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プーノ(Puno)→コパカバーナ(Copacabana)
2005.10.25 |
ペルー→ボリビア |
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移動内容 |
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07:20-07:26 |
宿からプーノのバスターミナルまでタクシーで移動。
※プーノ - コパカバーナのバス運賃に含まれる。 |
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07:30-12:10
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プーノからコパカバーナまでバスで移動
バス運賃 S15(=US$4.45) by 現金 |
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12:25-12:30
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コパカバーナのバス事務所前から宿までタクシーで移動
タクシー運賃 B7(=US$0.89) by 現金。 |
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※2005.10現在、
US$1= S3.37(ペルーソル)= B7.9(ボリビアーノ)で計算しています。 |
プーノに到着した22日に、ホテルの人と偽ってきたやり手の旅行代理店女性に、25日のコパカバーナ行きのバスも手配してもらっていた。
一昨日の一泊ツアーも時間通りに迎えに来たし、信用できる人だとわかっていたので、約束の7時を10分過ぎて迎えが来なくてもあまり不安ではなかった。7時20分。約束の時間を20分過ぎた頃、タクシーが迎えに来た。どうやら、タクシーでバスターミナルまで行くということらしい。バスターミナルまでは近く、タクシー代金も支払わずに済んだので、ここに至ってやっと信用できた。よかった。
Colecturという会社のバスターミナルの入口は狭い上に、大型バスが停車している。バスと建物の間の狭い道をスーツケースを引きずって、敷地内に入ると、入口に見えていたバスの後ろのバスに乗れと言われた。
大きな荷物は、車体の下の貨物入れに入れるのだが、荷札も何もない。「荷札は?」と聞くと「問題ない」と答えられた。答えになっていないと思ったが、周囲は観光客ばかりだし、大丈夫そうだと判断した。
チケットにある席順を見たら「02」と書いてある。01と02の席は、運転手の真後ろの一番前でスペースも広く、しかも湖がずっと見える左側だった。このバスを予約したときには、わさわさしていて、そんなことは何も考えていなかったが、いい席を押さえてもらえてよかった。早く手配したからかもしれない。
因みに手配してくれた女性は、上の写真の女性で、名前はMIRIAMさんだった。プーノで日本人が多く宿泊する宿、マンコ・カパックに出入りしている、この顔のMIRIAMさんなら信用できると言える。まぁでも、かなりそそっかしいので、チケットなどを購入したら、日付、時間、迎えに来る時間が記載されているか、内容が正確か、支払いしたならPAGARと明記されているかスタンプが押されているかを必ず確認する必要がある。かなりの確立で、何かが抜けるか誤っていた。悪気はないらしいが。
Colecturのバスの内部は、こんな感じ。そんなに大きなバスではなく丁度いい。最後部左手にはトイレもついている。紙は備わっていないので、自分で用意する必要があるが、清潔だし水も流れるし、手洗いの水も出た。上出来。
途中から更に数人が乗ってきた。イスラエル人らしい女性が、私達に自分のチケットを差し出し、「ちょっとどいて貰えますか?」と言ってきた。確かに、彼女のチケットにも01、02、05、06と4席分の番号が書かれていた。我々が座っている所とその後ろということになる。
実はMIRIAMさんが私達にチケットを渡したとき、確認すると、バスの出発日が24日になっていた。「日付が違っているんだけど」というと、複写になったチケットの上から、ペンでグリグリっと25と書き直して渡してくれた。つまり、25日のこの席はダブルブッキングになっていたことになる。でもまぁ、そんな事情を言うのも面倒なので、私達はそのイスラエル人に自分達のチケットを見せた。その女性は「なに?」という顔をして、連れのイスラエル人男性にそのチケットを見せた。イスラエル人男性は、「我々の席だから」と言うのだが、私も負けずに「そのチケットに02って書いてあるでしょ」と立ち上がりもせずに言った。この旅初めての、イスラエル人との対決になるかと思い、闘志が湧いてきた(ってのは嘘で、動くのが面倒だったのだ)。
どっしりと動かない日本人に業を煮やしたイスラエル人は、運転助手に助けを求めると、いとも簡単に「ああ、空いてる席に座って」と言われて、むすっとしながら、渋々後ろの方の空いている席に移動した。いやー、ごめんね。でも、ここは私達の席だから。この状況を考えるに、私達が日本人だったから、彼らも引き下がったのかもしれない。日本人がそう言うのだから、仕方ないと。あらためて、諸先輩方が築き上げてくれた、「日本」というクレディビリティーに感謝の念を感じた。
バスはプーノの街を出て湖の周囲をずーっと走っていく。湖と道路の間に畑があって農作業する人の姿が見えたり、湖のすぐ岸辺を走ったりと、湖とつかず離れず進んでいく。道路をリャマの大群が歩いている時もあったり、市バスと間違えて手を挙げる現地の人もいた。左手にキラキラと輝く湖面を目の端に置いて、こうしたのんびりとした風景を楽しめる道路だった。
