夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
目次Today's imagesTravel sketch食の楽しみPeopleAccommo旅行費用
Excursion移動の記録旅先で住むとしたら更新履歴日誌問合せAbout usENGLISH

(ルートマップ)
北米
アメリカ合衆国
メキシコ
中米
ベリーズ
グアテマラ
コスタリカ
南米
ペルー
ボリビア
アルゼンチン
チリ
ブラジル
ヨーロッパ
スペイン
フランス
イギリス
オーストリア
ハンガリー
ブルガリア
中東
トルコ
シリア
ヨルダン
北・東アフリカ
エジプト
ケニア
インド洋
モーリシャス
北・東アフリカ
マダガスカル
タンザニア
ウガンダ
南アフリカ
マラウィ
モザンビーク
スワジランド
南アフリカ
レソト
ナミビア
ボツワナ
ザンビア
アジア
インド
ネパール
オセアニア
オーストラリア
ニュージーランド
ワタム(Watamu)→(マリンディMalindi)→モンバサ(Mombasa)
2007.02.22、24
ケニア国内移動

移動内容
2/22
10:00-10:40
ワタムからマリンティまでマタツで移動。
マタツ運賃 KSH50(=US$0.72)/人 by 現金
2/22-24 マリンディで2泊(見所を探ったが特になかった)
2/24
10:00-11:00
バスのオフィスで11時に2席を口頭で予約。出発までお茶をして過ごす。
11:30-13:50 マリンディからモンバサまでバスで移動。
バス運賃 KSH200(=US$2.88)/人 by 現金
14:00-14:06 モンバサのバスオフィスから目的の宿までトゥクトゥクで移動。
トゥクトゥク運賃 KSH50(=US$0.72) by 現金
※2007.02.19現在、US$1= KSH69.45で計算。KSHはケニア・シリング。

 ワタムからモンバサまで一気に移動しても良かったのだが、マリンディの美しいビーチを見逃しているのはないかという気がして、宿泊して探ることにしたのだった。

 ワタムのメインロードにあるスーパーマーケットの前がマタツ乗り場だ。待っていると「マリンディ、マリンディ」と叫びながら客を集めている車があるので、それに乗れば良い。朝の時間帯は頻繁にマタツが来るので、あまりに混んでいたら次のマタツを待てばよい。

 運賃をマタツの人に尋ねる事は、「運賃を知らない」ことを露呈することになってしまうから、運賃について尋ねてはいけない。「知っている」という態度を見せることが大切だ。降り際に決まった料金を支払えば文句は言われないのだ。

 マリンディまでの道は、相変わらず舗装道路に大きな穴がぼこぼこ開いた整備の悪い道ではあるが、マタツの運転手は片道一車線の道路を全部利用して、うまく穴をよけながら走ったので車がガタガタすることはなかった。

 個人タクシーのようなマタツでは車は大切な商売道具だ。穴にはまって車が傷つかないように走っているってわけで、客の乗り心地はそのおこぼれに預かっているだけなのだ。

 マタツでは助手席に座ることになった。ゲデGedeの村を通り過ぎる時に、先日ここを訪れてゴマ(太鼓や笛や歌、踊りの伝統芸能)の素晴らしい演奏を聴いたと運転手に言うと、運転手も同じギリヤマ族の出身でムゼー・ランドゥ氏も知っているという。「でもさ、俺ってギリヤマに見えないでしょ?」と聞かれて返答に困った。私はギリヤマ族もルオ族も区別がつかないからだ。でも「どうして?」と聞くと「ここ数年ナイロビで働いていたからね」と言う。つまり、ナイロビという大都会で働いて垢抜けたってことが言いたいらしい。あははは、どこの国も同じようなことがある。日本もケニアも一緒だなぁと思うとおかしくなった。

 ゴマの話をしてから運転手君は急に親しみが沸いたようで、通り過ぎる道々、「今左手に見える村でもゴマがある、その違いは・・・」などと楽しそうに話してくれた。俵さん効果がここまで余波を広げるとは驚きだ。それだけゴマというのは、この地域の人の生活に密着し、楽しみであり、誇りでもある伝統文化なのだなぁと感じさせられたのだった。

 40分の移動は楽勝だ。運転手に楽しい話のお礼を言って別れを告げると、かって知ったるマリンディの街を歩き始めた。今回は別の場所に宿を取って、観光案内所にまで足を伸ばし、「地球の歩き方」に掲載されているゴールデンサンズというビーチにどうやって行くのかを聞いたが知らないと言われた。ではマリンディ海洋公園は今の時期は濁っていないのかと聞くと、美しいビーチを望むならワタムがお勧めだと言われた。

 丁度、出入りしていた観光業者が「ゴールデンサンズを知っている」ということで、結局彼のオフィスで話を聞くことになったが、見せられたビーチの写真は曇っているし、4WDでしか行けないというその場所のツアーは1人35ユーロとかふざけた高値だったので、即刻却下。

