夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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ムプルング(Mpulungu)→タンザニア:キゴマ(Kigoma)
2007.08.31-09.01
ザンビア→タンザニア

移動内容
8/31
07:13-07:38
ムプルングのバスターミナルからフェリーターミナルまで徒歩で移動
07:38-08:20 フェリーの係員を話して、午後2時に再び来るように言われて、一番近くのレストランに徒歩で移動
08:20-13:00 レストランで朝食、仮眠、サイト更新作業、昼食
13:00-13:15 フェリーターミナルに移動。
13:15-14:00 敷地内に入れてもらって警備事務所前の木陰で待つ。
出国手続き開始に先立ち、この警備事務所で港湾入港料を支払わされる。
港湾入港料 ZMK10000(=US$2.44)/人 by 現金
14:00-15:06 出国手続きを済ませて、別の木陰で待機。
15:06-15:30 乗船開始。フェリー内で1等客室チケット購入して(US$のみ)チェックイン、乗り込んでいる両替屋で残ったザンビア・クワチャをタンザニア・シリングに換金。
フェリー運賃一等キャビン US$60/人 by 現金(US$のみ)
船へ荷物運搬代金(スーツケース2個) ZMK4000(=US$0.98)/ by 現金
16:15-16:30 乗組員が部屋に来て、別室に来るように指示。別室でタンザニアの入国手続き。
ビザ代金(3ヶ月) US$50あるいはTs67000(=US$51.46)/人 by 現金
16:30-18:25 部屋で写真整理、コンテンツ作成、洗濯
18:25-
09/02
14:10
ようやく出発。船中で2泊して、ムプルングからキゴマにフェリー(MV Liemba)で移動
※2007.08.27現在、US$1 = ZMK4100 = Ts1302で計算。ZMKはザンビア・クワチャ、Tsはタンザニア・シリングをあらわします。



 今日は上図Aの移動。8月30日の夕方ルサカを出て、31日の朝7時過ぎにムプルングに到着。そこから、800m離れたフェリー乗り場まで荷物を引きずって歩いていった。

 村のはずれにあるフェリーターミナルは門が閉まっており、多くのローカルが行列をなして並んでいる。

 どうやらこの人々は漁師さんらしく、漁に出るための許可証を申請に来ているらしかった。

 やがて門から係員が顔を出したので、今日のキゴマ行きのフェリーについて聞いてみると、午後2時に手続きを始めるので午後2時に来てくれと言う話だった。

 周囲にはほぼ何もない。今来た道沿いに確か開いているレストランが一軒あったので、再び村の中心に向かって500m程引き換えし、左手にあるレストランに落ち着いた。

AFRICA MAYO AFRICAというこのレストランは、こうして朝到着して午後の船を待つ客に慣れているようで、ずーっとここでフェリーを待っていてもいいかと聞くと快諾。

 朝食を済ませると何もすることがなくなったので、店の電源を借りてコンピュータを開けて、サイトのコンテンツ作業などをして時間を過ごした。

 まぁ、これだけお世話になったのだからと昼食もここで摂ることにして、朝から「12時になったら魚のフライとご飯を出してくれ」と頼んでおいたので12時きっかりに揚げたての魚と炊きたてのご飯が出てきた。この辺りはスローフード。時間はたっぷりかかるが、一から作った手作りの家庭の味が出てくるのでおいしかった。

 午後2時に来いと言われたが、午後1時に出発。もしかしたら早く門が開くかもしれないからね。・・・と思ったのだが、門は固く閉ざされていてがっかり。しかし、強烈な日差しの中を戻る気にもなれずにたたずんでいると、やがて別の用事で入る車があり係官の姿が見えた。お願いしてみると、中に入れてくれて、右手にある警備員小屋の前にある木陰で待ってもいいということになった。

 「教育省」と書かれた車が港湾の視察にやってきて、なんだかとても偉そうだ。どうして「教育省」が港湾の視察?高官の暇つぶしなのだろうか。私たちをゲート内に入れてくれた部下に向かって、「何で時間前なのに外国人を入れたんだ」と嫌味たっぷりにネチネチと叱りつけていた上官の警備官は、高官らしい「教育省」の人には嫌らしいほど低姿勢でおべっかをつかっている様子である。木っ端役人丸出しのこの様は、海外青年協力隊員から聞いた汚職の構造を思い出して反吐が出た。

 午後2時にザンビア出国の手続きをしてもよいということになり、ターミナルの奥にある小屋に移動したら、「ちょっとまて」と書類に名前やパスポート番号を書かされて、「港湾入港料」という名目で金を払わされた。空港利用料みたいなものだろうが、何となく木っ端役人の懐に入るんじゃないかなぁという空気が臭っていた。(疑いすぎ?)

