夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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ラ・パス(La Paz)→ウユニ(Uyuni)
2005.11.07-08(夜行)
ボリビア国内移動

移動内容
11/07
19:40-20:07
宿からラ・パスのバス会社までタクシーで移動
タクシー運賃 Bs10(=US$1.23) by 現金
11/07 21:10-
11/08 07:26
ラ・パスからウユニまでバス(Todo Turismo)で移動
バス運賃 US$25/人 by 現金
11/08
07:35-08:45
一軒目の候補ホテルに行くも気に入らず、旅行会社でウユニ塩湖ツアーを手配し、そこに荷物をおかせてもらって他のホテルを見学。ホテル決定後、ホテルから旅行会社までタクシーで行き、荷物をピックアップ。
タクシー運賃 Bs6×2=Bs12(=US$1.48) by 現金。
※2005.11現在、US$1= Bs8.1(ボリビアーノ)で計算しています。

 ラ・パスの一番ホテルに到着した日、ご主人の南雲(なぐも)さんから、ウユニ行きのバスのいい情報を教えてもらった。

 ラ・パスからウユニに向かう方法として、昨年までは、ローカルバスで行く方法と、途中のオルーロまでローカルバスで行き、オルーロから列車で行く方法しかなかった。いずれも夜行で、ローカルバスは途中何度も停車して現地の人を乗せていく。座席の数以上に人を乗せるのが常で、通路に座る人まで出るのが当たり前のようだった。そのような状況の中で、バス内での盗難、特に日本人一人旅行客を狙った盗難が多いと聞いていた。

 宿の情報ノートには、ウユニからの帰りのバスで、若い日本人女性がリュックに鍵をかけて膝の上に抱えていたにもかかわらず、ついウトウトした瞬間に鍵を壊されて中のパスポートや現金を盗まれ、泣く泣く戻って来た話が書かれていたし、友人からメールで、やはりウユニからの帰りにビデオカメラを盗まれたと報告があった。

 私の印象では、特にウユニからラ・パスに帰るローカルバスのウユニ―オルーロ間で盗難が多い傾向にあると感じた。

 我々の場合、ウユニからラ・パスへは戻らないし二人旅なので、危険度は減っているかもしれないが、悲惨な話をいくつか聞いた後では、ローカルバスでウユニへ向かう気がしなかった。

 そこに南雲さんからの情報である。絶対これにしようと決定した。今年から始まったという、旅行者しか乗せないウユニ直行バスは、Todo Turismoという会社が行っている。ラ・パス、サンタ・クルスに続くボリビア第三の都市、コチャバンバが本拠地の会社らしい(詳しい情報と予約はTodo Turismoのサイトhttp://www.Turismobolivia.comを参照してください)。夕食と朝食のサービスや車内ビデオ放映、きれいな水洗トイレなどの特徴もいいが、何よりもラ・パス以外ではお客を乗せないというポリシーがいい。これで泥棒さんも乗ってこない。US$25は現地の人にとっては高いが、この金額で10時間の夜行バスを無事に乗り切れるのなら、我々にとっては高い金額ではない。


2階と3階の間に、赤と青の看板「Todo Turismo」
と見えるのが目印。
 ということで、出発の4日前の11月3日、ラ・パスのバスターミナル近くにあるTodo Turismoのオフィスへチケットを買いに行った。バスターミナルに向かうバス27番に乗って、バスターミナルの目の前で下車。登ってきた坂を30mほど下った左手に、周辺の建物とは全く違って近代的なビルが建っている。道路に面した側に「Todo Turismo」と看板もかかっている。そこの1Fの6号室がTodo Turismoのオフィスだった。1Fといっても、日本人の認識では3Fになるのでビルの右側奥にある入口から入って、エレベーターに乗って「1F」に行くのがいいだろう。エレベーターを降りると廊下に電気がついていなくて、昼間なのにうす暗く、本当にここにオフィスがあるのか不安になるが、右手に進んで行くと、6と扉に書かれたオフィスの入口左手に、大きく「Todo Turismo」とポスターが貼ってある。

 扉を開けて中に入ると、煌々と電気をつけた明るいオフィスになっていて、そのギャップに少し驚く。因みに扉をノックしても誰も返事をしてくれないので、勝手に開けて入ればいいようである。カウンターに行くと、愛想のよいボリビア人のお姉さんがいるので、希望出発日を告げてチケットを購入する。購入に際して、パスポートの番号(必須)とボリビア入国時に渡された入国カード(出発日でもOK)が必要になるので、事前にコピーして持っていくのが便利だろう。

