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サンティアゴ(Santiago)→プエルト・モン(Puerto Montt)
2005.12.12-13(夜行バス) |
チリ国内移動 |
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移動内容 |
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12/12
14:00-14:35 |
ビーニャ・デル・マルの宿からビーニャのバスターミナルまで電車で移動
電車運賃 C$600(=US$1.11)/人 by 現金 |
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12/12
15:00-16:40 |
ビーニャ・デル・マルからサンティアゴまでバスで移動。
バス運賃 C$3400(=US$6.31)/人 by 現金 |
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12/12
16:50-17:20 |
サンティアゴのアラメダ・バスターミナルから宿まで地下鉄で移動
地下鉄運賃 C$340(=US$0.63)/人 by 現金 |
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12/12
17:20-20:35 |
宿に置いておいた荷物を引き取り、荷造り。久しぶりに会った知り合いと歓談。夕食。 |
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12/12
20:50-21:02 |
宿からアラメダ・バスターミナルまでタクシーで移動
タクシー運賃 C$3000(=US$5.57) by 現金 |
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12/12
21:55-
12/13
10:42 |
サンティアゴからプエルト・モンまでバスで移動
バス運賃 C$27700(=US$51.39)/人 by 現金 |
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※2005.12現在、US$1= C$539(チリペソ)で計算しています。
※チリペソは通常$と表記されますが区別のため、ここではC$と表記しました。 |
サンティアゴの宿に荷物を置いて、バスで2時間ほど離れた太平洋に面した町、ビーニャ・デル・マルに2泊してきた。今日は、ビーニャ・デル・マルからサンティアゴの宿に戻り、荷物を引き取って、夜行バスでチリ南部のプエルト・モンまで移動する。
左からみさをさん、勇樹さん、阿部君、さゆりさん
そして私 |
お気楽なビーニャでの3日間は、初日に買った海産物を食べまくる旅だった。サンティアゴの宿から同じ日に来た勇樹さんとさゆりさんは、ビーニャにもっとゆっくりしていくということなので、ここで一旦お別れ。チャリダーの阿部くんと共に見送ってくれた。今回はサンティアゴの宿まで連れができた。ビーニャの宿で知り合ったみさをさんだ。みさをさんは、次回の旦那様との旅の下見として、今回一人でパタゴニア40日の旅に来ていて、旅も終わりに近く、後はサンティアゴで2泊して帰国の予定だということだった。
宿からビーニャ・デル・マルのバスターミナル近くまでは電車が通じている。たった2駅だとは知らずに、思わず乗り過ごして1駅戻るはめになった。駅からバスターミナルまでは、徒歩で10分くらいだろうか。窓口にいくと10分後と15分後にサンティアゴ行きがあるが、どっちにするかと聞かれた。ビーニャとサンティアゴ間は、頻繁に便があるようだ。
ビーニャ最後の昼食で飲んだ白ワインが効いて、バスの中では爆睡してしまった。はっと気付いたら、もうサンティアゴ市内に入っていた。
サンティアゴのアラメダ・バスターミナルは、地下鉄でいうとサンティアゴ大学駅(Univercidad
de Santhiago)になる。宿は地下鉄L1のEscuela Militar行きに乗って9つめのバケダノ(Baquedano)で降りて、徒歩5分だ。知っていれば簡単なのだが、初めてだと、地下鉄の出た口によってわかりにくいかもしれない。何番出口という書き方がされておらず、非常にわかりにくいのがサンティアゴの地下鉄の難点である。
こうして勝手知ったる宿に戻り、荷物を受け取ることになった。荷物は最初に置いた場所には置いておらず、宿泊者用の全部屋を見てまわったが夫のスーツケースが見当たらない。宿のセニョーラが家族の誰かに電話して聞いてくれた所、スーツケースを置いた部屋の鍵を持って外出しており、夜7時まで戻らないということだった。
「今夜のバスは9時55分なので、まぁ間に合わないことはないわね」と言いながら夫を振り返ると、夫は宿の人の住居スペースであるプライベートの部屋まで入り込んで、荷物を探していた。で、「あ、あったー!」とある部屋からスーツケースを探し出してきた。こうした夫の行き過ぎる行動には、時々頭が痛い私だが、今回ばかりは夫に感謝した。そう、日本の常識が通じないことが、頻繁にあるのが外国なのだ。
時には、相手の嫌がるだろう行動をしても、自分の利益を守っていかなければならないことがある。そこで、どうしても相手を傷つけるのではないかと遠慮しがちな私と夫で意見が食い違うことが多い。夫の言い分としては、相手を傷つけるのを恐れるということは、つまり相手にどう見られるかが気になるということで、つまり、それは生き方に信念がないから人の目が気になるのだという論調だ。私は、生き方に信念がないと言われようと、同じ空間にいる人とは仲良くやっていくことに安堵と楽しみを感じて生きてきたので、そう簡単に賛成はできない。しかし、たまにこんなことがあると、時と場合によっては自分も態度を変えていかなくてはいけないのだろうなぁと思うのである。まぁ、ヴァイス・ヴァーサで、夫も何事かを私の態度から受け取っているだろうとは思うのだが。
