように、板を渡してくれていたらしい。結局、先ほどの土砂を超えても、ここでまただめだったのだ。

 この先、大丈夫かなぁと不安に・・・ ならなかった。ひょんなことから、爽快な朝のトレッキングとなり、しかも仲間として頼りになるコスタリセンセ(スペイン語でコスタリカ人のこと)がいっぱいいる。今日中に到着しなかったら、もしかして民泊になったりしてー!と、お気楽な気持で、皆についていった。

 やがて民家が数件立ち並ぶ集落に着いた。と、その中の一軒の車庫に、大きなトラックの後ろ姿が見える。我々の中でも、両手に荷物を抱えた男性が、これを見逃すはずはなかった。家の人と話をして、この車に皆を乗せて下のハイウェイまで運んでくれるように交渉を始めてくれた。

 この家の主は、このトラックが家畜用なのでとても汚いからと、乗車を断っているようだった。それでもいいからと、男性が粘ると、主は車をバックして車庫から出した。その荷台を見て、男性は「これはだめだ」というように頭を左右に振っていた。どうやら、人間が耐えうる限界を超えた荷台だったようだ。

 そこに、話を聞きつけた隣人が、このトラックよりはかなり小ぶりのTOYOTAのピックアップに乗ってやってきた。救世主到来。この人の車に皆で乗せてもらうことになった。

 ピックアップトラックはグアテマラでは普通の交通機関の一つとして活用されているし、我々もお世話になり、その気持ちよさは体験済みである。だからピックアップといっても、「お、また気持いいねぇ、これは」と思っていたが、GNPがグアテマラよりも大分上を行くコスタリカ人にとって、ピックアップというのは由々しき事態、しかも大事な観光客をこんな物に乗せるなんて、面目ないと思っているようだった。私達が「いやー、ピックアップは素晴らしい。気持いいですよ」と言うと、最初の土砂崩れの時から、枝をとりはらい、皆の手をとって土砂渡りをさせてくれ、ピックアップに乗り込むのも手伝ってくれたリーダー的な男性が、「そうですね、今日のことは、不幸だとは思わずに、ラッキーだったと思ってください。コスタリカの自然は素晴らしいのですから」と観光大使のようなことをホッとしたように言った。

 こうしてコスタリカの温かい人たちにも出会えたし、気持のよいピックアップにも乗れたし、私たちはこの事故を本当に心から楽しんでいた。ちょっと浮かれ気味に、写真を撮っていたら、若い女性が「お2人の記念写真を撮りましょう」と申し出てくれて、ついでに彼女との写真も撮ったりして、おっとっとっとーなどとバランスをとりながらのピックアップは楽しいばかりであった。

 やがて、イルマに近づくと1人降り、2人降りして、最終的に5人ばかりでイルマまで行った。ピックアップ代金は、バス代と同じ金額。よくぞ車を出してくれたと思えば、バスと同じ金額は高くない。車を出した男性も、思わぬ報酬が入り、全ての人が満足な結果になった。

 時刻は7時半。本来なら6時半にはここに到着して、7時のニコヤ行きにアクセスするはずだった。次のバスは一体何時にくるのだろう。

 ピックアップに乗っていた他の3人に地図を広げて聞いたところ、皆違う場所に行くらしい。我々の目論見では、ここイルマからニコヤ半島を横断する橋を渡って直線的にニコヤに向かうのが一番近いと思っていたが、彼らはずっと来たのリベリアまで行って、ニコヤに南下することになるだろうと言う。むむむ?

