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ストーン・タウン(Zanzibar/Stone town)→
ダル・エス・サラーム(Dar es Salaam)
2007.06.17 |
タンザニア国内移動 |
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移動内容 |
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11:08-11:49 |
ストーン・タウンの宿からフェリー乗り場近くの食堂Pssing Showまで徒歩で移動 |
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12:10-12:20 |
食堂で昼食後、フェリー乗り場で出国(?)手続きをし、乗船 |
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13:00-15:19 |
ザンジバル島からダル・エス・サラームまでスピード・ボートで移動
フェリー運賃 Ts49000(=US$38.55)/人 by 現金
※米ドルキャッシュで支払うとUS$35。シリング払いは割高。 |
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15:19-15:50 |
フェリー乗り場から宿Jumbo Innまで徒歩で移動 |
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※2007.06.18現在、US$1= Ts1271で計算。Tsはタンザニア・シリング。 |
ザンジバル島からダル・エス・サラームに戻る場合、その日のうちに戻りたいならスピード・ボートを使うしかない。来た時に使ったのと同じスローボートは夜遅くに出て、翌朝早く到着する便しかないのだ。
運賃はスロー・ボートがUS$20でスピード・ボートがUS$35だ。しかし、一晩かけて帰るのも辛そうだなぁと思って、帰りはスピード・ボートを使うことにした。
チケットは前日の便が出発した以降に買えることになっていて、それより前に買うことはできない。これは自分で窓口に行って買う場合の事で、代理店に頼んだ場合は、代理店窓口でもっと前から受け付けてくれるかもしれないのでわからないが。
同じ宿に宿泊している白人バックパッカーは、フェリーチケット販売窓口付近にいるうるさい客引きというかタカリのような連中が面倒くさいので代理店に頼んだそうだ。私たちは例のごとく、代理店に手数料を支払うくらいなら自分で行った方がいいので、前日に窓口を訪ねてみた。
スピードボートはいくつかの会社があるのだが、会社によって出発時間が異なる。私たちは午後1時発のSEABUSという会社を使うことにした。「チケットか?チケットを買いたいのか?チケット売り場の場所を教えてあげよう」と相変わらずわけのわからん男がが近寄ってきたので、夫が「I
know that!」と突然大声で言うと、「ヒッ」とひるんで近寄らなくなった。この時、時刻は昼の12時。丁度、今日出発(午後1時発)のチケットをぎりぎりで買える時間帯だった。こういう「ぎりぎり」という時間帯に変な奴が登場する確立が高いようだ。
SEABUSの窓口で、まだ明日の分は売ることはできない。午後1時に来てくれと言われたので、昼食を食べて午後1時きっかりに訪れると、もう誰も近寄る者はいなかった。私たちが明日のチケットを買いに来た、時間に余裕のある旅行者だということを知っているからだ。時間には余裕を持って行動することの大切さがわかる。
今回も米ドルではなくタンザニア・シリング払いにしたのだが、来る時には米ドル支払いに比べtタンザニア・シリング払いは3%増しくらいで済んだのに、帰りのシリング払いはドル払いの10%増しくらいになっていて分が悪かった。帰りはドル払いが良かったのかもしれない。
前日にチケットを入手していたので、当日は出発の30分前の12時半に来ればいいと言われたので12時半にイミグレに向かった。
独立国だった頃の名残でザンジバル島への出入りには出入国と同じようにパスポートへの手続きが発生するのだ。窓口には団体の客が並んでいて、時間がかかりそうだと思われたが、係員は個人客を別窓口に誘導してくれたので、手続きはほんの5分ほどで済んだ。入島する時にもらっていた出国カードに事前に必要事項を書き込んでおくと、更にすばやく手続きができる。
