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アンタナナリヴ(Antananarivo)→アンツィラベ(Antsirabe)
2007.04.23 |
マダガスカル国内移動 |
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移動内容 |
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08:50-09:08 |
アンタナナリヴの宿から南方面のタクシー・ブルースステーションまでタクシーで移動。
タクシー運賃 Ar4000(=US$2.09) by 現金 |
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09:34-13:00 |
アンタナナリヴからアンツィラベのタクシー・ブルースステーションまでタクシー・ブルースで移動。
タクシー・ブルース運賃 Ar7000(=US$3.65)/人 by 現金 |
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13:10-13:30 |
タクシー・ブルースステーションから宿までタクシー・ベで移動。
タクシー・ベ運賃 Ar1500(=US$0.78)/人 by 現金 |
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※2007.04.23現在、US$1= Ar1918で計算。Arはマダガスカル・アリアリ。。 |
アンタナナリヴから他所の場所に移動しようとする場合、飛行機に乗るかタクシー・ブルースに乗るかということになる。タクシー・ブルースというのはトヨタハイエースのような車を使ったノンストップのバスである。同じ目的地まで見知らぬ同士が乗りあっていく、乗り合いタクシーという言い方もできる。マダガスカルではタクシー・ブルースと呼ばれるが、ケニアではマタツ、タンザニアではダラダラと呼ばれるものと一緒だ。
ガイドブックを呼んでいて「タクシーでブルースって・・・」と笑っていたのはいつの日のことだったろうか。今日いよいよブルースなタクシーでの長距離移動を行うことになってしまった。
先日、アンタナナリヴ郊外にあるレミューズ・パークというキツネザルの保護区に行くときに使ったタクシー・ブルースは前から後ろまで7列という強烈な詰具合だった。あの時は1時間足らずの移動だったから耐えられたが、今日は3時間以上の移動である。もしあれと同じだったら、そこから先の6時間、8時間の移動についてはちょっと考えなければならない。そんな今後の予定変更をも頭の片隅に置きながらのタクシー・ブルースなのであった。
アンタナナリヴのタクシー・ブルースステーションは行き先によっていくつもあり、どれもが中心地から離れている場所にあるために、まずステーションまで乗り物で行かなければならない。一番安い方法はタクシー・ベという近距離乗り合いバス(車種はタクシー・ブルースと一緒だ)を使う方法。しかし、タクシー・ベの乗り場所も行き先によって異なるし、どのタクシー・ベに乗ればいいのかも複雑らしかったので、私たちは普通のいわゆるタクシーでさくっと行ってしまうことにした。
朝のアヌシー湖。湖面が鏡面になって空を映し出して美しかった。 |
アヌシー湖まで徒歩で行き、そこでタクシーをつかまえる。最初の言い値はAr5000だったがAr4000に値切るとすぐに応じたので乗り込んだ。タクシー・ブルースステーションまでは18分。途中で渋滞もなかったことを考えるとかなり遠い。
昨夜の雨で舗装されていないステーションの地面はどろどろ。そこにハイエースと同じ車種の車がずらりと並んでいて、バスに乗る人、チケットを販売する人、物を売る人でごった返している。そこに我々のタクシーが入っていくと、窓という窓からタクシー・ブルースの客引きが手や顔を突っ込んできて、「アンツィラベか」「アンツィラベか」と聞いてきた。シリア、ヨルダン、エジプト、ケニア。これらの国でも同じ形式のミニバスがある。人が集まったら出発するので、各車の客引きは新しい人がステーションに入ってくると、猛烈な客引き合戦になるのだ。
