夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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ラヌヒラ(Ranohira)→イファティ(Ifaty)
2007.05.07
マダガスカル国内移動

移動内容
05:14-09:26 ラヌヒラからトゥリアルまでタクシー・ブルースで移動
タクシー・ブルース運賃 Ar20000(=US$10.55)/人 by 現金
※本当はAr14000(=US$7.39)らしい。ホテルの警備員に手数料とられた。
09:26-10:33 ラヌヒラからのタクシー・ブルース・ステーションからトゥリアル中心地までプスプスで移動し、銀行で金を引き出す。そこから再びプスプスでイファティ行きのタクシー・ブルース・ステーションに移動。
プスプス運賃 Ar1000(=US$0.53)/回 by 現金
12:22-13:52 トゥリアルからイファティまでタクシー・ブルースで移動
タクシー・ブルース運賃 Ar5000(=US$2.64)/人 by 現金
05:14-09:26 ラヌヒラからトゥリアルまでタクシー・ブルースで移動
運賃 Ar20000(=US$10.55)/人 by 現金
※本当はAr14000(=US$7.39)らしい。ホテルの警備員に手数料とられた。
※2007.05.07現在、US$1= Ar1896で計算。Arはマダガスカル・アリアリ。。

 ラヌヒラは国道7号線からはずれた場所にある。ガイドブックによると、ラヌヒラから西方面のトゥリアルに行こうと思ったら、国道7号線まで出て通過するタクシー・ブルースをつかまえるか、タクシーでイラカカまで行ってイラカカからトゥリアル行きに乗るしかないと書かれてあった。

 宿のスタッフに相談すると、朝5時頃に宿の目の前をトゥリアル行きのタクシー・ブルースが通過するので、空き席があればそれに乗って直接行くことができるという方法があることを話してくれた。または、宿の目の前からイラカカ行きのタクシー・ブルースが出るので、それでイラカカまで行って、イラカカからトゥリアル行きのタクシー・ブルースに乗る方法もあるということだった。

 私たちは、できればトゥリアルを通過して今日中にイファティまで到達してしまいたいと思っていたので、朝5時のタクシー・ブルースにチャンスがあれば乗りたいと思った。

 そこで、相談を持ちかけたスタッフは夜勤の警備の人間に言って、7日の朝のタクシー・ブルースを停めるようにしてあげようと申し出てくれた。宿の気の効いた提案を嬉しく思い、7日の朝5時前に起床し、起きるなり用意してあった荷物を持って宿を出たのだった。

 朝4時55分。もちろん夜明け前で真っ暗である。

 警備の男2人は話を聞いていたようで、「さぁさぁここで待っていて」と私たちを宿の外の門の前に立たせた。

 5時なると1台目のタクシー・ブルースが通りがかったが満席。反対方向に向かう大型トラックも通る。そして2台目がやってきて、警備の男が再び停めて聞くと2席の空き席があるということで、早速乗り込むことになった。

 警備の男は「運賃は一人Ar20000だから俺に渡せ」と言ってきた。昨日聞いた話ではAr14000だったのに、何で急にそんなに値上げしたんだ?どう見てもこの状況は、この警備の男が中間搾取しようとしているに違いなかった。「Ar14000でしょ」と言ってもAr20000だと譲らない。二人でUS$6ばかりの警備への手数料を支払わないと、このままタクシー・ブルースは行ってしまうに違いなかった。この警備に手数料を支払わない方法で行くとなると、朝7時頃のイラカカ行きのタクシー・ブルースに乗って、イラカカでトゥリアル行きに乗換えだ。

 時間を考えると手数料を支払っても乗り込んだ方が良さそうだと判断し、合計Ar40000を警備員に支払って車に乗り込んだ。ったく、いちいち引っかかる国だ。それにしても、またも思い出すのがKOFIFIだ。奴はラヌヒラで私たちを拾ってトゥリアルに行く運賃を一人Ar23000だと言ってきていた。今日、警備員に手数料を支払ったよりもまだ高い金額じゃないか。わざわざフィアナランツァまで行ってキャンセルして金を取り返して本当に良かった。あいつめー。

 1席は助手席。助手席には助手が一人乗っているので運転手と3人並びで座ることになる。2列目は大柄の白人が1人しか乗っていなかったが、奴は3席を買い占めているようで、ここは俺の席だからと譲らない。2席目は後ろから2列目の窓際だった。私が助手席、夫が後部座席に納まり、午前5時14分、トゥリアルに向けて出発したのだった。

 30分後に停車。イラカカに到着したらしい。ようやく明けかかった空の下で、乗ってきた車を見るとBesadyと書かれている。とういことは、これもフィアナランツァから来たのだろうか。

 フィアナランツァからラヌヒラまでは5時間くらいのはずだから、フィアナランツァを午前0時に出発してきたことになる。タクシー・ブルースの運行スケジュールっていったいどうなっているんだろうか。

