夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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イスタンブール(Istanbul)→パムッカレ(Pamukkale)
2006.10.30
トルコ国内移動

移動内容(10月)
10/30
19:30-20:10
宿の近くの旅行代理店前からミニバスでオトガル(バスターミナル)まで移動
※ミニバス代金は大型バス料金に含まれる。
10/30
20:30-
10/31
09:25
イスタンブールのオトガルからデニズリDenizliまでバス(AYDIN Tourizm社)で移動
バス運賃 TRY40(=US$)/人 by 現金
09:32-10:15 デニズリからパムッカレまでミニバスで移動
バス運賃 TRY1.5(=US$)/人 by 現金
10:20-10:45 パムッカレを過ぎてからバスを降りたのでトボトボ歩いていたら宿のご主人にたまたま拾われて車で宿へ。助かった!
※2006.10.30現在、US$1= TRYで計算

 私たちがイスタンブールに到着したのは、イスラム教徒が年に一度行う断食の週間(ラマダン)時期だった。翌週はラマダン明けのバイラムという時期。日本でいう正月のようなもので、遠くにいる親戚を訪ねたり、都会から田舎に帰省したり、最近ではこの時期に家族で旅行したりするそうだ。

 ってことで、バイラムの時期にトルコの他の地域に移動しようとした人は、空き席がなかったり、来ると言った時間にバスがこなかったりで、なかなか苦労していた。

 そこで、私たちはバイラム明け、つまりバイラムの週が終わった日曜日に発つのなら問題なかろうと、バイラム明けを待つことにした。

 ラマダン明けのバイラムの月曜日、火曜日、水曜日とイスタンブール市内の公共の交通機関は無料乗り放題。町中にトルコ人観光客があふれ、賑やかな雰囲気だった。それも静まってきた木曜日。旅行代理店に、日曜日出発のパムッカレ行きを聞いてみると、どの代理店も売り切れ、売り切れというばかりだった。日本でも正月明けにちょっと休みを長く取る人もいる。そんな状況なのだろうか。

 5軒目の旅行代理店で、やっとチケットを取り扱っている所があった。希望の日曜日はないが月曜日のチケットなら空きがあるということだった。このバス会社は、旅行代理店からバスターミナルまでのミニバス送迎サービスもついている。月曜日の19時に旅行代理店前出発ということでチケットを無事に入手できた。

 さて、30日はあいにくの雨。ピックアップが来てくれる午後7時前に旅行代理店に行くと、もう閉店してしまっている。午後7時、8時のピックアップサービスは閉まった旅行代理店の前で待つことになっている、という事を事前に聞いていたので驚かなかった。しかし、7時を過ぎても、7時10分を過ぎてもお迎えは来ない。7時20分を過ぎた時、もし7時50分になっても来なかった場合はタクシーしかないと決めた。

 そして7時半。30分も遅れたのに、当然のごとく悪びれた風もなく年寄りのドライバーがやってきて、キキーッと車を停める。ドアを開けて無言で「さぁ、荷物を乗せて乗り込むんだ」と腕を大きく振って招いた。ミニバスの横っ腹にバス会社の名前が書いてあるので間違いない。ったくもー。

 時間ぎりぎりにやってきたバスは、他に誰も乗客を積まずに一路バスターミナルへと向かった。「他に乗客がいないから30分も遅れて来たのねん」と納得しそうになった矢先、バスターミナルに向かうハイウェイの遥かかなたまで見渡せる渋滞。ギョエー、これで間に合うのか?


大型バスの横に到着したのは出発20分前。
 クールを気取っていたバスのオヤジも、徐々に車線変更が激しくなり「実は間に合わなかったりして」感をかもし出している。おいおい、だったらもっと早く来ようよ。

 こうして午後8時半発の大型バスの目の前に到着したのが午後8時10分だった。ふー、やばい、やばい。オヤジの顔にも安堵の表情が浮かんでいた。って、お前が安堵してどーする!!

 旅行代理店で購入したチケットを大型バスが停まっている目の前の会社事務所に持っていくと、正式なバスチケットに交換してくれる。旅行代理店はこんな事は言っていなかったが、代理店からもらった手書きのペラペラのバスチケットがどうも不安で事務所のカウンターに確認したところ、正式なバスチケット発券が必要だとわかったのだ。これがトルコ式らしい。

 バスはデニズリDenizli行きになっている。終点で降りて、パムッカレはミニバスに乗り換えることになっている。

 この時は気づいていなかったが、途中に寄る街の中にイズミールIzmirという名前が見える。実はイズミールはエーゲ海に面した方の街。トルコの地理に詳しい人が見たら、一発でこのバスが超大回りしてデニズリに行くバスだったことがわかるだろう。イスタンブールを時計の12時の所、デニズリを時計の真ん中だと考えると、通常はまっすぐに降りるはずが、9時経由で真ん中に向かうって感じである。

