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エジプト:カイロ(Cairo)→ケニア:ナイロビ(Kenya:Nairobi)
2007.02.01-02 |
エジプト→ケニア |
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移動内容 |
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2/1
17:00-17:46 |
カイロの宿からカイロ国際空港までタクシーで移動。
タクシー運賃 EGP50(=US$8.38) by 現金。
※運賃はEGP40でチップがEGP10。 |
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22:00-
2/2
04:50 |
カイロからナイロビまで飛行機で移動。
航空運賃 EGP2279(=US$381.74)/人 by 現金 |
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05:05-06:00 |
ビザの取得、バゲッジ受取り、バゲッジ破損の手続き。 |
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06:02-06:14 |
空港内にあるプラネット・サファリのオフィスで、サファリツアーの予約手続きと支払い。 |
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06:16-06:56 |
空港からプラネット・サファリのオフィスまでタクシーで移動。
タクシー運賃 KSH1200(=US$16.24) by 現金 |
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※2007.01.29現在、US$1= EGP5.97 = KSH73.91で計算。EGPはエジプシャン・ポンド、KSHはケニア・シリング。 |
ナイロビ行きの飛行機を予約したのは1月8日だった。1月の中旬から2月の中旬はエジプト人のバカンス時期にあたるため、カイロ発の航空券は軒並み高くなる傾向があると言われた上で、日本人のマリアムさんがいるエジトラブが出したカイロ発ナイロビ行きの片道航空券はエジプト航空の夜便が最安値でEGP2279(=US$381.74)だった。
同じ日にエジプト航空の窓口で同じ日の同じ時間発の飛行機の値段を聞いてみるとEGP3だけ安かったが、マリアムさんの話が面白かったのでエジトラブに発券をお願いすることにした。
といっても、実際にお金を支払って発券してもらったのは、出発前々日の1月30日。前日の1月31日まで予約の保留が可能だと言われて29日には買おうと思っていたのだが、航空券を現金で買うにはキャッシングの限度額を超えてしまうので、現金を用意するのに2日かかって30日になったのだった。
2月1日は午後10時発。通常2時間前に到着していればいいが、今回はエジプトからケニアということで大事を取って4時間前に空港に到着することにした。逆算するとカイロの宿は午後5時に出ることになる。
アモーレ塾塾長の丸山さんからの最後のプレゼントはタクシーの手配とお見送りだった。観光客相手にはすぐ値段をふっかけてくるタクシー。ましてや国際空港行きともなると、この交渉はなかなかやっかいなのであるが、アラビア語で丸山さんが話をつけてくれてあっという間にEGP40で行ってくれることになった。
塾生は国旗でお見送りしてもらえる。巨大な日本国旗を振ってお見送りしてくれる丸山さんの姿が遠くなっていく。カイロの雑踏に消えて姿が見えなくなるまで、ずーっと旗を振ってくれていた丸山さんの残像が二人のまぶたに残った。
すぐに高架に上がると、今までカイロで見たことがないような美しい夕焼けだった。オレンジ色の柔らかい光に包まれて眼下の雑多な町並みも幻想的に見える。「丸山さんよかったな。後ろ髪を引かれるというか、去りがたい気持ちにさせてくれる人だった。」
いつもは後ろを振り返ることなく、先のことばかり考える夫が珍しく感傷的につぶやいた。
陸路でエジプトに入って来た私たちにとって、エジプト国際空港は初めていく所だった。以外に遠く、タクシーで飛ばして40分。こんなに長い距離なのにあの金額で話をつけてくれた丸山さんにあらためて感謝が沸き起こった。
カイロ空港のエジプト航空カウンターは、セキュリティーのためかチェックインカウンターに行くのに一度セキュリティーを通す(考えてみれば成田空港もそうだった)。
カウンターは出発便ごとに仕分けされているわけではなく、あらゆる便のあらゆる方面の客が同じカウンターに並んで荷物を預けたりしている。うわー、何だかこわい。こういうことしているとロストバゲッジの原因になるんじゃないだろうか、という不安が頭をよぎった。
カウンターの女性は愛想が良く仕事もてきぱきして信頼がおける感じがしたが、その隣にいる若い男性スタッフのお客の荷物の扱いがひどい。通常、カウンターの女性の後ろに流れているベルトコンベアーに荷物を流す時に投げないだろうと思うのだが、持ち主の見ている目の前で乱暴にベルトに投げ込んでいる。しかも、キャリアーのついているカバンの場合は、キャリアーを上にして(つまりスーツケースの裏面を上に向けて)流すのが常だと思うのだが、そんなことはおかまいなしに横を向いたり、キャリアーが下になったり、適当に荷物は流されていっていた。この乱暴な荷物の扱いが、やはり後々になって問題になったのではないかと、今思い出されるのである。
荷物を預けて出国手続きをしてしまうと、後はもうやることがなかった。午後6時30分。免税店もあんまり充実していないし、出発ロビーは何だか薄暗くって陰気な感じである。
出発ゲートの前にあるテーブルと椅子に座って待っていると、慇懃なウェイターがやってきて「ご注文は?」と聞いてくる。コーヒーの値段を聞くとEGP10(=US$1.68)と空港値段だ。「いや、別に何もいりません」というと、じゃぁ、ここに座っていないで上の階に移動してくれ。ここはカフェなのだからと言った。
はぁぁぁぁ?