 イラカカは97年にサファイアが発見されてから宝石ラッシュに沸いており、アジアから買い付け業者が殺到して数年で人口数万人の大都市へと変貌したとガイドブックに書かれてあるが、この辺りの家屋を見る限り、人数だけ増えても町のインフラは伴っていないんじゃないかという印象だ。

 ここで15分程停車してから再出発だ。

 国道7号線はすばらしく真っ直ぐでいい道だった。先ほど停車した所から一旦何もないサバンナの中を走るのだが、20分も走るとカジノやバーという表示のされたプレハブの殺風景な建物の並ぶ繁華街のような集落を通った。酔いどれも寝てしまったらしく、明け方の繁華街は暗く静まり返って周囲との調和を壊してはいなかった。

 やがて、車の両側の空が茜色に染まり、気づくとバックミラーには狂おしいばかりの太陽が映し出されていた。

 夜明けだ。

 前方の道は、にわかに太陽に照らされてオレンジ色に輝きだした。タクシー・ブルースで夜明けを迎えるなんて思ってもみなかったが、こういうこともあるんだなぁ。

 助手席はリクライニングが倒されているので、景色を撮影するには前傾姿勢にならなければならず、ともするとリクライニングシートに倒れこんで眠ってしまったりしたもしたが、寝たり起きたりしながら夜明けの景色を楽しむことができたのだった。



 午前8時12分、途中の村に停車。

 早速、フライドチキン売りの少女が売り込みにやってくる。モーニング・フライド・チキンはさすがに誰も食指がわかないようだった。

 先の方では見たことのない根菜を山積みにして売っている人がいる。一体あれはなんだろうか。

 中央高地を抜けて西海岸に向けて、また一つ別の文化圏にやってきたという感じが高まる。よりアフリカ大陸に近くなっている、そんな匂いがするのだった。

 一つの国で地域によってこんなにも印象の違う国も珍しいのではないだろうか。これがマダガスカルの特徴だとも言える。

 道はある時はまっすぐに、ある時はカーブを描きながらも、ゆっくりゆっくりと高度を下げて、決して上がることがない。

 そして、9時4分にとうとうモザンビーク海峡が道の向こうにその水平線を現してきたのだった。トゥリアルまではもう一息だ。

 そして9時26分、トゥリアルに到着。朝なのにムッとする空気が漂い、周囲を歩いている人は黒人がほとんど。全く別の文化圏に突入だ。

 これから行こうとしているイファティには銀行がない。私たちはトゥリアルでお金を引き出してからイファティに向かうことにしていた。

 タクシー・ブルース・ステーションから銀行のある中央の通りまでは1.5kmくらいなのだが、この暑さでは到底歩くことは無理だ。タクシー運転手の申し出を断ってプスプスで市内中心部にまで向かうことにした。

 あー、楽だ。プスプス、偉い!

 銀行でお金を出したら、10時。朝ご飯でも食べようかと、ガイドブックに書かれてあるレストランに行ってみると、まだ始まってもいないし、メニューに書かれている値段がとても高い。トゥリアルはとても観光地化している所なのだろうか。

 イファティ行きのタクシー・ブルース・ステーションまで行けば、ちょっとした食べ物を売っている屋台などがあるだろうと考えて、ステーションまで移動することにした。レストランの前には客待ちのプスプスが数台並んでいる。「ちょっと」と一人のプスプス引きに声をかけた途端だった。今まで離れた木陰で休んでいたプスプス引きがわーっと、それはもう物凄い勢いで私たちを取り囲んで「どこまで行くのか、どこまで行くのか、どこまで行くのか」とワーワーと聞いてくる。これはまさにアフリカ状態だ。アフリカ人の客引きは、とにかく必死になって強引に詰め寄ってくるのだ。

 値段を聞いてみると、ある者はAr10000と答え、ある者はAr1000と答える。支離滅裂なのである。中でも必死の形相で詰め寄ってきていた角刈りの黒人の兄ちゃんがAr1000で行くっていうから、彼にお願いすることにした。

 町の中心にはマーケットがあり、ホテルやインターネットカフェや物売りが並んでいた。

 トゥリアルが大きな町とはいえ、アンタナナリヴと比べると村のような規模の町だった。

 あっという間に繁華街は終わり、ポツポツと商店が点在する通りを通ってステーションに到着。

 Ar1000を支払うと、「一人Ar1000って言ったじゃないか」と泣きそうな顔でもうAr1000支払えと、またもや詰め寄ってきた。最初に乗ったのとあまり変わらない距離なので、これは言いがかりだ。「払っておくれよー、払っておくれよー」と子供が駄々をこねるように繰り返し繰り返し言ってきて、最初にAr1000と言ったじゃないかといってもちっとも聞き入れようとしない。