 やがてバスが来た。リベリアを通り、パン・アメリカンハイウェイをどんどん北上してニカラグアに行くバスのようだ。我々がニコヤに行きたい旨を告げると、同じようにこのバスで行くのが一番早いといわれた。それもあり得ると思った。7時のニコヤ行きの後は、何時があるかわからない。もしかしたら、日に2本しかないかもしれない。午後まで待つのも馬鹿らしいので、とにかく先に進むバスに乗ってみることにした。なーに、道はニコヤに続いている。まだ、今日という日は始まったばかりじゃないか。

 こうして、この長距離バスに乗り込んで1時間10分後、バスはリベリアに到着。ニコヤへのバス停は、進行方向を200m歩いて右折して真っ直ぐ行ったところから出る、と言われた。降り立ったところは、バスターミナルでも何でもないので、言われたとおりに歩き始めた。200m先を右折したところで、前から「Nicoya」と書いたバスが走ってきた。「これだ!」と手を挙げた。運転手は、「ここはバス停じゃないから、ダメダメ」みたいなゼスチャーをするから、ダメなのかと思ったら、停まってくれた。ダメっていったのに、という不機嫌さを伴って料金を言う運転手。いや、ダメなら停まらなきゃいいのに。ま、いっか。というわけで、今まで乗ってきた長距離バスから、今度は市バスのような小ぶりな軽快な座席のバスに乗り換えてニコヤに向かった。


リベリアからニコヤの途中にあるサンタ・クルスで
ほとんどの人が降り、新たな客が乗ってきた。

サマラ行きのバスターミナル。バスは古い感じ。
 地図で見ると、ニコヤ半島の中央に位置するニコヤNicoyaは、ニコヤ半島各地からの道が集まっていて、いかにも中心でございます、という風格のある街に見えるのだが、実際のニコヤは「へ?」というほど田舎だった。「ここで降りて、まっすぐ行くとサマラ行きのバスターミナルだから」とバスを降ろされた。すると、一緒に降りたやり手風のおばちゃんが、「あたしも、サマラに行くのよ。ついてらっしゃい」と言うので、ついていったらバスターミナルに到着。次のバス12時まで1時間弱あるので、昼食を摂ることにした。

 ここで思いがけない旅人にあった。グアテマラの日本人宿で出会った青年に、ばったり再会したのである。彼はヒメウミガメが産卵のために何千、何万匹と大量に浜にあがる現象「アリバダ」を見たいがために、ここから、我々が向かうサマラの北にあるプラヤ・ノサラに向かうのだそうだ。我々も「アリバダには興味があったが、今年は9月30日頃に発生するという情報なので、日程が合わず断念した」と告げた。彼は、それでも「ノサラに行ってみます」と言った。そこでカメが見られなかったら、カリブ海側のトルトゥゲーロまで行ってカメを見てから南に下るということだった。カメの産卵を見たいという気持にスイッチが入ってしまったらしく、もう、どうしてもカメを見なくっちゃというモードになっていた。

 しかし、朝から楽しいとはいえ、乗り物に乗り続けの上、これから向かう先はビーチなのに、先ほどから雨がどんどん強くなっている。こんなブルーになりそうな状況で、のほほんと春の日差しのような話し方の彼に会えたのは、心が温まる出来事だった。ひとしきり情報交換をした後、それぞれのバスに乗り、「またどこかで会おうね」と別れを告げた。

 シーズンはずれのビーチに向かうバスには、地元の人以外に客はなく、細い道をじゃんじゃんと雨が降る中、「ビーチとビール」とか「サーフィン用具貸します」などという看板が寂しげに濡れそぼっていた。確かに、季節はずれに九十九里浜に行くと、こんな思いをするなぁと地元の浜辺を思い出していた。

 やがて、サマラに到着。4時半からバスに乗って、実に8時間半に及ぶ大移動となってしまった。もし、モンテベルデから観光客だけを乗せるシャトルバスに乗ると、4時間で到着するが料金はUS$38/人。2人だとUS$72ということになる。雨はますますどしゃぶり。大金をかけて早々とここに到着するよりも、地元の人と触れ合いながら2人でUS$12程度の移動は、結果として有意義だったと思う。なんたって、雨だからね。

さて、まず宿探しだ。



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