何でゲートのまん前に座って待てる場所がなくてカフェなわけ?
最後までカオスなエジプトだった。
同じフロアーには座って待てるような椅子はないらしい。仕方がないのでエスカレーターで上の階に行くと、またもや驚き。下の階とは別の国、あるいは別の時代に来たかと思うほど近代的で素敵な空間が広がっていたのだ。
将来的にはこっちが出発フロアーになるべきだろうなぁ。
素敵なドリンクカウンターや免税ショップ(これは相変わらず小規模だ)を冷やかしていたら、ワイヤレスポイントを発見。うわー、エジプト進んでいるじゃーん。
早速PCを開いて試してみた。ワイヤレスポイントといっても、特定のプロバイダーに加入していないとできない場合とか、理由はわからないけどできない場合が多々あった。ここはどうなのか。
すると、何の設定もしなくてもパキーーーーンとインターネットにつながった。すごい、すごい、エジプト偉い。嬉しくなって2、3メールしてみた。
もうそろそろゲートに入れる時間が近づいているので、さっきのカフェも黙認してくれるだろうと思って、下の階でカフェの椅子に座っていたら、再び「ご注文しない場合は上でお待ちください」と追い出された。けちーーー。
まぁ、そんな事をしているうちにゲートも開いたので中に入って、今度はナイロビ行きの人ばかりの空間で待つ。どこの国に行く場合もそうだが、ゲートに入った時から次の国にもう入っている気がする。広い空港では様々な行き先の様々な国の人が入り混じっているのだが、最終ゲートに入ると、行き先の国の人の密度が高くなるせいだ。
今回もそうだ。いや、今回は特に感じる。だってナイロビ、ケニア、アフリカなのだ。
カイロで同じ部屋に寝泊りしていた林君という一人バックパッカー旅行者がいた。
「僕ってあんまり何事にも動じないんですよねー」と本人が言うように、クールでシャラーっと何でもこなしてしまいそうな林君は、カイロからガーナに飛ぶことに決めていた。私が「ガーナって、西アフリカのガーナよね。すごいねー、大変なことないのー、大丈夫?」などと興奮して聞いても、「何とかなるんじゃないですかねー」と涼しい顔で答えていたものだ。その林君が、いよいよ明日ガーナに出発という日になって、「ガーナってやっぱり皆、黒人なんですよね」といきなりつぶやいた。おそらくそうだと思うがと答えると、「何だか、急にドキドキして興奮してきましたよ。いやー、大丈夫かなー、ガーナ。いやきっと大丈夫だとは思うんだけど。それにしても、周り中、みんな黒い肌の人ばっかりなんだろうなぁ」と、今までの冷静さの中にわけのわからん興奮を交えた人になってしまった。
あの林君でさえ、いざビジュアルで想像しただけで興奮を抑えられなくなる。そのアフリカが想像ではなく、まさにビジュアルとして私に迫ってきている。そう思うと、久しぶりに移動に興奮を覚える私たちであった。
午後9時半前にバスで飛行機に向かい、9時34分にタラップを登って登場。飛行機は定刻通りカイロを発った。空港での待ち時間が長かったし、パンやらピザやらお菓子を大量に持ち込んでお腹は空いていなかったのに、夜11時前にしっかりとした夕食が出されると、これが食べてしまえるのだなぁ。
機内は半分くらいしか客がいなかったので、食事を食べ終わった後は、一人3席ずつ確保して完全に眠りの体勢に入った。カイロ時間で午前4時、ナイロビ時間で午前5時に到着。実質4時間眠れるかどうかというところだ。
