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クスコ(Cusco)→アグアス・カリエンテス(Aguas Calientes)
2005.10.14 |
ペルー国内移動 |
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移動内容 |
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05:30-05:40 |
宿からサン・ペドロ駅まで徒歩で移動。 |
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07:15-10:15
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クスコのサン・ペドロ駅から列車で76km地点まで移動
アグアス・カリエンテスまでの往復でUS$65.46/人 by 現金 |
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10:41-11:05
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76km地点から82km地点までバスで移動
※通常アグアスまで直通。料金は当然列車代に含まれる。 |
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13:00-14:00
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82km地点からアグアス・カリエンテスまで列車で移動
※通常アグアスまで直通。料金は当然列車代に含まれる。 |
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13日の朝7時近く、宿のチャイムが「ピンポーン」と鳴った。まぁ、夜行でクスコに朝到着して、朝チェックインする人もいるので気にしていなかったが、何やら騒がしい。見に行くと、同宿の若い女性3人組みがいる。確か、今朝マチュピチュに向かって出かける予定だったのに、何故?聞いてびっくり。連日の大雨で土砂崩れが起きて、マチュピチュ行きの列車が不通になり、明日の便に変更してもらって、今朝は帰ってきたというのだ。
なにー?そんなんで明日は大丈夫なのだろうか?昼間、街を周っていて、グランツールという日本人が経営する旅行代理店に入ると、現地の女性が「今回の土砂崩れは8kmにも及んでいるので、明日も出ないかもしれない。夕方5時には、明日の予定が決まると思うんだけど。あなたたち、知りたかったら、夕方ここに来たらわかるからね」と、流暢な日本語で親切に教えてくれた。それは助かる。
しかし、宿に戻って冷静に考えた。もし、明日も列車が出ないということが今日中にわかったとしても、明日の出発予定時間に駅にいないと、今持っているチケットの書き換えはいつどこでできるのだろうか?何となく、時期をのがすとチケットがパーになりそうな気がした。宿のご主人に相談しても、やはり同じ考えで、とりあえず時間通りに現地に行くのがいいだろうという判断だった。
14日の朝、6時15分の30分前に行くことになっていたので、5時半に宿を出た。
明けたばかりの空の下、サン・ペドロ教会の隣にあるサン・ペドロ駅には、もう人が集まってきているようだった。
駅に到着して、早速駅員に確認する。「今日の6時15分発のバックパッカー、マチュピチュ行きは出るのでしょうか?」。すると、駅員は「1時間遅れの7時15分発になるが、出発します」と言う。よかった。どうやら、土砂崩れは解消されたようだった。しかし、1時間もずれると、出発まであと1時間半もある。朝食用のパンも持参してきたことだし、カフェでコーヒーを買って朝食とすることにした。やがて、昨日の朝帰ってきた3人組もやってきた。彼女たちは、今日中にクスコに戻って来なければならない。というのも、明日の朝発で、プーノという別のところに行くチケットを既に手配してしてしまっているからだ。今日が最後のチャンスだった彼女たちは、行けるとわかって大喜びだった。
