夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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モシ(Moshi)→ルショト(Lushoto)
2007.06.04
タンザニア国内移動

移動内容
06:45-06:55 モシの宿からバスターミナルまで徒歩で移動。
08:00-12:50 モシからルショトまでFasahaのバスで移動。
バス運賃 Ts10000(=US$7.78)/人 by 現金
12:50-12:55 モシのバスターミナル(村の中心)から宿までタクシーで移動。
タクシー運賃 Ts2000(=US$1.56) by 現金
※2007.06.04現在、US$1= Ts1285で計算。Tsはタンザニア・シリング。

 ルショトはアルーシャ、モシ、ダル・エス・サラームに続く幹線道路からはずれた所にある村だ。幹線道路を走る大型バスは、スカンジナビアをはじめとして、幅の広い、ふわふわのクッションの、リクライニングする座席の快適バスなのだが、ルショトに向かう大型バスはそこまで快適ではない。

 出発日の前々日、前日の2回バスターミナルを訪れて聞いてまわったが、モシからルショトへ向かうバスは2社ChakitoとFasahaあるが、どちらも同じバスを使っているということで、結局1社しかないっつーことになる。

 チケットの値段も、初日に訪れた時はTs13000という男がいて、交渉するうちにTs8000まで下がった。2日目に訪れるとTs10000だと言われた。

 で、結局、出発当日バスターミナルに言ってみると、またまた別の男がTs10000だという。最後の男はバスに乗る人から金を徴収しているので、この男の言うことが本当だろう。あ、そこに、先日Ts8000と言った若い男が登場。さっそくそいつを捕らえて、年配の金徴収の男の所に連れて行き「こいつがTs8000と言ったんだけど」と言うと、年配は若造を「いい加減なこと言うんじゃない!」と叱り飛ばしているようだった。一応バス関係者らしいが、この若造に払っていたらこいつの飲み代に消えてしまっていたかもしれないなぁ。危ない、危ない。

 つまりね、モシからルショトにいく場合は、前売りは買わない方がいいと言う判断だ。値段もいい加減だし、金を支払っても、当日は面子が変わっていて「そんな話は知らん」と言われそうな雰囲気だからだ。

 大型バスなので、座席の下に荷物入れの倉庫があるのは助かった。

 そこにスーツケースがおさめられるのを確認してバスに乗り込んだ。


 車幅がやや狭いので、座席も通路も狭苦しい。でもまぁ、そんなに長い時間ではないので、このバスでもよしとしよう。

 さて、今回はいつも膝の上に置いているリュックを荷棚から自転車のワイヤーで吊るすというニュースタイルにしてみた。

 顔の前にリュックが垂れ下がっているので、ほとんど前が見えないのが難点だが、膝の上に荷物がないのは非常に快適だ。

 さらにワイヤーが車の衝撃を吸収するので、リュックに衝撃が伝わりにくいのもいい。




 ということで、夫は得意満面に「新しいスタイルだ!」と何枚も写真を撮影して、周囲のタンザニア人を不思議がらせていた。





隣の席の姉さんのヘアースタイルがやたらにかっこいい。
「いいねぇ、かっこいいねぇ」と触らせてもらったり色々な角度から
観察していたら、「写真撮ってもいいよ」だって。早速、撮影。
彼女の得意そうな視線が、これまたいい。
 午前8時半発だけど、午前7時に来いと言われてほぼ1番乗り。お陰で好きなように荷物を置いたり吊るすことができた。午前8時になっても比較的バスは空いていたので、リュックを吊るしたのとは別の席にのうのうと座っていたのだが、出発間際になると、どんどんと人が入ってきて8割方が埋まった。それでもまだ少し空きがあったので、そのまま別の席に座っていられたのだが、バスが定刻に出発すると同時にチケットのチェックマンがバス内を回ってチケットチェック。その時に、自分の席に戻るように言われてしまった。

 空いてるからいいじゃないか!ったく、こういう所が旧社会主義的というか、四角四面なのよねー、などとブツブツ文句をつぶやいていたのだが、そうではなかった。この後、幹線道路沿いに次々と停車して、バスは本当に満席になってしまったのだった。