 彼から逃れるために、イファティーに行くというバスに金を支払ってさっさと乗り込んでしまうしかなかった。イファティーへの運賃は一人Ar5000ということで、ガイドブックに記載されているAr2000〜5000という範囲内におさまっているものの最高額で本当は納得がいかなかった。おそらくイファティーよりも先に行くタクシー・ブルースで最終目的地までの金額を支払わされているのだろうとは思ったのだが、プスプスの兄ちゃんがどうにも厄介で、振りほどくにはこの金額を支払ってバスの中に逃げ込むしかなかったのだった。やれやれ。

 イファティーを通るというバスは、これから先の未舗装の悪路にも耐えられるトラックの仕様だった。

 大型トラックの荷台部分に狭くて高い椅子が10列並んでいる。片側に3人、一列6人座って60人乗りだ。

 外から見ると家畜運搬の車にしか見えない。よく牛とか積んでいる奴。よくもまぁ、こんな非人道的なバスを走らせているものだ。

 現在の集客人数48人であと12人待ちという情報を運転手から何とか入手して、ひたすら出発を待った。

 10時半にバスに乗り込んでから1時間以上経過した11時48分に、ようやくバスはぎゅうぎゅうに人を詰め込んで走り出した。もう全く身動きができない状態である。しかも、座席が高いので足が届かない上に、膝の上にはリュックを載せている。最悪のフォーメーションだ。このバスはイファティーよりも先に行くに違いない。さて問題です。途中下車する私たちはどうやって無事にバスを降りたのでしょうか?解答は最後に。

 さて、まずはお決まりのガソリンスタンドに立ち寄り。

 ところがここで問題が発生。ガソリンスタンドのガソリン給油機の電気が切れてガソリンを入れることができないのだ。周囲のおっさんたちは「こりゃ、だめだ」と首を振り振り席を立って車の外に出て行ってしまった。私たちも出なければ行けないのかと立ち上がったとき、前に座っていた黒人女性が手振りで「いいから、ここに座ってなさいよ」と知らせてくれた。多少、英単語を知っている彼女いわく、こうした事態はよく起こること、そしてすぐに何とか解決するもんなんだそうだ。

 彼女のいう通り、どうやっているのかわからないが、ガソリン給油機の裏側のハンドルを手でクルクルと回すことで給油が開始された。

 ぞろぞろと出て行った男たちは、またブツブツと文句をいいながらこぞって戻ってきた。彼女のお陰で余計な動きをしないですんだ。

 こうしてガソリンスタンドを出発したのが、12時22分。あっという間にガソリンスタンドで30分が経過してしまったことになる。

 未舗装の道は、例えばアンドリンギチャ国立公園に向かう道やイサル国立公園のマキ・キャニオンに向かう道に比べたら、ずっと平坦でましな道なのだが、乗っている乗り物が悪いとこうも不愉快かと思うほど、窮屈で耐え難かった。

 外には頭に荷物を乗せて上手に運ぶ女性たちがいたり、ゼブ牛の牛車で進む子供たちなど魅力的な風景もなかったわけではない。

 しかし、とにかくリュックを乗せた腿の裏が、硬い椅子の鉄の枠に食い込んで(足が届いていないからね)、痛くてたまらなかった。

 いくつかの村で停車しながらバスは進んだ。周囲の人は、珍しい外国人に興味津々で、私たちがイファティのホテル・ムラムラに向かっているということは伝言ゲームのように知らされて、バス中の人が知っているかのようだった。

 前に座っているおじさんが、なんでもない村で振り返り「さ、ここがイファティーだよ、降りな」と言ってきた。すると隣に座っていた例の賢い女性が、「ちょっとあんたー、イファティーったって、ここなわけないでしょ。ここのどこに外国人が宿泊するホテルがあるのよ。ホテル・ムラムラはもっと先。ここじゃないのよ。テキトーなこと言っちゃだめよ」と叱責し、私たちに「まだだからね」と教えてくれた。

 この人がいて良かった。トゥリアルに到着してから徐々に感じていたことだが、ここの地方は女性の方がしっかりしているようだ。この女性しかり、市場でも見ていると女性が主導権を握っているように見える。「トゥリアル周辺では賢い女性に聞け」。これが西海岸で得た最初の教訓だった。

 やがて、ホテル・ムラムラという看板も見えてきて、前に座っている賢い女性も「はい、到着したわよ」と振り返って教えてくれて、やっとイファティーに到着。

 バスが動き出してからの所要時間は1時間半だった。しかし、このバスに乗り込んでからは既に3時間半が経過していた。

 いやー、きつかった。長い時間ではなかったが、非常にくたびれる移動だった。

 プスプスの奴が泣きそうに迫ってこなければ、もっと車を選べただろうに。

 とにかく、帰りにはこのタイプのバスには二度とのるかぁーーー、ぼけぇぇぇーーーと悪態をつきたくなるようなバスだった。

 さて、最後にクイズの答え。解答は「窓から降りる」でした。

 確かに途中の通路まで人で埋まっていて、到底普通に降りられる状態ではなかったが、まさか窓から降りることになるとは思わなかった。びっくりした。


 
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