夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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マダガスカル:イヴァト(Ivat)→タンザニア:アルーシャ(Arusha)
2007.05.30-31
マダガスカル→タンザニア

移動内容
5/30
03:53-03:58
イヴァトの宿からイヴァト国際空港までタクシーで移動
タクシー運賃 Ar5000(=US$2.66) by 現金
5/30
06:22-08:52
マダガスカルからモーリシャスまでマダガスカル航空で移動
航空運賃 US$206.7/人 by クレジットカード
※ナイロビとモーリシャスの往復(3ヶ月オープン)、モーリシャスとマダガスカルの往復(45日オープン)で両便ともモーリシャス航空を使った場合、1人US$890.7かかった。ナイロビとモーリシャスの往復だけを購入した場合US$684かかるので、全体からこの金額を引いてモーリシャスとマダガスカルの往復代金とした(US$206.7)。モーリシャスとマダガスカルの往復のみを購入した場合は税金の関係でもっと高くなるはず。
※時差が1時間あるので、飛行時間は1時間30分。
5/30
16:20-19:00
モーリシャス国際空港から南アフリカのヨハネスブルクまでサウス・アフリカ航空で移動
飛行機運賃 US$684/人 by クレジットカード
※ナイロビとモーリシャス間の往復3ヶ月オープン税込み
※時差1時間が発生するので、実際の飛行時間は3時間40分。
5/30
20:40-23:30
ヨハネスブルクのビジネスクラスラウンジで休憩。
※アップグレードしてもらったので、ラウンジが使えた。
5/31
00:40-05:30
ヨハネスブルクからナイロビまでケニア航空で移動
※上記飛行機代金で。
※時差1時間が発生するので、実際の飛行時間は約6時間。
5/31
06:10-08:50
ナイロビの空港内にあるプラネット・サファリのオフィスで移動のバスを待ちながらコーヒーブレイク。
5/31
09:08-15:21
ナイロビの国際空港からアルーシャまでシャトルバスで移動
シャトルバス運賃 US$30/人 by 現金
※2007.05.28現在、US$1= Ar1880で計算。Arはマダガスカル・アリアリ。。

 昨日、空港に行った際にマダガスカル航空のカウンターでフライトの確認を行った。予定通り翌日午前6時20分に出るようだ。

 しかし、「その時間帯は混雑が予想されるので、3時間前の午前3時半に来てください」だって。いくらなんでも3時間前は早すぎるだろうと、ホテルには午前4時にタクシーに来てもらうように予約しておいた。

 午前3時30分起床。

 宿では誰も起きている気配がない。おいおい、大丈夫なのだろうか。夜勤のスタッフはいったいどこにいるのだろうか。どうやって探していいのかもわからないので、とにかく通りに面したゲートについているチャイムを鳴らしてみた。

 効果てきめんだった。夜勤の女性はおろか、オーナーのフランス人もパンツ一丁に腰にタオルを巻いて起きてきてしまったのだ。あっちゃー、やってしまった。夜勤の女性は私がチャイムを鳴らしたのだといってもフランス語しか解さないらしく、入り口までお客さんを見にってしまうし、フランス人オーナーは眠っている所を起こされた不機嫌さをお客の私たちにぶつけるわけにもいかず、夜勤の女性をどなりつけている。

 それに加えて、私たちが午前4時にとお願いしたタクシーがメモ帳に4時半となっていたらしい。これでオーナーの怒りに油が注がれ、夜勤の女性は眠気も覚める叱責を受け、即座にタクシーを呼ぶために携帯電話をかけ始めた。そのお陰で、タクシーは予定よりも7分早い3時53分に到着。まぁ、こうでもしなければ4時半までのうのうと待たされることになっただろう。荒っぽいやり方だったが正解だった。

 タオル一枚姿でオーナーは「ご迷惑をおかけしましたね、よい旅を」と丁寧に見送ってくれた。従業員に対する態度と客に対する態度のこの激しい使い分けができる人のみ、こういう国でやっていけるという現実を見た気がした。

 空港までは徒歩で15分の距離だ。タクシーだったら荷物の積み下ろしも含めて5分で事が済んでしまう。

 これでAr5000ももらえるのだからタクシー運転手は早朝にもかかわらずニコニコだった。

 3時間前に来いと言われた空港は、4時半になってようやくカウンターがオープンしてチェックイン作業が始まった。言われた通り3時間前になぞ来ていたら、馬鹿をみるところだった。マダガスカルのシーズンは始まったばかり、そんなに混むわけがないと思って正解だった。

