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ウユニ(Uyuni)→ビジャソン(Villazon) 【夜行列車】
2005.11.15-16 |
ボリビア国内移動 |
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移動内容 |
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11/15
11:25-11:30 |
宿からウユニ列車駅近くの旅行代理店までタクシーで移動
タクシー運賃 Bs6(=US$0.74) by 現金 |
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11/15
21:35-21;45 |
旅行代理店からウユニ列車駅まで徒歩で移動 |
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11/15 23:20-
11/16 08:22 |
ウユニからビジャソンまで列車で移動
列車運賃 Bs123(=US$15.19) by 現金 |
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※2005.11現在、US$1= Bs8.1(ボリビアーノ)= で計算しています。 |
ウユニからは、ウユニ塩湖3泊4日のツアーでラグーナ・ベルデという緑の湖を見学した後、そこから近い(車で1時間くらい)チリ国境に行き、国境で待機しているチリのサン・ペドロ・デ・アタカマ行きのバスに乗り換える、というコースをよく聞く。
実際、我々が参加したウユニのツアーでは6人中、我々以外の4人がこの方法でツアーを抜けてチリに下っていった。
今回、我々はチリに抜けずにウユニに一旦戻って、そこからまっすぐに南下してビジャソンからアルゼンチン側のラ・キアカに抜け、更に南下してフフイに行くことにした。それには2つの理由があった。
まず、チリに抜ける場合のことについて、ガイドブックに交通の接続が悪いように書かれていたことと、途中の宿で出会った日本人バックパッカーがウユニの3泊4日のツアーはボリビア人ドライバーが酔っ払いばかりだったので大変だったという体験談を聞いたことから、ウユニは1泊2日くらいにして、チリ国境までは行かないつもりだったのだ。しかし、この理由は、我々の体験では、全く問題がなかったので、これだけが理由だったらチリから抜けても良かったということになる。
ウユニに出発する図。大半はToyotaの
ランド・クルーザー。チリに抜ける人は大きな荷物
を全部屋根に載せて4日間走る。 |
ウユニに行ってみると数多くの人が3泊、4泊のツアーにでかけており、当たり前のように無事に帰ってきて、満足したというコメントが各旅行代理店の壁に貼られている。ということで、大丈夫そうだと判断した我々は3泊4日のツアーに参加し、チリ国境まで行って帰ってきた。ボリビア人の運転手は非常に真面目な人で、酔っていないどころか小まめに車のメンテナンスもしているし、信頼のおける人だったので、まず3泊4日のツアーでボリビア人ドライバーが酔っ払いばかりだというのは、明らかに問題のあるツアー会社を利用した人だけに当てはまるケースだろう。Playa
Blanka Tourのドライバーにおいては、そんな問題はなかった。
また、我々と同じグループだった4人は3泊4日ツアーに参加する前に、Playa
Blanka Tourにチリ国境からサン・ペドロに行くバスチケットも手配してもらっていて、我々がチリ国境に到着した時にはバスも来ていたので、事前に手配しておけば、交通の接続が悪いということもなさそうだ。
というわけで、以上の1つめの理由については問題がなかったということがわかった。
