|
|
|
|
アスワン(Aswan)→カイロ(Cairo)
2006.12.24-25 |
エジプト国内移動 |
|
|
移動内容 |
|
12/24
17:20-17:22 |
アスワンの宿から駅まで徒歩で移動。 |
|
12/24
18:05-
12/25
07:55 |
アスワンからカイロまで列車(1等)で移動。
列車運賃 EGP190.5(=US$31.86)/人 by 現金 |
|
12/25
07:55-08:32 |
列車到着駅から地下鉄駅(ラメセス2世駅)までやや迷いつつ徒歩で移動。 |
|
12/25
08:32-08:45 |
地下鉄で宿の最寄駅(ナセール駅)に下車し、徒歩で宿に移動。
地下鉄運賃 EGP1(=US$0.17)/人 by 現金 |
|
※2006.12.18現在、US$1= EGP5.98で計算。EGPはエジプシャン・ポンド。 |
アスワンからカイロへは、ルクソールからアスワンへ来たのと逆向きの列車に乗り、ルクソールを通り越してどんどん北上していく。
宿の夜勤アルバイトの大学生は、俳優の木村拓哉(←漢字が合っているのか?いわゆるキムタク)に似ている。まぁ、雰囲気は似ているかも。それはともかく、キムタク似の彼のアドバイスはなかなか的を得ているので、いつも頼りにさせてもらった。
彼いわく、カイロ行きの夜行列車のチケットは前日や前々日、あるいは当日の午前中に窓口に買いに行っても「売り切れだ」と言われることが多々ある。で、出発当日の午後3時頃に行くと不思議と買えるというのだそうだ。旅行代理店が握っているキャンセルが放出されるからなのか、直前じゃないと面倒くさいので駅員が売り切れだと言って急ぎの客しか相手をしないのか。理由なんてわからないのだが、現象としてそういうことがよくあるというのを彼は知っていた。
ということで、私たちは出発当日の24日の午後2時過ぎに駅の窓口を訪れた。
ルクソールの駅窓口もそうだったが、2つある窓口には人がたくさん並び、一番前の人は顔を窓口にくっつけんばかりにしているし、次の人は前の人にはりつかんばかりにしている。こうでもしない限り、すぐに横から割り込まれるからなのだった。
私たちの列には他にも白人の旅行者やエジプト人が混在して並んでいた。案の定、旅行者ならば割り込みやすいとばかりに、列を無視してずるずると前進してくるエジプト人のおばはんがいた。おいおい。
夫がおばはんの肩をちょんちょんとつついて、「ほら、皆こうやって並んでいるんだから」と列を見ながら、おばはんの鼻の前で列の後ろを指した。列に並んでいた全員がおばはんを非難の目で見る。普段は割り込みしているエジプト人も「そうだ、そうだ、後ろに並べー」などと言っている。おばはんは、群集の非難に耐えられずすごすごと後ろに戻っていった。わずかながらにも、私たち旅行者がこの混沌のエジプトを変えていけることができるかもしれないと、少しだけ感じた(この考えは、後にカイロで見た圧倒的なカオスを前にして吹き飛ぶのだが)。
キムタクの助言通り、チケットは問題なく購入できた。しかし、同じ列に並んでいた白人は翌日のチケットを購入できていたので、前売りも買えるのだろう。安心のためにも、前売りが買えるならそれに越したことはない。
直前に購入した私たちのチケットは、全く良い席ではなかった。車両の一番前の席。各車両の前後の足元は、換気用に透かしの窓になっており閉めることはできない。エジプトとはいえ冬の夜の外気はかなり冷たい上に、私たちの車両のヒーターが壊れていたために、寒くてたまらなかった。事前にチケットを購入していたら、もっと中ほどの席になったのかもしれない。ま、運だけどね。
列車は午後6時発。ルクソールからアスワンへの列車が2時間遅れで出発したことを考え、あまり早く行っても仕方がないと、私たちにしては異例の出発の30分前に駅に到着するように宿を出た。
夕刻のアスワン駅はオレンジ色にライトアップされていて、ナイルの夕焼けを思い出させた。
遅れるかと思っていた列車は既にホームに停車していて、荷物の積み込みなどが始まっていた。アスワンは始発なので遅れることが少ないのかもしれない。
大きなスーツケースを持って車両に近寄ると、ホームのベンチでおしゃべりしていたエジプト男が嬉しそうに近づいて来た。また荷物管理
男に違いない。今回は夜を越えた移動になるし、車両も混んでいそうだったので荷物管理男の世話になるしかないと諦めて、荷物を彼に渡した。荷物置き場にはシャッターがついていて、彼はここに荷物をしまいこんでシャッターを閉め、超巨大南京錠をかけてニッコリと微笑んだ。で、男は「EPG10(=US$1.67)で」とチップを請求してきた。夫が「EGP1」で。男は「いやー、EGP10お願いしますよ、旦那」。夫が「EGP3」で。するとEGP5で話がついた。だんだん、慣れてきた。この過程が楽しめないとエジプト旅行は辛い。