 6時過ぎに登場開始。明けはじめた空が紫色とオレンジに染まっていくのがとても美しい。

 マダガスカルの空にはいつも楽しませてもらったが、今日飛び立つ最終日にも素晴らしい姿を見せてくれていた。

 マダガスカルは茶色の肥沃な川、赤い土の台地、その土から作ったレンガの壁、同じく赤いトタン屋根。上空から見ると、全体が茶色がかった暖色の国のイメージだ。米の収穫時季には緑の田んぼが広がって、この限りでもないのだが、収穫が終了して新しい苗が育ち始めの今は、ことさらに赤い大地が目立つ。

 そこからわずかの距離を飛行しただけで、エメラルドグリーンとターコイズブルーの海に囲まれた緑の台地、モーリシャスの沿岸部が見えてくる。こちらは寒色の国のイメージで、爽やかなリゾートアイランド。

 今日はあいにくの曇り空だが、それでも眼下には久しぶりに見るモーリシャスの美しい海。見ているだけで気持ちが晴れ晴れとしてくるのだった。

 さて、今回の移動ではモーリシャスに30日の午前9時頃到着して、翌31日の午前8時30分にモーリシャスを出て11時50分にナイロビに到着するという予定だった。モーリシャスでの滞在は24時間。どうやって過ごすか。

 モーリシャスの空港に着くや、花の甘い香りが鼻腔をくすぐり心が高鳴る。同じ島とはいえ、日本の1.6倍もの広さのあるマダガスカルと比べると、いわゆる「島」であるモーリシャスの方が風も空気も南国のリゾートアイランドの雰囲気になるのだった。

 しかし、そんな甘い誘惑に負けられなかった。一番近いビーチの町に行くにはタクシーで400ルピー(約US$12)支払ってマエブールに行かなくてはいけないし、そこでの宿泊代金は一泊600ルピー(約US$18)かかる。往復のタクシー代金、宿泊代金、食費を考えると空港を離れるとUS$50以上は出費することになる。

 だったら空港のどこかで、サイト更新の作業でもできればそれでいい。空港の食事が高いとはいえ、US$50の予算があれば十分だろう。できればシャワーもあびられたら尚いいなぁ、仮眠所はないのかなぁと都合のいい方向に夢は広がっていた。

 飛行機を降りて空港内の建物に入って、まずは入国審査。

 ところが、今回の入国審査は前回のようにすんなりとはいかなかった。若いインド人の係官は私たちがモーリシャスを出るチケットは持っているものの、日本に戻るチケットを持っていないことが規定違反だと言い始めたのだった。

 前回はそんなことは全く言われなかった。入国する際にモーリシャスを出るチケットを提示してくれと言われただけだった。私たちのチケットはモーリシャスからマダガスカル、マダガスカルからモーリシャス、モーリシャスからナイロビへのチケットが綴りになっていたので、それを見せただけで何の問題もなく入国できたのに、今回はなんだか難しい事を言われている。

 担当の若くて野心的な係員は不法入国者を見つけたかのような得意満面な顔つきで説明した。

 「モーリシャスに入国する際には、在住先に戻るチケットを持っていないといけないのです。それがないと入国できないルールになっているので、あなたたちの場合はナイロビ在住ではなく、日本へのチケットもないのでルール違反ということになりますね」と言い切った。で?どうなるの?

 野心的とはいえ、その先をどうしたらいいのかはわからなかったらしい。上司を呼んでくるので待っているように言われた。あーあ、ナイロビ在住って嘘を言えば良かったのかなぁ。住民票を出せなどとは言われなかっただろうし。面倒くさいことになってきた。

 上司がやってきて、同じルールの説明を繰り返した。

 「でも、私たちには私たちの都合がある。自分達が長期滞在旅行中で、日本への帰国がいつになるのか未定であること、そんな未定の予定のためにチケットを買う人がどこにいますか?」そう言いながら、パスポートを見てくれと提示すると、アメリカ合衆国に始まり、メキシコやらアルゼンチンやらマチュピチュ入場の記念スタンプまで押してあるパスポートを見て、上司が理解してくれたようだった。それでも、現在の所持金かクレジットカードの提示と、クレジットカードの使用限度額を申し述べるように言われた。この上司の責任で入国させるのだが、滞在するための資金をちゃんと持っている人物であることを証明させなければいけないようなのだ。