2つめの理由は、個人的な好みの問題だ。サン・ペドロ・アタカマの見所は、アタカマ高地に存在する様々な自然を楽しむとガイドブックにあるが、フラミンゴのいるアタカマ塩湖、間欠泉(砂漠の大地から煙が吹き上がっている所)など、すでにウユニ塩湖で楽しんだ光景と似ている。更にその先、チリのサンティアゴまで行くコースは、鉱山の町カマラを通って、砂漠にあって海辺の町アントファガスタから砂漠を南下していくことになるだろう。砂漠の風景は、既に充分堪能したので、そろそろ瑞々しい樹木が見たくなった。そこで、我々は砂漠は通らず、フフイ・サルタを通って、保養地のコルドバからメンドーサ、そこからチリのサンティアゴに入ることにした。
妻である私だけの思いいれとして、第3の理由がある。サルタからコルドバの間にタクマンという都市がある。あの「母を尋ねて三千里」のマルコ少年は、イタリアのジェノバからアルゼンチンへ出稼ぎに行った母を捜して、ブエノス・アイレス、コルドバ、そしてタクマンでやっと母に会えたのではなかったかと思う。まさにマルコ少年が辿ったアンデスに続く道をコルドバまで逆送できるのだ。子供の頃から名前だけ知っていたタクマン。立ち寄るわけでもなく、通り過ぎるだけなのだが、ちょっと通ってみたかったのだ。これが密かな第3の理由。
日本で調べている限り、ウユニからビジャソンへの列車は2社あることはわかっていた。列車のホームページも見られていたので、時刻表も料金もだいたいわかっていた。しかし、ウユニからビジャソンまで直通の列車でいけるのか、乗り換えしなければいけないのかなどの事情がさっぱりわからなかった。だから、ウユニ到着時までに立てていたスケジュールでは、ウユニからまずトゥピサまで行って一泊、そこからビジャソンまで行って一泊というゆるい予定を立てていた。しかし、ウユニ駅の時刻表を見て、旅行代理店に確認したら、全て夜遅い時間に出発してビジャソンに朝到着する夜行列車で、乗り継ぎ無しで行けるということだった。
ウユニ駅の列車時刻表、下に掲載しておく。時刻表は上段がオルーロからビジャソンに行く場合の、各駅の到着時間と発車時間。中断がビジャソンからオルーロに行く場合。下段はオルーロから各駅までのの料金となっている。
時刻表を縦軸で見ると、左端が行き先、左から2列目がExpreso del Surという列車の時刻表(オルーロ発は火・金のみ、ビジャソン発は水・土のみ)、左から3列目がWara
Wara del Surという列車の時刻表(オルーロ発は日・水のみ、ビジャソン発は火・金のみ)、右端の列はインターナショナルとあるので、ボリビア以外の国のアバロアという所に行く直行便もありそうだ。
ウユニからの料金表は以下の通り。通過単位はボリビアーノ。Expreso del SurもWara
Wara del Surも3種類のクラスがある。我々は今回はEjecutivo(エグゼクティブ、つまりファーストクラス)にした。料金にそんなに差がないし、ボリビアを抜ける最後で盗難などに会いたくなかったからだ。
ウユニ塩湖のツアーに出る前にPlaya Blanka Tourに、チケットを依頼。11月15日(火)夜10時40分発のExpreso
de Surビジャソン行き、Ejectivo2枚。お金も渡しておいた。
14日の3時。事務所で待っていてという
代理店の女性の指示も聞かず
駅までついていって窓口で写真を撮る。
「私が信じられないの?」とちょっと
憮然とした表情を向けている。
そ、信じられなかった。だからついて
いって写真撮ってるんだもん。 |
ウユニ塩湖から戻ってきたのが12日(土)の夕方。Playa Blanka Tourに人がいなかったので13日(日)の午前中に訪ねると、今日は駅が機能していないので、明日14日(月)の午後3時にきてくれと言われた。確かめに駅に行ってみると、確かにチケット販売窓口にはシャッターが閉まりスペイン語で何か書かれていた。しょーがない。14日の3時に旅行代理店に行き、今度は一緒に駅の窓口に行くと、コンピュータの調子が悪くて発券できないので、明日来てくれという。旅行代理店の女性が「予約は入れたし、お金も払っている。後は受け取るだけ」という言葉は、どうやら本当のようだった。
