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ワディ・ムーサ(Wadi Musa)⇔ワディ・ラム(Wadi Rum)
2006.11.28-29 |
ヨルダン国内移動 |
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移動内容(往路) |
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11/28
06:10-08:08 |
ワディ・ムーサからワディ・ラムのベドウィン村のジダン氏の家前までバスで移動。
バス運賃 JD15(=US$21.27)/2人分 by 現金
※通常料金JD3なのだが、私たち以外にお客がいないので、この値段になった。 |
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移動内容(復路) |
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11/29
07:00-07:27 |
ワディ・ラムの砂漠からベドウィン村まで四駆の車で移動。
※ツアー代金に含まれる。 |
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08:30-10:56 |
ワディ・ラムのジダン氏の家からワディ・ムーサまでバスで移動。
バス運賃 JD6(=US$8.45)/2人分 by 現金 |
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※2006.11.27現在、US$1= JD0.71で計算 |
○2006年11月28日(ワディ・ムーサ→ワディ・ラム)
ワディ・ラムのツアーにはペトラ遺跡観光の拠点となるワディ・ムーサからワディ・ラムへの交通費が含まれていない。
朝6時過ぎに迎えに来たバスは私たちが一番のりだった。と、その時は思った。やがてバスはバスターミナルへと向かい、ワディー・ムーサの宿の並ぶ通りを一通り走ったが、誰一人乗ってくる者はいなかった。「へー、貸切状態じゃん!」とその時は嬉しかった。
やがてバスは町を後にしてワディー・ラムに向かうかに見えた時、運転助手が私たちを振り返って言った。「他にお客さんがいないので、料金は二人でJD25(=US$35)もらわないと見合わないなぁ」。
二人でJD6(=US$8.46)だと思っていた私たちは仰天した。と、同時に初日に宿の女将が4人揃わないとツアーが催行できないと言っていた言葉を思い出した。
ははーん、そういうことか。ベドウィン村から先のツアーをベドウィンが受け付けてくれたとしても、そこまで行く交通費が高くなってしまうことを女将は知っていたに違いない。
それにしても、そもそもツアーの値段も大勢が参加するよりも多少多めに支払うわけだし、ここでこんなに交通費をかけてしまうとこのツアーのコストパフォーマンス自体が疑問になってくる。女将の言葉を考えると、4人分の交通費、つまりJD16(=US$22.54)だったらこいつらは承諾するのだろうと見当はついていた。
しかし、すぐに値段交渉に入ると足元を見られる。これはシリア・ヨルダンで学んだ基調な教訓だった。たとえ欲しいと思っても、一度きっぱりと断る。そうする所から値段交渉が始まるのが常だった。今まで何度もそんな場面に遭遇してきたが、やはりこの乗り物にのらなきゃ、ここで食事をしなきゃという気持ちが「きっぱり断る」という決断を鈍らせていた。
しかし今回、私は本気でこのツアーを疑問視していたし、砂漠はエジプトにもアフリカのナミビアにもある。なにもヨルダンで無理やり砂漠ツアーに行かなくてもいいんじゃないかと心の底から思っていた。
だから、ドライバーからJD25という値段を聞くや否や、夫に「あー、もうだったら、帰ろう、帰ろう。今回のツアーはキャンセルしよう。別にここで行かなくったっていいよねー」と言った。夫も「そうだねぇ。こんなに交通費がかかっちゃ行く価値がない。やめよう、やめよう」と一致。本当に帰る気でいたので、ドライバーに「じゃぁ、もう私たちこのツアーをキャンセルするので村に戻って欲しい」と告げた。
するとどうだろう。全く値段交渉に応じないかのように見えた運転助手が急に態度を軟化させて、「じゃぁ、いくらだったら行く?」と聞いていた。本当だ、本当に断ると交渉が始まる。私たちは当初JD3だと思っていたんだから、せめて二人でJD10くらいじゃないと困るなぁと切り出した。
この間、自動車は走り続けている。たとえここから村に戻ったとしても何らかの運賃を請求されるだろうなぁ、面倒だなぁと考え始めた頃、結局値段はJD15まで落ち、プラス、向こうが出した条件としては、帰りは通常料金通り一人JD3で戻ってくるというものだった。じゃぁ往復二人でJD18、つまり一人片道JD4.5になる。まぁ、それならばリーズナブルな範囲なんじゃないのかということで、これで交渉終了。いやー、良かった良かった。
交渉がまとまって料金を支払うと、何事もなかったように彼らは嬉々としてして道路の解説を始めたり、陽気にふざけたりし始めた。交渉に慣れていない私たちは結構ぐったりしていたのだが、この人たちは違うようだ。やれやれ。
ワディ・ムーサから一つ村を越えると、高台につくられたキング・ハイウェイという道をずーっと走ることになる。ペトラ遺跡からずっと続く殺伐とした岩山と砂地の風景を右手眼下に見ながらの道で、とても気持ちが良い道だった。
キング・ハイウェイから幹線道路に出てヨルダンを南下し、再び脇道にそれてからワディー・ラムの入り口に到着した。ワディー・ラムのベドウィン村の入り口近くになると、運転助手が振り返って不思議な事を言った。「入り口でどこに行くかと聞かれたら、このままドライバーとワディ・ムーサに帰ると答えてください」。