 イミグレでの出国手続きは、出国書類に記入事項を書いてパスポートと提出すれば終了するのだが、フェリーが到着してタンザニアからザンビアに入ってきた観光客の入国手続きと窓口が一緒だから、めちゃくちゃに混乱していた。ともすると入国のハンコを押される可能性もありそうだったので、手続きの後、ちゃんと出国のハンコかどうか何度も確かめてしまった。

 で、フェリーに向かおうとすると「ちょっと待て」とまた別の偉そうな警備官に止められて、フェリーの準備がまだだから待っていろという。出国手続きを終えた人がどんどんと集まって、乗船が開始したのは午後3時過ぎになった。2等、3等席狙いの人は全自由席なので、少しでもいい自分と荷物の場所を確保しようと、一斉に走り出した。

フェリーはマラウィのマラウィ湖を渡る船よりは小さめで、2階の欄干をよじ登って乗り越えて船に乗るようになっていた。なんじゃ、これは。

 その表情を見て「待っていました!」と寄ってくるポーターの少年達。今回は彼らを使わざるを得なくて、彼らに荷物を運び入れてもらったのだった。当然運び賃を払わなくてはならないのだが、一つのスーツケースにつきUS$10とか言ってる。本当に価値がわかって言っているのだろうか。午前中からレストランで一緒だったコンゴ人のミッショナリー(キリスト教布教活動をしている人)の男性が「いやいやZMK2000くらいでいいはずだから」と言って中に入ってくれたので、大変に助かった。

 この時点でまだフェリーのチケットを購入していない私たちは、レストラン脇のベンチに荷物を置いて、スタッフルームを訪ね1等キャビンを確保した。フェリー代金は米ドルしか受け付けないということで、クワチャで支払えると思っていた私たちは手持ちのドルが予定外に減ることを心配したのだが、係員がタンザニアのビザ代金はタンザニア・シリングで支払えるからと教えてくれた。フェリー代金に支払おうと思って用意したザンビア・クワチャが大量に余り、それをフェリーに乗り込んでいる両替屋とタンザニア・シリングに交換すれば手持ちのドル札を減らさずに済む。

 ということで、両替屋と話をして両替を行ったのだった。レートはUS$164を換金して手数料がUS$4つまり2.4%だったので悪くない。米ドルは南アのケープタウンで高い手数料で作ったものなので減らしたくなかったから助かった。

 因みに、ロンプラには「ビザは米ドルのみ、船はクワチャ払い可」と書かれてあったが、実際には反対だったのだが、ビザ代金がUS$50でキャビン代金がUS$60なので情報が逆だったところであまり大きなダメージはなかった。

 とにかく落ち着ける部屋が決まった。前日の午後2時半にルサカの宿を出てから約26時間ぶりだ。ふー、疲れた。

 部屋で寛いでいると、係員が部屋を訪ねてきてタンザニアの入国手続きを行ってくれと言う。同じフロアの別室に行くと1つのキャビンが小さなオフィスになっていて、そこでビザ代金をタンザニア・シリングで支払って入国手続きを終了した。まだフェリーは出港していなくて、実際にはザンビアの領域にいるのだが、出港するとすぐにタンザニアの領域に入ることになるので、済ませてしまおうということらしかった。

 フェリーチケットの購入、キャビンへの入室、通過の換金、タンザニアへの入国手続き。以上で全ての作業が終了。やっと本当に一息つける状態になった午後4時半。まだフェリーは出ていない。人は乗り込んだようなのだが、荷物の搬入がまだまだ終わらないのだ。岸からクレーンで穀物が入っているような大きな袋がどんどんと積み込まれていった。

 そしてとっぷりと日も暮れて、あたりが暗くなった午後6時半にようやく出港だ。

 フェリーは夜遅くまで所々の村々に寄りながら北上してキゴマを目指した。

 停泊する度に大きな荷物と人がドッと船に押し寄せては中に乗り込んでいった。

 この晩は、もちこんだ食パンとチーズなどでサンドイッチの夕食。キャビン内には電源もあるので、部屋でコンピュータ作業できるのがとても便利だった。

 明けて翌日も途中の村々に立ち寄りながらフェリーは進む。ほとんどの村には港の設備がないので、フェリーは沖に停泊して、岸からは小船で物資と人が運ばれてきて、帰りは降りた人と物を乗せて帰っていく。これらの光景は退屈な航行でのイベントで、乗船客は停泊する度に甲板から物珍しそうに喧騒を見物するのが常だった。


割と大きめの船にぎっしり人が乗って到着。

小船で来た乗客は、下の階からとにかく船に
よじ登って乗り込む。大変だ。

小船を漕いできた少年達は一仕事終えると
ザブンと水に入って気持ち良さそうだ。

かぶりつきで見物。まぁ、面白いよね。

お洒落した姉妹も乗船。どこに行くのかな?