 この上司にクレジットカードを何枚か見せると、中にゴールドカードがあるのを見て、急に態度が和らいだ。「おお、ゴールドですね。使用限度額がないのですね!」。

 よくわからないけど、「イエース、アンリミテッド。ビコーズ、イッツ、ゴールド!」と応えると、これで終了。書類に「使用限度額が無限のゴールドカード保持者」と書き込まれて手続き終了の運びになった。持っていてよかった、ゴールドカード。

 しかし、翌日の便で出るのだからビザは1日でいいだろうということで、発給されたビザの有効期限は何と1日だった。まぁ、明日の便だからいいけど、本当に1日しか出さないなんて厳しい。来る時はすんなりと2ヶ月出してもらったのにねぇ。モーリシャスは観光業に力を入れている。金持ち客だけを入れるために、モーリシャスに入る飛行機の運賃を高く設定し、島全体のブランドイメージを高める努力をしているのは知っていた。その他にも、不正入国者への厳しいルールを効かせて質の悪い外国人を排斥しようとしているのだということを図らずも知ってしまったできごとだった。なかなかしっかりした国だ。

 ということで、人よりもだいぶ遅れて入国を許されて、バゲッジクレームで荷物を受け取り、ホテルやレンタカーのブースの並ぶ通路を通ると、もう空港の外に出てしまう。

 1階の到着階には寛いで時間を過ごせるようなロビーはおろか、レストランもなく、「到着したらさっさとビーチに行きなさい」というメッセージがプンプンしていた。

 それでは出発階はどうなのだろうか。

 到着階から出て右手に行くと、出発階に上がるスロープになっている。日本の空港だと建物の中で到着階と出発階の行き来ができるようになっているのに、ここでは外からまわらなくてはならない。こういう所からも、この空港がハブ空港の機能が全くないことをうかがわせた。やばい、何にもないかもしれない。

 出発階には、モーリシャス空港のオフィスがあってその脇に椅子が2箇所あるだけ。その他はX線による荷物検査を受けた後に航空会社のチェックインカウンターが並んでいる空間。そこも奥の方に椅子が並んでいるだけで、店などは何もない。で、チェックインの次は出国の係官のコーナーがあり、そこを通ると待合ロビーになっている。そこは覚えているが、デューティーフリーショップとレストランがあるだけで、椅子はリクライニングしない待合の椅子があるだけで、シャワーを浴びられる場所なんてなかったよなぁ。

 ということで、モーリシャスの空港内を一通り見て、一晩を過ごすのがとても難しい空港だということがわかった。

 とにかくモーリシャス航空のオフィスで明日の便の確認をして、どこかで一晩過ごせる場所がないか相談してみようということになった。

 ところが、モーリシャス航空のカウンターでチケットを見せると大変なことが発覚した。明日の便は先々月3月21日に欠航が決まっており、欠航した便の代替便は2日前に出てしまっているというではないか!

 モーリシャスにいる間にマダガスカル行きの航空券のリコンファメーションをしようと思ってある旅行代理店を訪れた所、モーリシャス航空のチケットはリコンファメーションが必要ないとその代理店の人に言われて以来、ほったらかしにしていたのだった。リコンファメーションが必要ないというのも、その旅行代理店の人が自分の客でもない人間のために電話代を支払うのが嫌だったからの言い訳だったかもしれないし、リコンファメーションが必要でなくともスケジュールの確認は必要だったかもしれない。とにかく怠慢をしたためにスケジュール変更に気づかなかったのはこちらの落ち度とも言えた。

 コンピュータの情報によると、私たちに向けては登録されているメールアドレスにその旨をメールしてあるというのだが、最近ジャンクメールが多すぎて見過ごしてしまったのか私たちは見ていない。これも不幸な事だった。

 それじゃぁ、どうしたらいいんでしょうか?

