夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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ンカタ・ベイ(Nkhata Bay)→モンキー・ベイ(Monkey Bay)
2007.06.25-27
マラウィ国内移動

移動内容
6/25
17:15-17:25
ンカタ・ベイの宿マヨカ・ヴィレッジから宿のボートでフェリー乗り場まで移動
ボート運賃 MK600(=US$4.2)/ボート by 現金
※他にもう一組のカップルも同乗したので、我が家の負担は半額になった。
17:25-17:40 フェリーに乗船
フェリー運賃 MK13610(=US$95.14)/人 by 現金
※ンカタ・ベイからモンキー・ベイまでキャビン使用
17:40-18:15 船室に荷物を置いてから村に買出し。
18:15〜 夕食、シャワー、サイト作成作業など。
6/26
終日
マラウィ湖をフェリーで南下。
6/27
午前・午後
洗濯、サイト作成作業など。
17:40-18:10 モンキー・ベイ下船、宿探ししてチェックイン。
※2007.06.25現在、US$1= MK143で計算。MKはマラウィ・クワチャ。

 今回は話も長いので章に区切ってみた。区切りすぎ?
○マラウィ南下は船で・・・
○まずはチケット購入から
○出発!乗船までの一波乱
○キャビン内の様子
○船での時間の過ごし方は?
○船内の設備
○他の旅行者の行き先
○モンキー・ベイの宿探し

○マラウィ南下は船で・・・
 「マラウィの見所はマラウィ湖」とロンプラに書かれてあったし、首都のリロングウェは治安が悪そうだ。ってなことで、マラウィ湖を2泊しながらフェリーでひたすら南下することにした。

○まずはチケット購入から
 フェリーはマラウィ湖の北部にあるChilumbaから南部にあるMonkey Bayまでを週に1便往復している。私たちは途中のンカタ・ベイから乗り込んでモンキー・ベイまで行こうとしていた。

 フェリーの支払いは現金なのに、ンカタ・ベイには銀行がなく、銀行がある一つ手前の大きな町ムズズではフェリーの料金がわからない。ということで、ロンプラにあるフェリーのファースト・クラスの料金を目安に値上げ分も見積もってムズズの銀行で現金を引き出してからンカタ・ベイに向かったのだが、ンカタ・ベイのフェリー乗り場にある事務所に行ってびっくりした。

 フェリーにはエコノミー、セカンド・クラス、ファースト・クラス、キャビンというのがあるのだが、ベッドがあるのはキャビンだけなのだ。ファースト・クラスは甲板全体が自由席というか、テントを張ってもよし、マットを借りて夜空の下で寝袋にくるまってもよしということになっていて、冬空の下でテントもなしでは厳しい状況だった。(実際に乗ってみると、テントなしでマットレスを借りて寝袋で寝ている30代前半のドイツ人女性がいたが、夜、特に明け方が寒いと言っていた)。

 ということで、急遽キャビンにせざるを得ない状況になった。キャビンは一人MK13,610(=US$95.14)。ファースト・クラスはMK7910(=US$55.31)なので、この差は大きいが仕方がない。ンカタ・ベイからミニバスに乗ってムズズの銀行に行き、マラウィ通貨現金を用意してンカタ・ベイに戻るという仕事が一つ入った。参考までにンカタ・ベイから各地への各クラスごとの料金表を掲載しておく。

単位はマラウィ・クワチャ、2007.06.25現在US$1= MK143。


 チケットの相談などについては、ンカタ・ベイのイララフェリー乗り場の入り口にあるチケットカウンターが閉まっていたので、そこから警備員の横を通って桟橋の目の前にある建物にあるオフィスを訪ねて行った。

 ここで対応してくれた男性は、まるで大きな商取引をするクライアントを迎えたかのような丁寧で心地よい案内をしてくれた。オフィスには既にローカルの先客(あるいは知り合い?)がいたのだが、イララフェリーの男性はなぜかこのローカルも私たちに紹介し、お互いに立ち上がって握手なんかしちゃって、最近の日本はどうかね?みたいなちょっとした会話の後、フェリーの席の相談を始めた。なんかVIPっぽい流れだ。

、とにかくキャビンの予約は受け付けたので、支払いは当日行えばよいと握手をしながら別れた。普段の交通手段に比べると格段に高級な出費をした私たちの気持ちを汲んでくれているかのような対応に、私たちはおおいに気をよくしたのだった。

○出発!乗船までの一波乱
 さて、そんな風に事前に予約を行って25日は午後8時に出発予定なので、少なくとも30分前までには乗船してくれということだった。ンカタ・ベイに船が入ってくるのは午後3時の予定なので、それ以降ならいつでも乗船していいとも言われた。