左からフォトグラファーの明さん、スペイン語学習
中のともこさん、長期旅行中の森くん、帰国間近
のみさをさん、そして私 |
とにかく、スーツケースも見つかり、旅支度も終了した。我々がビーニャに行っている間に、以前ペルーのクスコで知り合った明さんがチェックインしていることがわかった。程なく、明さんと前から宿泊していた森くんが帰宅。出発まで明さんの写真作品などを見せてもらいながら、時を過した。夕食を済ませ、20時半に荷物を1階に下ろしてタクシーを呼んだ。そして、今日2回目のお別れの記念撮影。南米に入ってから、何回か顔を合わす旅行者が多くなってきて、こうした記念撮影も頻繁になってきたように思う。
タクシーの運転手は夫のスーツケースをトランクに入れようとしたが、大きすぎて入らない。トランクの枠に中途半端に乗せたまま、その上に私のスーツケースを乗せて、ゴム紐でぐるぐる巻きにし始めた。こんな積み方は、今までしたことがない。トランクの淵にあたっている部分に荷重がかかり過ぎて、スーツケースが壊れてしまうではないか。
「ノープロブレーマ(問題ない)」といい続けながらぐるぐる巻きを続ける運転手の端から、2人で「ムーチョ・プロブレーマ(問題おおありだ)」と言いながら、ぐるぐる巻きをほどいていった。結局、運転手が手を止めて、「じゃぁ、一体どうしたいんだい?」と言った。それを合図に、2人でスーツケースを降ろし、私のスーツケースをトランクに納め、夫のスーツケースを後部座席に納めて「こうしたら、私たちは満足なんです」と言った。運転手は肩をすくめながら、「はいはい、満足ならそれでいいですよ、さ、行きましょう」と言った。事の顛末を見ていた、他の日本人に「いつも、こんな風なんですか?大変ですねぇ」と言われたが、いつもはもっとスムーズで、こんなことは初めてだった。こんなにお見送りがいる日に限って、こんなことが起こるもんだ。
こうして日本人の皆さんに見送られて、何とか無事にバスターミナルまで到着した。今回は、この旅始まって以来の長時間移動で13〜15時間はかかる予定だ。ということで、本当は、シートが完全にフラットになるバスに乗る最高のチャンスだった。しかし、9日に12日のチケットを購入しようとした所、フラットになるシートのバスは全席売り切れだった。13日ならあるがと言われたが、日程を変える気はなかったので、その下のクラスを購入した。
今回プエルト・モンまで向かうバスは、Tur Busという会社のバスで、シートの倒れ具合によって、バスのクラスが6段階に分かれていた。全くシートが倒れないClassico、ちょっとは倒れるEjectivo、ここからは長距離向きのセミカマ、カマ、サロンカマ、そしてフラットになるプレミアムである。カマとはベッドという意味で、カマと名が付くと、シートにクッションが入ってフワフワのベッド風になるので、大分楽だ。価格は、クラシコがC$11,700(=US$21.7)からプレミアムC$35,600(=US$66.05)と開きがある。今回は、サロンカマC$27,700(=US$51.39)。さて、どんなシートなのだろうか?
例によって、夫に一番倒れる角度まで椅子を倒してもらって撮影。こんなくらいまで倒れる。
フラットまではいかないが、かなり水平に近く、椅子の幅も今まで乗ったどれよりも広くて快適だった。
出発時間が21時55分と遅いためか、夕食は希望者だけに有料でサービスされる。US$4くらいだったかと記憶しているが、サンドイッチとチョコクッキーとジュースとコーヒーが出ていた。
各座席の上には、ヘッドホーンが用意されていて、流されている映画の音声は、これを使って聞くようになっていた。映画はラストサムライだったが、スペイン語に吹き替えられていて、ヘッドホーンのチャンネルに英語版はなかったので、よくわからなかった。これがバイリンガルとかになっていると、おおーっと感心するんだけどねぇ。ということで、映画が上映され始めると、もう車内の照明が落とされ、就寝モードになったこともあり、映画の途中で眠ってしまった。
シートがよかったのか、途中で起きることもなく朝を迎えた。サンドイッチとジュースの朝食が配られ、食べ終わる頃から、停車駅で下車する人が出始めた。プエルトモンの北にあるジャンキウエ湖の西沿いの道を南下してプエルトモンに向かっているのだが、この途中には、アルゼンチンのバリローチェに向かうバスに乗り換えられるオソルノがあり、その南には、ドイツ人移民が多いのでドイツ風の町並みが可愛らしい、フルティジャール、同じくドイツ風のプエルト・バラスと続く。天気が良ければ、こうしたドイツ風の家も良く見えるのだろうが、あいにくの曇天で、陰鬱な厚い雲の下で見るドイツ風の家々は、かつて滞在したデュッセルドルフの真冬を思い出させ、寒々しいところに来てしまったなぁと少しくらい気分になった。
朝10時40分、出発から12時間半でプエルト・モンに到着。少しひなびた感じのバス・ターミナルではあったが、多くの人がいて、活気があった。
ここではバスターミナル近くに民宿が多くあるというので、駅の荷物預かり所にスーツケースを預けて、宿探しに出ることにした。
荷物を預けていると、既に1人目の民宿のおじさんが勧誘をしてきた。早速部屋を見せてもらうところから、プエルト・モンの宿探しが始まった。
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