 こんなことなら、ワタムをもう1日伸ばすべきだったと思いながらも2泊して、さっさとマリンディを後にすることにした。


Tawakalの事務所に掲げられたバスの絵がなかなか可愛い。
その下のキャッチコピー"WE FLY OTHERES RUN"ってのは
どうかと思う。飛ぶってほどは速くないぞ。
 ラムから帰ってきたのと同じバス会社Tawakalの事務所に行って見ると、モンバサ行きのバスはラムからやってくる。ここで何人降りるかは不確定なので事前にチケットは売れないといわれた。その代わり、出発当日の10時に来てくれれば手配しようと。

 ということで、出発の24日の朝10時にバスのオフィスに行った。バスは11時の出発だ。「チケットを」というと「2席は絶対に確保しておく、大丈夫だから11時に戻ってきてくれ」と言われた。まぁ、こんな所で東洋人の自由旅行者なんてあまりいないし、大丈夫だろうと1時間ばかりカフェでお茶でもしようとオフィスを出た。

 カフェに向かおうとすると、通りの向こうから「おおい!」と声をかけてくる日本人男性。あ、あれは白河さんではないか。ナイロビのプラネット・サファリで出会った白河さんとばったり再会。一緒にお茶でもしましょうと1時間ばかりおしゃべりを楽しんだ。マリンディの宿泊も無駄じゃなかったと最後に思えた出来事だった。

 さて11時にバスのオフィスに戻ると丁度バスが到着した所だった。あのラムからの悪路を乗り越えて来た人々は、へとへとになった顔でバスを降りて休憩している。わかる、わかる、その気持ち。

 定刻通りに11時半にバスは出発した。道は相変わらず舗装道路に穴が開いている。ケニア中、どこにいってもこんな感じなのだ。

 マタツはバスから比べると小型の車なので穴をよけながら走ったが、このバスはタイヤがトラック並みに丈夫なので敢えてよけない。ってわけで、私たちは時々ガクンと揺られる中、コンピュータへの衝撃を心配しつつモンバサへと向かった。

 モンバサに近づくに従っていくつかの橋を通るようになる。海は割合に美しい色合いを出していて、汚染されつつあるラムや川の水で茶色いマリンディよりは期待できそうな感じに見えた。

 ところで、こうした橋のたもとを見ていると必ずといっていいくらい日本とケニアの国旗が入った看板があった。つまりこれらの橋は日本のODAで作られているようなのだった。マサイ・マラへのサファリに行った時もJAICAの作った発電所があると聞いたし、ケニアには随分日本のお金が流れ込んでいるというイメージを持った。そういえば北海道の国会議員、鈴木宗男氏の秘書が黒人なのをテレビで見てびっくりしたことがある。あの映像がこの風景に結びついてくるわけだ。

 もう一つ特徴的なのは、どこまでも続くパイナップルのプランテーション。バスの通る道端からずーっと目の先の丘の上まで、ひたすらパイナップルが植えられている。まっすぐに畝が整えられた畑は、いつまでも続くかのように思われた。

 こうして14時近くにモンバサに到着。モンバサはナイロビについで大きな都市で、犯罪もナイロビについて第二位というありがたくない名誉もある。ここ2週間は田舎でのんびり過ごしていたが、この街では再び気を引き締めないといけないようだ。

 バスは犯罪が多くて危険だと言われる地帯から500m離れた場所に停車。ここから宿までは2km弱なのだが、誤って危険地帯に入ってしまったら問題だ。というわけで、乗り物に乗って宿まで移動することにした。ワタムで仕入れた情報によると、モンバサでトゥトゥクと呼ばれる三輪車タクシーに乗ると市内での運賃はKSH50(=US$0.72)だそうだ。

 バスを降りるなり、タクシー運転手が寄ってきて「どこに行きたいんだ」とうるさく聞いてくる。ここから1.5kmの宿に行くんだというとKSH200で行くと言ってきた。いやいやトゥトゥクで行くからといっても「あれも同じ値段だから」と引き下がらない。無視してトゥクトゥクを停めようと手を上げると「KSH100でどうだ」と半額にしてきた。停車したトゥクトゥクに地図を見せて、「ここまでKSH50で行ってくれるか」と聞くとオーケーだという。悔しそうなタクシー運転手を残して私たちは去った。この時にすんなりと50で承諾したのは、この運転手さんが真面目な人ということと、この後ろに立っていたタクシー運転手に客をとられたくないという気持ちが働いたためらしい。その後にトゥクトゥクを使おうとすると、KSH100だのと言ってくる運転手も結構いた。

 距離も近いし、地図もあるので、迷わずに無事に到着。さて危険なモンバサで私たちは楽しめるのだろうか?


 
このサイトを友人に知らせる
目次About Us免責事項著作権とリンク
(c)2005-2006 海外生活実践研究会 All rights reserved