とうとう、出発当日になった。ホテルをチェックアウトして、旅行代理店に午前11時半に行った。今夜10時40分発という遅い出発時間にもかかわらず、出発まで荷物を置かせてもらえるという。とてもありがたいことなのだが、普段は夕方早々に事務所を閉めて帰宅してしまうこの女性が、本当に夜戻ってくるのか不安だった。しかし、その問題はないことがわかった。
私たちが乗ろうとしている列車はオルーロから来る。オルーロからの観光客の大半はウユニで降りるので、その人たちに向けての営業活動をするから、この日のウユニの旅行代理店は、列車の到着時間である夜10時頃に向けて、夜からまた営業を始めるのだそうだ。そういうことなら、ちゃんと来るだろう。この代理店の女性ファティマは、多少時間に遅れてはくるものの、仕事はきっちりこなしているやり手なのだ。売り上げの立つチャンスを逃すはずがなく、ということは事務所にも来ることは確実だろう。
ファティマと一緒に駅に行く。まだコンピュータの調子が悪いので4時に来てくれという。私の経験から言うと、そんなに修復に時間がかかるわけがなく、単に出発までのに修復できればいいからと放ってあるとしか思えなかった。ま、4時に行くしかない。それまで、お昼ご飯を食べ、インターネットカフェで作業して、時間を過ごした。
午後4時にファティマと約束するも、また来ない。一人で駅に行って駅員に確認すると、予約は入っているが代理店にしか渡せないといわれた。10分後、ファティマもやってきて、やっと発券が行われた。それにしても、代理店の人たちも何の文句も言わずに、よく何度も足を運ぶなぁ。日本だったら、皆切れて怒りまくっていることだろう。午後8時に、また事務所に来ることを約束してファティマとわかれた。
ウユニのインフォメーションには、塩湖ツアーに
参加した人のアンケート結果や、ボリビア情報
ビデオもある。床、椅子、テーブルは全部塩。 |
さて、ファティマとの約束まであと4時間近く。どうやって暇をつぶそうか。と、インフォメーションに行くことを思いついた。感じのいいインフォメーションでは、ボリビアの観光ビデオを無料で閲覧できる。7時までの3時間近く、片っ端から観光ビデオを見まくった。お陰で、ボリビアについてはかなりの情報がわかり、次の旅行ではアマゾン流域に行く気にまでなった。
Playa Blanka Tourのオフィス。他の待ち客も来て
ソファーで仮眠し始めた。 |
暇な時間は、子供ののセーターを必死に
編んでいる。その姿に母を感じるファティマ。 |
たちまち荷物チェックインの列ができて、後から
来た人はだいぶ時間がかかっていた。 |
最後にウユニ塩湖の塩で焼いたチキンの夕食を楽しんでから旅行代理店の事務所に行き、駅で荷物をチェックインできる9時半まで仮眠させてもらった。
今回のウユニではPlaya Blanka Tourのファティマにお世話になった。色々とヤキモキしたり、信用できるかどうか不安な場面もあったし、日本人の感覚から思うと客を客と思っていない節もちょっとあるが、こうして数日間付き合ってみて、ファティマは信用に足る女性だということがわかった。文化が違うから仕方ない面もある。皆、この女性に会って、色々な感想を持っていると思うが、基本的に信用できる点は確認できた。
9時半に駅に行った。10時20分に来るはずの列車は10時40分の発車時刻を過ぎても一向に来る気配がない。
しびれを切らした我々は、せめて荷物だけでも預けたいと駅員にいうと、「ああ、荷物ならホームの左端で預けられますよ。列車が来てから預けると時間が遅れるので、今のうちに預けてください」と言う。何のアナウンスもしないのに、この言い草には呆れた。オルーロでも、こんな具合で列車が遅れているに違いない。
我々が荷物をチェックインする姿を見て、次から次へと人が荷物チェックインに列を作り始めた。列を見ながら、ここに至って我々も少しは要領がよくなってきたなぁと、やや満足。
思いがけない出会いは、本当に楽しい。