ガイドブックにはワディ・ラム自体への入場は無料と書かれていたが、最近訪れた人の情報には、観光案内所のある入り口で日帰り入場ならJD2、宿泊ならJD8を支払うので「日帰りと言おう!」などと情報ノートに書かれていた。きっとその事を言っているのだろう。何を聞かれるかと思っていたが、結局誰にも停められず、何も支払わずに入ることができた。シーズンオフだからだろうか?よくわからない。
観光案内所のあるゲートを過ぎるとベドウィンの村になっている。ベドウィンもかつての遊牧民生活を辞めて、観光業などに従事するために定住する人が多くなり、このような村が形成されている。
やがて車はその中の一軒の家の前に停まった。「ここがジダンの家だ」。
ふー、やれやれ到着だ。明日の朝に迎えに来てもらう、そして料金はJD3であることを再度確認して別れた。
○2006年11月29日(ワディ・ラム→ワディ・ムーサ)
朝7時、お世話になったジダン氏と最後の記念撮影。
ベドウィンのDNAを感じさせる彼のゆったりとした物越しや語り口調、本当に魅力的な人物だった。
最後はジダン氏の運転で、ジダン氏の自宅まで4WDで戻った。昨日のツアードライバーを勤めてくれた甥っ子とは違って、なかなかハードでワイルドな運転。
甥っ子は彼の運転技術を盗もうとしているのか、「おじさん、運転荒いなー」と思っているのか、黙って座っていた。
ベドウィンの村までは30分足らずで到着。昨日は色々と見てまわっていたので、どんな距離の所にいるのかさっぱり見当がつかなかったが、案外村から近い所に宿泊していたんだなぁ。
途中の素晴らしい景色がまだまだ続くのかと思うようなところに、ベドウィン村は忽然と現れる。
お迎えのバスは1時間後の8時半に来る予定。だったらもう少し砂漠のテントで朝の風景を楽しませてくれてもよかったのになぁ。
と、こちらの都合で思っていたのだが、ジダン氏は早くも今朝到着のお客さんを迎えにベドウィン村のゲートまで車で去っていってしまった。そうか、次のお客さんの対応もあるのか。ツアー業もなかなか忙しい。
ということで、ジダン氏の家の客間に取り残された私たちは、ゆっくりお茶なんぞしながらバスを待った。
因みにジダン氏の向かいの家はラクダを飼っている。見ていると、「なーにー?」みたいに正面を向くラクダの顔が可愛い(本当は気性は荒く息も臭いそうだが、塀があるので安全、安全)。
ラクダのずっと後方では、ここの家の子供がラクダよりも珍しい東洋人の姿を発見して、必死に「ハロー、ハロー」とどなっている。こちらも「ハロー」と言い返すが、後が続かない。結局ハロー合戦に疲れて、部屋で待つことにした。
バスはちょっと驚くことに定刻8時半に到着。席に座ろうとすると、そこは駄目だ、ここも駄目だと、誰もお客がいないのに入り口近くの席を指定されてしまった。「何故かっていうとね」と昨日と同じ運転助手が語りだした。
昨日、ドイツ人の若い女性を乗せていたのだが、彼女はお腹の調子がすこぶる悪かったそうなのだ。「ううう、トイレに行きたい、バス停めてっていわなきゃ、・・・でも言えない」と我慢しているうちに、あろうことかバスの中で脱糞してしまったのだそうだ。バスの中は大騒ぎ。運転助手は夜中までバスの中に洗剤を撒き散らして、何度も何度も掃除したのだそうだ。
「何でバスを停めろと言わなかったのか、俺には全く理解できないぜ」と彼は語っていた。運転手も「そうさ、道端にいくらでもする場所はあるのに、何もバスの中でしなくったっていいだろうにねぇ」と言う。まぁ、ここがドイツだったら彼女もそうしただろう。しかし、慣れない一人旅、中東の白人を見る好奇の目、そんな中でシビアなバスの値段交渉もあったろう。「バスを停めて」なんて言おうものなら、一体いくらお金をふんだくられるのかという恐怖もあったのかもしれない。彼女が脱糞した理由は少しわからないでもない。運転助手や運転手には理解できないだろうなぁ。それでも、結局は最悪の事態を招いてしまったのだから悲しい。いつか、彼女がこれを旅のネタとして笑い飛ばせる日がいつか来ることを祈るばかりだった。
それにしても、風が吹くとウッスラと残り香がするし、私たちの席は脱糞席ではないが座っているうちにお尻に水が沁みてくる。やっぱりトイレはバスの外でするように心がけたいものだ。
さて脱糞話もひとしきり終わり、今日の運賃を予定通り一人JD3支払ってしまうと、バスの中は個人タクシーというよりは友人に迎えに来てもらった東洋人という雰囲気が漂った。「今日は景色を見たかったら好きな所で停めてあげるからいつでも言ってね」というのは、私たちに対するサービスということではなかった。
運転手と助手はどうやら安いトマトを買いたいらしく、路上のトマト屋を見るたびに車を停める。
つまり、俺達も好きなように車を停めるから、おまえにもその権利を与えようというだけの話なのだった。ったく、もう。
次の目的地に向かうバスの時間に余裕がなかったら、張り飛ばしている所だ。
私たちが停めてもらいたかったのは、キングス・ハイウェイの見晴台の所だけ。ここからは、ペトラ遺跡一体を取り囲む岩山群が一望できるのだ。(写真で見るとあまり面白くないが、実際はもっと圧巻)
この辺りからバスは他にも乗客を乗せだした。ペトラからワディ・ラムに行くバスには乗客が乗らないので採算が取れない。だから高価な運賃を取りたい。しかし、逆向きは乗る人がいるので定価で承諾した。そんな事情が今わかった。
近所の人と思われるヨルダン人顔の人が脱糞現場となった席に座ろうとすると、「そこはちょっと事情がありまして」と他の席に座らせるのに、アフリカ人(黒人)がその席に座っても何も言わない。なかなか排他的な一面も見せてもらうことができた。
11時近くにワディ・ムーサの町中に到着。短いながらも色々な経験のできた移動だった。
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