 これも一番ホテルのご主人から聞いたのだが、ボリビアでは、ホテルに対して、時々政府からの査察が入り、ボリビア滞在許可期間を過ぎた宿泊者を泊めていないかチェックされるそうだ。恐らく、このバス会社もそうした査察を懸念しているのだろうと思う。

 我々はパスポートのコピーだけ持っていたが購入できた。入国カードは、出発する日に提出してコピーを取られた。次に、既に10名ほどの名前が記入されている7日の席順表を見せられ、空いている所から席を選んだ。こうして、出発日、集合時間、発車時間、名前、パスポート番号、席順が印字されたA4の紙を渡されて手続き終了。このA4の紙がチケットになるということだった。この辺りが、まだ始まったばかりのサービスを感じさせる。

 こうして無事にチケットを事前に入手した我々は、当日夜8時半、オフィスに荷物を持って集合せよと言われていた。本当は8時に出ようと思っていたのだが、ロビーで情報ノートに記載しようと7時30分に部屋を出たら、フロントにいた奥さんが気をきかせてタクシーを呼んでくれて、タクシーがすぐにきたため、7時40分には宿を出ることとなった。ラ・パスの宿は、毎朝日本食が出るし、とてもきれいなホテルだったし、NHKも見られる。旦那さん、奥さん、成人したお子さんたちも感じが良く、我が家のようにゆっくりと寛ぐことができた。

 この時間のラ・パスの街は非常に混んでいて渋滞していた。早いかと思ったが、渋滞を見ても、心にゆとりを持っていられたのでよかったと思う。

 タクシーのお兄ちゃんは、最初「12ボリビアーノで」と言っていたが、宿の奥さんに「いや、普通10ボリじゃなぁい?」と押し切られて10ボリにしてくれた。スーツケースは重いし、渋滞でひっかかるし、やれやれという表情だったが、最初に言った通り10ボリで満足してくれた。最初に奥さんが出てきてくれたのが強みになっていると思う。今まで聞いた話では、日本人旅行者が単独でタクシー運転手と交渉する場合、数字だけ交渉して値切れたと思ったら、後から現地通貨ではなく米ドルをよこせと言われたという話も聞いた。我々はまだ悪質なタクシー運転手には出会っていないようだが、実は毎回ちょっと緊張するものである。

 ラ・パスの中でも一番危険な場所と言われているのが、このバスターミナル界隈だそうだ。タクシーを降りてから、バス会社の建物の中に入る数歩の間に何かあったらどうしようかと思ったが、既に大型バスが建物に横付けされていて、バス会社のスタッフが数人、積み込み作業などを行っていた。チケットを買いに訪れた時は、昼間でも薄暗かったエレベーターに続くホールには、電気がともされ、大きな荷物と係員が待機していた。バスの下に入れる荷物は、ここで預けることになっているようだった。チケットを見せて、スーツケースを預ける。スーツケースには異なる番号に付いた荷札がつけられ、その半券をこちらに渡してくる。バゲッジクレームのシステムだ。

 身軽になった私たちは、3階にあるオフィスを訪れ、入国カードを見せる手続きを行った。荷物は安全に預けられたし、大型バスは新しい車体。今いるオフィスは危険から隔絶された世界だと思うとホッとした。

 客は、ヨーロッパ人らしい男性一人とボリビア人4人連れの女性たちしかいない。洒落たソファーに座って、ウユニから持ってきたという塩なんか眺めながら待つことにした。

 集合時間は8時半だったが、8時半前から9時に向けて、ぞくぞくと乗客が集まり始め、オフィスはだんだん人でいっぱいになってきた。白人バックパッカーが多いのが意外だった。これを見て、日本人だけでなく、相当白人も盗難にあっているのだろうと推測された。

 9時少し前に、下に降りてバスに乗ってくださいと指示があり、みんなでぞろぞろと下に降りていった。車体も新しい感じのバスはメルセデス・ベンツで、車内は横4人掛けだが、前後の間隔が広く、前の座席の下についているフットレストまで、正直私は足が届かなかった。座席には、枕とブランケットが置かれていた。一番後ろには、トイレがあった。トイレは、明け方に入ったが、手を洗う水が枯渇していてちょっと困ったくらいで、後は問題なかった。

 乗車してすぐに、一人1本500ml入りの水が配られ、30分もしないうちに夕食が出た。熱々のラザニアとサラダとドーナツ(詳細は本日の献立11月7日夜を参照ください)。街中を出発して30分というと、既にガタガタの道になってしまうので、やや食べるのが困難だった。