イミグレからフェリーの発着所までは、あまり標識もなく、どこに向かって歩いたらいいのかわからなかったが、周囲の人に聞きながらたどり着くことができた。
SEABUSと船体の横に書かれた船は、来た時に使ったFlying Horseよりも小ぶりな船だった。1階がUS$35のエコノミークラス、2階がUS$45のファースト・クラスになっている。
エコノミークラスは前向きに椅子がずらりと並んでいた。席は後ろの方から埋まっているような気がした。
窓際がいいなぁと探していた私たちは、結局前から2番目の席しか空いていなかったので、そこに陣取ることにした。この時期は外国人観光客もかなり増えていて、出発する頃には、ほぼ満席の状態になっていた。
船は出発してすぐに、最初から少し揺れていた。係員が黒いビニール袋を配って歩いていたが、吐きたくなる程ではなかったのでもらわなかった。しかし、島を離れてしばらくすると、猛烈な波乗り状態になった。上下左右に揺さぶられる。窓際といっても、前から2列目までは窓の位置が高くて、座ったままでは外が見えないので、一体どんな状態になっているのか見ることはできないのだが、前方の甲板に出ている人が必死に手すりにしがみついている姿を見ると、相当激しい波乗り状態になっているようだ。
一人、また一人と席を立って甲板に出て行く人が増えてきた。みんな耐えられなくて外に吐きに行っているのだ。夫もまた耐えられなくなって船の後方に移動した。そう、窓際の席が前だけ空いていたのは、前の方が揺れが激しいからなのだった。私は後ろに移動した夫を振り返ることもできずに席で耐えていたのだが、より気分が悪くなってきたので、私も立ち上がって後方に移動してみた。
夫は立ちながら外の状況を見ていたのだそうだが、波の底に来ると次の波が見えるのだが、それが水平ではなく傾いていて、進むに従って傾きが水平になり、やがて反対方向に傾いて・・・。つまり、私が前で感じていた通りに、単純に上下に揺れるだけでなく、加えて左右へのローリングもしている状態なのだそうだ。見えなくて良かったかもしれない。
後方は、座席がなくなった部分には地元の人がぐったりと寝転んで足の踏み場もない状態だった。それに後方に移動するまでに立ってフラフラと歩いたのが更に吐き気を助長して、もうダメかというぎりぎりの状態になってしまった。私は、何とかもう一度自分の前の席に戻って、座席に沈み込んだ。私は立っているよりもこの姿勢の方が楽。急いで酔い止めの薬を口に放り込んで、後は忍耐の一文字。横のきれいな白人のお姉ちゃんが、黒いビニール袋に顔をつっこんで「オエーーーーッ」とやりはじめた。
それに刺激された後ろのイスラムのおばちゃんも「オエーーーーッ」。もらい涙ってのはよく聞くが、「もらいゲロ」というのも存在するんですねぇ。連鎖反応的に周囲から聞こえる音、臭い。キャー、ヤ〜メ〜テ〜ーーーー。隣に座っている韓国人の若い女性と私は何とか耐え忍んだ。韓国人と日本人は高山病に弱いと聞くが、船の揺れには強いのかもしれない。
島を出発して2時間と10分。ようやくダル・エス・サラームに到着。憔悴しきった乗客は、ホッとした面持ちで下船を始めた。
いやー、それにしてもザンジバル島からダルエスへの帰りの船は厳しいんだなぁ。
ダル・エスに来る前に出会ったオランダ人の女性が、以前に両親と訪れた時に金輪際あの船乗りたくないと思って、今回は飛行機で行くと言っていた。ザンジバル島に向かう時には、揺れるといってもここまで酷くなかったので、彼女はよっぽど船に弱いのかと思っていたが、この帰りの船を体験して彼女の言っていたことがわかった。
ダル・エスに戻るときは海の流れに逆行しているからこういうことになるんだろう。スロー・ボートはもっと大きな船だから、多少は緩和されるかもしれないが、それにしてもあの波を一晩も体験するのかと思うと絶対に嫌だ。というか、帰りは飛行機で帰りたい。飛行機はUS$60だそうだ。ザンジバル島の空港とダルエスの空港から、それぞれの市内までの交通費も考えるともっと高くなってしまうだろうが、もしザンジバル島に再び来ることがあるのなら、行きはスロー・ボート、帰りは飛行機を使おうと思った。
フェリー乗り場から宿までは歩いて帰れる。今日はもう別の乗り物には乗りたくない気分だったし、丁度よかった。
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