やがて、コパカバーナとデサグアデーロの分岐点に来た。私達はコパカバーナに宿泊する予定だったので、コパカバーナ行きのバスに乗ったが、ボリビアのラ・パスに向かうならどちらからでも周れる。時間的には、デサグアデーロから行く方が近い。
しかし、今、このデサグアデーロが問題になっている。国境は通過できるのだが、ペルー側だかボリビア側だか忘れたが、国境付近に警察がいる。この警察が性悪で「検査だからと財布の中身を見せろ」といっては札を抜き取る、という被害が多発しているらしい。この旅に出発する前から、夫がネットでその情報を得ていて、デサグアデーロは通らないようにしようと思っていた。ここまで来る日本人宿の情報ノートには、実際に被害に合った人の話もあり、本当に被害があることを裏付けた。また、外務省の情報にも掲載されていて、通らないように呼びかけていた。ある情報ノートに書かれていた話では、警察は常に道の決まった側にいるので、反対側にトラックが停まるのを見計らって、トラックの陰をすり抜けて、被害にあわないで済んだという武勇伝めいた話も載っていたが、そもそも通らなければいいのだ。
というわけで、そのデサグアデーロとの分岐点でコパカバーナに曲がって、まずは一つの悪の手を逃れた。
午前10時過ぎ、ペルーとボリビア国境のペルー側、ユングーノという街の端でバスを降ろされた。バスを降りた目の前が両替屋だ。ボリビアで両替するよりも信用できるというのだろうか、大半の人がここで両替を行った。ペルーソルからボリビアーノへの変換レートはS1=B2.2だった。実勢レートが2.34くらいなので、あまりよくもない。
この両替屋から少し進んで、道の反対側にペルーのイミグレがある。入国の時に受け取った滞在カードを提出し、パスポートに出国のスタンプを押してもらう。ここは、何の問題もなく終了。
グアテマラにいる時に、入国したのに出国のスタンプを押されてしまった人がいて、いざ出国しようとした時に、イミグレで問題になり、グアテマラ国内に足止めされてしまった人がいた。だから、入出国のスタンプを押されたら、入国、出国の確認と日付の確認をした方が良さそうだ。今回はちゃんとペルーを出国したスタンプだったので、大丈夫だった。
このイミグレから、国境のバーを徒歩で越えて、道の同じ側にあるボリビアのイミグレに行く。バスの中で渡されていた入国手続きの用紙を渡すと、出国の時に必要な部分をちぎって戻してくる。これを受けとって、更にパスポートに入国のスタンプと滞在許可日数のスタンプを押される。私は30日の滞在許可のスタンプを押された。人によっては90日のスタンプを押してもらえたという人もいる。同じグループにいる日本人が、「日本人は90日もらえるんでしょ、90日をください」と言ったが拒否されて30日のスタンプを押されたと言っていた。後に、別の日本人から聞いた話では、どうしても90日欲しいからと、ボリビアに入国してから、再度イミグレに赴き、「90日、お願いします」とB20札(=US$2.53)を片手にちらつかせて言ったら、「シンコ(50)だ」と言われ、B50(=US$6.33)支払ったら90日をくれたということだった。いずれにしても、ボリビアに1ヶ月以上いるつもりのない我々には、関係のない話だ。後で、12月に大統領選挙を控え、11月頃から、各地でストライキなどが発生するという噂を聞き、ますます、さっさとボリビアは出ようと思った。
こうして、入出国の手続きを終えて、また徒歩でペルー側に停車しているバスに戻ってきた。ここで、おいしそうなエンパナーダ売りの青年がいたので、チキンとチーズの2種類を買って食べた。本当に具が熱々でおいしい。と、向こうから手続きを終えた日本人がやってくる。青年が言った。「あの日本人も友達でしょ、おいしいからって勧めてよ」と言う。ただで勧めるのもなんなので、「勧めて買ったら、一個くれる?」と言ってみたら、「OK」という。あまりにすんなりOKするので、こちらが驚いてしまった。ま、ゲーム感覚でやってみるか。
彼らは同じ宿に宿泊していた人たち。「熱々でおいしかったですよ」というと3組中2組が買った。すると、青年が約束どおりチキンエンパナーダを1個くれた。「皆に勧めて買ったら、一個貰えるって話になってたんですよねぇ」と、貰ったエンパナーダを買った人にちぎって分けながら話すと、一同は一瞬にして鼻白んだ。「だから、私達に勧めたんですねぇ」。
あれ?私が期待していた反応ではなかった。「いやぁ、うまくやりましたねぇ」とか言って、大笑い、みたいな反応になるかと思ったら、皆、騙されたって空気になっちゃった。そうか、日本人ってのは、こういうのが嫌いだってことを忘れていた。日本語で最初から言っておくべきだった。ごめんねー。そんなつもりじゃなかったのに。知らないうちに、自分が日本人感覚を忘れているのかもしれない、ということを実感したできごとだった(って、そんな事に拘泥してるのは本人だけだと思うけど)。
10時20分、バスは再び出発。ボリビアに入ったからといって、ガラッと風景が変るわけでもなく、今までと同じような牧歌的な景色が続いた。やがて、大きな丘の麓に村があるところが見えてきた。ここがコパカバーナだった。バスを降りると、道は石がごろごろと埋まった未舗装の道。新しくできたホテル数件が入り混じってはいるが、日干し煉瓦の家々もあり、なんともひなびた感じの村だった。
タクシーあるのかしら?夫に荷物番をしてもらって、少し歩いたところで男性に聞くと、大きな声でタクシーを呼んでくれた。バスが到着した左手が湖で、村全体は右手に上がっている。タクシーは、ぼこぼこした道を上がって、アルマス広場と教会のある所を通って宿に連れて行ってくれた。あー、タクシーがあってよかった。この村の道ではスーツケースの滑車が壊れてしまう。
日本人宿の情報ノートに勧められていたオスタル・フロレンシアのテラスから見るチチカカ湖の美しさと、元気いっぱいで見るからに人の良さそうな女主人メアリー、きちんと掃除された広めの部屋を見て、この宿が気に入って宿泊することにした。
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