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エル・カラファテ(El Calafate)→プエルト・ナタレス(Puerto Natales)
2006.01.12 |
アルゼンチン→チリ |
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移動内容 |
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07:50-07:05 |
エル・カラファテの宿からバスターミナルまでタクシーで移動
タクシー運賃 A$5(=US$1.64) by 現金 |
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08:00-14:00 |
エル・カラファテからプエルト・ナタレスまでバスで移動。
バス運賃 A$50(=US$16.39)/人 by 現金 |
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14:00-14:20 |
プエルト・ナタレスのバスオフィス前から宿まで徒歩で移動 |
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※2006.01現在、US$1= A$3.05(アルゼンチンペソ)で計算しています。
※アルゼンチンペソは通常$と表記されますが区別のため、ここではA$と表記しました。 |
エル・カラファテからプエルト・ナタレスへの移動は、アルゼンチンからチリへの国境越えということになるが、これらの町を拠点として観光するアルゼンチン側の氷河のロス・グアシアレス国立公園とチリ側のパイネ国立公園は国境を接して隣り合っているため、両方を訪れる観光客も多く、この2都市間の移動は、交通の便もいいし、至極簡単な移動だった。
出発の2日前にエル・カラファテのバスターミナルに行くと、プエルト・ナタレス行きのバスを出している3社の代理店カウンターがあった。そのうち、我々が出発したい12日の昼間の時間帯にバスを出しているのはCootra社のみで、他のZaahi社とCul
Tour社は夜発の便しかないということだったので、必然的にCootra社のバスを利用することになった。
12日の朝、藤旅館さんにタクシーを呼んでもらった。本当は、最後に奥さんの手作り海苔しゃけ弁当を持っていきたかったのだが、簡単な移動とはいえ、チリへの国境を越える際に手荷物検査があった場合、生ものの持込は禁止されているだろうから、持って行かないほうがいいという奥さんの助言に従って、残念ながら断念した。
藤旅館からバスターミナルは徒歩でも20分程度。あっという間に到着した。
エル・カラファテの町の印象はかなりよかった。藤旅館さんも良かったし、町もきれいだった。おいしいレストランにもめぐり合えたし、町の人たちで嫌な感じの人には1人も会わなかった。最後のこのタクシーの運転手さんも、いい感じの人だった。
今日のバスはちょっと座席が倒れるエフェクティーボ。5時間半くらいの移動で、ましてや昼間の移動なので、これで十分だ。
バスはそこそこ込み合っていた。今日はこれ1本しかないからだろう。
運転席の裏側のとても目立つ所には、「靴を脱がないでください」という注意書きが英語とスペイン語で書かれていたのが面白くて、写真を撮っておいた。
通常の移動でも、足の臭いが気になる場合はあるが、ここまではっきりと明記していたバスは初めてだ。我々もトレッキングをして感じたのだが、激しく運動すると疲労物質などのせいか、通常以上に足から得体の知れない臭いが出てくるようだ。エル・チャルテンの宿では、トレッキングから帰ってきた人は、常識のように靴と靴下をドミトリー部屋の外に出すことになっていた。
定刻どおり8時半に出発したバスは、今はもう見慣れてきたパタゴニアの平原の中を走っていった。山と森、湖など、変化にとんだ自然の造作のバリローチェからエル・カラファテに飛行機で到着して、タクシーで町に入るまでの風景は、これと似たり寄ったりだったが、あの時は「なんっにもない所に来たんだなー」とちょっと殺伐とした気分を感じたものだった。
しかし、エル・カラファテ、エル・チャルテンとこうした平原の風景の中で遊ばせてもらい、見慣れた風景になってくると、「今日も空がでっかいですねぇ」と思うくらいで、特に寂しい気はしなかった。人間の感覚というのは不思議なものだ。
こうしてひたすら平原を走りぬける。それが今回の移動だった。草だけの所もあり、花が咲いているところもあった。
湿地帯になったり小川が流れていたりして、何もないと思われる風景の中にも、微妙な変化があり、それはそれで面白かった。
12時15分頃、アルゼンチンのイミグレーションに到着。全員がバスを降りてアルゼンチンの出国手続きを行った。
それから約1時間、緩衝地帯を抜けて13時10分頃、チリのイミグレーションに到着。建物の入り口には、「果物やハムなどの持込は禁止よ」というイラストレーションが大きく書かれていて、藤旅館の奥さんの助言が正しいことを裏付けていた。
手続きの列に並んだアメリカ人やらオーストラリア人は、さくらんぼやりんごなどの非常食を大急ぎで口の中に放り込み始め、それでも間に合わないと思った人は、周りの人にフルーツを振舞いだし、にわかにフルーツパーティー状態となった。ところが、入国の手続きを終えて、別のカウンターでリュックを開いてみせたものの、中をひょいと覗きながら「No
fruits?」と聞かれただけで、「フルーツはありません」と言ったらそれで終了だった。あまりにもあっけなくてビックリした。アルゼンチンのメンドーサからチリのサンティアゴに抜ける時には、スーツケースも手荷物も全部X線にかけ、露店か何かで蹴鞠用のお手玉のようなボールを買った白人青年は「中に何が入っているんだ」と厳しく追求されていたことを思うと、ここの通関は非常に簡単だった。これなら海苔しゃけ弁当くらい潜ませて大丈夫だったかもしれない。というよりも、アルゼンチンのイミグレに到着したのが12時過ぎだったので、アルゼンチン国内で食べてしまうことが可能だった。やっぱり、たのんでおけばよかったなあ。
全員が問題なくチリに入国し、1時間もしないうちにプエルト・ナタレスに到着した。洒落たカラファテの町並みとうって変わって古い建物が並ぶじみーな町並みは、折りしも少し曇ってきた天気と相まって、しみじみとチリに入ってきたことを実感させてくれた。パイネ国立公園といえば、世界的に知名度も高い所だ。それにもかかわらず、その拠点となるプエルト・ナタレスはパッとしない町だった。
カラファテで同じ宿だった人から聞いていた宿は、バスが停車したところから徒歩で行ける距離だった。早速訪ねてみると、部屋は空いているということだったので宿泊することにした。町はパッとしないけど、ここの家族は温かくてとても居心地がよかった。
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