 カウンターの女性も自分の領域を超えてしまった事なので、とにかく荷物検査を受けて中に入ってチェックインカウンターにいるスーパーバイザーに相談してくれということだった。

 「スーパーバイザーがチェックインカウンターにいるのか?」非常に怪しみながらも中に入ってチェックインカウンターに行くと、今はいないという。向かいのモーリシャス航空のカウンターに相談してくれといわれた。なんだか役所をたらい回しにされている気分で、だんだんと疲れてきた。

 カウンターにいる中年の男性がやっと本腰を入れて相手をしてくれた。可能性としては、3日後のモーリシャス航空ナイロビ行きに押し込むか、他の航空会社の便でナイロビに行かせるからしい。私たちとしては今後の日程がタイトなこともあり、予定を考えると早く行った方がよかった。一方で、図らずも3日間モーリシャスに滞在できるなら、それも魅力的。夫なぞは、「航空会社でホテル代出してくれちゃったりして、ウフフ!」なんてことまで口走っている。まぁ、どっちでもいいなぁというお気楽な気分だった。

 「しかし」と私は、イミグレーションでイレギュラー扱いで入ったこと、ビザが1日しか発給されていないことを説明した。そうそうビザの問題がありましてね。

 イミグレーションと航空会社の関係というのはどこの国でも緊張関係にあるのではないだろうか。イミグレが1日しかビザを発給しなかったのを航空会社の手落ちで(本当は私たち客のミスでもあるのだが)ビザの延長になるという事態をイミグレは好まないだろう。

 中年男性は、私たちを土曜日の便に乗せることでイミグレから睨まれるよりは、今日中にどこかに飛ばしてしまえという考えに落ち着いたようだった。端末を忙しく叩いて、モーリシャスから南ア航空でヨハネスブルク、そこからケニア航空でナイロビという提携路線をはじきだした。ところがヨハネスからナイロビが満席で取れない。うーむ。ここで彼の権限は終了。やはり、その上のスーパーバイザーの出番を待つしかないということになった。

 チェックインカウンターに戻って、中年男性のやってくれた手配の経緯を説明して、やはりスーパーバイザーの出番を待つしかないと告げると、スーパーバイザーは12時にならないとお出ましにならないという。

 チェックインカウンターの女性たちにはチケット発券の権力は全くなさそうだったので、前の中年男性の所にもどり、ヨハネス→ナイロビの次の便の可能性を調べてくれというと、既に調査済みでそれもフルだということだった。いくらなんでもヨハネスの空港に2泊もしたくないしねぇ。

 この中年男性にスーパーバイザーが12時にならないと現れないそうだけど、それまでに打つ手はないのかと聞くと、男性は立ち上がって向かいのチェックインカウンターに向かい、女性たちを何かを話していた。

 やがてチェックインカウンターにいた、とても小顔のインド人の若い女性ジェルナさんが私たちの所にやってきて「今からスーパーバイザーを探して話をしてきますから」というではないか。行けー、ジェルナ!


非常に仕事がてきぱきしているジェルナさんは
日本のファッション誌読者がうらやむ小顔。
まさに八頭身でかっこいいなぁ。
 私たちはモーリシャス航空のカウンター前に難民のように座り込んでジェルナさんを待った。

 午前11時頃の空港には全く乗客がおらず、こんな私たちを怪訝な表情で見る高級リゾート客がいなくて、みじめな気分にならずに済んだのは本当に良かった。

 30分ほどして、ジェルナさんが「解決しました!」と私たちのもとに戻ってきた。

 スーパーバイザーは、土曜日の便に乗せてイミグレと戦ったり、ホテルの費用を出すよりは、ヨハネスからナイロビへの便のビジネスクラスに乗せてしまった方が安上がりだと判断したらしい。

 ということでスーパーバイザーの指示により、発券カウンターでは新しいチケットの作成が行われた。

・16時35分発 南ア・ヨハネスブルク行き(南ア航空、エコノミー)

・31日0時40分発 ケニア・ナイロビ行き(ケニア航空、ビジネス)

 内部のチケットの一番上には、クーポンと書かれていた。飛行機が遅延した場合に出すミールクーポンやホテルクーポンと同じような扱いなのだろうと思われた。

 それにしてもビジネスクラス!

