夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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バラナシ(Varanasi)→ネパール:ポカラ(Pokhara)
2007.10.17-18
インド→ネパール

移動内容
10/17
06:15-06:26
バラナシの宿フレンズゲストハウスからゴードリヤー交差点近くのタクシーまで徒歩で移動
06:26-06:58 ゴードリヤー交差点から駅近くのPaul Travelsという旅行代理店までタクシーで移動
タクシー運賃 Rs200(=US$5.08) by 現金
※本当はRs150で交渉成立していたのだが、車に乗ってから宿の前に鍵を忘れてきたことに気づいて戻ってもらったのでRs50上乗せして支払った。
06:58-07:37 旅行代理店がまだ閉まっていたので、店の前で待機。
07:37-08:22 開いた旅行代理店で朝食券をもらい、100m程先のチャイ屋で朝食
08:22-08:40 乗車開始。
08:40-21:54 バラナシからネパール国境のネパール側の町のスノウリまでツーリストバスで移動。
ツーリストバス運賃 Rs600(=US$15.24)/人 by 現金
大きな荷物代金 Rs10(=US$0.25)/人 by 現金
※バス運賃は17日の朝食、宿泊費、翌日のスノウリ→ポカラのバス代を含む。18日の朝食は含まず。
※本来は午後6時には到着するはずだが、洪水で橋が決壊して迂回路を通ったために大幅遅延。
21:45-22:58 徒歩でインド側のイミグレに行き出国手続き、徒歩でボーダーを越えてネパール側のイミグレでビザ取得して入国手続き、そこから500m程先の宿まで徒歩で移動してチェックイン。
ネパールビザ代金(2ヶ月シングル) US$30/人 by 現金
10/18
06:00-06:36
バス到着、荷物積み込み。
※ネパールとインドは時差があって、インドよりも15分時間が前倒しになるので、昨日のうちに時計を直しておかないと出発時間に遅れることになるから注意。
06:36-15:32 スノウリからポカラまで旅行代理店手配のバスで移動。
※バス運賃は上記に含む。
15:32-15:40 バスターミナルからポカラの宿Blue Heavenまで宿の車で移動。
※宿を予約しており、宿のサービスで無料送迎があった。
※2007.10.15現在US$1 = Rs39.38で計算。Rsはインド・ルピーをあらわします。

 アフリカから一気にネパールに行きたかったのだが、ネパールとインドの盆と正月が一緒になったお祭り時期にぶつかって、世界中からネパール人が帰郷するためにチケットがなかなか取れなくて、結局インド経由で行くことになった。

 14日の夕方にアフリカのナイロビからインドのバラナシに到着して、15日に宿の主人ラジャさんにネパールのポカラまでのバスチケットを依頼すると、ツーリストバスは月水金発で一番近いのが17日(水)だということで17日の出発となった。

 ラジャさんの所でチケットを依頼すると一人Rs600。自分でPaul Travelまで行くと一人Rs550になるらしいが、この旅行代理店までのリクシャー代金が往復でRs50かかるので、二人で代理店に赴いて直接購入してもあまりうまみがない。私たちはラジャさんに依頼した。

 バラナシからポカラへバスで行くには1泊2日の日程になる。朝7時に旅行代理店前に集合し、朝食を摂り、初日はインドとネパール国境に近いネパール側のスノウリまで行く。ここで一泊して、翌朝スノウリからポカラに向かう。チケットは初日の朝食、両日のバス代金、初日の宿泊費が含まれる。私たちはネパールのカトマンドゥからネパールに戻る時には飛行機を利用したが、航空運賃は税と空港使用税を含めると一人US$155くらいもかかるので、バスは10分の1ということになる。

 チケットはラジャさんに依頼したものの、出発当日に大きな荷物を持って道に迷っても困るので、やはり事前に旅行代理店の場所を下見しておくことにした。駅近くにあるPaul Travelsはネパール行きのツーリストバスを取り扱っている代表的な2社のうちの1つだ。それでもリクシャーはこの代理店の場所を知らなかったので、もっと大きめのホテルを目指してもらってたどり着くことができた。リクシャーは待ち時間含めて往復Rs50で俺を使ってくれというので、確認するのを待ってもらって同じリクシャーで戻ってきた。

