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リマ(Lima)→ナスカ(Nazca)
2005.10.06 |
ペルー国内移動 |
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移動内容 |
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07:45-07:51 |
宿からオルメーニョ社のバス・ターミナルに移動。
タクシー運賃S6(=US$1.80) by 現金 |
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09:30-15:58
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リマからナスカまでバスで移動。
バス運賃S75(=US$22.46)米ドルならUS$22/人 by 現金 |
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※2005.10現在、US$1= S3.34(ペルーソル)で計算しています。 |
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ペルーで初めての長距離移動に加えて、7時間バスに揺られて1泊した後に、小型飛行機で朝からグルグルと回される予定だったので、宿のご主人の助言に従って、オルメーニョ社のロイヤルクラスでナスカに行くことにした。
「バスチケットはできれば事前に購入した方がいいですよ」という助言も受けて、前日の6日、オルメーニョ社のバスターミナルに向かった。午後3時頃だったが、待ち行列ができていて7〜8人が並んでいた。日本でいうなら緑の窓口みたいで、一人一人どうやって行くのか、どこまで行くのかの相談から始まり、コンピュータ画面で席順を決め、名前をコンピュータに入力して、プリントアウトして支払いをする。これだけのことをするので、そんなにサクサクとは進まない。やはり事前に購入するのが正解のようだった。
バス購入窓口カウンターには、オルメーニョ社のロイヤルクラスのみの時刻表がクリアケースのスタンドになって立っている。エコノミークラスは違う場所からの発車で、ここはロイヤルクラスのみの発着所なのだ。
我々が購入しようとしている9時発は、イカ・ナスカ・アレキパ・プーノを通ってボリビアのラパスまで行くバスだった。ラパスまで乗り続けると、20時間は超えるだろう。かなりの長距離バスだ。我々は7時間くらい乗るが、2つめの停留所に過ぎない。購入の際にはパスポートの番号が必要だった。オリジナルは宿に置いてきてあるが、常にコピーを携帯しているのが役立った。こうして、パスポート番号、氏名が入った立派なチケットを頂いて帰ってきた。
出発当日は、タクシーを宿の前でつかまえた。宿のお母さんは、何気なく家から出てきてくれて、オルメーニョ社に行きたいという旨と、価格の交渉をしてくれた。何と気のつく人だろう。今回は大きな荷物を宿に置いてあるので、リュック1つと各自ポーチだけ。長時間のバス移動だが、荷物が少ないので耐えられる。
オルメーニョ社のロイヤルクラスのバスターミナルは、Av.Javier PradoとAv.Repubica
de Panamaの交差点付近の、Av.Javier Prado沿いにある。
道沿いには大きく「ORMENO」と書いてあるし、昨日一度訪れているので、ここが正しいバスターミナルであることが判断できたのも良かった。運賃が決まっているタクシー運転手さんにとっては、早く到着した方が効率がいい。ってことで、そのスピードったら、そりゃもう凄かったので、あっという間にバスターミナルに到着してしまった。
出発は9時のはずだったが、大きな荷物を預ける窓口が開いたのが8時45分だった。ここで大きな荷物は座席下に入れられる。これらの作業が終わって、「さぁ、皆さん乗車を」とアナウンスされたのは、たっぷり9時過ぎだった。