 そして未知の国の南アフリカ、しかも行く予定のないヨハネスブルク。

 特に先に決まった予定のない私たちにとっては、楽しいハプニングになった。離陸時間が真夜中なのもなんのそのだ。とにかく31日中にはナイロビに行ける。というか予定よりも早くナイロビに到着することになった。

 さっそくチェックインして中に入って昼飯でも食べようと思ったら、チェックインは最長3時間前からしかできない。チケットを受け取ったのが11時50分だったので、あと3時間半もあるのだ。荷物検査を受けてから出国するまでの中間地帯のような場所で、椅子とトイレしかないような場所なので、ちょっと外に出てカフェでお茶でもして待とうかと思ったら、一度この地帯に足を踏み入れたら後戻りできないというではないか!

 なにーーー?

 ということで、私たちにできる3時間半の暇つぶし、それは仮眠を取ることだった。まぁ、これも必要なことだ。

 モーリシャスから出る便は夕方からしかないようで、本当に誰もお客さんがいないロビーでぐっすりと眠ることができた。

 あとねぇ、体重測定。昼間の時間帯には全く便がないので、チェックインカウンターには係員さえいない。人から見えにくい一番端っこのカウンターで、荷物の重量メーターが機能しているのを発見して、久しぶりに体重を量ってみた。おお、夫は旅が始まる前に比べて12kg、私も5kgは減っている。航空会社によっては、お客様の荷物が3kgくらい超過しても大目に見てあげるために、3kg少なく表示される場合などもあるようだが、この体重計、じゃなくて荷物重量計がそうなっていないことを願うばかりだった。

 午後1時半、チェックインカウンターに人が現れ、南ア航空のサインも出てチェックインの手続きを行うことができた。お次の出国手続きは何の問題もない。去っていく者に対してはどこの国も優しい。

 モーリシャスはショッピング天国と言われている。島内にはたくさんのデューティーフリーショップがあるが、お帰りの際にも空港でお買い物をしてね!と充実したショップ展開。

 しかし、仮眠室やシャワーブースはないのだった。ここはそういう国ではないし、そういう空港でもない。

 前回、モーリシャスを出る時にいくばくかのモーリシャス・ルピーが残っていたので、それを使い切って昼食。

 んでもって、またまた仮眠。寝られる時に寝ておこう。

 やがて南アフリカへ向かう人々がアナウンスで集まってきて、飛行機が出ることになった。南アっていうのは本当に白人が多いんだなぁ。英語もちょっと違う英語に聞こえる。

 午後4時20分、聞いていた時間よりも15分ほど早い気もするが、とにかく離陸。

 さよーなーらー、モーリシャス。今回の滞在は7時間20分。もっと長くなるかと思ったのに。

 当たり前のことだが、機内のアナウンスは英語だった。南アフリカ航空だからだ。今までマダガスカル語、クレオール、フランス語、英語と必ず同じ事を違う数カ国の言語で聞いていたせいか、なんだか妙にあっさりと終わってしまう気がするのだった。

 午後5時半の太陽は、海に巨大なオレンジ色の道をつけながら、徐々に沈んでいった。

 北西へと移動している飛行機は、太陽のスピードにはついていけずに、午後6時半過ぎにとうとう日没を迎えた。

 そこから更に1時間ほど飛行して下に街の灯りが見えてきて、それがヨハネスブルクだった。モーリシャスとの時差があるので、再び時計を戻したりする。また乗り継ぎがあるので、一応時計は正確にしておかなくてはならない。

 で、修正した時刻、つまりヨハネスの現地時間の午後7時過ぎに飛行機から降りた。

 ヨハネスブルクの空港はこの辺りではハブ空港になる。国内線への乗り継ぎの方、国際線への乗り継ぎの方、ここで入国する方と3方向に向けての表示が当たり前のようにされていた。

 私たちは国際線の乗り継ぎの表示に従って進むと、「ボーディングパスのない乗客はこちら」という表示になるので、そちらに進む。

 全くもってわかりやすい表示で、迷うということがない。まだこの国に入ってもいないのだが、それでも南アフリカという国の水準の高さが感じられるようだった。

 次のナイロビまでのボーディングパスをもらおうとしたのだが、カウンターには人もいないし、ケニア航空の表示すらない。

 時刻は午後7時20分。8時半になったら開くというので、ここでまた1時間近く待つことになった。

 どーでもいいことなのであるが、カウンターの下には大理石の間にステンレスで飾りの留めがしてあった。その形が遠目からは、ケニアの土産物屋などでよく見るペンダントのモチーフに見えて仕方ない。近寄ってみると、それは単なる留め金なのだが、まさかこんな細かい所にアフリカのモチーフをデザイン化したのではないかと思われてくるのだった。

 まー、移動には関係ありません。

 午後8時半になって、係員が来て上の表示モニターにもケニア航空のロゴが映し出されたので、早速ボーディングパスをもらいに行く。モーリシャス航空から受け取ったクーポン券を渡すとボーディングパスとともに、ビジネスクラスラウンジへのインビテーションカードを渡された。

 そう、私たちはアップグレードされてビジネスクラス。ということはラウンジも使えるということになるのだ。うほーい、ラッキー!