 マダガスカルでもリクシャーを体験したのだが、インドのリクシャーは自転車なのでまだ心苦しくない。マダガスカルでは人が走る。これはかなり申し訳ない気分になる。

 旅行代理店の場所を確かめて宿に戻る途中、ゴードリヤー交差点から少しメインガード寄りで車を持っていてタクシー業務を行っているおじさんに、明日のタクシー業務を依頼した。車はかなり古いが走ればいいから、おじさんの料金Rs150はかなり良心的と言えるだろう。

 ラジャさんの妹さんからチケットを受け取って、出発の準備が完了したのは前日の夜になってだった。

 当日は朝6時15分に宿を出た。早朝のバラナシは路上に撒き散らされたゴミも、牛の糞も、うるさい客引きもなくせいせいとしている。

 昨日約束したタクシー運転手は「6時にくるって言ったのに遅かったじゃないか」とちゃんと6時から待っていてくれたようだ。すみません、勝手に遅刻して。

 近くで見ると彼の車は「走るんかい?」っちゅうくらいに古かった。しかし、車種はは空港から来たタクシーと同じもので中が広々としたタイプだ。独特の手法で運転手さんが4つの扉を閉めた後、ボンネットを開けてプラグをつないでエンジンがかかる。こりゃぁ、途中でエンストしたりエンジを止めることはできないなぁ。

 こうしてボツボツとエンジン音をたてながらゆっくりとバラナシの町を走ることになった。町中は早朝にもかかわらず、相変わらず自転車やリクシャーやバイクが数多く走っているのでゆっくりと走る車が迷惑になることはないのだ。

 タクシーの運転手さんはPaul Travelを知っていたので何も問題なく到着。運賃はRs150だったのだが、走り始めて5分くらいしてから忘れ物に気づいて引き返してもらった手数料を考えてRs200渡した。

 7時に来いっつーから来たのに、事務所が開いたのは7時半過ぎ。先進国から来た旅行者はいらいらしながらオフィスが開くのを待っていた。この辺りがふざけているんだよねぇ、インド。

 オフィスが開くとチケットの確認と同時に朝食券をもらう。この券と荷物を持って事務所から500mくらい離れた場所のチャイ屋で朝食を摂ることになった。目の前にバスも来ている。

 玉葱入りオムレツをはさんだパンとぐい飲みくらいのカップに入ったチャイが朝食だ。あまりに小さな紅茶にフランス語圏から来たカナダ人女性は「おお、プティ、プティねぇ」と私にささやいて笑った。カフェオレボールは大きいからねぇ。

 このチャイ屋は裏手にトイレもある。トイレを借りたいというと店の息子なのか少年が案内してくれた。用を足して帰ってくると「使用料Rs5、プリーズ」とか言っている。このお店で飲み食いしてなんで使用料を払わせるかねぇ。思いっきり無視。見ていると他の人も無視して誰も支払っていないようだった。さすがツーリストバスを使うツワモノだけある(もっとツワモノは公共のバスを使う人だとは思うが)。

 メンバーの大半は若いバックパッカーだが、中には先ほど私に話しかけてきた60代の女性のような年齢の人もいた。彼女は飛行機で行きたかったのだが、やはり今回の帰郷シーズンのためにインドのデリーからカトマンドゥのチケットが取れなかった。せっかくだからデリーから旅行しながらバラナシに来て、バラナシからバスで行くことにしたのだそうだ。自由に予定を変更できるのが一人旅の良さだ。彼女はとても旅を楽しんでいて、訪れた各地がどんなに素晴らしかったかをずーっと話していた。この人なら一人旅でも寂しくなさそうだなぁ。

 朝食を終えると出発の準備。バスは後ろに荷物を詰め込める倉庫があり、入りきらない分は屋根の上に乗せることになっていたが、倉庫は見た目よりも中が広がっていて大部分の荷物がここにおさまることになった。

