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リオ・デ・ジャネイロ(Rio de Janeiro)→レシフェ(Recife)
2006.03.16 |
ブラジル国内移動 |
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移動内容 |
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08:45-08:55 |
イパネマの宿からバス停まで徒歩で移動。 |
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09:18-10:19 |
イパネマ海岸からリオのガレオン国際空港までバスで移動。
バス運賃 R$5.5(=US$2.55)/人 by 現金 |
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12:00-14:40 |
リオ・デ・ジャネイロからレシフェまで飛行機で移動。
航空運賃 R$303.62(=US$140.56)/人 by 現金 |
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15:20-15:40 |
レシフェの空港から宿近くまでバスで移動。
バス運賃 R$2(=US$0.93)/人 by 現金 |
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15:40-16:47 |
バス停から宿がなかなかみつからずに迷った末に到着。
本来ならバス停から徒歩5分で行ける。 |
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※2006.03.16現在、US$1= R$2.16(ブラジルヘアル)で計算しています。 |
今回サン・パウロに大きな荷物は置いて小旅行を行うにあたり、リオからレシフェ、レシフェからサン・パウロという飛行機チケットをサン・パウロで購入した。
リオ・デ・ジャネイロからレシフェまでの飛行機は2時間の搭乗にもかかわらずUS$140ちょっと。色々と調べてもらってGOLというブラジルの航空会社が一番安かったのでここにしてもらったが、日本国内の飛行機代金と比較しても安いとはいえない。ブラジルでは飛行機はまだまだ贅沢な乗り物なようだ。旅行代理店では、搭乗日と目的地を告げると、どこかに電話して空き席状況と値段を聞いては、私たちに教えてくれる。私の学生時代の日本の旅行代理店みたいだ。この方式だと、全部が一覧できないので、いちいち聞かなくてはいけないので大変不便だ。こういう点がオンライン操作で一覧できるくらいにマーケットが成熟したら、もっと航空運賃も安くなるのだろうなぁ。
ゆっくりと過したリオともお別れが近づいてきた出発数日前、ガレオン国際空港にはどうやって行くのか知らないねぇという話になった。
ガイドブックを見て、宿のフロントに聞いても同じ答えが返ってきた。リオ・デ・ジャネイロのイパネマやコパカバーナ地区からガレオン国際空港に行くには、海岸沿いを走るバスが便利なのだそうだ。
このバスは、他のバスよりもちょっと料金が高い。停留所はなく、沿道で手を挙げてバスを止める方式で、空港に行く人以外は乗せないために他の市バスよりも早く空港に到着するということと、安全が確保されるのが利点だと聞いて、このバスを利用することにした。
しかし、果たして情報は正しいのだろうか。そこで、出発の数日前からイパネマの海岸沿いの遊歩道でバスが通るか見張ってみることにした。
朝8時から1時間見ていたが、30分おきに来るというバスは1台も見つけられなかった。もしかして、違う道かもしれないと、別の場所で30分見ていたが来なかった。ちょっと焦る。お昼ごはんを食べて、再び海岸沿いの道で待機していたら、やっと「Aeroporto」と書かれたバスを見かけて、安心することができた。それにしても朝は何故見つけられなかったのだろうか。
出発当日、多少の不安な気持ちを抱えながらバスを待つ。朝のイパネマの遊歩道は健康のためにウォーキングやジョギングをする人がわんさか通る。
