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プンタ・アレーナス(Punta Arenas)→ウシュアイア(Ushuaia)
2006.01.18 |
チリ→アルゼンチン |
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移動内容 |
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07:30-12:15 |
プンタ・アレーナスの宿からバスが出発。
マゼラン海峡を渡り、チリ側のイミグレーション手前に到着。 |
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12:15-13:10 |
昼食休憩 |
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13:10-19:13 |
チリ側のイミグレ、アルゼンチン側のイミグレを経てウシュアイアに到着。
バス運賃 C$20000(=US$38.10)/人 by 現金 |
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19:15-19:30 |
ウシュアイアのバス到着所から宿までタクシーで移動
タクシー運賃 A$5(=US$1.61)/人 by 現金 |
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※2006.01現在、US$1= C$525(チリペソ)、US$1= A$3.1(アルゼンチンペソ)で計算しています。チリもアルゼンチンもペソは通常$と表記されますが区別のため、ここでは各々C$、A$と表記しました。 |
キッチンをイスラエル人に占拠されて、使えるまで待たされたという問題はあったものの、ペンギンツアーやバスのチケットの手配を手早く行ってくれるBlue
Houseは1泊だけの宿泊ならば、総合的に見て快適だったと言える。ウシュアイア行きのバスも、宿まで迎えに来てくれるので、わざわざバスの事務所まで自分で赴く必要がないのがありがたかった。
出発時間は7時半。わさわさと他のイスラエル人と共にウシュアイア行きのバスに乗り込んだ。
相変わらず曇りがちの朝空の下、旅行者にお菓子や飲み物を売る移動式売店を組み立てている人が、この町の最後の光景となった。出会ったチリ人は温かくて家族的な人が多いのだが、どうもこの天気とチリの古びた町並みがあまり好みではない。カラッとして洒落たセンスのアルゼンチン側に行けるのが嬉しかった。
昨晩はドミトリーで同室の若者が夜遅くまで出たり入ったりしたのと、部屋の外がいつまでも騒がしかったので、寝不足気味だった。ついウトウトしたつもりだったが、何と2時間近くぐっすりと眠ってしまった。
「おい、マゼラン海峡を渡るぞ!」と夫に起こされて目を開けると、バスのまま海峡を渡る船に乗り込む所だった。
ほほー、これがマゼラン海峡か。静かな海だった。かつては、ここを大きな外国船籍の貨物船が大量に行き来していたのだろうが、今は本当に静かな海だった。皆、車の外に出て、ぼんやりと海を見たり、タバコを吸ったりして、15分ほど海の上を漂った。
私の席は食糧及び日用品倉庫と化していた。
パン、チーズ、バター、ハム、チョコ、クッキー、
水、ジュース、コーラ、オリーブオイル、
果ては食器洗い洗剤まで持ち歩いていた。 |
バスに戻って船を下りると11時近かった。何時頃に国境に到着するのかという情報が全くなかったし、国境でどのような手荷物検査があるのかもわからなかったが、とにかく手持ちの食料品は胃袋の中に納めてしまった方がいいだろうねぇ、という話になった。
私たちときたら、前の前の宿泊地のプエルト・ナタレスでパイネ国立公園のトレッキングのために購入した、バターとハムとチーズをまだ持ち歩いていたのだった。南に行くほど、国境の手荷物検査は厳しくないとはいえ、ここまで持ち歩いてきた食料を、あっさりとお上に召し上げられてしまうのも悲しいので、大急ぎで食べようということになった。
