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モンバサ(Mombasa)→ナイロビ(Nairobi)
2007.02.28 |
ケニア国内移動 |
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移動内容 |
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09:00-09:13 |
宿からバス会社Scandinaviaまでマタツで移動。
マタツ運賃 KSH50(=US$0.71)/人 by 現金 |
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10:30-18:50 |
モンバサからナイロビまでバスで移動。
バス運賃 KSH900(=US$12.80)/人 by 現金 |
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※2007.02.26現在、US$1= KSH70.3で計算。KSHはケニア・シリング。 |
モンバサに到着したのが24日の土曜日だった。ナイロビに帰る日は28日と決めていた。バスの時間帯によっては27日の夜行にするか、あるいは28日の朝便にするかを決めなくてはいけない。頼りにしていた観光案内所が土曜日の午後はやっていないために、自力でバス会社を探し歩かなければならなくなった。
バス会社で使いたいと思ったのは、Coast Line Safariという会社だった。この会社のコースト・エアーという一番高いクラスは、ナイロビ到着後に好きな所でバスを降ろしてくれるサービスを行っているとガイドブックにあり、これなら日が落ちてからナイロビに到着しても危険度が低い。ナイロビはどのバス会社も事務所が危険なダウンタウンにあるため、できればホテルまで送り届けてくれるサービスのあるバス会社にしたかったのだ。
ところが、モンバサのバス会社の事務所が集まっているのも危険地帯と言われている旧ブエンベ・タヤリ・マーケットの近く。ケニア第一の犯罪都市ナイロビと第二の犯罪都市モンバサは、両方ともバス事務所が危険地帯にあるというのは本当に問題がある。金持ち旅行者しか来るなと言っているとしか思えないなぁ。とにかくCoast
Line Safariを探してできれば今日中にチケットを手配してしまいたかった。
地図を見ながら近くまで来た時に、四つ角の一つで集団でお茶を飲んでいたおじさんたちのうちの長老のような人が急に立ち上がってこちらに近づいてきた。おじさんは、この辺りは非常に危険なので君たちの行きたい所まで案内してあげようと言う。味方なのか、敵なのか?とりあえずCoast
Line Safariに行きたいというと付いて来いと先を歩き始めた。途中から地図とは違う方にいっている。しまった、敵だったのか。
私たちは無言でおじさんの後ろを離れ、地図を頼りに探したのだがどうやら地図の場所にはもう事務所はないらしかった。おじさんが遠くから追いかけてくる。ひっ、やばい!
おじさんは「ここは本当に危ないから、勝手に歩いたら駄目だ。Coast Line
Safariのオフィスはこっちにあるから来なさい。私は案内しても君たちからお金を取ろうなんて思っていないから、安心しなさい」と怒ったような口調で言った。その様子から、どうやら本当に心配してくれているらしいことがわかりついていくと、バス会社の事務所は移転していてKwa
Shibu RdとHaile Selassie Rdの間にあった。そこは丁度サークル(ケニアではラウンドアバウトと呼んでいる)になっている場所で、より危険地帯に近い所だった。おじさんにお詫びとお礼を言って、バスの事務所に入って行った。それにしても、地元の人がボランティアでエスコートしてくれるって、一体どんな危ない所なんだろう。オソロシや、オソロシや。
コースト・エアーも含めた各種類のナイロビ行きのバスの料金とサービス内容が書かれたポスターが張ってあるのだが、そこに「コースト・エアーのサービスはただいま行っておりません」と書かれてあるではないか。だめだ。だって、ナイロビのCoast
Line Safariのオフィスはダウンタウンの奥深くにあるのだから、そんな所に夕方到着したら飢えたライオンの檻に入っていくようなもんだと思った。じゃぁ、来る時に乗って来たスカンジナビアしか選択肢がない。
ということで、そのラウンドアバウトから左に15分程歩いたスカンジナビアの事務所を訪ねた。日差しはきついし、日中ここを歩くのはかなりくたびれた。しかも看板がややわかりにくい。何度も人に聞いたが、もっと先、もっと先と言われ、やっとたどり着いたのだった。
その道すがらAkambaという会社のもあったが、この会社のオフィスもダウンタウンの割と奥にあるからパス。スカンジナビアのバスは夜便、朝の10時、午後便の3本。ナイロビまで8時間かかるらしく日のある時間に到着するのは朝10時の1本だけになるので、必然的にこの便に乗ることになった。丁度現金もあったのでその場で購入。こうして事前にチケットを入手しておいた。
出発の28日は朝9時に宿を出て、マタツに乗ってスカンジナビアの事務所に行くと、歩くとあんなに遠いと思われた事務所にあっという間に到着してしまい、あとは待合室でテレビを見ながらダラーっと待っていた。
そうそう、ここの待合室には面白い写真が張ってあった。
2006年12月24日という日付が入ったポラロイドの写真で事務所にいた人に聞いたら、モンバサからタンザニアのアルーシャに向かう途中だそうだ。12月と言えば東アフリカは小雨季の時期だ。ひえー、これはスゴイ。