雰囲気もいい町だし、バスも来ないし、移動するのが面倒に思われた20分後、バスがやってきた。では、出発するとしますか。
バスは観光バスを使っていて、エアコンもビシビシに効いているし、シートもフカフカだった。何度か通って見慣れたコパカバーナを通り、もう一つの空港に立ち寄る。ダウンタウンを通って長距離バスターミナルにも立ち寄る。そこから先は、見たことのないリオ・デ・ジャネイロだった。汚い川の向こうの斜面には、びっしりと家が並び、崩れかけた屋根や壁の家もあった。そういえばビーチでもらった旅行代理店のツアーには、スラム街ツアーなんていうのもあったなぁ。どういう意図でこんなツアーがあるのかわからないが、最初にこのチラシを見た時には「他人の不幸は蜜の味ツアー」なのかと不快感を感じたことを思い出した。
そんな風景を通り抜けて空港に到着。思ったよりも空港が遠かったので、到着したのは出発の1時間半前になっていた。GOLのカウンターを探してたどり着いたら驚きの長蛇。他のカウンターはガラガラだというのに。しかも、1人のお客さんにかかる時間が長そうだ。あらら、間に合うのかしら?不安に思って、GOLのバッジをつけたお姉さんに「GOLはここの列に並ぶのか?」と聞いたところ、「預け荷物がない場合はこちらです」と一番左端のカウンターに案内された。そこには1組のカップルしかいなかった。サン・パウロに荷物を置いてきてよかった。
チェックインを済ませて、搭乗者入り口で手荷物検査を受けていたら、リオで買ったビーチパラソルがひっかかってしまった。ビーチパラソルのカサの根元は土に刺さるように円錐形のキャップがついているのだ。係員は円錐形の部分を他の係員に見せ、「こりゃ、預けてもらわないとだめだろう」という判断になった。あの長蛇の列に今から並ぶのかと焦ったが、係員の人が、今度は一番右端のカウンターに連れて行ってくれた。ここは、通常のカウンターとは別の作業をしている所なので、すぐに手続きをしてくれて助かった。GOLの飛行機は色々な方面へと飛んでいて、チケットのチェックインとは別に荷物を預けて大丈夫なのかという不安もあったが、カウンターの兄さんは荷物に貼るシールの内容をわざわざ見せてくれて、「大丈夫。この荷物はベルトコンベアーに乗せられないので、私が手持ちで荷物集積所まで持って行くので安心してください」と英語で行ってくれた。なかなか気が利いているぞ、GOL。
こうして手続きも終了し、待合ロビーに腰を落ち着けたのは11時だった。出発まであと1時間だというのに、GOLのチェックインカウンターにはあんなに人が並んでいたというのに、我々が向うレシフェ行きのロビーはガラガラで、「本当に飛ぶの?」と不安になるくらいだった。しかし、20分前、10分前になるとだんだんと人が集まり、結局レシフェ行きは満席に近い状態で離陸することになった。
GOLの機体はボーイング社。白地にオレンジ色の尾翼がトレードマークだ。ブラジルの航空会社といえばヴァリグ・ブラジルしか知らなかったが、他にも様々な航空会社があり、GOLもその一つ。航空会社が違うといっても使っている機体はボーイング社だし、機体もそんなにボロボロじゃないし、不安はあまりない。
上昇した飛行機は、両方の席からリオの最後の風景が見えるようにイパネマやコパカバーナ側に旋回してから北方面に向って飛び始めた。
霞の中からポコポコと岩山の頂上が見えるのは、リオらしい風景の一つとも言える。いい所だったなぁ、また来るからねと別れを告げた。
かなり上空に上がって水平飛行になってすぐに、キッチンからいい匂いが漂ってきた。「お、なかなか早いねぇ」と、夫と喜んでいたのだが、いつまでたっても食事は出てこない。それから30分後の午後1時になってようやくサービスが始まったが、配られたのは飲み物とサンドイッチだけだった。あのいい匂いはどうやらスタッフの昼食だったらしい。「US$140も払ったのに、サンドイッチかよー。あったかい飯だせー!」と憮然とした2人だが、やがて眼下に広がるエメラルドグリーンの海岸線を見たとたん、次に向うレシフェへ夢が膨らみ、怒りと空腹はやわらいだ。