ロイヤルクラスってくらいだから、どのくらいロイヤルなんだろうと期待していたが、確かに豪華だった。客席は1階と2階席があり、入る際には、制服のペルー姉さんが一人ずつ「あなたは1階です、あなたは2階です」と案内。2階席の一番前は、展望席になっていて4人くらいが座ってテーブルでお茶をしながら、風景を楽しめる趣向になっていた。座席も前との間隔が広いし、クッションもフカフカ。座席の前についている台をこちらに倒すと、足を乗せられるようにもなっていた。メキシコでは、そんなに大層にいわなくとも、このくらいのサービスは当たり前だったのだが、久しぶりにこうした設備を目にして、ロイヤルクラスとまで言われると、なんだかありがたいような気になってくる。
乗客は年配の白人旅行者らしき人あるいはペルー人の商用の人が多かった。これならば、盗難もあまり心配しなくてもいいかもしれないが、用心するに越したことはない。荷棚には荷物はあげずに、私の足の上に置き、更にリュックのしょい紐は足に絡めておいた。
9時半ごろ、バスは出発。大都市であるリマの街中を抜け、アラスカから南米パタゴニアのほぼ南端までを貫いて走る、パン・アメリカンハイウェイの料金所の前あたりから、風景は一転した。右手には曇天のもと、荒々しく波立つ灰色の太平洋の海岸が遠くに、近くに見える。左手は砂山が限りなく続いていて、その斜面にシャビーな掘っ立て小屋が並んでいたりする。ここからナスカまでは、このハイウェイ沿いにまっすぐに南下していくのだ。右手の斜面に立つ小屋風の家々の間に「FUJIMORI」という看板が見え、「貧困層への待遇が厚いフジモリ元大統領」というのが実感として感じられた。
やがて、こうした民家すらもなくなり、辺りは砂だらけ。遠くにその砂と同じ色の木が生えているようには見えない山が見え、そのずっと奥にアンデス山脈と思われる峰がぼんやりと連なってみえる。気づくと左手に見えていた海岸も見えなくなっていて、かわりに砂を固めたような岩山があり、左右とも砂漠のような風景になっていった。
やがて、最初の停車地であるイカIcaに行く人だけにサンドイッチが配られた。じゃぁ、きっとイカのついたら私達のランチが配られるのだろうなぁと思っていたが、12時になろうとも13時になちゃってもイカには着かないし、お昼ご飯も配られない。ご飯が付くと聞いていたので、何もスナックを持っていなかった私たちは、「お腹空いたよー」とそればっかりしか考えられなくなってきた。もう暴動を起こしそうにお腹が空いた13時47分、イカに到着。
今まで見てきたのと同じ砂の色の家、砂の色の教会のある街だった。ちょっと薄寒いリマと比べると、暑くなっていて、イカに到着した時には半そでになっていた。この気候で、この風景。行ったことはないが、中東の都市にでも来た様な気分になった。さて、ランチがいつ出るがわからないので、お金を握り締めて売店を探すも、そんなものはない。物売りのおばちゃんの籠には、豆菓子みたいなのしかない。どーしよう。このままだと飢えた我々は猛獣になってしまうかもしれない、と恐怖におののいた瞬間、ランチボックスだと思われる白い容器の小箱がバスに運びこまれるのを目撃。よしよし。
イカを出発してすぐに、ランチタイムが開始。といっても、すぐには出ない。まず、バスガイドの姉さんは、バス内の階段付近にある箱をあけテーブルを取り出した。一辺が長い脚になっているテーブルを各座席の外側の肘掛に差し込んでいくのだ。それが終了すると、テーブルを付近で拭いていく。夫は隣で、「早く、早く、めーし、めーし」と叫んでいる。まずい、猛獣になりかけている。そしてやっと弁当箱が配られた。弁当はイカ行きの人に配られたサンドイッチよりずっと豪華。魚のフライと野菜とピラフとデザートとジュース。とってもおいしかった。(写真は本日の献立10/6昼参照)
イカを出ると、またもや砂漠の風景。本当に360度、どこを見渡しても砂漠だった。しかし、ここから10分後、またもや景色ががらっと変る。
ナスカ手前からの1時間半は、巨大な象のしわのようにも見える岩山のひだの間を走り、そのひだを降りて、小さな街を抜け、また次のひだへと登っていくというのの繰り返し。ダイナミックな道中は物珍しくて、目が離せなかった。
象のしわをいくつか超えて、15時48分にナスカに到着。9時に出ると思っていたので、全行程6時間48分とほぼ予定通りの到着だった。
変化に富んだ光景で、ここに車での道のりがすでに観光であるともいえる。さて、地上絵は見られるのだろうか?
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