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ベクーパカ(Bekopaka)→ムルンダヴァ(Morondava)
2007.05.19 |
マダガスカル国内移動 |
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移動内容 |
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10:22-10:49 |
ベクーパカの宿からミッシェルさんが開発中の宿に移動 |
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10:49-19:21 |
ベクーパカからムルンダヴァの宿までミッシェルさんの4WDで移動
4WD運賃 Ar100,000(=US$52.47) by 現金 |
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※2007.05.14現在、US$1= Ar1906で計算。Arはマダガスカル・アリアリ。。 |
昨日の夜9時過ぎにフランス人のミッシェルさんが宿にフラッとあわられて、急に今日ムルンダヴァに帰れることになった。
朝8時から10時頃に迎えに来ると言っていたので、とりあえず8時から待機して待つも来ない。あれ?大丈夫かしら?やっぱり今日もここに宿泊しなくちゃ行けないのかしら?
色々と不安もよぎったのだが、10時22分に見慣れた4WDが登場した。乗ってきたのはミッシェルさんではなく、その下で働いているというマダガスカル人の中年男性で、偶然にも私たちの宿タナンクアイのオーナー旦那さんの親戚筋だという男性だった。まず、コーラを一杯飲ませてください、と親戚のよしみでコーラで喉を潤してから出発。
途中でイブラヒム・ホテルに立ち寄ってもらって、昨日お世話になったジョンさんに手紙を置いていく事にした。ホテルにはちゃんとした人がおらず、柱のペンキを塗りなおしている人しかいない。ちゃんと届くのか不安だったが、彼に託すしかなかった。
ミッシェルさんが開発中のホテルは高台にある風光明媚な場所に建っていて、全室ロッジの個室でどの部屋からも丘を見下ろす風景が楽しめるようになっている。
もう一部オープンしてお客さんを迎えているとはいうものの、まだ工事中の棟も多く、多くのマダガスカル人が働いている現場だった。
ミッシェルさんを含めた開発者がテーブルを囲んで雑談中。中でも物凄く巨漢のインド人男性(イギリス人だそうだ)が開発者のトップなのだそうで、彼を中心に出資しあってこの宿を開発しているのだそうだ。現在ある中で一番高級なRolais
de Tsingyよりも少しだけ値段が低いという価格設定だから一泊US$45くらいになるだろうか。見晴らしはこちらの方がいいくらいなので、しかも新しい宿となるとこちらに人が流れ込む可能性が高くなる。ベマラハもいよいよそうした競争が始まっているという兆しを目の当たりにすることができた。
ミッシェルさんはとても忙しそうだった。昨日の夜もミーティングが長引いて遅くなって、今日も迎えが遅くなってしまって申し訳ないと言っていたが、仕事の合間に乗せてもらうのだから、我々は十分満足だった。
ミッシェルさんは自分用の別の車に乗り換えるように言った。今朝乗ってきたのよりは小型で、運転席の後ろには1列の座席。その半分は荷物で埋まっていたので、私が助手席、夫が荷物の隣に座ることになった。
さよーならーーー、ベクーパカ。
来る時は小船に揺られて炎天下を歩いた道も、今日はクーラー付きの4WDで颯爽と駆け抜ける。こういう場面になると、かつてBMWのテレビコマーシャルで使っていた「駆け抜ける喜び、Freude
am Fahren」というキャッチコピーを思い出す。まさにピッタリだ。
歩くととても長い距離に思える村のはずれのはしけ乗り場も、今日は楽々到着。
はしけには既に1台の車が乗っていて、まさに出んとする所に我々も便乗することになった。
はしけの端っこでは家族なのか若い女性が洗濯中。丁度水の上にいることができるから、洗濯に便利なのよねーって、その気持ちは十分にわかるのだが、そんなことを国をあげてやっているから、せっかくの観光資源の海が汚れちゃってるじゃないの。
やれやれ。こんな所から注意しなくちゃならないのなら、マダガスカルの海はきれいになりっこない。まぁ、日本の海も同じ状況になっている、いやそれ以上に酷いことになっているのだろうけど。
マナンブル川を渡ってからはおなじみの悪路。これは車が良かろうと揺れるものは揺れる。
クーラーが入っているので窓を閉め切れる分、砂埃が車内に入ってこないので大分いいけどね。
45分でベクーパカから25km地点にある村に到着した。時刻は12時20分。これから先の長い旅なので、しっかりお昼ごはんを食べたい所なのだが、2軒あるうちのレストランでは新鮮な魚があるものの準備に1時間欲しいといい、もう1軒では揚げ冷ましの小魚しかないと言う。揚げ冷ましは食あたりの危険性があるから食べないことにしているというミッシェルさんの意見に従って、村でバナナとビスケットを買って再出発することにした。確かに、私も市場の揚げ冷ましの魚に2度くらいお腹を壊したことがある。
いつも思うことだが、マダガスカルの雲は魅力的だ。奥の奥までのどかに続く入道雲は、私の「帰れる!」という喜びを表している確かな道しるべのようだった。