 もちろん私たちはそんなことは知らない。デニズリまで10時間くらいで行けると思い込んでの出発だった。そういうことも旅行代理店は一言も言わない。アラブ人の商売ってのは売れりゃぁ何でもいいという気がする。

 バイラム明けのバスは観光客は少なく、ほぼトルコ人で満席状態だった。田舎から出てきたお母さんが帰るのだろうか、乳飲み子を連れた若い娘とその旦那の若い男性がバスの中でお別れの挨拶をしている。娘は大きな目に涙をいっぱいためて話すこともなく母親の手を握っている。実の母親なのだろう。出発の時間が近くなると、耐えていた目から大粒の涙がとめどなくこぼれ始めた。旦那は神妙な顔で母親の手と額にキスして「妻のことは心配ありませんから」という感じで母親に語りかけている。家族の絆が強いトルコ人社会の一面を垣間見ることができた。

 バスはたびたびハイウェイを降りては近隣のバスターミナルに立ち寄って乗客を拾っていくので、なかなか落ち着いて眠ることができない。そして午後0時過ぎ。再び停車したので目を開けると、何とフェリーの横にいるではないか?

 海峡渡るなんて聞いてなかったなー。でもま、そんなこともあるのかもね。と、ここに至っても大回りバスに乗っていることに気づかない私たちであった。フェリーにはバスごと乗り込む。バスがエンジンを止めると、他の乗客は皆外の空気を吸いに外に出ていった。私たちも一人ずつ外に出て、屈伸運動したり外の冷たい風にあたったりした。

 フェリーの2階には飲み物やスナックを売る店まで入っていて、ちょっとした夜のクルージング気分を味わえる。しかし、時刻は真夜中。グルッとフェリー内を観察してバスに戻ると、いつの間にかまた眠ってしまった。

 そして午前6時半、7時、7時半。おっかしーなー。デニズリは遠い。10時間だと聞いていたのに、デニズリに到着したのは出発から13時間後の午前9時半だった。乗車中にお茶やジュースを出してくれていた車掌さんがミニバスまで案内してくれて、何の問題もなくパムッカレ行きのミニバスに待ち時間ゼロでアクセスすることができた。

 このミニバスは通路の両側に2席ずつあるのだが、通路が異常に狭い。

 それなのに各座席には前後にリクライニングするボタンの他に左右に座席を動かせるボタンもついている。これで全員がゆったりモードで横に広がったら通路は確実になくなるだろう。

 実際に左右ボタンを押しながら横に動こうとしても動かなかったけどね。


 バスはデニズリを出ると牧歌的な風景の中を走った。やがてパムッカレの石灰棚が見えてきた。おお、ここだ、ここだ。隣の兄ちゃんには乗るときに「このバス、パムッカレに行くよね」と確認してあるので、パムッカレに到着したら教えてくれるだろうなぁと思っていたのが甘かった。

 石灰棚が見えてきてから村のような所で停車した後、バスは再び走り始め、石灰棚がどんどん右手後方になってきてしまった。しまった、さっきの村で降りるべきだったんだ。大声で運転手さんに呼びかけてバスを停めてもらい、バスを降りた。

 あーあ、村から数百メートル離れちゃったよ。村で降りれば宿の場所は誰でも知っているからということで、予約した宿の正確な場所が全くわからない。人っ子一人見えない道をとぼとぼと歩き始めた。やがてレストランがあり、そこで宿の位置を聞くことができた。とタクシー運転手も擦り寄ってきて「なに、その宿までは1kmはあるなぁ、タクシーに乗りなよ」と勧誘してくる。いやいや、自分で歩きますからと断って歩き始めた。

 しかしパムッカレの舗装道路はアスファルトが妙にゴツゴツしていて、ヨーロッパの石畳よりはましだが、このまま1kmも歩いたらスーツケースが壊れちゃう。おまけに上り坂だし・・・。タクシー使えばよかったなぁと後悔し始めた頃、「おお、日本人ですかぁ?」と声をかけてくるトルコ人がいた。イスタンブールでは日本語で話しかけてくるトルコ人は詐欺師と相場が決まっていたが、ここはどうなんだろう。「私の奥さん日本人です」。ああ、これもよくある常套句だ。「典子といいます。私旦那さんね、カレ・オテルKale Otelまで車で送りますよ」と言った。ここに至ってやっと信用することができた。

 助かった。本当に予約した宿の旦那さんのIsaさんに偶然拾ってもらえたのだった。というか、イスタンブールから来るはずの私たちがいつになってもやってこないので、村中を車で周って探していてくれたというのが真相だったようだ。典子さんは「ああ、きっとイズミール経由だったんでしょうねぇ」とすぐに事情を察知して中に招き入れてくれた。

 ラマダン明けの移動は、なかなか大変だったのだった。


 
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