カイロ時間の朝3時半前にカッと機内の照明が灯され、「皆様、ただいまより当機は到着の態勢に入ります」というアナウンスが入った。おーっとぉ、到着45分くらい前に起こされることを計算に入れていなかった。お陰で睡眠時間は3時間半強。ううう、眠い、眠い。こんな状態で恐怖のナイロビに入っていって大丈夫なのだろうか。
飛行機を降りると雨上がりでムッとする湿度が体を包んだ。ナイロビは高地で沿岸部に比べると涼しいとはいえ、赤道近いこの国に砂漠のあるカイロからやってくると、湿気が体にまとわりつくような気がして、来た来たー、ケニアに来たねー、と体が騒ぎ始めた。
建物の通路を歩いて入国審査のカウンターに向かうと、右手にビザを取得できるカウンターがあった。私たちはケニアのビザは空港で取得することにしていたので、ビザのカウンターに進んだ。機内で渡されていたビザ申請の書類とパスポートを提出すると、英国式の英語を話す黒人の可愛らしい若い女性審査官がニッコリとビザを発給してくれた。一人US$50なり。7日以内の滞在の場合はトランジットビザといってUS$20になる。
因みに、トランジットビザでない場合のビザにはホリデービザという名称がつけられているらしい。後に出会った日本人は短期でケニアを旅してタンザニアに抜けるという予定でケニアに入るので7日以内のビザでよかったのだが、「トランジットかホリデーか」と聞かれて、自分はホリデーで来ていると答えるとUS$50を請求されて、あわててトランジットだと訂正したのだそうだ。ケニア的に考えると、ホリデーが7日以内の滞在で終わるはずないだろう、という解釈になる。日本人にとっては7日以内の滞在でもホリデーはホリデーなのだ。
ビザの取得と共に入国のスタンプも押されるので、ケニア入国の手続きはこれで終了。
後は荷物を受け取って、空港内にあるサファリ旅行代理店のオフィスに行ってサファリの話を聞くのだ。
まず、私のスーツケースが登場。いつもの通り、キャリアーや取っ手の引き出し部分やチャックを点検。異常なし。
で、夫のスーツケースは?もう出てくるなり異常な状態だった。前面のポケットがわっくりと開いたまま出てきたのだった。
やられた。とっさに盗難だと思い込んだ。中を確認するとエジプトで購入したコーヒー3パックがない。賊はチャックを無理やり引っ張って壊して盗ったようだ。
カーッとなって、そこら辺に歩いている空港関係者にエジプト航空の人間はどこに行ったら会えるのかと聞くと、ここで待っていればそのうちに来ると言って去っていった。そのうち客は誰もいなくなり、空港関係者の男も去っていってしまった。どーするのよ、私たち。
仕方がないので、唯一窓口を開けているケニア航空のバゲッジクレームに、お宅の会社の飛行機じゃないのだが、こんな状態でどうしたらいいだろうかと相談した。
すると、この窓口でいいという。このカウンターには各社のバゲッジクレーム用の用紙が用意されていて、係員の兄ちゃんはエジプト航空の用紙を探し出すと複写になった一組をピリッと破って、書類に記載を始めた。そうするうちに、エジプト航空に女性が登場。こんなに時間が経ってから出てくるあたりが、もう責任回避モードだと内心腹立たしく思いながらも、彼女と一緒に被害の状況確認をしてもらった。「盗られたものはありますか?」と言われて「コーヒー」と夫が答えたが、ちょっと待てよと思い直して別の場所を探してみると、そちらに入っていた。
壊れた前面のポケットには、誰も盗みたくないような使いかけの塩やコショウやわりばしなど調味料が唐辛子のかすやらといっしょくたになって入っている。もう一度よく見たら、何も盗られていなかったのだ。では、何のために?