 私たちは25日は午後4時に宿のボートでフェリー乗り場に向かってさっさと荷物を運び込み、村で必要な飲料や食料を買い込む予定だった。午後3時では船が遅れて到着していない可能性があり、午後5時では村に出て買い物するには暗くなりすぎるからだ。

 ボートは宿のスタッフの「こうのひとし」と名乗る黒人男性。明るいエンターテーメント型の人なのだが、彼に頼んだボートは午後3時に宿を離れたっきり午後4時を過ぎても戻ってこず、マネージャーのルカに聞くとそんなボートの予約は聞いていないというし、肝心のこうのひとしはもう家に帰ってしまっていた。綿密に考えた計画がガラガラと崩れていき、夫はあちこちに当たりだした。いやー、また始まりました。

 マネージャーのルカはこの事態を真剣に受け取めて、タクシーに電話してくれたのだが、田舎のことなので車が出払ってしまって1台もつかまらない。「フェリーに乗る人は通常19時に宿のボートを使うので、19時には必ずボートは戻ってくるので、それに乗ったらどうか」というルカの一言に夫は「何でそっちの都合に合わせなきゃいけないんだ、俺はちゃんと予約したんだから何とかしろ!」と切れ始め、その様子に恐れをなしたルカは携帯電話を持ってフーッとどこかに消えてしまった。

 19時に乗ろうとしている他のバックパッカーは気を使って、奥さんが残って旦那さんが一人で徒歩で村に行って買い物を済ませ、後で合流するというのはどうだろうか、荷物は僕たちが手伝うからという提案も「大切な荷物を人に頼めるか!」と一蹴。皆、いっせいに引いてしまった。じゃー、どーするってのさ。

 こんな風にイライラと30分程が過ぎた午後5時、ひょっこりとボートが宿に戻ってきて全てが一気に解決したのだった。さぁ、荷物を積み込め、乗れ、乗れ。

 ンカタ・ベイのマヨカ・ヴィレッジという宿では何か頼みごとをする時はルカを通じて行わないとダメなんだなぁ、今度から気をつけよう!(って、今度があるのかどうか疑問だが。)

 居合わせたもう一組のカップルも同じボートで行くことになり4人の乗客を乗せてボートで15分、イララフェリーの停泊する港に到着したのだった。

 辺りは夕暮れ時。ボートを降りてオフィスに向かおうとすると、今回のイララのキャプテンだという男性が「船の支払いならば船内でできます」と教えてくれた。一応オフィスを訪ねて確認もしたが、やはり船内でできるということだったので、とにかく荷物を船に入れることになった。

 午後5時半の船はエコノミークラスやセカンドクラスに入る乗客と荷物でごった返していた。

 どのクラスのチケットにせよ、船に入る入り口は同じで、3〜4段のタラップを上って段差のある狭い入り口を入る。入った所はセカンド・クラスのフロアになっていて、通路の3分の2は穀物やら荷物やらで埋め尽くされているのだった。人々は自分の荷物と今夜の寝場所の確保で忙しくワメキあっていた。この喧騒の中、キャプテンの助けを借りてスーツケースを運んでいく。映像の中でしか見たことのない、例えば満州からの引き上げ船とか、例えば移民としてブラジルに向かう船とか、そういうイメージの中に自分が入ってしまった気分だった。

 キャビンはハシゴのような階段を上がった一つ上の階。この階にたどり着くと、階下の喧騒が嘘のようにひっそりと静まり、何も置いていない広々とした廊下が伸びている。何という違いだ。


○キャビン内の様子
 部屋は昼間の熱さをここだけ取り残したようにムッと熱く、そっけないペンキ塗りの鉄の壁に囲まれた小さな空間は、私が想像していた豪華客船の客室とは程遠いイメージだった。



それでも、ベッドがあり、扇風機もあり、洗面所と鏡まで付いているこの部屋は船の中で一番いいクラスの部屋には違いなかった。

 しかも、扇風機があるってことは電源があるということだ。

 残念なことに私たちがが持っているアダプターを扇風機用の電源に差し込んでしまうと、もれなく扇風機が使えないという不都合があるものの、夜の涼しい時間帯には問題なくコンピュータで作業をしたり、バッテリーチャージができるというのは、素晴らしいことだった。

 通常は移動している時間は全く作業ができないし、それどころか疲れるのが常だから、寝ながら移動したり、作業しながら移動できるという効率の良さを考えるとイララでの移動は全く素晴らしいといえる。