やがて、ツアー客と思われる客がぞろぞろとやってきた。さすが代理店がバックにいるだけあって、ぎりぎりまでホテルで待機して余裕の登場である。カフェでお茶するのにも飽きてきたし、そういえばアグアス・カリエンテスやマチュピチュに行ったら、スナックや水の値段が異常に高いと聞いていたということを思い出し、駅の隣で飲み物やチョコレートケーキのようなスナックを購入したり、出発時間が遅れたので幸いにも開きはじめた目の前の市場に、オレンジを買いにいったりした。フルーツ屋のおっさんに「今日、マチュピチュに行けるようになったんだよ」と言うと「そうかい、良かったねぇ」と言ってくれたが、おまけはしてくれなかった。ま、あと20歳若けりゃいけたかもしれないけど、今じゃぁ無理か。とまぁ、そんな風にしていたら、あっという間に出発。
6時50分に乗り込みの指示が出て、バックパッカー列車への客は一斉に動き始めた。車輌も席も決まっているので、別に焦る必要もない。ゆったりと、決められた車輌の決められた席におさまった。
バックパッカーと聞いて、どんなに悪質な座席なのだろうかと思っていたが、そうでもない。座席の生地が、この辺りの織物を模しているので、雰囲気がいい。名前はバックパッカーでも、料金はローカルの交通機関から比べたら物凄く高いだろうから(ローカルの値段は私達には知らされていない。どうせ乗せてもらえないからだ)、このくらいのレベルになるのだろう。
向かい合わせにはオランダ人カップル。前方には老年アメリカ人のツアー客一団が座っていた。ツアー客にはガイドがアテンドしており、英語で「ええ、皆さんもご存知のように、昨日土砂崩れがあった影響で、今日は76km地点でバスに乗り換え、そこから82km地点でまた列車に乗り換えて移動します。それぞれ、2時間、3時間、2時間くらいかかる予定です」と説明。なぬ?そんなこと、聞かされていなかった。通常3時間半でいけるところ倍の時間がかかるというのか。本当なのだろうか?でも、もう列車には乗ってしまった。後はアグアス・カリエンテスに着くまで、前に進むしかない。
列車は一番前にディーゼルを積んでおり、モクモクと黒い煙を吐きながらクスコの裏手の山を登っていった。徐々にクスコの街並みが眼下に見えてくるやがて、スイッチバックにさしかかった。登りが急なので、列車の前後を変えながらZ型に山を登っていくのだ。初めての経験だったので面白い。
そうして大分山を登って、クスコの町が一望できるところまでくると、列車は、登った山を半時計周りに回りこんで西へと向かった。この頃、列車会社のこの車輌担当の女性が、客席をまわって1グループずつ、今後のスケジュールを説明している。今朝、アメリカ人付きガイドが話していた通りだった。違っていたのは、時間。彼女の説明では、バスに乗り換えて5分、そこから列車で1時間もすれば到着するので、11時半には到着するだろうということだった。
8時10分、走り始めて1時間ほどすると、豪華列車ハイラム・ビンガム号の発着駅でもあるポロイPoroyに到着する。5分ほどの停車時間、隣の線路に停車していたハイラム・ビンガム号の内部を観察。私の席からは、お酒の瓶がたくさんならんで、美しい木彫のカウンターとスツールが並ぶバーカウンター車輌が見えた。うわー、これは豪華だ。
このポロイから民家は極端に少なくなり、やがて列車は川沿いに北上していくようになると、両脇に4000m級の峰、左に川が見える風景になってくる。蛇行しながら進む列車の窓から顔を出してみると、テレビの「世界の車窓から」という番組のような風景が広がっていた。
この峰の蛇行が終わると、列車は進路を大きく西に変える。そこからまもなくがオリャンタイタンボというところだ。ここで一旦停車。「昨日乗れなかった人もいるので、チケットの席順通りでなく、空いている所に座ってください」と駅員に言われ、どやどやと人が入ってきた。とうもろこし売りのおばちゃちゃんも、山高帽にみつあみ、膝丈のスカートという典型的なアンデスの女性の衣装となっている。ガイドブックによると、「ここから左手にウルバンバ側が流れ、その左奥には万年雪をたたえたアンデス山脈が見え、カメラのシャッターを押しっぱなしとなる」なんて、期待に満ちた表現がされている。楽しみだ。
ところが15分後。右手にウルバンバ川は見えて、万年雪をたたえた山もちょっと見え始めたというのに、列車が停まった。担当の女性が、「はいー、ここでバスに乗り換えですので降りてくださーい」と言った。皆一斉に立ち上がって降車の構えだったのに、同じ女性が「ちょっとまった」と制止し、立ちっぱなしで待つはめになった。どうやら、うまくバスが来ないらしい。それから30分もして、やっとバスに乗り込んで移動が始まった。待たされたものの、このバスまでは、車輌ごとに担当者の言うことを聞いて、割と整然に事が運んでいた。カオスが始まったのは、この後からだった。
