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プエルト・イグアス(Puerto Iguazu)→サン・パウロ(Sao Paulo)
2006.02.12-13(夜行バス) |
アルゼンチン→ブラジル |
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移動内容 |
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2/12
12:00-12:34 |
プエルト・イグアスの宿からフォス・ド・イグアスのバスターミナルまでタクシーで移動。
タクシー運賃 A$40(=US$12.46) by 現金 |
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2/12
18:58-
2/13
09:35 |
フォス・ド・イグアスからサンパウロまでバスで移動。
バス運賃 A$252(=US$80.77)/人 by 現金 |
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2/13
10:00-10:20 |
バスターミナルからリベルダーデ(東洋人街)の宿までタクシーで移動。
タクシー運賃 R$22(=US$80.77)/人 by 現金 |
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※2006.02現在、US$1= A$3.21(アルゼンチンペソ)= R$2.16(ブラジルヘアル)で計算しています。
※アルゼンチンは通常$と表記されますが区別のためA$と表記しました。 |
2月末のカーニバルまで1ヶ月を切ったプエルト・イグアスの滝は、カーニバルと絡めて滝見学に来ているバックパッカーでいっぱいだった。2月7日の時点でサン・パウロ行きのバスを調査してみたら、2月11日までいっぱいだといわれた。我々は2月13日に出発を予定しているので、まだ大丈夫だと思って2日後の9日に再度訪れたら、今度は2月16日までいっぱいだと言われてしまった。
焦った。たった2日のうちに4日先までいっぱいになってしまったのだ。うーん、うーんと悩んでいたら、バス会社の姉さんが隣のブースで、ブラジル側のフォス・ド・イグアス発のバスチケットを販売していると教えてくれた。なーんだ、早く言ってよー。と笑いながら隣のブースに行って価格を聞いたら、笑いが引っ込んだ。最初に訪ねたバス会社はCrucero
del Norteというバス会社で、私たちが宿泊しているプエルト・イグアスのバスターミナルかr出発してサン・パウロに向うバスで、バスのクラスはカマで、値段は1人A$145なのである。それに対して、こちらはブラジル側のフォス・ド・イグアスのバスターミナルからの出発で、セミカマというカマより下のクラスなのにA$162なのである。やられたー。
空き席状況を聞いたらまだ2席しか埋まっていなかった。そうだよねぇ。サン・パウロからより近い所から出発するのに、クラスが下で高いバスなんて誰も利用しないよねぇ。日程にゆとりのあるパッカーなら先の日程の安いチケットを買うか、フォス・ド・イグアスまで行ってもっと安いチケットを探すかするだろうから、売れていないのだろう。しかし、荷物が大きい我々は、フォス・ド・イグアスまで行ってチケットがなければ1泊して、何てことをやっている方がコストと労力の無駄だ。早く決断しなかった自分たちがアホだったのだ。それにしてもセミカマとは。夜行でセミカマはきついのではないかと思い、このバスに他のクラスがないか聞いたところこのバスはセミカマのみだという答えだったので、仕方なくチケットを購入した。そうそう、しかも食事も飲み物も一切ついていないというのが、更に私たちを落ち込ませたのだった。