私は、ステーションの出入り口の一番近くに停車している車の中をチラッと見て、既に数人が座っているのを確認。その車の客引きの顔を覚えた。少しでも客が乗っていて、入り口近くの車が早く出発するだろうと思ったのだ。タクシーはステーションの少し奥まで入って我々を降ろした。その途端にワッと客引きに囲まれたが、さっき覚えていた男の顔があったので、その男を指差して「こいつについていく」というと、驚いたことに他の客引きは口を閉じて黙ってついてきた。エジプトなんかじゃぁ、こう言ったって「いやいや、俺のほうが安くするから」などと強引に袖を引っ張ったりするものなのに、ここは大人しい。
出入り口近くの車に到着すると、私が目を付けていた男ではなく私の隣にピッタリついて歩いていたジージャンの男が「この車に乗れ」と支持してきた。値段はと聞くと、「二人でナンチャラカンチャラ」とか言っている。
地元の言葉はマラガシー、公用語はフランス語。いずれにしてもわからないので、男に手のひらを差し出し「ほい、ここに書いてみ!」と言った。すると、男はちょっとひるんだが「2、35000」とボールペンで書いた。二人でAr35000ってか?少し前のガイドブックでAr4500-5000くらいだと書かれてあったので、値上がりしたとしても何で一人Ar17500?そんなこたぁないでしょう。
「うっそぉー!高すぎるじゃーん、エクスペンシブ、エクスペンシブゥ」と言って全く取り合わない雰囲気を出していたら、別の男が「一人Ar7000だ」と言ってきて、クッキー売りのおばちゃんも「そうよ7000よ」と加勢。すると、Ar7000と書いたチケットを持った兄さんが登場して、「一人Ar7000だから」とチケットを見せながら言ってきたので、まぁそんな金額だろうと手を打つことにした。で、ジージャンの男に手のひらを突きつけて「ケスクセ?(フランス語で、こりゃぁなんでしょうかねぇ?と言ったつもり)」と言うと、あはははと苦笑い。ボッタクリ屋はあっさりと敗北を認めた。後は男同士なら話がわかってもらえるだろうと、夫にすがりついて、人差し指を目じりにあてて「俺は生活が苦しいんだ」と言っているのかハラハラと泣く真似をしていたという。なかなか面白いやっちゃ。
今日のタクシー・ブルースは運転席から最後部座席まで5列。2列目ゆったり、3列目ややゆったり、4、5列目やや窮屈という差がある。私たちは3列目ややゆったり。私たちが乗り込もうとしたら3列目に座っていた人が4列目に追いやられていた。もしかしたら4、5列目は少し安いのかもしれない。
ブルースに乗り込んでから人が集まって出発するまでの15分間、色々な物売りがやってきた。パン、クッキー、マーブルチョコ、サングラス、レモン。
果ては髪留めやブラシやかみそりなどを一式胸の前にぶら下げた歩くマツモトキヨシみたいのまできちゃって、ブルースの中にいながらにして市場見学をしているようだった。
9時34分出発。そうそう、先日のタクシー・ブルースは横5人掛けだったが今日は3人というのも天国のように楽だ。しかも隣はとても小柄な修道女の若い女性。他の人に比べると大柄になってしまう私と夫が座っても、そんなに窮屈な感じはしなかった。
アンタナナリヴを出てからは、道は上がったり下がったりしながら常に緩やかなカーブを描いて進んでいく。
平地というものがなくて、常に小さな丘が続いて、その峰に作られた道を走っている。
そうしながらも高い所まで上がってきてパッと視界の開ける場所があった。緩やかに起伏しながら緑に覆われた大地は、パサッと地球上に置かれた厚手の絨毯のように見える。今までありそうでない風景だ。
しばらく行くと、山間に流れる川沿いに水田なども見えてくる。平地が少ないので棚田になっているのがアジアのようだ。
土地が狭いということと、機械を買うよりも人件費のほうが安いという理由からだろう。水田で働く人の姿を多く見かけた。今は収穫時期でもあるらしい。
