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パルミラ(Palmyra)→ダマスカス(Damascus)
2006.11.19 |
シリア国内移動 |
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移動内容 |
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09:00-09:03 |
宿からダマスカス行きのバスが出る所までタクシーで移動。
タクシー運賃 SP25(=US$0.46) by 現金 |
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10:30-13:13 |
パルミラPalmyraからダマスカスDamascusまで大型バスで移動
バス運賃 SP125(=US$2.31) by 現金 |
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13:20-13:42 |
ダマスカスのバスターミナルから宿までタクシーで移動。
タクシー運賃 SP125(=US$2.31)のうち
SP75(=US$1.39)を負担 by 現金 |
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※2006.11.13現在、US$1= SP54.13で計算 |
宿の主人にダマスカス行きのバスを聞くと、よく知らないけれど9時半か10時くらいだったかなぁという答え。知っておけーーーー!
この分じゃバスチケットの値段聞いてもあてにならないし、とにかく朝9時に宿を出ることにした。
宿の主人が呼んだタクシーはガタガタの大型車。しかし、何とメルセデスベンツの闇タクシーなのだった。
10年くらい前、私たちがドイツで買った18年落ちの中古ベンツよりもまだ古そうな型。ってことは30年落ちくらいということになる。
数分走って降ろされたのは、こうした中古ベンツが行き交う町外れの四つ角だった。てっきりバスターミナルに行くものだと思っていたので、騙されたのかと思い、四つ角の店の主人に聞くと主人もここだ、中で茶を飲んで待てば来るという。
くー、こいつもグルか。どいつもこいつも信じられない。
と、向かいの道路の端でどうしようか考えているうちに、四つ角のカフェにはだんだんと人が集まってきた。その内の一人に確認して、ようやくここが本当にダマスカス行きのバスが通過する停留所だということが信用できた。
本当だったのか。何とも信用するのが難しいシチュエーションだったが、ここでやっとチケットを購入した。金額も正しいのか微妙だったが、大きく予想をはずれていないのでよしとした。
渡されたチケットにはウニャウニャとアラビア語で行き先や座席が書かれているが、さっぱりわからん。まぁお金払ったし何とかなるでしょう。
10時発というダマスカス行きのバスは10時過ぎに到着。
わらわらと乗客は全員降りてきて、カフェに入って朝食を注文するわ、お茶は飲むわ、ひまわりの種は食い散らかすわで、全然出発する気配はない。
ゆーっくりと茶を飲んで10時25分、ようやくバスの扉が開いて中に入ることができた。
10時半過ぎに出発。1時間半ほどは砂漠の中をひたすら走っていった。
ダマスカスまでは3時間ちょっとで到着。パルミラからダマスカスといったら、国の横幅の3分の1は移動しているはず。シリアというのは本当に小さな国なんだなぁと実感する移動だった。
バスターミナルに到着。ダマスカスのパルミラからのバスターミナルから市街地までは遠いのでバスかタクシーになる。
荷物を考えて私たちはこういう時はタクシーに乗ることにしている。
同じバスに乗っていた南アフリカから来た兄ちゃんが同乗させてくれというので、一緒にタクシーに乗ることにした。バスターミナル構内でたくさん待機しているタクシーに中心地までの値段を聞くと、一様にSP200(=US$3.69)と答えた。安いといえば安いのだが、この半額くらいだという情報を得ていた私たちは、バスターミナルに待機しているタクシーはぼったくりだと判定し、ターミナル敷地から出て流しのタクシーを拾うことにした。
たくさん走っている流しのタクシーを止めて値段をSP100で交渉していたら、横からターミナルの外にも待機しているタクシー運転手の仲間らしい男がタクシー運転手に「商売の邪魔をするんじゃねぇ」みたいな脅しをかけている。
流しの運ちゃんは「SP100で行くから乗れ!」と私たちを乗せ、運転席の外からどなりつける待機タクシー運転手を振り払いながら走り始めた。
助手席に座った私は、運転手に宿の地図を見せるがあまり見る様子もない。大丈夫かしら?
案の定、宿の向こうにある交通量の大きなサークルをぐるぐると回る羽目になった。警察に道を聞いても答えるどころか「停まるんじゃない、さっさと行け」とどなる始末。社会主義的なシリアの側面を目の当たりにすることになった。
ようやく目印を見つけてサークルを抜け出し、宿近くの道路淵で降ろしてもらった。SP100で話をつけていたものの、「ぐるぐると迷うし、警察にもどなられるし、もっとくれないと見合わない」などといい始めるタクシー運転手。冗談じゃないと3人で反論すると、まわりのアラブ人が何だ何だと集まり始めてきた。ここは首都ダマスカス。これはあまり良くない状況になってきたぞ。
そこで運転手にSP25を握らせて、3人でその場をそそくさと立ち去った。南アの兄ちゃんも、値段交渉後にもっとくれという中東のおやじはおかしいとしきりにぼやいていた。そうだよねぇ。おかしいよねぇ。まだまだ中東慣れしていない私たちは、こういうやり口がここでは頻繁に行われていることをまだ知らないのだった。
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