それから数日、何人かの日本人に出会ってこの話をしたのだが、「夜行でセミカマはちょっときついんじゃないですかねぇ」という意見がいくつかあった。その中に、「え?あのブースでカマも扱っているはずですよ」という情報があった。出発の1日前の11日になっていたのだが、どうしてもセミカマで行くことに不安を覚えたので、もう一度ブースを訪ねた。先日と異なる担当の女性は、「ええ、時間帯は違いますが、確かにカマはありますよ。ただし高いですよ。」と言い渋る。カマを勧めて断られ続けてでもいるのだろうか。値段を聞くとA$252と一段と跳ね上がる値段を言われた。ひえー、高いなぁ。しかし、明日を出発に控え、どう考えてもここで買うしか他なかった。「じゃぁ、セミカマからカマへの変更をお願いします」というと、担当の女性は本当に買うのかと驚いたように「いいですけど」と手続きをしてくれた。パラグアイとアルゼンチンとブラジルの国境が接したこの地域の交通費は、普通の常識とはちょっと違う所が多い。サン・パウロに行くのに、一番安くチケットが買えるのが、パラグアイのシウダー・デル・エステ発のチケットだ。次がここのプエルト・イグアス発のチケットで、一番近いはずのフォス・ド・イグアス発のチケットが一番高い。返す返すも早く手配しなかったのが悔しかった。セミカマからカマへの手続きを手数料なしで行ってもらえたのが、せめてもの救いという所だ。
プエルト・イグアスからフォス・ド・イグアスまでは、事前にタクシー運転手に聞いたら一律料金でA$40だということだった。アルゼンチン側のイミグレとブラジル側のイミグレで手続きするのを待っていてくれて、フォス・ド・イグアスのバスターミナルまで送り届けてくれるのなら、妥当な値段だ。
ローカルバスで行った場合、プエルト・イグアスからブラジル側の
イミグレまで行って、ブラジル側の入国手続きが終わったらそこからフォス・ド・イグアスのローカルバスターミナルまで行って、そこからフォス・ド・イグアスの長距離バスターミナルまで行くというバス3本乗り継ぎが必要なのだ。しかも、我々が出発する12日は日曜日で、ローカルバスは2時間に1本しかないという話もあり、荷物が軽くてもタクシーを使いたくなる状況だった。
出発の12日の朝、宿で出会った華子さんとイグアスでは2度目の出会いになった徹さんにお別れのご挨拶。華子さんはブラジルから降りてきてこれから南下する。今日はイグアスの滝を見に行く予定だ。徹さんは同じくサン・パウロに向うが、私たちが乗ろうとしていたセミカマのチケットで、安い値段で行きたいということでシウダー・デル・エステ発を選択していた。徹さんとはすぐにサン・パウロでも会うだろうが、とりあえずここで一旦お別れだ。
アルゼンチン側のイミグレ通過では、車を降りる
ことなく出国手続きができる。ドライバーにパスポ
ートを渡して、窓口の係員がスタンプ押して終了。
高速の料金所みたいだった。 |
タクシー運転手は約束した12時きっかりに宿の前に現れた。
まず、アルゼンチン側のイミグレに行き、出国手続きを行った。
続いてブラジル側のイミグレに行き入国手続き。事前にビザを取得してあるので、何の問題もなく入国許可がおりた。
ブラジルに入国するのにはビザが必要であるが、我々がこの旅を行った時点では、プエルト・イグアスのブラジル領事館では1ヶ月のビザしか発給してくれないということをブエノス・アイレスで聞き、ブエノス・アイレスのブラジル領事館でビザを発給してもらったところ3ヶ月のビザをくれた。
ブラジル領事館でビザを取得するには、ビザ用の写真が必要である。領事館の近くでビザ用の写真を撮ってくれるところがあるので、そこを利用するか事前に用意しておくと便利だろう。我々は近所のキオスクで撮影してもらった。
領事館では、端末の画面を見ながら必要事項を自分で入力していく。ブラジルでの宿泊先住所も必要で、予約していない人は宿泊しそうな住所を書き込めばいいことになっている。私の前に並んでいたアメリカ人などは、その場でブラジルのイエローページを見せてもらって、ホテルを選んでいた。滞在予定に我々は3ヶ月と書き込んだ。3ヶ月のビザをもらいたかったからだ。すると滞在都市がサン・パウロだけで3ヶ月も何をするのかと聞かれたので、他にもリオ・デ・ジャネイロやポルト・セグーロやサルバドールに行く予定だと告げると納得してもらえた。色々な質問に対応できるように、いくつかの都市名と位置関係を頭に入れておいた方がいいだろう。こうして手続きが終了すると、ビザ発給代金を指定銀行に支払うように指示されるので、その足で指定銀行に向って支払いを済ませたら、この日の手続きは終了。領事館が開いている日の2日後(我々は週末をはさんだので4日後)に、預けてあるパスポートを取りに行く。この時、受け取れる時間帯が非常に限られているので、もらった紙などを良く見て時間を確認して行った方がいい。