 やがて街の灯りはほとんどなくなり、外は真っ暗闇となった。映画はデンゼル・ワシントンが主役のちょっとオカルティックな面白いものだったが、Disk1が終わった所で、誰も2に変えてくれなかったので、皆諦めて眠りに入った。やがてスタッフが来て2に変えてくれるかと思ったら、寝静まった皆の様子を見て、ビデオのスイッチを消して戻っていった。スタッフは3〜4人ほどいて、前の扉から続々と出入りしている。スタッフ用の部屋が、客席の下にあるように思われる。

 こうして初めての夜行が始まった。といっても外は見えないし、眠るしかない。夜の移動ではスケッチすることがあまりないのだ。外気はどんどん冷えているようだったが、我々の席の窓際の足元にはヒーターがあって、暑過ぎず寒くもなく快適な温度に調整されていた。

 夜中0時過ぎにオルーロに到着したらしい。しかし、誰も降りるわけでもなく、バスは再び静かに出発した。午前4時ごろからだったろうか。すさまじくガタガタの道路になった。このままバスがパックリと割れてしまうのではないかと思うほどの振動。外を見ても状況はわからない。一体どんな道を走っているのだろうかと思った。そして、こんな道だから、途中で車体が故障して走れなくなったり、パンクしたりするのだろうということがわかった。うつらうつらしながら2時間半後、突然バスが停まった。朝6時40分くらいだった。この新しいベンツでさえも故障したのか?と思ったら、朝食のための停車だった。

 朝食は粗悪なマフィンと飲み物(紅茶かコーヒー)だった(詳細は本日の献立11月8日朝を参照ください)。この強烈な揺れの中では、全員が紅茶の中身をぶちまける勢いなので、停車したのだろうと思った。
 外は曇天の下、砂漠のような風景で塩らしきものは見当たらなかった。窓のすぐ下の道路を見ると、未舗装で大きな石がごろごろと転がっている。まったく、よくこんな道を走ってきたと感心した。

 30分ほど朝食のために停車した後、再び走り始めて10分くらいでウユニの町に到着。中央にある広場から数ブロック離れたところで降ろされた。

 ホテルが決まっている人もいない人も、三々五々いずこかへ荷物を持って消えていった。頑張ってくれたバスの後ろ姿が、屋根まで泥をかぶって痛々しい。最後の3時間近くが物凄い悪路だった。

 さて、まずはホテルだ。ウユニ塩湖ツアーの客引きが群がってくるので、目的のホテルの場所を聞くと、自分のオフィスの近くだからついてこいという。いや、我々はタクシーで行きたいのだがと言っても、タクシーは見当たらないし、彼女たちは大丈夫、すぐだからと歩き始めている。仕方なく、石畳と爆裂したスムーズな道のいずれかを選択しながらゆっくりと中央広場の方に歩き始めた。

 いつもなら、こうした街ではガイドブックにあるホテルで妥協するのだが、今回あてにしていたホテル・アヴェニーダはちょっと妥協できなかった。駅から近いのは魅力的だったが、古びたコロニアル調は曇天の下では寒々しく、もう少しグレードアップしたいと思った。そこで、同じ並びにあるツアー会社、プラヤ・ブランカ・ツアーに行き、ツアー内容を聞いて決定するとともに、荷物をおかせてもらって、別のホテルを探しにでかけた。

 といっても、ウユニにあるホテルは数が知れている。同じような寒々しい安宿を数件見た後、今のホテルを見てやっと満足した。このホテルからタクシーで荷物をとりに、プラヤ・ブランカ・ツアーの事務所に戻ると、鍵がかかっていて誰もいない。タクシーの運転手と待っていたが、戻ってこないので、料金を支払ってタクシーの運転手にお引取り願った。すると数分後に「ごめんなさい、ちょっと買い物してて」と事務所の女性が戻って来た。ここから、私はこの事務所の女性に度々イライラさせられることになる。結局、タクシー代金を再び支払って、ホテルに荷物を持って帰った。初めての夜行は疲れた。Todo Turismoのバスはデラックスで安心でサービスも良かったが、フラットシートになる程席は倒れず、その上あの悪路なので、熟睡はできなかった。今日は疲れているし、天気も悪いのでツアーの出発を見送った。とりあえず、寝よう。と、チェックインしてベッドに入り込むと、昼過ぎまで眠り込んだ。


 
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