夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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リマ(Lima)→クスコ(Cusco)
2005.10.11
ペルー国内移動

移動内容
06:45-07:00 リマの宿から国際空港までタクシーで移動。
送迎代金は往復でUS$20なので片道換算US$10 by 現金
※片道のみをお願いするとUS$12
09:00-10:00
リマからクスコまで飛行機で移動。荷物超過料金なし!
航空運賃US$90/人 by 現金
空港使用料US$5/人 by 現金
10:17-10:35
クスコの空港からホテル近くまでタクシーで移動。
タクシー運賃S10(=US$2.99) by 現金
10:38-10:55 徒歩で宿まで移動。
※2005.10現在、US$1= S3.34(ペルーソル)で計算しています。

 お腹を壊したりして、予想外にゆっくりと滞在してしまったリマだったが、お粥を作ってもらったりして、きれいで家庭的な宿だったので、何とか体力を回復することができた。お粥を作ってくれたお母さんと最後に記念撮影。本当にお世話になりました。

 この宿に宿泊すると、到着時と出発時の送迎サービスをUS$20でやってくれる。あらかじめ頼んでおいたので、時間通りにタクシーが来て、何の問題もなく空港に行くことができた。来る時は、オーナー自ら車を出して迎えてくれたが、帰りはタクシー。この運転手さんは沖縄出身の祖父母を持つ日系三世の方だそうだ。この年齢の方が三世ということは、一世の方がこの地に来たのは大分昔の話になるだろう。様々な希望を胸に、ペルーに渡って苦労されたに違いない。本人は、スペイン語しか話せないので、なかなかお話できなかったのが残念だった。しかし、言葉が通じないにせよ、日本からこんなに離れた土地の運転手さんが日系だというのは安心感があるし、心が通じるような気がする。イタリア系アメリカ人がイタリアに行った時、ドイツ系アメリカ人がドイツに行った時、こんな気分を味わうのだろうか。不思議な気分だ。

 さて、今回のチケットはタンス航空だ。リノベーションしたばかりのペルーの空港は、モダンで清潔で気持がいい。タンス航空のカウンターも先進国並みに整然としていた。毎回のことだが、荷物の超過料金が気になる。しかし、今回もコスタリカからリマへのフライト同様、超過料金は取られなかった。確かに1時間のフライトでUS$90は高めだが、我々にとっては超過料金が取られないのなら、高くない。

 パスコントロールまでの通路には、様々な店が並んでいるが、一軒いい店を発見した。それは、コスタリカのコーヒーメーカーBrittのリマ空港店だ。Brittは、コーヒー豆をチョコレートでコーティングしたお菓子を販売している。これから高地に向かうにあたり、血管を広げて血流を活発にするために、コーヒーやコカ茶を飲んでカフェインを摂取するのが有効と言われている。

 「このチョコレート菓子はコーヒー豆を直接食べることになるので、効き目が高いだろうから、コスタリカで是非買って行きなさい」と、グアテマラのパナハッチェルの宿、ツーリストホーム村岡のご主人から言われており、我々はコスタリカで購入してここまで持ってきた。しかし、リマの空港で購入できるのなら、こちらの方が手軽だ。リマから飛行機でクスコに行く人には、是非お勧めである。因みに、私はクスコに着いてから、このチョコレートをボリボリと食べたら、そんなに頭痛は起こらなかった。だから、効果はあったと思う。ただし、チョコレートの食べすぎで食欲は減退したけど。

 出発という矢印に沿って歩いてくと、チェックカウンターがあり、航空券のある人だけが先にいける箇所に来る。ここでは、赤信号と青信号が表示され、航空券を確認すると、係員がボタンを押して青信号にして、バーを越えられるようになっている。メキシコ辺りでは、この青信号にするボタンは、必ず本人が押させられ、一体何の意味があるのだろうかと、常におかしかった。そうだよねぇ、係員が押せばいいんだよねぇ。ペルーは普通だった。

 このバーを越えると、空港使用料の支払い。払うとは聞いていたが、ここまで何もなかったので、いけるかと思っていたが、そんなことはなかった。ここは、ソルでもドルでも支払い可能なようだった。

 最後に荷物検査を受け、ボディチェックを受けると、いよいよ待合ロビーへと入る。このチェックを通っても、中にはアルパカのセーターやちょっとしたお菓子を売っている素敵なお店もあった。本当にどこまでもカッコイイ空港だ。

 飛行機は定刻通りに離陸。高度をあげていくと、アンデス山脈の上空には、5つくらいの異なる高さに雲があった。下に5層にも雲が見えることなんて、今まであったっけ?相当高い所を飛んでいるのか?それとも、雲が何層にも見える地域なのだろうか?

