夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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ダル・エス・サラーム(Dar es Salaam)→
       ザンジバル島/ストーン・タウン(Zanzibar/Ston town)
2007.06.08
タンザニア国内移動

移動内容
09:20-09:38 宿Holiday Hotelをチェックアウトして、近くのJambo Innに荷物を預けに行く。
09:38-10:00 Jumbo Innからフェリーターミナル近くの市役所City Hallまで徒歩で移動。
10:00-11:30 市役所の食堂で休憩、昼食。
11:50-13:10 フェリー乗り込み開始、待機。
タクシー運賃 Ts7000(=US$5.45) by 現金
13:10-16:07 ダル・エス・サラームからザンジバル島のストーン・タウンにフェリー(Flying Horse一等)で移動。
フェリー運賃 Ts26500(=US$20.62) by 現金
※米ドルキャッシュで支払う場合はUS$20
16:07-16:18 下船後、イミグレ手続き。
16:18-16:47 うるさい客引きを交わしながらフェリーポートから宿まで徒歩で移動。
※2007.06.04現在、US$1= Ts1285で計算。Tsはタンザニア・シリング。

 フェリーのチケットは昨日のうちに購入しておいた。Flying Horseという会社のスローボートの出発時刻は昼の12時半で11時から乗船できるということだったので、その時間に合わせて行けばいい。宿からフェリー乗り場まではゆっくり歩いても30分もあれば行けるし、楽な移動だ。

 ザンジバル島へはフェリーで行き、ストーン・タウンで1泊して島の最北端にあるヌングイに移動する予定だった。島内の移動は安く済ませたいのなら、島民の使う乗り合いバスになる。ピックアップトラックだったり、トヨタハイエースを使ったりしているらしいが、どうにもスーツケースでは動きづらいだろう。

 ということで、ダル・エス・サラームで宿泊していた宿から徒歩圏内にあったJumbo Innという宿に荷物を預かってもらうことにした。この宿では宿泊者に限り、1つの荷物、1日につきTs500で預かるサービスをしてくれているのだった。昨日のうちに、その内容を確認してザンジバル島から戻ってきたら2泊する予約も行った。前金として1泊分を支払うことで、今日から荷物を預かってくれることになっているのだ。

 Jumbo Innまで徒歩で移動して荷物を預け、荷物預かり代金は島から戻ってきてから支払うことにすると、リュック1つと手提げ布バッグ一つとショルダーバッグという身軽なスタイルになった。冬物は全て置いていくから荷物はとても少ない。

 フェリー乗り場への行きがけに市役所の2階にある食堂で昼食を摂ろうと行ってみた。市庁舎の2階に行くまでには、普通に市役所の中を通るので、こんな外国人が通ってもいいのだろうかと思うような場違いな感じなのだが、誰も何も言わないし、するすると食堂までたどりつけてしまった。

 全開にされた窓からは海が見えて、爽やかな海風が入ってきて、反対側の全開の窓から抜けて、屋内だがオープンカフェにいるような心地よさ。

 なんていい食堂なんだろう。

 値段も定食がTs2000(=US$1.56)と外よりもちょっと安いくらいだ。近くの食堂も偵察してからここに来たのだが、わざわざ市庁舎の2階に来るのが面倒なのか、こちらの方が断然気持ちがよいのに、がらんと空いていた。

 ここで10時からコーラで休憩して、昼食の準備ができたてのご飯をすぐに出してもらった。炊きたてのご飯はもちもちとおいしくて、市庁舎の11時半からのできたのご飯はお勧めだ。

 おいしいご飯を食べてご機嫌でフェリー乗り場に向かう。今日も五月蝿い客引きが寄ってきたが「チケットはもう買った?」「うん」という会話で皆、撃沈して引き下がっていった。

 11時50分になっていて、既に乗り込みが開始されている。フェリーチケット購入のブースの間にある扉でチケットを見せて入場し、道なりに歩いて行くと形式的な荷物検査。手荷物のチャックを開けて見せながら「ナイフなどの刃物はありませんか?」「はい、ありません」。これで終了だ。あ、そういえば果物ナイフ持っていたんだっけ。

 荷物検査が終わると、フェリー乗り場へと向かう人々の群れに加わる。

 ローカルの人は、大きな荷物を抱えて歩いている人が多い。何が入っているのかわからないが、布に包まれた重そうな荷物を運ぶ老婆、売り物だろうか、同じデッキブラシを何本も抱えている青年。観光というよりは行商の人が多い。

 フェリーの入り口には一等も二等もない。みんな仲良く1列に並んで乗り込む。乗り込んだ1階のフロアーは二等チケットのフロアーで、早々に場所を確保して横になっている人もいたりして、市場のような喧騒だ。

 船員にチケットを見せると、一等は2階への階段を上がったフロアーだと言われた。2階にあがると、フワフワのクッションの大きなソファーがいくつもならんだVIPルームのようなサロン。外国人よりも地元の人が多いが、1階とは一線を画して服装も違うし、態度も立派なビジネスマン風の人が多い。部屋のあちこちにはテレビもセットされていた。思ったよりも外国人旅行者の数は少ない。そう、外国人は大抵、スピードボートに乗るものだからね。