○船での時間の過ごし方は?
 船は夜中にもいくつかの小さな村に停泊しながら進んでいるようだったが、私たちは全く気づかなかった。

 翌26日にその模様はつぶさに見ることができた。

 ンカタ・ベイのように桟橋がある港ではなく、小さな村に立ち寄る場合は、イララの横に付属しているボートを海に下ろす所から作業が始まる。

 ぎりぎり、ぎりぎりと音を立ててボートが海に降りきる頃には、下の階の人々がボートに我先に乗り込もうと船から身を乗り出さんばかりにしているのが上から見えるのだった。

 そして、乗船が開始されると人と荷物が一斉にボートに入り込んでいく。

 そのスピード、その詰め込み方、その喧騒。その間にも風に波立つ湖にもまれてボートは大きく前後左右に揺れていて、そりゃぁもう見ているだけでハラハラする光景でもあった。乗っていく人々も真剣だったが、見ているこっちも思わず手に力が入ってしまうのだった。


 こうして人々を満載に詰め込むと、ボートはフワリ、グラリと波に揺られながら向こうに見えている岸を目指して走り出す。

 岸辺には数軒の家が並んでいて、ボートで帰ってくる家族を待ちわびている人々が出迎えに出て早くも手を振ったりしている。

 こうして国の大半がマラウィ湖に接しているマラウィの小さな村での生活を垣間見ながら、船はゆっくりと南下を続けていった。


 こうした村々への立ち寄りというイベントを除いては、船の上での時間は比較的静かに過ぎていく。

 大抵の人は甲板で日向ぼっこをしながら読書。あるいは、カウンターで冷たいビールを飲みながらコンピュータで書き物などをしている。甲板の隅にあるバーカウンターにも電源があるのだ。そしてバーではビールなどのアルコール飲料も販売している。時々冷たくなかったりするんだけど。

 私たちはひたすらキャビンに閉じこもって作業にいそしんでいた。時々、甲板にあがっては青い湖を楽しんで、またキャビンにこもって作業。そんな時間を過ごした。




○船内の設備
 船内にはファーストクラスとキャビンの乗客が使える食堂がキャビンのフロアに1つ、エコノミーとセカンドクラスの乗客の食事を出す窓口がセカンドクラスのフロアにある。

 食堂ではKW400-450(US$2.79-3.15)の食事を出している。決して高くはないのだが、量が少なめ。私たちはセカンドクラスで出している食事KW140も試してみたのだが、こちらは地元の人が食べているシマと呼ばれるとうもろこしの粉に水を加えた鍋を火にかけて練り上げた主食がたっぷりとついてくるので、満腹度では勝っているくらいだった。この情報を他の観光客に教えてあげると、量が足らなくて二人前頼んでいた男性たちは、早速セカンドクラスの食事に切り替えていた。

 キャビンのフロアにはお湯の出るシャワールームが2箇所ある。1箇所はトイレとシャワーが一緒になったもので、もう一箇所はトイレとシャワーが併設しているが別の部屋になっているもの。

 私は別になっている方を利用していた。

 パッと見た目にはあまりきれいとはいえないシャワー設備だが、足元にはスノコがあり、シャワーは真っ直ぐにドーッと湯の落ちるタイプのシャワーノズルで、清掃はちゃんとされているし、使ってみると全く問題なかった。

○他の旅行者の行き先
 イララに乗船した旅行者の中には、モンキー・ベイに向かう途中にあるリコマアイランドで途中下船する人も何人かいて、逆にここから乗船してくるバックパッカーも数人いた。

 リコマアイランドというのは全く眼中になかったのだが、折角マラウィ湖を縦断するのだから、寄っておこうという人も少なくない場所のようだった。静かな島の環境、安くダイビングができるスポット、そしてマラウィでありながら、限りなくモザンビークに近いというのが魅力なのだそうだ。

 地図で見ると、確かにモザンビーク側に入り込んでいる。リコマアイランドから対岸のモザンビークのCobueにローカルボートで渡り、そこからモザンビーク入りすることができる。しかし、これはかなりチャレンジコースだとロンプラにも書かれているように交通の便が非常に悪いようだった。

 この方法ではなく、更に南にあるモザンビークのMetangulaでイララフェリーを下船して、そこからモザンビークを南下しようと試みた勇気ある30代前半と思しき白人男性パッカーは、一旦船を下りたものの「今日中にMetangulaに行くバスや車はなく、村には宿泊施設もない」ということで討ち死にして船に戻ってきていたのを見ると、やっぱり難しい移動方法と言えるだろう。

 このままイララフェリーに乗り続けてモンキー・ベイに到着してからはケープ・マクレアーCape Maclearに興味を持っている人が多かった。こちらもロンプラに掲載されている場所で、人気があるように書かれている。しかし、イララフェリーの到着が遅れて日没以降になると(私たちの場合がそうだったが)、通常のミニバスの運行が終わってしまって、あとはタクシーで行くしかない。このタクシー料金がとても高い値段を言ってくるのが難しい所だそうだ。モンキー・ベイ近くの風景は、緑の樹木が生い茂る小島や半島が青い湖に面白く突き出している。この風景に白い砂浜をプラスするとケープ・マクレアーの風景になるのだという話を聞いた。