 ヨハネスの空港で4時間くらいの乗り継ぎ時間は、お店でも見て冷やかそうかと思っていたのに、もうそれどころではなくなった。

 思った通り南アフリカのハブ空港であるヨハネスの国際空港は、ショッピングモールかと思うくらいにショップが並び、アウトドア製品の店なども多い。しかし、今はその魅力を超えて未知なるビジネスクラスのラウンジへと足は向かっていた。

 ショッピングモールの一番奥のエスカレーターを上がった階に、ネットカフェやビジネスクラス及びファーストクラスのラウンジがある。

 ラウンジの正面カウンターの女性にインビテーションカードを渡すと「ようこそ、ビジネスクラスラウンジへ」とにっこりお出迎えされた。明るいラウンジには気持ちの良さそうなソファーとテーブルが用意され、片隅のカウンターにはワインやスナックなどが並んでいる。おお、思った以上に豪勢!

 でも、その前にどこかでシャワーを浴びたい。これだけ広い空港ならどこかでそういうサービスがあるのではないだろうか。フロントの女性にシャワーを浴びられる場所はどこにあるかと聞くと、「シャワーはこのフロントの右手奥にございます。浴びる際はおっしゃっていただければ、こちらでタオルと石鹸をお渡しいたしますので、いつでもどうぞ」という答えだった。素晴らしい。ソファーに戻って夫に伝えると、夫も言った。「素晴らしい」。

 かくして私たちは清潔なシャワールームでたっぷりとお湯を浴び、変なにおいのしない大判のタオルでさっぱりと体を拭き、ついでにドライヤーなんかつかっちゃったりして、全身ピカピカになってから、2箇所にあるバー・スナックカウンターから、4種類のワインの試飲会を行いながら、ホテルバンケット級のおいしいサンドイッチやオリーブやチーズに舌鼓を打ったのだった。

 ここには無料のインターネットもあり、よっぽど誰かにこの今の幸福感を伝えたいと思ったのだが、あいにくワイヤレスにはウィルスがいるらしく、マシンを立ち上げるとすぐにまたスタートアップに戻ってしまうという怪現象が起きた。隣でネットをしている本当のビジネスクラスのアメリカ人男性が、ビジネスで7週間前にここを訪れた時に全くおなじ現象だったので、おそらくウィルスではないかと思うと教えてくれたのだった。

 こうして本来なら疲れた体を引きずって無理やりウィンドウショッピングをするか、椅子を3つばかり占拠して待合ロビーで寝るかしかなかった私たちに夢のような時間が渡されたのだった。

 こういう激しい乗り継ぎを組んだ時は、どこかにビジネスクラスを入れるとリフレッシュできていいんだなぁ。そういうことをエコノミークラスの私たちに知らしめたモーリシャス航空は、航空業界に潜在顧客を作ったという意味で、「私たちにビジネスクラスを渡したのはマーケティング的には間違いではなかったわね」と夫に言うと、どこまで高飛車なんだ、平民の思い上がりはおそろしいと言われた。ま、単によくあるアップグレード話でマーケティングとは全く関係ないのは確かだ。あはは。

 もっと居てもいい、とさえ思わせるラウンジともおさらばの時間がやってきた。午後11時半、後ろ髪を引かれつつラウンジを去ったのだった。

 ナイロビ便への飛行機は入り口から3列目。5列まであるビジネスクラスもかなり満席に近い状態だった。

 椅子の操作ボタンはリクライニング1つではなく、フットレストを出したり、座席の部分が前後に移動するボタン、その他色々5つくらいあった。

 ラウンジで食べ過ぎたにもかかわらず、夜食も頂戴して就寝。リクライニングを最高に倒してフットレストを出すと、アルゼンチンのバスのカマというクラスと同じくらいになる。シートは幅が広くてフカフカしてカマよりもいい。これならぐっすりと眠れる。逆にアルゼンチンのカマも見直してしまった。あれも良かった。