道子さんもウユニを堪能しただろうか? |
列車は11時前にやっとホームに入ってきた。やれやれ。始発駅のオルーロから一つ目の駅だというのに1時間遅れになるだろう。
お?オルーロから降りてくる乗客の中に、見慣れた顔を発見した。道子さんだ。メキシコ・シティー、クスコ、マチュピチュ、そして今回4回目の出会い。こういう会いかたは2度目だ。土砂崩れ後のマチュピチュに向かう列車に乗ろうとしたら、マチュピチュから帰ってきた人の中に道子さんがいたのだった。今回は私たちの方が先行している。ウユニ行きへの簡単な情報を話して別れた。
道子さんも乗ってきたエヘクティーボEjectivoはファーストクラスといっても車輌はそんなに豪華ではない。しかし、乗客が座席数の半数くらいしかいないので、我々は前の席を自分達側にひっくり返して座席を倒し、ほぼフラットシートにして眠ることにした。それを見た隣の白人も「それはいい考えだ!」と真似をした。
前の方に座っている白人が「何て好き勝手にしているの!」と批判的な眼差しでこっちを見たが、だったら空いている後ろの席で自分もやったらいいのに、おかしな人たちだ。チケット確認で駅員が回ってきたときに「空いている席に足を乗せるのはやめてください」と注意してきた。この駅員の忠告も意味がわからない。どの飛行機でも日本の電車でも人が乗っていないなら自由に席を使っている。はいはい、わかりました。と我々4人は大人しく足を下げたが、駅員が去ったらすぐに元の姿勢に戻った。それ以降、朝まで何も言われることはなかった。ま、規則とはそーゆーもんです。
夕食が出るということだったが、駅員が回ってきて「夕飯か朝食時、いずれかにサンドイッチと温かい飲み物がでますが、どちらにしますか?」と聞きに周ってきた。もう夜も遅い。全員が朝を希望した。
寒いかもしれないと、ジーンズの下にタイツをはき、ジーンズの上から薄い中綿のパンツをはいていた。上は、Tシャツ・セーター・薄手のフリース・中くらいの厚さのフリース・中綿のロングコートを着込んでいたが、列車の座席の足元にヒーターがあり、とても厚かった。結局、枕とブランケットも配られたので、この時期はTシャツとジーンズだけでよかった。
ガタガタと揺れもあるが、足を伸ばせたのでラ・パスからウユニに来た夜行バスよりは眠ることができた。明け方、トゥピサという町に到着し、隣の白人カップルは降りて行った。ここで降りて、タリハ州を楽しんでから、アルゼンチンに南下するのも行けそうだ。タリハ州では葡萄が収穫できるので、ワインも楽しめそう。それも楽しそうだと思った。
トゥピサから夜が明け始め、目が覚めた我々は夜明けの風景を楽しみ、朝日の入る食堂車でお茶を楽しみするうちに、8時22分、無事にビジャソンに到着した。体の節々は多少痛いものの、一応眠っているので体力はありそうだった。本当はビジャソンに一泊して、国境を越えようと思ったが、ビジャソンの町を列車からみる限り、ここに一泊しても退屈そうだった。体力もあるし、このまま次の目的地アルゼンチンのフフイまで行ってみようということになった。
夜が明けてきた。夜明けの手前の山が
一番暗い。 |
陽はすぐに高くなり、周りの風景画じょじょに
見えてきた。 |
川沿いの線路は山の端をウネウネと
走っていく。
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周りは、サボテンと草が少し生えた山
そしてグランドキャニオンのように削られた
巨大な岩がたくさん見えた。 |
事前の調べでは、ビジャソンとラ・キアカの国境越えは徒歩で行けるようだが、結構歩くという情報が見つかっていた。列車を降りて近寄ってきた旅行代理店の兄ちゃんの話を聞くと、値段もそんなに高くないし、道案内と荷物を運んでくれる料金も込みだというので、この兄ちゃんに頼むことにした。ま、スペイン語なので今一つどうなるのかよくわかっていなかったのだけどね。
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