 飛行機に乗っている時にはあまり気づかなかったが、写真を見て驚いた。空の色が随分暗いのだ。高地に行くと、空が近くなり、青が深く黒っぽくなるという話は聞いていた。今、クスコに滞在してこれを書いているが、青空を見上げても、人間の目には青色は通常とあまり変わりないように見える。しかし、この飛行機からカメラが見た空は、確実に相当高度があることを示していた。

 クスコまでの飛行は有視界飛行のみである。つまり視界がない夜間には飛べないことになっている。クスコに近づいて、飛行機が高度をやや下げた時に、その理由がわかった。アンデスの高い峰が、飛行機のすぐ下に見えるのである。この飛行機はセスナのような小型機ではなくジャンボ旅客機だ。それなのに、こんなに近く峰の頂上が見えている。パイロットが目で見て確認しながら飛行しなければ、危ないという理由はここにあったのだと思う。それにしても、雄大なアンデスを上から見られるという意味では、この飛行は遊覧も兼ねていて、結構楽しかった。

 やがて、雲の合間を縫って、降下していった。近代的な建物が多かったリマに比べると、赤っぽい土と、その土で作った日干し煉瓦を使った壁と同じくレンガ色の屋根の家が見えてきた。一体が赤っぽく統一されている。ここが、インカ文明の中心地クスコ(ケチュア語で「ヘソ」コスコQoscoがスペイン人によってCuscoと紹介された)なのだ。

 クスコの空港はペルーの近代さに比べると驚くほどひなびていた。トイレの扉は、閉まりにくい上、紙も置いていない。年間何万人という世界中からの観光客を向かえる都市の空港にしては、かなりお粗末だというイメージを持った。いや、トイレすら世界遺産で変更してはいけないのだろうか?んな馬鹿な。

 荷物を受け取って、空港の建物から出るまでに、Informationと書いたブースがあり、「クスコへようこそ。クスコの情報をあげますよ」と女性から声をかけられた。今までも空港内にオフィシャル・インフォメーションブースのある都市はあったので、近寄って話を聞いてみると、インフォメーションと言えるものは、地図を一枚くれただけで、あとはホテルの話になっていった。実はこのブースはオフィシャルの情報ブースでなく、単なる旅行エージェントのブースなのだった。ホテルは予約していなかったが、うるさいので「○○ホテルに予約してあるから」と切り抜けようとしたが、女性はしつこく「それよりもいいホテルがある」などと言ってくる。プチぶち切れで「だから、予約はあるって言ってるでしょ」と大きめの声でいったら黙った。

 それからも、他のエージェントブース、よくわからない男性、タクシー運転手らが次々に声をかけてきた。全部「予約ありますから」とかわして、タクシーに乗り込んで「○○ホテルまで」と告げた。運転手は何度も「本当に予約してるの?」と聞いてくるので、「ある、ある」といい続けた。目的のホテルに到着して、カウンターに部屋があるかと聞くと、なんと満室だった。え?なに?数日前ここに宿泊した人からメールをもらっていて、空いているという情報だったのに。この時期はペルーの中高生の修学旅行の時期で、このホテルも修学旅行生が入ってしまったとホテルの人は説明した。むむむ。

 タクシーの運転手は「やっぱり」という顔をしている。彼は、薄々感づいていたに違いない。そこから数m先のホテルを紹介してきたが、知らないそんなホテルに行くなら、ここから急な階段を上がった日本人宿に行く方がいいと判断した。「バス・トイレが共同で、こんな大荷物でこんな急な階段を上がるよりも、こっちのホテルがいいだろう」という運転手に、「いや、日本人宿で日本語の情報を受け取るのは、我々にとってとても重要なことなのです」と説明して理解してもらった。まぁ、日本人宿ではない宿に予約がある、と言ってここまで来たのに、矛盾した説明であるのは承知の上だ。運転手さんは、頑固な奴だなぁと苦笑いしながらも、料金を受け取り、写真に応じてくれた。

 高地に到着して、高台にある日本人宿に行くのは辛いだろうと、タクシーが横付けできるホテルを選んだのに、結局、高地初日からハードワークとなってしまった。高山病、大丈夫か?

 下の左の写真で、階段の中腹くらい。ここから更に倍の距離を登ってから右折すると、ややなだらかな坂道を15m程登って右手が宿だった。最初の階段の中腹で、階段に座って、遠い目をして2人で休憩していたら、近所の人が我々の姿を見て、小走りにどこかに行った。すると、しばらくして、体格の良い現地の女性が、荷物運びを手伝ってくれようとした。聞くと、宿の人だという。気をきかせて、先ほどの女性が応援を頼んでくれたのだった。皆さんのお陰で、どうにか宿にたどり着くことができた。本当に助かった。宿に着くなり、コーヒー豆入りチョコレートをバリバリと頬張り、何とか頭痛を抑えて一休みすることにした。

 因みに宿に来るには、アルマス広場から来る方法もある。アルマス広場から細い路地を50mほど入り、階段を3段、踊り場のようなところを3m、また階段を3段上ってから、傾斜15度くらいの幅広い階段(まぁ、ほぼ坂だと言っていい)を70〜80mほど上るのである。アルマス広場から入った道から宿までは、大きな玉石を埋め込んだ道なので、スーツケースの滑車は転がせない。全部手で運ぶということになると、我々の来た道の方が距離が短くてすむのでいいと思った。この道に来るには「インペリアルホテルまで」と言えば、車で階段の下まで来てくれる。

 高度3400mの高地での初日、宿に到着してから仮眠をとり、そろそろと動いていたので高山病の症状はそんなに出なかった。しかし、その夜から動悸、頭痛など高山病の軽い症状が出てきて、苦しい夜を過ごした。




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