夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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ウィントフック(Windhoek)→ボツワナ:ハンツィ(Ghanzi)
2007.08.10
ナミビア→ボツワナ

移動内容
04:00-05:00 観光案内所に紹介してもらったジェームスのチャーター車を待つ。
5:00-05:30 ジェームスのふざけた発言に怒り、バスで行くことを決意。
宿の女性にバスが出発する場所まで車で連れて行ってもらう。
6:05-12:35 ウィントフックからボツワナのハンツィ40km手前のマウンとハボロネの分岐点までボツワナのバス会社Monnakgotla Busで移動
バス運賃 N$130(=US$18.18)/人 by 現金
※ボツワナとナミビアは時差が1時間。ボツワナが先に進んでいるので、実際の乗車時間は5時間半。
※Monnakgotla Busのボツワナ国内からの連絡先は
TEL:081-2135138 (担当者Onnie)
13:15-13:51 ハンツィの手前の分岐点からハンツィまでヒッチハイクで移動
ヒッチハイク運賃 BP5(=US$0.78)/人 by 現金
13:55-14:00 今日のマウン行き最終バスが出てしまってもうないということだったので、幹線道路沿いに戻ってヒッチハイクをすることになり幹線道路まで移動。
タクシー運賃 BP10(=US$1.56)/人 by 現金
※タクシー代金はBP15だったがもう一人と割り勘にしたので3分の2が我が家の負担。
14:00-15:45 ヒッチハイクを試みる。
15:45-15:55 ヒッチハイク失敗。今日はハンツィに宿泊を決意。幹線道路からハンツィの街中までヒッチハイクで移動
ヒッチハイク運賃 BP0(=US$0)/人 by 現金
※地元の方のご好意で乗せていただきました。
16:00-16:09 バスターミナル近くの宿に行くも満室で、そこで別の宿を紹介してもらってタクシーで移動
タクシー運賃 BP10(=US$1.56)/人 by 現金
※2007.08.06.現在、US$1= N$7.15、2007.08.13現在、US$1= BP6.38で計算。
N$はナミビア・ドル、BPはボツワナ・プーラをあらわします。

 ウィントフックからマウンへの移動については、手配の初っ端から問題がありそうな予感があった。

 最初はボツワナのマウンにあるアウディ・キャンプというキャンプサイトがウィントフックからマウンへのチャーターサービスを行っているというロンプラの記事を見てアウディに電話した所、すでにそのサービスはやっていないという返答だったのだ。むむ?ここをフリーで移動している人が少ないということだろうか。まずいなぁ。

 ウィントフックの宿では、私たちが到着した8月にはもう過去のことになっている「7月30日のチャーターに乗りたい人募集」という張り紙がしてあり、宿の人にお願いして、張り紙の主に電話してもらったところ、人数が集まらないで私たち2人だけならば、車1台でN$4500(=US$629.37)頂きますという。そんな飛行機の代金くらいの高額は出せない。

 観光案内所を捜し求めて、誤って入ったNamibia Tourism Boardという場所で、やっとウィントフックからボツワナのハボロネGaborone行きのバスがあることを聞き出した。

 ところがハボロネ行きじゃぁマウンと方向が違う。私たちは途中のハンツィの手前、マウンとの分岐点で降りる所までしかバスで行けないのだった。

 で、その先について聞いても、このNamibia Tourism Boardの男は「そこから先はボツワナのことだから、僕にはちょっとわからないねぇ」ということで、とりあえず、彼からはバスが毎金曜日の朝6時と毎日曜日の朝7時にインディペンデント通りのチューリンゲンホテルの前から出ていることまで確認して終了。

 その後、本当の観光案内所でまともそうな男性に出会って、ジェームスというチャーターサービスをしている男を紹介してもらえたのだった。観光案内所の彼にバスで行く可能性について相談したところ、

 「バスはハボロネ行きだから、途中下車の人間を乗せるのを好まない傾向にある。だから途中下車の人間は事前にチケットを買うことができず、当日朝バスに行って空き席があったら乗せるという方法なので、せっかく行っても満席の場合は断られることもあり、旅行者にとっては使いにくい。だからチャーターをお勧めする」

 という説明だ。私たちもこの説明に納得して、その場でジェームスに電話をかけてもらった。ジェームスは10日の件を快く承諾してくれて、一人N$650(=US$90.78)で話がついた。確認のために9日に再度ジェームスと確認を取ることを約束して、私たちはツアーに出たのだった。