話が横にずれたが、ブラジルの入国が終了したら、フォス・ド・イグアスの町中を通って長距離バスターミナルに向った。到着したのは12時34分だった。
運転手さんは、入国手続きに時間が取られたので、ちょっと心配そうに「何時のバスだい?」と聞いてきた。夕方の5時50分と聞くと、片手を顔の前で振って、「なぁーんだ、じゃぁ、全然余裕だ」と笑った。そう、早めに行動する私たちではあるが、あまりに早すぎる到着だった。あと5時間もある。ベンチでうつらうつらしたり、ボーっとしていたが、2時半頃になって、今回のバスに食事が付いていないことを思い出した。さて、どこで何を買おうか。食事用の休憩は取ることになっていたが、この界隈のことだ、どうせ夜の9時くらいまで夕食はお預けに違いない。そう思って、バスターミナル内の売店を物色したのだが、あまり気の効いた食べ物がない。ターミナルを出て、通りを渡って向い側に店が見えたので行ってみると、超安宿(連れ込み宿にも見えた)の前に数件のレストランがあり、中にビュッフェの昼食を出している所がみつかった。これならご飯として丁度いい。
それにしても早く買いすぎると、この陽気では腐ってしまうかもしれないので、いつまでこのビュッフェをやっているのか聞いてみた。すると店の女将さんは「昼食なんでね、そろそろ終わろうかとおもってるんですよ」みたいな感じで答えた。そう、「みたいな」というのは、ここはもうブラジルなのでポルトガル語圏になってしまったのだ。ここに至って初めて、そうか、自分はブラジルにいるんだということを実感した。とにかく何もかも通じない。久しぶりにこんな思いをした。とにかく、もう買ったほうがいいという判断はできたので、夫と2人分の皿を持って、腐りにくそうなシチューやピラフなどを盛っていった。しかし、皿に盛っちゃったら持って帰れないなぁと思っていたのだが、案の定、ウェイターのお兄ちゃんは「どの席に座りますか?」と言ってきた。いやいや、そうじゃなくって持って帰りたいんです。「持って帰りたい」という単語をスペイン語で行っても通じない、英語も通じない、最後はジェスチャーと日本語で「持って・帰りたい、のですわ」というと通じた。この状況になったら母国語が一番通じる。
するとウェイターのお兄ちゃんは、アルミホイルを巻いた円形のタッパに、非常に丁寧に1品ずつ詰めて、きっちりとアルミホイルでフタをして、フォークをつけて袋に入れてくれた。店で食べると思われていた時には、1人R$6(=US$2.78)と言われて、それでも安いと思っていたが、お持ち帰りにしたら1人R$4(=US$1.85)になった。バスターミナル内ではフライドチキン1本でR$2もしているので、これは激安の食事である。お店の人もいい感じだし、ちょっといかがわしい雰囲気の所なのに、とっても好印象だった。
こうして出発の3時間前に夕食を買ってしまい、あとは本当にずーっと待っているだけになった。さてそろそろ時間だ。決められたプラットフォームに向う。プラットフォームには既に人がいて、だんだん増えてきていた。しかし、10分、20分、30分待ってもバスは来なかった。さすがに待っているブラジル人も時計を見たり、首をかしげたりしているが、誰かに何かを聞くということがなかった。
ここで我が家の司令塔の夫から、「バスチケットを販売しているブースに行ってきいてみるべきではないだろうか」という賢い提案が出された。え?あたしが?いいじゃん、皆でこうやって待っていれば。と文句を言ったが「待っているだけで、実は別のプラットフォームに変わっているということもあるではないか、ここでこうして待っている間にもバスは行ってしまうのかもしれないのだ」と理路整然とおっしゃる。でもね、それ言うの、いつもあたしの役割なんですけど。「私はここで荷物を見ていますから」という夫を恨みがましく一瞥して、バスのブースに行ってみることにした。
で、行ってみると、これまたポルトガル語オンリーのおっさんが対応。まずいなー、と思いながら、何とかスペイン語で「私はこのバスに乗りたいのですが、バスがまだ来ないのです」と言ってみた。するとおっさんは、私のチケットを奪って、「そりゃ、あんた、もう時間を30分も過ぎてるんだから、バスなんてとっくに出ちゃってるよ。困ったねぇ。何でこんな遅くに来たのかねぇ」と叱られてしまった。そーでないってばぁ。バスが来ないんだってばぁ。と言っても話はとんちんかんな方向に行くばかりだった。それでも、事の真相に気付いたのか、おっさんは同僚に「1番プラットフォームのバスがまだ来ていないんだって?」と聞いて、やっと私の主張をわかってくれて大笑いした。笑ってる場合じゃないんだけどねぇ。同僚に聞いてやっとわかるくらいだから、このおっさんが何も知らないのは明らかだった。「このバスは、シウダー・デル・エステ発だから、ちょっと遅れてるんですよ、なに、あと15分もすれば来るでしょう」としゃらっというおっさんに「はいはい、ありがとうございました。本当にオブリガードですね」とそこだけポルトガル語で行ってプラットフォームに戻った。