 ワイン4杯も飲んで、機内でも更に1杯。もう午前1時以降は記憶がなく眠り込んで、あっという間にナイロビに到着してしまった。現地時間では5時半。

 さて、ケニアへの入国だ。

 ケニアへの入国の第一歩はまずビザの取得。入国審査のカウンターはビザを持っている人のカウンターとビザ取得のカウンターに分かれている。右端のビザ取得のカウンターに行き、トランジットビザ(7日間有効)かホリデービザ(3ヶ月有効)かを選択し、前者ならばUS$20、後者ならばUS$50を支払うと(通過は米ドルのみ)、パスポートにビザの印を押して入国となる。

 今回は、ナイロビ市内で1泊して、翌日のシャトル便でタンザニアのモシに行こうと考えていたので、トランジットビザでいい。係員は当然ホリデービザだと思っているので、トランジットを要求すると「いつタンザニアに出る予定か」と聞いてくる。明日だと答えると、ビザの請求用紙に滞在が6日と書かれてあるのはおかしいと言い出す。いや、スムーズに交通手段が見つからないかもしれないし、何か突発で発生した場合の予備として6日と書いたのだというと、「それなら3日でいいでしょう」と3日にされてしまった。なんだよー、US$20支払うんだから7日くれてもいいじゃないかー。損した気分がする。「3日なら日割りで10ドルくらいにしてほしい。」とぶつぶつと文句を言う私だった。ケニアとしては用もない人に長居してもらいたくないのだ。仕方ない、セキュリティーって奴ですね。

 バゲッジクレームでスーツケースを受け取ると、最近倣い癖になっているスーツケースチェック。今回も新しい傷や汚れなく到着。マダガスカル、モーリシャス、ヨハネスブルク、ナイロビの空港の荷物取り扱いは悪くなかったようだ。

 ここから先は一度経験した道なので安心だ。

 私たちが知っている中で一番安全なナイロビ市内への入り方は、荷物を受け取って免税品などのチェックで最終的に外に出ると、すぐに右手に歩く。右側に旅行代理店のブースが並んでいるので、その中のプラネット・サファリに直行するのだ。

 途中で用もないのに男が近づいて「サファリを探しているのかい?」とか「あ、プラネット・サファリなら案内してあげよう」とか色々と言い寄ってくる。どんなに優しそうでも、どんなにいい男でも、無視する。プラネット・サファリに到着したら、「お宅のドミトリーに宿泊して今後の予定を決めたいので、とにかくお宅のオフィスまでタクシーを手配して欲しい」と言う。もちろん、時間のない人は、この場でサファリやキリマンジャロ行きツアーの話をしてもいいのだが、時間があるならまずオフィスへ。そこには他の日本人がいて、大勢で値段交渉などができるかもしれないからだ。

 ということで、プラネット・サファリのブースに行くと、相変わらずついてきた男が「俺が案内してきたんだ」という暇もはさませずに、既に顔見知りになっていたマギーさんに声をかけた。

 「あっれー?久しぶりですねぇ」と向こうも覚えていてくれて、二人で挨拶が始まり、客引きめいた男は出る幕がなく、すごすごと立ち去っていった。完全撃退、成功。

 中にはマネージャーのルーシーさんもいて「あら?また来てくれたの?」と喜んでくれた。

 今回はサファリじゃなくって、お宅のドミトリーに宿泊して明日モシへのシャトル便をアレンジしてもらいたいのだというと、じゃぁ、まぁ、座ってと席に座って一息入れた。

 時刻は朝7時前。ルーシーさんいわく、この時間なら8時半のモシ行きシャトルバスに間に合うのでナイロビに一泊する必要はないと言う。お、それは朗報だ。

 しかし、モシまでは一人US$50。その1時間半手前のアルーシャだったら一人US$30。アルーシャから普通のバスに乗れば差額のUS$20もかからないので、その方がずっと安くいけるけどどうする?といわれた。

 ルーシーさん、私が以前空港でサファリの予約をした時に、同行する日本人との差額がUS$30(夫と二人でUS$60)あることを追求して、US$60をプラネット・サファリから返金させた事を覚えていたのだ。