写真の余白には、
「THE HARD WAY THE ONLY WAY. DON'T WORRY, PROFFESSIONAL DRIVER IN CONTROL」
厳しいけど、この道しかないのだ。
しかし心配ない。プロフェッショナルな運転手がうまくやってくれるから。
この写真とこのキャプションを待合室に張っているというブラックな精神がいい。スカンジナビアはある意味なかなか洒落たバス会社なのだった。ま、とにかく小雨季(12月、1月)と大雨季(3月〜5月)に東アフリカをまわっちゃいかんと心に命じたことは確かだ。
待合室は表通りに面したガラス張りの部屋になっているのだが、その窓と入り口一面に金網格子が張り巡らされているのもちょっと不気味だった。やはり夜は物騒なのだろうか。昼間の出発にしておいてよかった。
10時発予定だと聞いていたバスが到着したのは10時20分だった。中には既に人がかなり乗っていて、どうやらマリンディが始発のバスらしい。
30分遅れの10時半に出発。これで順当にいってもナイロビ到着は18時30分。日没ぎりぎりだ。
バスには一応スクリーンなんかあったりして、お、近代的。走り始めてしばらくしてから、運転助手君が映画をセットしてくれた。ハリソンフォードが大統領を演じるエアフォース・ワンだ。
ところが、モンバサを出て1時間もしないうちに道路修復作業のため迂回の未舗装道路を通ることになった。来る時は暗くてよく事情がわからなかった明け方の超バイブレーションはこの場所だったのだ。バス全部の窓がバリバリバリバリと振動で騒音を立て、映像は横線が入り、音声は全く聞こえない。しまいには振動でビデオが停止してしまった。
しばらくして助手君が映像を調節するとビデオは再開するのだが、調子が悪くなってしまったようですぐに止まる。何度か繰り返していたが、とうとうエアフォース・ワンの上映は中止されてしまった。バス内で映画のサービスためには舗装道路がちゃんとしてなきゃいけないって条件があったなんて、今まで気が付かなかった。やれやれ。
やがてバスはツァボ国立公園の中をつっきって走る。ここの中の道路ががたがたしているのかと思っていたが、実はそうではなくここの道はちゃんとした舗装道路だった。右手にツァボ・イースト国立公園を見ながら走っていた13時21分、一回目の停車はボイVoiという街だった。国立公園へのゲートもあるこの街は多くのバスが停車する賑やかな所で、ゲストハウスやレストランという文字も見られた。
ここから先右手は国立公園なので何か動物が見えないかと目を凝らしていたが、あいにくの曇り空でもあるし、野生の動物は幹線道路には近づかないだろうから、残念ながらなにも見ることはできなかった。
午後2時40分、来る時にも立ち寄ったドライブインに到着。ここには売店と簡単な食事を出すカウンターとトイレ、近代的なコンビニ併設のガソリンスタンドがある。
お昼が小さなパン1つだったのでお腹が空いた。夫はシチューを、私はポテトチップスを食べようと思ったのだが、チップスの小袋がシチューよりも高いのを見て買う気をなくし、夫のシチューをわけてもらった。このシチュー、栄養満点の食生活をしている私たちにはあまり影響はなかったのだが、同じバスに乗っていた白人青年の旅行者はお腹をやられてしまったらしかった。この後、数回バスを停めて藪の中に消えて行き、ナイロビ郊外まで到達した時にはここから市バスで帰れると思ったのか、とうとうバスを降りて出て行ってしまった。シチュー、おいしかったんだけどなぁ。私たちは大丈夫だった。
ここから先はあまり景色も変わることなく、面白いできごとも起こらなかった。一つ、生きた鶏をバスの上に満載したバスはちょっとくすぐられたけどね。
因みにグアテマラではもっと小型のローカルバスが同じように鶏でも何でも屋根に乗っけて走る。通称チキンバスと言われているのはそのためだ。ケニアもチキンバスと呼んでいるのだろうか。
そろそろ都会の風景に入って来たのが18時。日没は19時過ぎだ。間に合うのだろうか。夕方のナイロビは非常に道が混雑している。ナイロビの国際空港から市内に入る時に通った道路まで到達して、あともう一息という所で渋滞だ。あたりはどんどん夕方の風景になってきた。
バスの運転手さんの隣に座っている助手さんの所まで行って、自分は旅行者なので絶対にダウンタウンでバスを降りたくない。その手前のモイ・アベニュー近くに来たら、できればヒルトンホテルの近くで降ろしてほしいのだがと相談した。バスはその日の交通状況によって運転手さんの采配で空いている道を探して走るので必ずしもヒルトンの前を通るとは限らないが、できるだけ協力しようと言ってくれた。ケニアってのは本当に話が通じる。エジプトから来た私は素直にそういう感想を持った。エジプトじゃぁ、規定以外のことを相談しても駄目だとすぐに言われることが多かったが、ケニアではちゃんと話をすれば旅行代理店でも、宿でも、バスでも、みんなそれなりに対応してくれようとする。この柔軟性がある意味文明度の高さをも表している。
バスはやっぱり通常とは違う道を通るようだった。ナイロビ市内はかなりうろうろと歩いていたので、土地勘があり地図を見ながらだいたいどこを走っているのか把握することができた。宿から近いスーパーマーケット、ナクマットの目の前を通り過ぎることがわかったので、スーパーの前で降ろしてもらうようにお願いして、そこでバスを降りた。18時50分、日没まであとわずかの所で、ダウンタウン手前で脱出成功。ついでにスーパーでビールとインスタントラーメンを買って無事に宿に戻ることができたのだった。
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