 そして9日に観光案内所に行くと、別の男性が座っていて彼の同僚で私たちが話をした人は午後に戻ってくるという。この男性は、マウンに行くなら通常ハボロネ行きのバスに乗って途中下車して行くだろうというので、彼の同僚が私たちにしてくれたバスの話をした所、この男性は「いや、そんなことはないと思うなぁ」と言い始めた。聞く人によって話が2転3転する。わけがわからなくなった私たちは、先日チューリンゲンホテルのレセプションカウンターにおいてあったボツワナのバス会社の電話番号を書いたメモを彼に渡し、ここに電話して確認してほしいとお願いしてみた。

 断られるかなぁと思いきや、この男性は受話器をあげて電話をしてくれた。ボツワナのバス会社なのでウィントフックには事務所がない。電話番号はナミビア国内の携帯電話番号なので、事務所なしで担当者だけが対応しているようだった。

 電話で聞いてもらったところ、ハンツィ手前の分岐点までの乗車は問題ない、当日の朝出発の1時間前にバスの所に来てもらえれば乗れるという話だった。なーんだ、バスでもいいんじゃないか。しかし、もう話はジェームズで進んでいるし、その方が楽なので、バスの話は参考までに聞いておいた。そうこうするうちに、先日話をした観光案内所の男性が戻ってきて、10日のジェームズの件について来たというと、その場でジェームズに電話をかけてくれて、では午後2時に観光案内所で待ち合わせて最終の確認をしようということになったのだった。


左が観光案内所の男性、右がジェームズ。せっかくジェームズに
仕事をあげようと思った観光案内所の男性の面目丸つぶれだ。
 9日の午後2時、観光案内所で待っているとジェームズが現れ、明日朝4時に迎えに来るのでゲートまで出て待っていることと値段は先日言った通り一人N$650でいくことを確認して、笑顔で別れたのだった。


 観光案内所の人間を交えて確認して、写真まで撮影したのだから来ると思うでしょ、普通。

 ところが、ジェームズは来なかった。

 10日の朝4時から待機して待っていたのだが、5時になっても来ない。朝5時になると、宿の人が起きてきて朝早くインターケープというバス会社で出発する人々をバスターミナルまで送る準備をするようだ。たまたま今日の担当は宿のオーナーの姪っ子でアルバイトに来ている女性で、とても気が利く人だったので、彼女のテレフォンカードを使わせてもらって、宿内の公衆電話からジェームズの携帯に電話をしてみた。すると、彼はただいまエトーシャ国立公園の近くを走っていて、あと2時間したら行くからと言うではないか。

 何を言っているんでしょうか、彼は。

 マウンの近くの空港でお客さんを拾う都合があるから、ウィントフックを朝4時に出るという話はどーなっとるんでしょうか?

 私たちは直感的にもうこの男は信用ならんと判断した。これで朝7時までアホ面をして待っていてこなかったら、リビングストンまで立てた予約や計画が全て変更になってしまう。ジェームズのアホーーーー!

 たまたま10日は金曜日。ハボロネ行きのバスがある日だった。バスで行こう。バスで。バスの情報も得ていたので、私たちは早速バスターミナル行きの宿の車に乗せてもらって、バスターミナル経由でチューリンゲンホテルの前まで連れてきてもらうことができたのだった。宿のカメレオンが無料送迎サービスを行っていたこと、この朝インターケープで出発する客がいたことは、本当に不幸中の幸いだった。

 送ってきてくれた姪っ子の女性は、チューリンゲンホテルの前にバスが停車していないのは問題だと、ホテルに確認を促してくれた。もし今日のバスが何かの都合で来ないなら、宿まで連れ帰ってくれようという心使い。この人、本当によく気がつく。

 チューリンゲンホテルとバスは何ら関係がないのだが、夜警の人は、通常なら5時半(あと2、3分だった)にバスは来るはずなので大丈夫でしょうと言ってくれたので、彼女にはお礼を言って帰ってもらうことにした。

 夜警の人の言う通り、バスはすぐにやってきた。時刻は5時半だった。チューリンゲンホテルの前というが、正確にはホテルを背にして右方向に行くのでホテルの前の道路を渡った側にバスは停車した。