二等車両と比較していないが、手荷物も多い私たちは安全を考えて一等車両にした。
一等車両は一列に椅子が3つ、リクライニングも割りと倒れるし、前の座席との間隔も広めで、なかなか快適な造りだった。乗っている人も旅行者やエジプトビジネスマンなど、多少はアッパークラスに見えた。
もっとも超高級旅行者は寝台車になった全く別の列車で移動しているので、ここにはいないのだが。
超高級列車はオリエント急行も作ったという会社の列車で、触れ込みとしては一流ホテル並みの設備とサービスでカイロとルクソールをつなぐということだったが、実際に利用した人の話では、サービスも愛想が悪いし、食事もパサパサしたおいしくないものだということで、利用しなくて良かった。高級列車しかり、豪華クルージングしかり、カイロとルクソール、ルクソールからアスワンへの移動にはあまりお金をかけても意味がないと思われる。
車内の窓も車両全体も砂埃っぽいのは、土地柄いたしかたないことだろう。どうせ夜だから外も見えないし、問題がなかった。問題はヒーターが壊れているのと、足元の外気が入りっぱなしの窓だ。寒い。寒すぎる。
列車が走り始めると、英国の執事風の慇懃な男が車内を徘徊してお茶のリクエストなどを聞いてまわっていた。枯れ木のようなこの男は、何度か私たちにお茶を勧めた後、「もしなんだったら、僅かな料金で私がもっと快適な座席にご案内いたしましょう」と小声で申し出てきた。何でこいつに料金を払わなきゃいけないのかと、全く意味が理解できなかったので、こちらも慇懃にお断りしたのだが、男のお陰で席を移動すればいいんだということに気づいた。
手荷物を持って隣の車両に行くと、ヒーターの効いた温かい空席がすぐに見つかった。早くこうすればよかったと、早速落ち着いて眠りに入ったのだった。
夜中の2時過ぎ、「もしもし」と肩をたたく者がいる。見るとエジプト人の係員らしい人が、起こしているではないか。チケットを見せろという。見せると、この車両のチケットではないので元の席に戻れと指示された。隣の車両はヒーターが壊れているし、私たちの席は寒すぎるのでこちらに移動したのだと言っても、まるで聞く様子がなかった。真夜中にまた寒い席に移動。勘ぐれば、あの枯れ木男が密告したとも考えられる。自分に金を払わずにアイディアだけを盗む私たちが許せなかったと。
エジプトの不条理には慣れつつあった。眠いし争う気力もなく、寒い席で丸まってカイロまでの到着を耐えた。
朝7時過ぎ、埃で汚れた窓を通して朝日が見られた。20分もすると、町の様子が見えてきて、エジプトの大都市カイロに入って来たということがわかった。
枯れ木男からお茶を買うのはやや不愉快だったが、それでも紅茶が飲みたかったので注文。枯れ木男は、慇懃な丁寧さを持ってお茶を運んできてくれた。
列車は夜が明けた町中の駅で停車する。ギザ駅だ。ギザはカイロの中心地から地下鉄で20分西に行った町で、ピラミッドのあることで有名な町だ。ギザを出てからほどなくして、終点のカイロ駅に7時55分に到着。ルクソールを出てから約14時間の列車の旅だった。
カイロの長距離列車が到着する駅から一番近い地下鉄の駅がラメセス2世駅だ。ルクソールからカイロに到着する路線といったら、はっきり言ってエジプト観光の目玉ルートだろう。このハブ的存在の駅から地下鉄までのアクセスが悪すぎるのには目まいがしそうだった。
まず、案内が悪い。どこに行ったら地下鉄にアクセスできるかが明確に書かれていないのだ。仕方ないので、夫とスーツケースを置いて私一人で偵察にでかけた。私たちは駅の反対側の口に出てしまったので、階段を下りて地下道をグルーッと反対口に回りこんで、階段を上がってから、舗装されていない砂利と大きな石がごろごろする広場を横切って、地下鉄マークのある口から階段を下りて、やっと地下鉄駅にたどり着いたのだった。
後から考えると、素直に出た所からタクシーを使っても、カイロでは安かったのだ。ダハブ、ルクソール、アスワンとぼったくりの町ばかり体験してきたので、タクシーに乗るのを恐れて無理やり地下鉄に乗ろうとしたために、料金に見合わない苦労をする羽目になった。
地下鉄から宿までは歩ける距離だったので助かった。道をたずねると正しい答えが帰ってくるし、バクシーシも要求されない。道も広くて舗装されている。カイロは今まで訪ねたエジプトの他の街に比べると、随分ましな所に思えたのだった。
|
|
|
|
|
|