もう一度よくチャックを見てみると、両側から始まって真ん中で合わせてあったチャックの一つのつまみがなくなって、残ったつまみは不自然な形にひねられている。人間の仕業ではない。恐らく、チャックのつまみが機械の何かにひっかかって無理やりはがされたのだろうと想像がついた。
あのカイロのカウンターでキャリアーを下にしていたスーツケース。あの姿を思い出した。規定通りに荷物をコンベアーに置いていたら起こらなかった事故だったろう。
女性は、スーツケースの中身を全部出して、空の状態にしてクレームの書類とともにエジプト航空のオフィスに来てくれと言った。前回、キューバ航空で私のスーツケースが壊れた時と同じだ。
ただし、と女性は付け加えた。「正式なバゲッジクレーム処理は全てエジプトのカイロに送ることになっているので非常に時間がかかります。カイロで我々が契約している保険会社に送って、その上でどういう処理をするのか決定するのです」という。気が遠くなりそうな話だった。カイロに送っている間、中身の荷物をどうしろというのだ。いったいどのくらいの時間が必要になるというのだ。
ため息をつく私たちに、彼女は言った。もしこの話をナイロビで終結したいのなら、こちらが出せる金額は最高でKSH2000(=US$27.07)までです。そういう形でお話を終わらせるのかカイロに送るのかいずれかに了承いただければ、後日オフィスまでお越しくださいというのだった。
なーんだ、そういう手があるのか。今回の破損部分は前面のポケットのチャックだけだから、それだけもらえればこちらで何とか直せるだろう。その方向で考えることにして、後日オフィスに行くことを約束してからバゲッジの場所を離れた。
空港を出てプラネットサファリを探し、サファリの予約を行った。空港でサファリの手配を行った一つの大きな理由は、安全にナイロビ市内に潜入できる最善の方法だと思われたからだった。
プラネットというこのサファリ旅行代理店はドミトリー施設を持っている。サファリツアーを申し込むとナイロビ市内のこの旅行代理店にあるドミトリーに無料で3泊できることになっているのだ。これで今からの行き先が確定する。更に旅行代理店の人にタクシーを依頼すれば、料金をふっかけられることもなく、わけのわからない所に連れていかれる危険もない。カイロにいる時に何人もから話を聞いて、ナイロビ市内に潜入する方法はこれしかないと決めていたのだった。それくらい、ナイロビ空港からナイロビ市内のホテルにたどり着くまでに、強盗やひったくりに出会ったという話が多かった。
サファリの話はバゲッジクレーム処理よりもよっぽども早く済んだ。
ケニアに入国してから、まだ現金を一銭も持っていなかったのでキャッシュディスペンサーで現金を引き出して、ケニアシリングで支払い、交渉成立。
担当者がタクシーまでついてきてくれたので、余計な白タクに声をかけられることもなく車まで到着した。
車は中古だそうだが、新しいトヨタだった。どうみても公共タクシーではなく、旅行代理店が契約している個人タクシーらしかった。後で知る事になるが、ナイロビではこうした個人タクシーが非常に多く目に付く。どこかタクシーで行く場合は、道に停車している個人タクシーはどこまで信用できるかわからないので、必ずプラネットの人に知り合いの車を調達してきてもらった。こうして呼んできてもらった車は全てメーターのない個人タクシーだった。
タクシー代金は同じくらいの時間の乗車でカイロの2倍。サファリの値段といい、タクシーの値段といい、ケニアに入って急に物価が上昇。アフリカというとどうしても「貧しい」というイメージが先行しがちだが、カイロから来た我々は、物価も高いし、ナイロビの町並みは埃っぽいカイロに比べたら、清々として近代的な大都会に見えた。
プラネットに到着して、とにかく部屋に案内してもらいベッドが決まると、今までの疲れと緊張が解けたのとで、どっと睡魔が襲ってきて昼過ぎまで意識不明の状態で寝入ってしまった。
とりあえずケニア入国は盗難も強盗もなく無事に終了。久しぶりに気の引き締まる、興奮の移動だった。
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