 私たちは船の真ん中辺りに陣取り、足元の荷物を自転車のワイヤーで全て1つにくくり付けると、ソファーに沈み込んだ。

 午後1時過ぎに船が港を出ると、しばらくは、かなり揺れが続いたのだが、1時間もするとおさまって静かな航海になった。

 モシというキリマンジャロの麓にある町で知り合ったオランダ人のテクラちゃんという女子大生は、昨年、両親とザンジバル島を訪れた時にフェリーが多いに揺れて、もう金輪際乗りたくないと思ったので、今回は飛行機で行くのだと言っていた。その話から、どんなに揺れるのだろうかと恐れおののいていたのだが、最初の1時間さえ乗り切れば、後は大丈夫。気分が悪くなっている人も、ほとんどいなかったのではないだろうか。

 揺れもなく、クッションもフカフカ、荷物もくくりつけて安全だと思ったら、立派なお昼ご飯のせいで睡魔が襲い、二人ともフェリーの中でぐっすりとお昼寝してしまった。そう、一等はクーラーが効いていたのも睡眠には効果的だったのだ。

 ということで、気づいたらザンジバル島が見えていた。青く光る海は、ダル・エス・サラームとは違って美しい。おお、この島なら美しい海に出会えるかもしれないという予感は、港に近い海からでさえも感じられるほどだった。

 ザンジバル島は昔、独立した国だったのだが、その後タンザニアと併合したという歴史を持っている。その名残で、今でもザンジバル島に入島する際にはパスポートコントロールがあって、まるで別の国に入るかのような手続きが必要なのだ。といっても、帰りのフェリーのチケットも必要なく、ただ書類に記入してパスポートにスタンプを押してもらうだけの簡単なものだ。

 パスコントロールをしている時から、横に男がやってきて「マダム、タクシーはいかがですか」とうるさい。いらないと何度いっても引き下がらないので、しまいには大きな声で「歩くからいいって言ってるでしょ。他の客を探しなさーい!」というと、やっと引き下がった。パスコンの係員は「中国人の女性は強いと聞いていたが、日本人の女性も強いですねぇ」。いやいや、時と場合によります、普段は貞淑で大人しいのですが。

 この後はホテルの客引き、タクシーの客引きが大勢寄ってたかってうるさかったが、バリバリと蹴散らして歩くと、最後に一人だけになった。

 こいつが曲者。彼は聾唖者だったのだ。話すことはできる。私たちが向かおうとしているフラミンゴ・ゲストハウスに連れて行くといって聞かないのだった。いや、地図は持っているし、場所もわかるからいい、といっても、こちらが話をすると「自分は聾唖者で何を言っているのか、聞こえない」というジェスチャーをするのだ。ずるい、ずる過ぎる。身体的な理由を盾に客引きするなんて、フェアーではない。

 彼を振り切るために、とにかく目に付いた最初のホテルに駆け込んだ。他のホテルに入ってしまえば、彼をまけるかと思ったのだ。フロントで値段などを聞いて、適当に時間を過ごしていたら、聾唖者の彼がフロントまで入ってきた。何でここまで入ってくるんだ。

 再びホテルに向かって歩き出すが、彼も付いてくる。うっとうしいので、先に行け、お前はいらんと手で示すと渋々と前を歩き始めたが、私たちと歩調を合わせて、振り返り、振り返り歩くのだ。

 次に観光案内所が見つかった。よし、ここに入ってまこう。ついでに明日向かうヌングイビーチへの行き方も聞こう。この発想は良かったのだが、観光案内所のおやじも使えない。自分の都合でばかり話をして、私たちの質問をちっとも聞こうとしないのだ。何とかしてヌングイビーチへのバスはガイドブックにある16番から116番に変更になったことだけを聞き出して、案内所を出た。これだけのことを聞くのに10分もかかった。そのせいか、聾唖者の姿はなく、ようやく自由の身となったのだった。

 ホテルまであと数ブロックということろで、新たな客引きが登場。う、こんな所まで。そいつは、「フラミンゴ・ゲストハウスは今日は一杯だから他の宿を紹介する」という、古典的な攻撃だったので、簡単に撃破。「自分で行って確かめてからにするね!」

 こうして、ようやくフラミンゴ・ゲストハウスに到着したのだった。今まで出会った客引きが言っていたように、倒産してなくなったわけでもなく、空き室がないわけでもなく、ちゃんと部屋に宿泊することができたのだった。やれやれ。

 この日、チェックインしてから、ハイテンションでとても面白いオーストラリア人の女性2人組みと屋上の食堂でおしゃべりした。彼女たちも、客引きの攻撃に辟易していた所に、修道女が歩いていたので、修道女に声をかけて知り合いのふりをして一緒にタクシーできたのだそうだ。彼女いわく、「どこに言っても、修道女とか神父さんを探すようにしているの。こういう人と一緒にいると、皆、騙そうという気力がなくなっちゃうからね」。うーむ、面白い。いつか試してみたいものだ。


 
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