 でも、これは参加者の人数と荷物の量にもよる。なるべく天井ではなくこの倉庫に入れてもらえるように素早く行動したほうがいい。

 荷物を入れる時に荷物代金Rs10を支払うように言われたが、皆無視していたので私たちも支払わなかったら、最終的にバスの中で全員徴収された。これは逃れられない。しかし、バス代金の5分の1、ひどい時には3分の1くらい徴収するアフリカに比べると微々たる額なので許せる。

 8時40分にようやく出発だ。とういかゆっくりし過ぎだろう。7時からオフィスを開けていれば8時には出発できただろうに。

 さぁ、スノウリに向かって一気に進めー!と思ったのに、10時にはお茶休憩で停車。

 運転手と助手たちはサモサを買ってチャイを飲んで、ここで20分も休憩している。ゆっくりしているなぁ。しかも、私たちはインドに入ってまだ間もないので、こういう所で揚げ物を食べる体と心の準備ができておらず何も食べられない。意味のない停車だった。

 10時20分に再び走り始めて1時間20分。11時51分にある町中で再び停車。こんどは渋滞だ。渋滞というよりも町中の車全てが停まっている。どうやらこの先で事故か何かがあって交通が止まってしまっているらしいのだ。

 前に停車している車からは、人がぞくぞくと降りて、車を放ったらかしにして前の方の状況を見に行っている。

 そうこうしているうちに、外国人を満載した私たちのバスを見物に村人たちが集まってくる。近所の若者にとっては、先で起きている事故よりもこのバスの方が面白いらしく、バスの外はこちらを指差してくすくす笑う少女や、無表情なのにじーーーーーーっとこちらを見ている青年たちで埋め尽くされた。こんなにたくさんの一般インド人と記念撮影するチャンスも珍しいと、夫はバスを降りて若者に取り囲まれた写真を撮る。

 30分くらいして警察官が縦列に隊を組んでバスの横を走り去って現場に向かって事態を収拾して、12時25分にようやく車が動き始めた。この村で40分の停車。あーあ、こんなんでスノウリにちゃんと到着するんだろーか。

 午後1時57分には昼食のために道路沿いのレストランで停車した。各自メニューから好きな物を選んで先払いする。

 こういう場面になると国民性がよく現れる。日本人は順番を守ろうとするのだが、日本人以外はわれ先に注文しようとする。当然、日本人はどんどん後回しということになる。日本人は個人の利益を優先させるのは身勝手で社会性がないという道徳が徹底しているのを強く感じる。他の国の人は個人の利益を優先させるのが当たり前、競争に打ち勝たなくてどうするという教育を受けているようだ。特にその傾向が強いのが、この日は中国人だと思われた。教育のせいでそうなっているのか、その人の資質がそうなのかわからなけどね。

 私たちはお腹が空いていたこともあって、他の日本人の皆さんのように全員が終わるのを待つ気はさらさらなく、外国人に混じって注文競争にいそしんでいた。といっても注文の机を取り囲んでいる外国人同士、目配せで「次はこの人だろう」という暗黙の順番みたいな気運があったのをぶち壊して自分だけさっさと注文したのが、中国人女性だった。皆があっけにとられる中、悠々と奥の席におさまった。

 こうして皆が注文し終わると、料理が次々と運ばれてきた。大抵は作り置きを温めなおして、チャパティーを焼くだけのベジターリーなのですぐにできる。厨房近くに席を取った私たちは、注文したのは後だったが一番先に料理を受け取ることになった。奥の席におさまった中国人にはなかなか料理が届かない。いらいらして厨房に文句をつけに行く彼女を尻目にターリーを食べるのは痛快だった。

 こうして、小さな国際紛争もありながら50分間の昼食休憩を終えて出発したのは14時44分だった。

 運転手の話ではここから4時間くらいで到着するという話だった。

 牧歌的な畑の風景、そして村を抜けというのをいくつも繰り返す。今まで旅した国では首都から離れると村と村の間の距離が長くなり、畑や森林が長く続くものだが、北部インドにはとにかく村がたくさんある。少し走るとすぐに村に到着するという具合で、あらためてインドの人口の多さに気づかされるのだった。