 実際に行った人の反応は賛否両論。行くのが大変な割には大したことがないという人あり、とてもよかったという人あり。人生に数回と来ないモンキー・ベイでケープ・マクレアーまで行くと、行きつくしたという満足感は高いだろうが、ケープ・マクレアーだけを取り出して行くにふさわしい所かどうかだけを検証すると疑問が残る、そんな印象の場所だ。(行っていないので、あくまで人の話を聞いての判断です。)

○モンキー・ベイの宿探し
 こうして、のんびりと快適な船旅をしながらマラウィ湖を南下して、27日の午後5時半にモンキー・ベイに到着。

 船の上で色々と言葉を交わした旅人と別れを告げて歩き出す頃には、日はとっぷりと暮れてしまっていた。

 モンキー・ベイ。地図もないし全く何もわからない状態。

 とにかく明日はバスでブランタイレに向かおうと思っていたので、バスターミナルの近くに宿泊したかった。

 フェリーを降りて人々が向かう方向に歩き始めると、フェリーの敷地を囲ったフェンスにぶつかる。ここには警備員がいて、一般の人が入れないようにしているのだが、このフェンスを出る手前に一軒ホテルがある。イララ・ヴィレッジ・ホテルIlala Village Hotel。フェリーの係員に聞くと、このホテルが一番便利だという。料金はKW2000(=US$13.99)と高いが便利ならば利用してもいいと思っていた。

 しかし、バスターミナルの場所を確認していないので、このままホテルに宿泊してしまうと明日が不安だ。とにかくバスターミナルまで行って場所を確認してから宿を決めようと歩き出した。

 すぐに客引きの若者が近寄ってきて、一緒に歩き出す。断る理由もないが、話に飛びつく理由もない。お互いに付かず離れずみたいな距離感を保ちながらバス・ターミナルに向かっていった。

 モンキー・ベイというのはフェリーの最終寄航地だからちょっとした町だと思っていたら、とっても田舎だった。メインロードは1本しかなく、その両脇には何もない。そのメインロードたるや何と砂地なのだった。客引きの青年は「荷物を持ってあげようか?」と言ってくれていたが、ここで世話になっては恩義が発生する。頑張って、もはやホイールの転がらないスーツケースをひきずって歩き続けた。

 フェリーのフェンスから300mほど歩くと、左手に曲がる道路沿いに、ロンプラに掲載されているVenice Beachという宿の看板が見える。しかし、宿はこの左手の道を空身で20分歩かなくっちゃいけない距離にあり、とても行けそうになかった。

 更に進むと、フェリーのフェンスから500m歩いた地点で、右手にバスターミナルだと言われる広い空き地が見えた。恐ろしく閑散としているが、この手前あたりから両脇にバーやバーやバーが見えていた。ってバーしかないじゃないか、ここは。やたらに大音量でかけている古いアメリカ音楽が、澄み切ってギャラクシーの見える夜空に吸い込まれていく下で、イケテル地元青年がビールを傾けながらプールバーでキューを握りなおしているってくらい、ものすごい徹底した田舎ぶりだった。

 最初に見たイララ・ヴィレッジ・ホテルからここまではスーツケースを引きずってくるとかなり大変だ。何とかバス・ターミナル付近で宿を探したい。そういう思いを胸に、バス・ターミナルを通り過ごしてなおもメインロードを歩いて行くと、バス・ターミナルから300mくらいかなぁ、メインロード沿い左手に初めて宿の看板を発見した。

 ここまで何となくついてきた青年を振り返り「ここの宿を見てよかったらここに決めるからね!」というと、仕方ないという風に肩をすくめた。

 ザワディZAWADIと看板の出た宿は、これ以上考えられないシンプルな宿。四角形のコンクリート打ちっぱなしの部屋にシングルベッドが2つあるだけ。

 トイレとシャワーは別の場所に共同のものがあった。

 値段は一泊一部屋KW400(=US$2.8)。おお、激安だ。どうせ一泊だけだし、もうここでいいと決定して、ついてきた青年にはお引取り願うことにした。

 この宿にして正解だった。というのは、この宿はブランタイレ行きのバスのスタッフの定宿だったのだ。お陰で、翌朝4時半発に合わせてバス停に行くこともなく、宿の庭に停車してあるバスに直接荷物を入れさせてもらって宿から出発することができたのだった。

 静かで作業のはかどる船での移動はここで終了。これから怒涛の移動が始まった。


 
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