ブラジル北東地方は海岸線がずーっとビーチになっているようだった。所々に工業地帯があってとぎれるが、それ以外には砂浜が見え、なかなか美しい光景が上空からみてとれた。14時40分、予定通りにレシフェに到着。飛行機を降りたとたんに、カッと焼け付くような熱を肌に感じ、赤道にかなり近づいているのを体感した。暑い所が大好きな私は、もうそれだけでテンションがあがる思いだった。
レシフェの空港は新しくてとてもきれいで、無事にビーチパラソルも届けられていた。荷物を受け取って外に出て、左斜め前に観光案内所があったので、早速街の地図を受け取り、宿の情報を教えてもらった。レシフェはとても詳細でいい地図を用意してくれていて、これは後からとても役に立った。宿はリオと同じく、一覧できるリストはなく、こちらの条件に当てはまる宿を担当者が一つずつ教えてくれる方式。これは歯がゆい。というか、こういう方式の情報提供に慣れていないことを痛感する。
こういう場合は、こちら側がかなりしっかりとした宿の条件を持っていないと、なかなかヒットする情報が得られないのだ。レシフェには、大きく分けて3つの地域がある。レシフェダウンタウンと、その北部のオリンダという村と、ダウンタウン南部のボア・ビアジェンだ。安全のことを考えてダウンタウンは避けることにして、オリンダとボア・ビアジェンの中から「キッチン付きで、清潔で、安くて、浜から近い所」という条件で絞り込んでもらった。
ヒットした情報は3件。オリンダに1軒とボア・ビアジェンに2軒だ。オリンダは電話で確認してもらった所、満室だということで、必然的にボア・ビアジェンに宿泊することになった。
教えてもらった2軒のうち、1軒にはプライベートルームがあり、もう1軒はドミトリーのみだったので、プライベートルームのある方に決定だった。でも一応見てから決めたいので、この2軒を訪ねてみることにした。
空港からボア・ビアジェンの目抜き通りをダウンタウン方面に北上していくバス「Aeroport〜Ciudad」に乗って、10番の停留所で降りれば両方に行けるということで、行き方を教わって空港を後にした。
ドミトリーしかない方の宿はすぐに見つかった。部屋を見せてもらったが、「カーニバルの後で鍵もエアコンも全部壊された」ということで、両方とも壊れている部屋しかない。どんな奴が泊まっていたんだ、一体。それで、すっかり嫌気がさして、2軒目の宿の住所を見せて「こちらの宿も見に行きたいので、場所を教えてほしい」というと、宿のおやじは「ああ、新しくそういう宿はできたと聞いているが、場所がわからないねえ。噂によると、その辺りは治安が悪いらしいよ、こっちの方が安全だと思うんだけどね」とうそぶいた。とても近所のはずで、おそらく知っている住所だと思うんだけど知らぬ顔をしているし、よく知らない場所だと言っておきながら治安が悪いという人伝えの情報を言ってくる。こりゃぁ、ちょっと食わせ物だなぁという印象を持ったので、何がなんでも2軒目にしたいということになった。
ところが、この宿は小さな路地沿いにあるようで詳細な地図にも掲載されていない。30分ほど人に聞きまくって歩き回った。より重い荷物を持ってくれている夫は、もうくたくたである。「一体これからどうするつもりなんだ」「見つからなかったら、どうする気なんだ」「今からどこに向おうと思っているんだ」とワンマン社長が従業員を怒鳴りつけるように、矢継ぎ早に後から質問しながら歩いている。私も「考えながら歩いてるんだから、そんなに追求されても答えられません」と後も振り返らずに答えながらも、困ったなぁと思っていた。
もう一度降りたバス停近くまで戻って、観光案内所の人がくれた情報通りに歩いて、やっと見つかった。そろ頃には、とにかくもう今夜はここに宿泊しようということになった。いい宿だったので結局そのまま居続けたんだけどね。
思えば、大きな荷物を持って移動している時は、とにかくガイドブックにある宿にタクシーなどで行ってしまって、そこに1、2泊しながら次の宿を探すパターンが多かったので、荷物を持って突然今夜の宿を探すというのには慣れていない私たちだった。やれやれ、疲れた。
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