 中にいるコンダクターの女性にマウンに行きたいので一番近い場所まで乗せて欲しいと言うと快諾。何の問題もなく乗ることができた。

 それから出発までの30分くらいの間に、どんどんと人が乗り込んできてバスはほぼ満席の状態で出発。私たちが支払ったバス料金は途中下車ではなくハボロネまでの料金だったのかもしれない。そうであれば、満席だろうとなんだろうと乗せるものね。この件については未確認だ。

 ウィントフックから私たちが降りるハンツィやマウンとハバロネの分岐点まではほぼ真東に向かって走る。6時20分に行く先から真っ赤な太陽が昇ってきた。ナミビアでみる最後の朝日は、あのソススフレイの砂漠を思い出させる燃えるようなオレンジ色だった。

 午前8時10分に、国境に近いGobabisに到着した。ガソリンスタンドとコンビニのある場所で小休止だ。ところで私たちはボツワナの通過を一銭も持っていなかった。昨日、換金しようと思ったのだが、夕方の時点でウィントフックの両替商には既にボツワナ通貨が全く残っていなく(夕方だからないと言っていたが、そもそもないのかも?)、換金できなかったのだ。

 この国境近くの店ならあるかもしれないと聞いてみると、あるという。やっぱり。しかも、ナミビア側にある店なのでボツワナ通貨は早く手放したいと見えて、昨日見て回った中で一番良かったレートよりも更にちょっと良いレートで交換してくれた。今まで、国境にいるフリーの両替商は使ったことがあるが、国境近くの個人商店というのは穴場的に良いレートで換金できることがわかった。

 ここを出てナミビアの国境に到着が9時15分。国境の表示には「TRANS-KALAHARI」と書かれていた。カラハリ砂漠ってボツワナじゃなかったっけ?まぁ近いからそういう名前にしているのかもしれない。

 出国の手続きを取り、再び来るまで近くのボツワナのイミグレに移動して入国手続き。ボツワナはビザが必要ないので何の問題もない。

 全ての手続きが終了したのが、午前9時56分だった。

 ここからボツワナの旅が始まる。といっても、景色は相変わらず灰色がかった潅木の並ぶブッシュの中をひたすら快適な舗装道路を走るだけなのて、新しい国に入ったと言う感じはしなかった。

 午前10時にチャールス・ヒルという場所で停車し、大勢の人が降りて、大勢の人が乗って来た。辺りは何もない幹線道路沿いなのに、一体どうやってここから去って、どこからここに来たのだろうか。


 ハボロネとハンツィの分岐点に到着したのは、時計では午前11時35分。実際には、ボツワナに入って1時間時間が進んでいるので12時35分のことだった。ウィントフックからここまでバスで5時間半かかったということになる。

 降りるのは私たちだけかと思っていたら、案外多くの人が降りる。本当に途中下車は全く心配することがなかったようだ。

 で、ここからどーするのか。何かバスのようなものがあるのだろうか。周りの人に聞くと、やはりマウンまで行くというジェーンという若い女性が一緒に行きましょうと荷物を持って手伝ってくれるという。

 ジェーンはオカバンゴ・デルタの中にある高級ロッジで働いているナミビア人で、休暇を使って里帰りして職場に帰る途中なのだそうだ。

 分岐点からGhanziの表示がある方向にバスを降りた全員が荷物を抱えて歩いて行く。途中にはハンツィまで44kmという表示があった。44kmも歩くわけには行かない。一体どーするのか?

 すると、皆が集合している場所に次々とピックアップトラックが停車して、人を積んでは出発していく。ヒッチハイクだ。

 公共の交通機関が発達していないボツワナではヒッチハイクが当たり前のように行われいてるのだそうだ。かくして、私たちは何とこの旅で、初めてスーツケースを持ってヒッチハイクをすることになったのだった。

 とはいえ、自分達だけで車を拾うわけではなく、他にも大勢の人がいるので気持ちは大分呑気だった。

 スーツケースをバスから取り出したり、引きずってゆっくりと歩いていたので、他の団体よりも遅れを取ってしまい、私たちが到着した時にはヒッチハイクは一段落して、車はなかなかやってこなかった。しかし、待つこと30分弱。ピックアップトラックがやってきて、その場に残っている全員を詰め込んでハンツィまで連れて行ってくれることになった。