 「今回は値段のことで間違いがあったらまずいでしょ?」とウィンク。は、恐縮です。ということで、アルーシャという町にも寄ってみたかったし、シャトルバスのアルーシャ行きで今日出発することに決定した。

 だから移動はまだ続く。ナイロビに移動してお終いだと思っていたのに、ついにタンザニアまで行くことになってしまった。昨日からマダガスカル、モーリシャス、入国していないが南アフリカ、ケニア、そしてタンザニアが5ヵ国目になる。2日で5ヵ国ってのは、私たちの移動始まって以来のことだ。ふー。

 危険なナイロビ航空にあって奇跡的に安全なプラネット・サファリのブース内で、コーヒーを出してもらい快活なルーシーさんやシャイだけどだんだん打ち解けて陽気になってきたマギーさん、そして後からやってきたジャガーの双子の兄ちゃん(う、名前忘れた、ごめん)なんかとおしゃべりしてバスを待った。

 8時半と言われていたがバスは9時過ぎに到着。ジャガーの兄ちゃんが一緒にバスまでついてきてくれて、なんの危険もなく空港を去ることができた。

 因みに、ナイロビからアルーシャへシャトルバスを利用する場合については、以前にナイロビにいる時に調べたことがある。単独でシャトルバスの会社に赴いて値段を聞いたらアルーシャまでは一人Ks2000(=US$28.34、2007年2月5日の換算レートUS$1=Ks70.58)と今回と同じくらいの値段を言われた。

 ところが、ツイン一泊Ts1600(=US$22.67)のターミナルホテルやもう少し高いエンバシーホテルに宿泊するとホテルとシャトルバスの間の提携値段でアルーシャまでの値段は一人Ts1000(US$14.17)と半額になる。

 最初の予定ではエンバシーホテルに予約を入れて、空港からエンバシーホテルまでの送迎サービスTs1200(=US$17、プラネット・サファリでもこの値段は同じ)を使い、一泊してシャトルバスでアルーシャに行こうと思っていた。

 しかし、途中から危ない町として名前を上げつつあるアルーシャ行きをやめて直接モシに行った方がいいのではないかと悩んでいるうちに、移動となり、なし崩し的にプラネット・サファリに駆け込んだのだった。

 結果として、アルーシャまでの費用はターミナルホテルに宿泊した場合は二人でUS$68.01になるはずの所、空港から直接アルーシャに行くことでUS$60と1日分の余裕ができたのだった。といっても1日分はどこかに宿泊しなければならないので、宿泊費を入れ込むと金額的には得ではないが、時間が短縮されるのを優先したことになる。

 ナイロビからアルーシャへの道は、てっぺんが平らなアカシヤとサバンナの道。マダガスカルの赤い土ばかりを見てきた目には、またケニアに戻ってきたのだという思いが強く湧き上がる。

 あと、ここはなんといってもマサイの故郷だ。道路を横断するマサイ、カフェでお茶を飲むマサイ、商店で買い物をするマサイ。そこら中にマサイ族の姿が普通に見られる。

 11時半過ぎに国境手前の土産物屋でトイレ休憩。さすがシャトルサービスは気が利いている。この土産物屋で見た日本人の初老の男性は「これも、これも、これも、これも・・・」と物凄い勢いでお買い物。店員が「コレモ、コレモ」と一緒に繰り返しているのが面白かった。それにしても、こちらも気持ちよくなるばかりの買いっぷりだ。世界中で日本人に客引きが近寄ってくるのもうなずける。

 12時にイミグレーションに到着。ケニア出国は順調に終わったが、タンザニアはビザ取得が私たちも含めて8人くらいいて時間がかかった。一人US$50でみんな90日間のビザをもらえたのだった。手続き終了したのが12時41分。

 そこからアルーシャの町に入ったのが2時間強後の午後2時54分だった。それぞれ目的のホテルまで送り届けてもらえるのだが、私たちは一番最後になったので、ホテル到着は午後3時21分になった。

 こうして30日の朝3時起床から始まった大移動は、4ヵ国の入国と1ヵ国の通過を経て31日の午後3時21分に終了。今回はハプニングだったので、こんな大移動になった。イレギュラーだ。はー、疲れた。


 
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