相変わらず皆は「おっかしいわねー」みたいな仕草で待っていた。ブラジル人に「今、そこのバスチケットブースに行ったけど、何も情報が入っていないみたいですねぇ」と言うと、「そうねぇ、ここの会社の事務所はアスンシオン(パラグアイ)にあるので、そこじゃないとわからないわねぇ」と言う。日本人なら、アスンシオンに電話してみるんじゃないかなぁ。今までアルゼンチンのバスがこれほど遅れた経験がないので、南米も近代化されていると思い込んでいたが、そうでもないらしい。
結局バスは1時間遅れで到着。誰からも何の説明も、遅れてすみませんの挨拶もない中で、バスは出発した。弁当が腐っていないか、それが一番心配だった我々は、バスに乗り込むなり弁当を開けて食べ始めた。ポテトサラダが若干危なげな香りになっていたが、後は大丈夫。いやー、満腹、満腹。満腹になれば、何もかも許せてくる。
バスは順調に進み、午後10時5分に1回目の休憩で停車した。やっぱりなー。この時間まで夕食お預けされたら、空腹で猛獣になってしまう所だった。お弁当を買っておいて良かった。
時間は遅かったものの、ここは日本のドライブインのような所で、店の半分は軽食とスナックなどを売る売店コーナー。カウンターに椅子がついていて、ここで食べることもできる。そして、奥はビュッフェ形式のレストランになっていて、大層立派な食事ができそうだった。バスの運転手さんは、夜の10時過ぎにもかかわらず、皿いっぱいに肉やら野菜を盛って晩餐を楽しんでいた。
乗客もそれぞれに夕食を摂って、バスは再び走り始めた。
今回のバスはカマ。カマは座席が160度くらいまでは倒れるが、足置き台がそんなに持ち上がらないので、前回のフラットと比べるとやや窮屈だが、それでも一晩過すくらいなら問題はない。体が痛くて目が覚めるようなことはなかった。
朝6時半、朝食のためのドライブインに到着。
昨晩立ち寄ったドライブインのようなビュッフェ形式の食事はないが、朝食用の温かいパンやコロッケのような揚げ物の品揃えが豊富だった。南米の他の国ではこうした施設はなかったように思うので、こういう所はブラジルは発展していていいなぁと思った。
こうして9時35分、サン・パウロに到着。1時間遅れで出発したが、予定到着時間より30分遅れでの到着だった。運転手さんがちょっと頑張ったのかもしれない。
バスターミナルからサン・パウロへの町中へ行くタクシーはチケット制だった。東洋人街まではA$22というのはちょっと割高な気もしたが、他のタクシーはターミナルの外に出ないとないようだったし、サン・パウロは気を抜けない町だという話も聞いていたので、チケットタクシーを利用することにした。
タクシーの運転手は黒人だった。タクシーチケットを購入する時に、チケットに通りの名前までは書き込まれているので、運転手は番地が知りたかったらしい。ポルトガル語で「何番地だ」と聞いてきているようなので、行き先の住所が書かれた紙を見せると「番地を聞いているんだ」と怒り口調で言った。だから「ここに書いてあるから」とぐいっと紙をみせたら納得したようだったが、しょっぱなからかなり感じの悪い人だった。運転も急ブレーキや、急な車線変更が多く、上司と喧嘩でもしたのかと思う勢いだった。大抵、言葉が通じないながらも何かしら会話が発生し、タクシーを降りた時には記念に写真を撮っているのだが、この運転手さんとは何の会話もなく、降りてお金を渡したら、無言でお金をひったくるように握ってサッサと車で去っていってしまった。サン・パウロという都会に到着して、こんな運転手さんに出会った後に、東洋人街のあまりに日本語に満ちた看板は、とてもホッとする光景だった。こうして、我々は日本の裏側にある日本人街、リベルダーデにやってきたのだった。
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