 荷台には子供も含めて8人くらいと私たちの荷物以外にもたっぷりと乗客の荷物が乗る。荷物を真ん中に寄せて、人間が縁に座るという形態を取ったら、私やジェーンはトラックの一番後ろの席になってしまった。

 道は限りなく整備されて素晴らしいのだが、だからって時速120kmも出すとは思わなかった。凄い風圧が顔を直撃してメガネは危ないのですぐにはずさざるを得なかった。

 スカイダイビングをしている人の顔の映像って見たことあるだろうか?そんなのに近い感じで、顔の脂肪が全部後ろに引っ張られて、意味もなく涙が出てくる。ひょえーーー。前にいる夫に運転席のスピードメーターを確かめてもらったら、最高時速120kmだった。ピックアップに人を積んで出すスピードではないよなぁ、普通。

 周囲を見ると顔を伏せて風が当たらないようにしていた。そうだよね、そうするよね。

 お陰でハンツィまでは36分で到着。平均時速73kmだ。速い。

 車はバスターミナルに停車してくれて、料金を支払ってお別れ。ところが、ジェーンが周囲の人に聞いてみると、今日のマウン行きの最終バスは午後1時半に出てしまってもうないということ。現在午後1時40分。あー、しまった。あの分岐点で出遅れたのが失敗だった。

 どーするの?と困惑する私たちを見てジェーンは「え?どーするのって、バスがないならヒッチハイクするしかないでしょ」と事も無げにおっしゃる。おお、師匠。師匠ジェーンは、このバスターミナルで待っていても埒が明かないので、マウン行きの車が多く通る幹線道路までタクシーで移動するとおっしゃる。はいはい。私たちには何の知識もないので、ジェーンと共に幹線道路までタクシーで行くことになった。

 幹線道路にはヒッチハイクを待つ人が、そうねぇ、20人はいた。本当にボツワナではヒッチハイクは普通のことなのだ。車が通るたびに、8頭身くらいあるジェーンはすらりとした腕を伸ばしているのだが、マウンまでは行かない、この辺りを走っているだけという車が多く、マウン行きの車は一台も見つけられなかった。

 その間、ジェーンとおしゃべり。ジェーンは今婚約中で結婚式を間近に控えているということだった。ハネムーンとしては、アウトドア好きのジェーンとしては南アかオーストラリアなどに行ってバンジージャンプやサファリをしたいのだが、ハイクラスの生活が好きなお相手の彼はパリの高級ホテルでロマンチックなパリ生活をしたいのだそうだ。

 ジェーンは英語がとても上手なのだが、ナミビアではプライベートスクールに通っている人は小学校から英語で授業を行って、学校では昼休みも英語で話す生活だったのだそうだ。だから、英語を話すことは何の苦もないんだって。

 「ジェーン、一人しか乗れない車が来たら乗って行ってね」(私)

 「いいえ、あなたたちを置いていくことはできないわ」(ジェーン)

 なとと麗しい会話も織り交ぜながら、ヒッチハイクを試みること約1時間。一台の乗用車がスーッとジェーンの前に停まるや、中から出てきた人がジェーンと抱き合い挨拶をしている。ジェーンは私たちに「私の従兄弟たちなの。さっき電話したらマウンまで行くっていうから、私は彼らと一緒に行くわね。楽しかったわ。さようならーーー」と、あっという間に車に乗って去っていってしまった。

 し、師匠〜ーーー。あまりの出来事に私たちは呆然。そう、あっさりと見捨てられてしまったのだった。

 「ナミビアの上流階級ってのは、こうやって人を簡単に裏切って自分だけ上にのし上がって行くのよねぇ」とさっきの麗しい会話も忘れてジェーンをなじる私に、夫は「んなこと言ったって、しょーがないじゃん。あとは自分達でやるしかないんだから。」と荷物を持って、もっといいポジションに移動を始めた。こういう時の夫の切り替えの早さは尊敬に値する。

 マウン行きを狙っているのは、私たちともう一人のビジネスマンの地元のおじさん。おじさんは本気だったし、荷物も少なかった。それから45分後の午後3時45分、ついにビジネスマンのおじさんがギュウギュウの乗用車をゲットしてマウン行きを達成したのを見て、私は決意した。