 午前11時半にモンボに到着するまでは、ずっと幹線道路をダル・エス・サラームに向かって走る。

 ここの道路は本当によく整備されていて、アスファルトに穴も開いていないし、でこぼこしていなくて快適なドライブだ。

 幹線道路の左手には常に一定の高さの山というか高い丘が迫っていて、朝日を浴びて雲をさせていた。そして、その手前が畑。パイナップルみたいな、中米でみたようなアガベー(サボテンの一種でテキーラの材料になる植物)のような植物がたくさん植わっている。後から聞いた話では、これはザイル(ロープ)の原材料になる植物なのだそうだ。

 第二次世界大戦まではドイツの統治下にあったタンザニアで、この辺りはザイルのプランテーションが作られ、それがいまだに残っているんだそうだ。「ザイル」とはドイツ語で「縄」の意味だが、いまでも人々はザイルという名称を使っているのも名残だろう。


バスが停車する度に、わっと物売りが寄ってくる
のはどこでもおなじみの風景。
 さて、バスはモンボに到着するとそこから左手の山の中に入ってルショトに向かう。

 私たちはモシからダル・エス・サラームまでの道のりが長いので、どこか途中で区切るためにルショトに立ち寄ることにした。交通のことだけを考えれば、幹線道路沿いにあるモンボなどが理想的なのだが、モンボにはこれといってみるべきものもなく、バスが停車した村の風景から考えると、とても外国人旅行者が満足して宿泊できる施設はなさそうだ。

 やはり、面倒だがルショトまで足を伸ばすのが良さそうだなぁとバスの中からモンボを見て思った。

 モンボからルショトへは、バスは市バスと化した。ご近所さんが乗り合わせてご挨拶やおしゃべりに花が咲き、立っている人も多くいる。

 今まで左手に見てきた山々の隙間を縫うように、バスはどんどんと坂道を上がりながら、多くの人を乗せたり降ろしたりして奥に、奥にと入っていくのだった。

 モンボの町はあっという間に眼下に下り、今まで見上げていた山の上を走っていく。

 バスの向かう先には、脈々と山が連なっており、バスはその山裾を遠慮がちに縫って走っていくようだった。

 山裾といっても、道の左側は何十メートルも下に川が流れていたりして、そんなに道幅が狭いわけではないのだが、ガードレールもないし、カーブで崖側に近寄ったりするとちょっとドキドキするような道だった。

 面白いのは、どこまで奥に入っていっても、ちらほらと畑や民家があり、人の住んでいる気配がすることだった。これほど奥地に入り込んでくると、人が全くいない国立公園のような感じがするものだが、人々はこういう所にもしっかりと住んで生活しているのだった。

 時々見える滝や川は、それだけで景勝地とも言える風格なのだが、市バスなので停まることなくどんどんと進む。

 途中で立ち寄る村の物売りは、幹線道路沿いではクッキーやスナックなどの加工品が多かったのに比べて、バナナやみかん、時には野菜など農作物ばかりになってきた。

 モンボからルショトへの道は、乗っているだけで観光気分がするお得な路線。窓からの景色は楽しいものだった。

 で、12時50分にルショト到着。

 まだ雨も時々降るルショトの村は、今までの中でも最悪に近いドロドロ。

 こんな所に荷物を置いて宿までスーツケースを引いて歩けるわけがない。

 困ったなぁと考えていると、青年が近寄ってきた。村の観光案内所で働いているといい、タクシーを使うなら荷物をタクシーまで運んであげると言う。何という親切な村だ。好意に甘えて、タクシーまでスーツケースを持ち上げて運ぶのを手伝ってもらい、目的の宿まで移動した。

 ルショトで目指していたWhite House Annexという宿は、地図で見ると村の中心にあるバスターミナルから十分徒歩圏内なのだが、未舗装で深い轍のある急坂を上がった所にある。そういうことは、等高線のない地図からはわからないことなんだなぁ。

 親切な青年とその友人は一緒にタクシーに乗り込み、宿に到着して荷卸しも手伝ってくれた。ここまで親切にされると、「その目的は?」といぶかしくなってくる。

 実は彼らは観光案内所の職員ではなく、フリーのガイド。ルショトで過ごす中でガイドとして使ってほしい一心でサービスしてくれていたのだった。こちらもそんな彼らの事情に薄々気づいていており、ルショトでは1つくらい見所を周ろうと思っていたので、その時に彼らにガイドを頼めばいいと割り切って、彼らに手伝いをお願いした。物事は全てギブアンドテイクである。

 宿は全体的に湿った感じで、部屋もかび臭いし、誰も英語を話せない。うーむ。かなり困ったなぁ。でも、もうここから動けないので、とにかく1泊はここに宿泊することにした。


 
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