道は相変わらずひどく悪い。
雨季に橋が流されてしまっている所は、橋の横の川に車ごと入って渡らなければならない。橋がかかっているくらいだから、川の両側はそれなりに急斜面で、4WDでもなければ這いずりあがれないだろう。
平坦な道も轍が深く、うっかり轍にはまってしまうと車の下をすったり、ひどい場合には抜けられなくなってしまう。
ミッシェルさんはプロのドライバーではないので、慎重に運転してはいても私との話しに気を取られていたりすると轍にひっかっかって車が大きくジャンプすることもしばしば。後ろでは夫が必死にコンピュータの入ったリュックを体で支えていた。
ところで、ミッシェルさんの本業は獣医学の研究者だということがわかった。もう10年以上も前からレ・ユニオンで研究を行っていて、その傍らでマダガスカルのリゾート開発をしている。つまり二足のワラジをはいているということだ。リゾート開発の仕事の方は仕事と休暇を兼ねているような気楽な仕事なので、この数年休みは取ったことがないという。レ・ユニオンでの仕事があまりに過酷なので、休み代わりにリゾート開発に来ているようなものだと笑った。
日本で普通にサラリーマンだった私には、そんな自由な形で働けるんだというのが驚きだった。ミッシェルさんの場合は獣医という専門職をまず持っているということがあり、かつ事業の才能もあるからできるのだろう。
明日の飛行機で、またレ・ユニオンに戻って1週間働いてから帰ってくることになったのだそうだ。
そんなおしゃべりをしながら、午後3時21分にベロ・チリビーナに到着。ここでちょっとコーラの休憩。
朝からお腹の調子が悪かった夫は、後部座席で揺られに揺られながらリュックを必死にかばう姿勢を取っていて、そこにクーラーが効いていしまって、実は一人で後ろで青ざめていたらしい。レストランに入るや、トイレに駆け込んで一息ついたのだった。
ここからはチリビーナ川を渡る。私たちの乗ってきた船は川に向かって左手に港というか降りるための岸があるが、車の場合は左手に行くことになる。私たちがレストランで休憩している時に、一人の男が車を乗せる船の営業にやってきて、知らない間にミッシェルさんは交渉していたのだった。通常料金Ar30,000のところ、Ar25,000(=US$13.12)にするということだった。
行ってみると、5台の船を横並びにした上に板を渡したものが待っていた。これがはしけ。
チリビーナ川の向こう岸は向かい側ではなくかなり上流になっている。こんな装備で大丈夫なんだろうか。
車を乗せる前に、売り込みに来た男がミッシェルさんに何か用紙を見せたが、ミッシェルさんは首を横に振ってこちらにやってきた。聞けば「この船で車に損害が起こっても当社は責任を持ちません」という書類に同意のサインをする用紙だったそうだ。「責任がないわけないじゃないか。そんな書類には決してサインできないんだと断ってきたんだ」とミッシェルさん。そりゃそうだ。そりゃそうなんだけど、私の場合は「いや、今まで何も起こっていないし、建前上ですから」とか言われるとサインしちゃうんじゃないだろうか。発展途上国で苦労してきたミッシェルさんならではの(あるいはフランス人だからか?)きっぱりした決断だろう。こういう所は勉強になるなぁ。
3台の車が乗ったところで出発。川を下ってくる同じようなはしけはずっと早くて、私たちの川上に向かうはしけは進んでいないんじゃないかと思えるほど、川の流れは結構速いものに感じられた。
しかし、約1時間で到着。向こうには私たちが乗ってきた人間用の船が見える。
数日前、あれに乗ってベロ・チリビーナに一泊して・・・。大変だったなぁとあらためて思い出されるのだった。
はしけから降りるとフローティングの岸があり、そこから土手を上って上陸するようになる。
フローティングの人口の岸と土手の間は当然ながらフワフワと移動していて、2つをつないでいるのは鉄道のレールの廃材で作ったと思われる2本の足場と間につなぎの板1本。おりょりょ。これじゃぁ「何かあった場合に責任を取りません」という書類にはサインできない。恐ろしげだ。
しかし、前の車も私たちも後ろの車も、何事もなく無事に上陸できた。実はここが一番冷や冷やした行程だった。
時刻は午後5時。周囲は夕焼け色にそまりつつある。ここからムルンダヴァまでは4時間くらいかかるんじゃなかっただろうか。途中から真っ暗な道を走らなければならないことは必須となった。
ベロ・チリビーナからムルンダヴァに向かう道はムルンダヴァに近づく程に立派なバオバブが見られる楽しい街道だ。
ベロ・チリビーナまでに比べると道も格段に良くなって、ミッシェルさんは益々スピードアップするものだから、車の揺れは相変わらず止まらなかった。
途中から暗くなり、若干スピードを落とさざるを得なくなったが、それでも来る時にタクシー・ブルースでは5時間45分かかった道のりを3時間半で走破して、午後7時21分にムルンダヴァの私たちの宿に送り届けてもらえた。
「夕食の時間に間に合うように頑張ってみたけど、どうかな?」とミッシェルさんは疲れた表情ながらもニッコリ。人を乗せるのって気を使うし、大変だったと思う。素敵なミッシェルさんに拾っていただき、感謝感激。本当にありがとうございました。
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