山間部ではラジオが入らないので、運転手さんが好みのミュージック・テープをかけているのだが、マダガスカルのフォークロアーミュージックが、これまたのんびりとした和音の合唱曲が多い。車内では、眠り込んでしまっている客が多いのか、話し声一つしない。
隣ではシスターが本を読んで勉強している。栞はイエス・キリストが描かれていた。こういう人々を乗せて、車は豊かに実った稲穂、収穫する人々の風景の中をひた走りに走っていた。
村には電気がきていないのか、周囲には電線がなく、自然が満ち溢れている。
音楽、車内ののんびりとした雰囲気、目に写る自然。南米のパタゴニアや、イグアスの滝、はたまたヒマラヤ山脈の見えるトレッキングコースみたいに何か特別な見所があるわけではないんだけど、この空間に身を置いているだけで豊かな気分に満ち溢れてくる。水田がたくさんあって、収穫時期で、人々が水田端で休憩しておしゃべりしたり、何かをもぐもぐ食べているのを見ると、人間のベーシックな幸せが満たされている国だという感じがして、こっちも温かい気持ちに包まれるんだろうなぁ。こういう感覚を「癒されている」というのかもしれない。いや、別に癒すべき傷とかはないんですけどね。
道路はケニアに比べるととてもいい。ケニアの道路は舗装してあってもぼっこぼこにアスファルトに穴が開いている、未舗装の場合は雨季でできた轍が乾季に硬い溝となってバスをバイブレーションの嵐にさせる。マダガスカルの今日の道はアンツィラベの近くになるまでは、全くといっていい程アスファルトに穴を見かけなかった。アンツィラベ近くになると、多少ケニアで見たような穴を見るようになった。この後、南に下るに従って、この穴の数が多くならないことを祈りながら、更にアンツィラベに向かう。
もうそろそろ到着するかと思われてから、更に5つ、6つの小さな村を通過してからやっとアンツィラベに到着した。3時間半の旅だった。これくらいなら耐えられる。
ステーションに入るかなり手前から、今度はプスプスの客引きがタクシー・ブルースの窓から手や顔を突っ込んで、ブルースの運転手に危ないからやめろと叱られていた。プスプスというのは、何と人力車だ。
日本ではもう昔の情緒を味わうためのエンターテーメントとして浅草か京都くらいでしか機能していない人力車だが、ここでは立派な交通手段としてまかり通っている。客引きに来たのも、私たち外国人のみならずローカルの人も目当てなのだった。
ガイドブックにはこのステーションから中心地までの距離が書かれていなかった。ステーションは地図外で中心地までどのくらいかかるか全くわからない。もしかしたら歩いて行けるんじゃないの?
ステーションから大勢の人が歩いて移動し始めたので、私たちも歩いて移動を始めた。5、6人ついてきていたプスプスの走り手は1人かけ2人かけするうちに、とうとう誰もいなくなった。最後までついてきていたのは、多少は英語がしゃべれるフリーのツアーガイド。乗り物業とは直接関係のない彼が中心地までは遠いというので、それを信じて、大通りでみかけたバスに乗り込むことにした。フリーのツアーガイドはバス代金は一人Ar3000だからと言っていたが、バスの中のまだ子供と言ってもいいくらいの車掌に聞くとAr1500。フリーのツアーガイドは後でリベートでももらうつもりだったのだろうか。
今思えば、Ar1500だってかなり高い金額を払ってしまったとは思うが、US$1にも満たない金額なので、まぁいいやと乗り込んだ。うざいフリーのツアーガイドを振り払いたかったということもある。
このバスは、おそらく西部行きのタクシー・ブルース乗り場まで一旦行き、そこで数分客待ちしてから中心地に入ってきたようだった。言葉はあまり通じないものの、ちゃんと私が告げた場所で降ろしてくれた。まぁ、通常よりも多く料金をもらっているから言葉が通じなくても一生懸命サービスしようとしている辺りは、情状酌量に値するかもね。
こうして無事に宿に到着。4部屋しかないという宿で空き部屋があるか心配だったが、何と4部屋とも空。大丈夫か、この宿。
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