 「今日は無理。もうハンツィに宿泊するしかないね」。

 夫もこれに賛成した。とはいえ、ここは幹線道路沿いなので町まではまたヒッチハイクするしかない。町までの車はすぐに見つかった。ピックアップトラックが停まってくれたのだった。町といっても、私たちが知っているところなどない。とにかく、マウンに向かうバスが出る場所に一番近いホテルに連れて行ってほしいというと、このおじさんはカラハリ・アームズ・ホテルKALAHARI ARMS HOTELまで連れて行ってくれた。バスターミナルは道をはさんで並んでいる商店の裏側にあり、徒歩で行ける場所だそうだ。

 乗せてもらったお礼の運賃を聞くと、「いいから、いいから」と手を振って受け取らなかった。本当にありがとうございます。ヒッチハイクで旅をするという話は、他のバックパッカーから良く聞くのだが、私たちも今日は地元の人の親切を肌身に感じることになった。

 ボツワナもナミビアと同じく宿泊費が非常に高い。おじさんは高いホテルを紹介したわけではなく、他の日本人バックパッカーでもこのホテルに宿泊している人がいるので、ここがバス停に一番近い便利な場所で値段も相応なのだろうと思われた。しかし、フロントで聞くと満室だという。いったい、ハンツィにどんな用事があって満室なんだ!

 ホテルの人は、ここからタクシーで少し行った場所に別のゲストハウスがあるから訪ねてみるといいと、タクシーの運転手にゲストハウスの場所を教えて私たちを乗せた。もう、どんどんと陽が暮れている。早く宿を決めたい私たちは、このタクシーに乗るしかなかった。

 タクシーで10分も行かない場所にあったのは、オアシス・ゲスト・ハウス。

 フェンスに囲まれた駐車場のあるショッピングセンターの2階から上が宿になっている所だった。

 とにかく空き室があるかどうかを確認しなきゃ。夫と荷物を置いて、とりあえず2階のフロントを訪ねると、年配の白人の女性が「あるわよ、あるわよ」と言ってくれた。よかった。

 ということで、夫と荷物を2階に運び込んですぐにチェックイン。学校の寄宿舎というか、殺風景なビジネスホテルのような長い廊下の両側に部屋が並んでいる。私たちの部屋は廊下に向かって窓がある、いわゆる行灯部屋のような場所だった。部屋の内装は美しくて、いわゆる安宿ではなくビジネスホテルクラス。でも狭い。一泊だからしかたないが、一泊BP275(=US$43.10、2007年8月13日現在の換算レートUS$1=BP6.38を使用)は本当に高い。マウンに到達していれば、一泊BP165(=US$25.86)で宿泊できていたはずなのに。あのジェームズの奴め。とまた怒りがこみ上げてきた。

 しかし・・・。

 ジェームズに一人N$650×2人分を支払っていたら、それだけでN$1300(=US$181.82)かかっていた所、今日と明日のマウンの宿に到達するまでの出費は2人でUS$58.09しかかかっていない。これにアウディ・キャンプで宿泊する場合と比べての宿泊費の差額を足しても、US$75.33だ。

詳細は以下の通り。
ウィントフック→分岐点 N$130(=US$18.18)×2=US$36.36
分岐点→ハンツィ BP5(=US$0.78)×2=US$1.56
ハンツィ→ヒッチの幹線道路 BP10=US$1.56
幹線道路→ハンツィの町 0
ハンツィのアームズ・ホテルからオアシスまで BP10(=US$1.56)

これに明日使った
ハンツィのホテルからバスターミナルまで BP25=US$3.92
マウンまでのバス代金が BP31.9(=US$5)×2=US$10
マウンの町から宿アウディ・キャンプまで BP20=US$3.13

 日数が1日余分にかかったが、それはマウンでの滞在を1日減らせばよかったので、問題はなかった。フロントの女性に事情を話してホテルの電話を使ってアウディ・キャンプに連絡した所、もともとテントを借りて宿泊する予定だったので、今夜のキャンセルについても問題なし。フロントの女性も電話の会話を聞いていて、非常事態というかボツワナの国の状況が私たちをこうした事態に追い込んだと判断したのか、電話代はいらないと言ってくれた。

 こうして、全ての問題が解決したところで考えてみたら、ジェームズには腹も立ったが、お陰で公共の交通機関で行く踏ん切りがついたし、半額以下に費用を抑えることができたのた。色々と苦労はしたが、終わってみれば人との出会いや親切に出会えて、思い出深い移動になったのだし、今日の所は良しとしようと思えるようになった。


 
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