ふー、お腹一杯。これで持ち歩いていた生鮮食料品は全て消費しつくしたので、後は国境越えを待つだけだ。と思った12時15分。「はい、それでは国境の手前で1時間の昼食休憩をとりまーす!」だって。ちょっとぉー、先に言ってよぉ。
私としては別にお腹は空いていなかったのだが、夫は「ねぇねぇ、余ったチリペソをここでパーッと景気良く使おうよ!」とレストランで豪遊する気満々である。宿で朝食にパンと紅茶、さっきハムチーズサンド、そして今後はたっぷりのステーキを食べることになった。やれやれ。こういう国境の辺りのレストランって、ろくな物出さないってのが常でしょ。換金レートが悪くても、無駄金使うより、アルゼンチンペソに換金しようよ、と言っても、もう食欲大王に変身してしまった夫の耳には、何も聞こえていなかった。
めちゃくちゃ不機嫌顔で料理を待っていたのだが、ステーキを一口食べたとたんに、私も食欲女王に変身してしまった。何と、これがとてもおいしかったのだ。こうして機嫌よく、今日の3食目を平らげて、再びバスに乗り込んだ。
朝出たプンタ・アレーナスの天気と違って青空が広がり、レストランの脇の羊牧場の風景は、まさにパタゴニアという感じが満ち溢れていた。
20分ほど走ると、チリ側のイミグレーションに到着。パスポートに出国のスタンプを押してもらうだけの簡単な手続きで終了した。
「いやー、この風景は椎名誠の『パタゴニア』に出ていた写真を思い出すなぁ。椎名誠になった気分で写真を撮ってみよう!」という夫の提案で、椎名誠ポーズで撮影大会を開催。この時、残念ながら天気は曇り始めていたのだが、広大な草原を渡る風を感じて、気分は最高にパタゴニアな2人なのであった。
チリ側のイミグレを通り過ぎて1時間と10分後の14時47分、今後はアルゼンチン側のイミグレに到着した。マゼラン海峡を渡ってフエゴ島という島に入ってきているのだが、なーんにも無いように見える島で、チリとアルゼンチンの国境にある緩衝地帯もやたらに広い気がした。次の国境まで1時間以上も車で走っていると、「あれ?国境忘れちゃったんじゃないか?」と不安になるくらいである。
アルゼンチンのイミグレの入り口には「生鮮食料品などは持ち込みできません!」という意味のイラストの看板が掲げられていた。エル・カラファテ(アルゼンチン)からプエルト・ナタレス(チリ)に入る時も同じような看板が掲げられていて、チリへの入国手続きの前にフルーツを頬張る人の姿を何人か見たが、ここでは看板を見ても、誰も急いでフルーツを食べるような人はいなかった。アルゼンチンに入る場合の検査が緩いことを皆知っているのだろうか?案の定、手荷物を開けることなく、検査なしで入国手続きが完了。みんなフルーツなどはバスに置いてきているらしかった。
入国の審査は、時と場合によって厳しさが違ったりするので、一概には言えないが、チリに入る時の方が厳しく、同じチリに入るのでも北に行くほど厳しい傾向が感じられる。
こうして2つの国の出国と入国を無事に済ませ、お腹も一杯な私たちは、またもや夕方までグッスリと眠った。
18時半近く、再び目覚めた時、窓の外は「世界の果て」というのにふさわしい光景が広がっていた。今にも落ちてきそうな程に低い雲が空を覆い、川は冷たく鉛色に光、森は黒く雨に濡れている。
明るくて洒落たアルゼンチンを予想して来たの私たちを、「世界の果て」は冷たく静かに迎えた。
30分も走ると、ウシュアイアの町に入ってきた。鉛色の海沿いの町、通り過ぎるレストランのウィンドーには、セントージャという蟹の絵が貼ってあるのが時々見えた。
屋根もない駐車場でバスを降ろされ、雨が降る中をタクシーを呼んだり、荷物を降ろしたりしなきゃならないウシュアイアは、「日本の演歌が似合いそうな町だなぁ」という印象だった。
幸いタクシーはバスの到着とともに数台集まってきており、すぐに乗ることができた。中心地から少し離れた所にある上野亭に到着し、温かくて乾燥した室内に入ったときには、心からホッとしたのだった。
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