午後の甲板は下の倉庫のような席より涼しい。

 ここで船の中を紹介。
 食堂。バーも片隅に併設されていてお酒も飲める。食事はセットメニューで一人Ts2000(=US$1.54、\179)。私たちはサンドイッチの材料を持ち込んでいたが、食堂の食事がリーズナブルな値段だったので、こちらで食べることにした。食事時には満席に近い状態になる。

 食堂脇の座席が2等クラス。空いているように見えるが足元には荷物がぎっしり置いてあって、全て満席になっている。この後もどんどん2等席には人が増えていった。



 1等キャビン室内は2段ベッド、テーブルと椅子が1つずつ、クローゼット、洗面所と鏡。

 クローゼットはスーツケースや他の荷物が全てが入るくらいの大きさだったので何とかしのげる広さは確保できた。

 何よりも鍵をかけて部屋を離れられる環境があるというのが重要なポイントで、キャビンを確保したお陰でセキュリティーに神経を使わずに済んだのが良かった。

 キャビンの入り口はこんな様子。

 マラウィ湖を渡るフェリーでは1等のフロアーには2等、3等の客が入れないようにしていたのでキャビン周りはクルーとキャビン客だけだったが、このフェリーではどのクラスの客も好きに移動できる。

 3等クラスはこのフロアーの下の階なのでまだ水上に出ているが、4等クラスは水面下の機械室の横なので、日中は暑くて耐え難いということになる。するとキャビンのフロアーまで布団を持って移動してきて、人の部屋の前で寝ていたりする。私たちも暑いので、部屋のドアを開けてコンピュータ作業をしていたが、ノックもなしに覗き込まれたりしてドキッとする場面も何度かあった。

 トイレとシャワーは男女別になっているだけで、乗船クラス別にはなっていない。男性用のトイレは配管にひび割れがあって汚水がシャワーフロアーに流れ出し、悪臭も漂うという酷い状況らしかった。女性用はそこまでひどくはないが、悪臭は漂っていた。

 私たちのキャビンから一番近いトイレとシャワーのある部屋に入ると左手にトイレが2ヵ所、正面に洗面所、右手にシャワーブースが2ヵ所ある。この国の人は用を足した後は水で股を洗うことになっている。しかし、トイレには水道がないので、トイレの外にある洗面所で洗っているらしいのだ。従って洗面所まわりは常に水浸しで悪臭が漂うということになる。

 更に理由はわからないのだが、シャワーブースがあるにもかかわらず洗面所の水でシャワーを浴びる人が多かった。トイレ・シャワールームに入ると目の前に素っ裸の黒人女性がいて、びっくりすることが何度かあった。で、向こうもびっくりして「えへへへ、見つかっちゃった」みたいな顔をしてる。いやいや、シャワーブースを使おうよ。

 そんなわけで、トイレ・シャワールームの床は常に水浸しで愉快ではなかった。

 まぁ、全体として考えれば洗濯もできるし、コンピュータ作業もできるし、温かい食事がリーズナブルな値段で食べられるし、そういう普通の生活をしながら移動できているので、シャワーとトイレ環境さえ目をつぶれば快適な移動と言えた。

 フェリーに乗って3日後の9月2日午後1時にキゴマの港が見えてきて、午後1時半には下船が開始した。

 乗る時は欄干を乗り越えなくちゃならなくて、降りるときはどうするのかと心配だったが、ちゃんと出入り口があって通路には板も渡されて自力で下りることができた。

 フェリーを降りて左前方の細い道を伝ってフェリーターミナルを出ると、迎えの車やタクシーがたくさん停車している空き地に出た。タクシーの呼び込みも激しかったが、地図でみるとフェリーターミナルからキゴマの鉄道駅までは徒歩で行けそうな感じだったので、歩いて行くことにしたのだった。

 今日は日曜日。事前の調べでは、日曜日の午後6時キゴマ発タボラ行きという鉄道があるはずだった。このフェリーは朝8時に到着するはずだったので、時間をどうやって潰そうかと思っていたが、ここまで遅れたら逆に都合がいい。鉄道駅でチケットを買ってそのまま駅で待とうと思った。

 ところがタンザニア鉄道は、そんな私たちの計画をめちゃくちゃにする素敵な状況になっていた。続きはSketch「タンザニア鉄道呆れる腐敗っぷり」でお楽しみください。


 
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