バスは、線路沿いの未舗装の細い道をガタゴトと30分弱進んで、駐車場のように広いスペースにバスがたくさん停まっているところに停車した。
列車はまだ来ていないので、この駐車場で車輌ごとに待機するようにと言われて、みんな固まって待っていた。状況としては、避難民のように悲惨なのだが、周りの景色は素晴らしく、見上げると黒々とした峰の上に深い青空が広がり、かなたには万年雪をかぶった高い山の頂上が見えた。
やがて、そろそろ列車が来るので移動してくれという指示が出て、締め切っていた駐車場の鉄格子の門が開かれ、線路脇の細い道に並ばされたのは、バスでここに着いてから30分も経ってからだった。ほどなく、マチュピチュ方面から列車がやってくるのが見えた。「列車だー、列車だー」と叫ぶもの、「ピュー、ピュー」と口笛を鳴らすもの、そして何となく一同から拍手がおこった。ここに集まっている人は300人はくだらないだろう。決して少なくない人数だ。周囲にはこの村の人もたくさん物を売っているし、駅の係員も相当数いた。しかし、あまりに大自然がすごくて、このままここに放り出されたらどうなってしまうんだろう、という孤独な不安を一人一人が持ってしまうのだった。だから、列車が来た時に誰もが救われた気分になったのだった。
やがて、マチュピチュからの乗客が降りてきて、我々とすれ違った。皆、憔悴した表情である。中に一人、見覚えのある顔があった。同じ宿に宿泊していた道子さんだった。その時はまだ名前を把握していなかったので、彼女の腕をグッとつかんで「お疲れ様!」と声をかけた。一瞬、キッとした表情でこちらを振り向いた道子さんが、表情を和らげて「アレー、今からですか?」と言い、こんなところでの再会を喜び合った。道子さんによると、朝5時過ぎに駅に行くと8時に出ると言われ、もう一度駅に行って、さんざん待たされた上、今やっとここまで到着したというのだった。これから帰る道子さんに、「無事にここまでたどり着いていると宿のご主人に伝えてくださいね」とメッセージを伝えて別れた。
乗客が降り切ると、今度は我々が乗り込む番だった。列は予想外のスピードで前に進む。乗客が列車の各入口に殺到しているのだった。やっと我々が入口に到達すると、列車の中から係員が「もう、この車輌はいっぱいなので、別の車輌に乗ってください」と両手を押し出すように前につきだす。言われたことは素直に守る日本人としては、そうかと納得して別の入口に向かった。しかし、振り返ると、もう乗れないと言っていた車輌に、他の乗客がごり押しでどんどん乗り込んでいる。なんだ、まだ乗れるんじゃないか。「こういう時は、人のいうことなんか聞いてちゃだめなんだ」と悟った。今度の入口には、前の列車で同じ車輌だったアメリカ人老人グループもいた。「痛い、痛い、誰か私の足を踏んでるわ」「○○さんの旦那さんを見た人はいませんかー?」「押さないでよー、押さないで!こういう時は老人を先に行かせるもんなのよ」と、人一倍大騒ぎしながら乗り込んでいた。そうこうする中、夫はサクッと乗り込み、私の番だと思ったら女性係員に止められた。入口に殺到している3つくらいの流れのうち、今度は別の流れから入れようとしているのだった。「夫が先に入っているから、いれてよー」と、もう英語でまくしたて、3人くらいの後に無理やり乗り込んだ。
こんな状況は生まれて初めてかもしれない。つくづくパニックに対して免疫がないんだなぁと実感した。バスに乗り込む前に知り合ったアメリカ人で自転車で旅行しているカップルなんか、相当前に車輌に乗り込んでいたし、同じ席だったオランダ人なんて、ちゃっかりと椅子に座ってクッキーなんか食べている。まだまだ、未熟じゃ。こうして、パニック慣れしていなかった我々は、これから1時間、混雑した列車の中を立ちっぱなしで行く羽目になった。
本来なら最高の景色が見える部分なのに、立っているので両脇の景色が全く見えない。やれやれ、混雑した東京を離れ通勤電車の混雑は二度と体験しないと思っていたのに、こんな所で体験するとは!
しかし、とにもかくにも1時間後、予定到着時刻10時10分を4時間近く超過してアグアス・カリエンテスに到着。列車が到着した途端、ホームを3人の日本人女性がタタターっと一番のりで走り去っていった。あ、例の3人組みだ。後で聞いたら、この混み混みの列車の中で一番に降ろしてもらえるように、入口にもぞもぞと動いていたということだった。
天気は晴れ。ホテルを決めてさっさと行けば、今日中に2時間ほどマチュピチュを見られる時間だ。さぁ、急げ、急げ!
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