 午後5時に比較的大きな町を通過。ヒンドゥ語の文字が並ぶ中でかろうじて町の名前を英語表記してある看板を見つけて現在地を確認すると、スノウリまではまだまだ遠い場所で、とうていあと1時間で到着するとは思えない場所だった。そこから日が沈んで暗くなると、バスはすれ違う車に何かを聞きながら走っている。

 とっぷりと陽が暮れてから小休止した町で、他の観光客に「あとどのくらい時間がかかるか知っていますか?」と聞いてみると、多少ヒンドゥ語ができる英語圏の男性が運転手から仕入れた情報では、通常走る予定の橋が天候不順の洪水で決壊して、今は迂回路を通っており、迂回するとかなり距離が増えるのでまだまだ時間がかかるということだった。

 照明もない真っ暗なバスの中ではもうやることもない。もう目をつぶって、ひたすら到着を待つしかなかった。そして午後9時54分にようやくスノウリに到着。午後6時が予定到着時間だとすると4時間の遅延だった。もう全員ぐったり。

 まずはインド側のイミグレに行って出国手続き。そこから「Welcome to Nepal」と書かれた門をくぐって、右手にあるネパール側のイミグレに向かった。

 事前にビザを取得してきている人もいたが、大半は私たちのようにここでビザを取得しようとしている。ビザ申請用紙に必要事項を記入してパスポートとともに提出した。ビザの申請は半数の人が行った時点で一旦打ち切られて審査官は部屋に閉じこもってビザの発行作業に取り掛かる。第一陣のビザが出来上がってパスポートが戻されるまでに20分くらいを要した。

 事前にビザを取得していた人も、一番初めにここに到着していない限り、この第一陣に混じってパスポートを渡されるので同じように待つことになっていた。

 パスポートを受け取ると、イミグレから右手に500mくらい歩いた先にあるゲストハウスまで移動。午後22時58分、ようやく今夜の宿に到着だ。

 指定された部屋に入ると、ベッドが6つ、ほとんど隙間なく並べられた狭くて汚いドミトリーだった。全員が荷物を置いたら足の踏み場もない。今まで宿泊してきた宿の中でも5本の指に入るひどさだ。

 別途お金を出せば他にも宿はある。ここが嫌ならもっとましな宿に移るという選択肢もあるが、この日はもう動きたくなかった。一晩だけの我慢だとここにおさまることにした。

 部屋の右隅にシャワー、左隅にトイレがある。シャワールームには大きなバケツがあるのだが、得体の知れない黄色い物体が浮かんだ水で気持ち悪い。このバケツを避けながらシャワーを浴びることになった。

 こんなに汗だらけで移動してきたというのに、同じ部屋になった男達はシャワーも浴びずにさっさとベッドに潜り込んだ。一人旅行者ばかりで登山やトレッキング目的の山男らしく、ベッドの虫や蚊を避けるためなのか寝袋の中に使用するビニールの袋を取り出して中に入ってさっさと寝ている。ネパールに向かう男達は寡黙で忍耐強い人たちだ。

 でも私たちは山男でも山女でもない。シャワーを浴びたもののビールを飲まないと寝られない。「申し訳ないが、私たちはビールを飲んでから寝るので、あと15分はバタバタするから了承して欲しい」というと「ビール飲んだら15分じゃ終わらないだろうなぁ」とフランス人男性が言った。いやいや、絶対短時間で飲んでくるからと部屋を後にしてレストランに向かった。

 深夜ではあったが、冷たく冷えたビールを出してもらえた。これを飲んでやっと一息。既にすっかり寝入っている男達の間のベッドに潜り込んで私たちも寝ることにした。

 翌朝はカトマンドゥ行きとポカラ行きに分かれる。ポカラ行きは朝6時にホテル前に集合するように言われていた。

 バスは昨日のよりも更にボロい感じになっていた。椅子も左側2人掛け、右側3人掛けの1列5人と狭苦しく、座席も固くてゆがんでいる。コンピュータの入った荷物は天井の棒からぶらさげるフォーメーションにすると、座って目の前にコンピュータがぶらさがるという窮屈な感じだった。これで、ポカラまで耐えなくてはいけない。

 バスはほぼ満席の状態で走り始めた。外国人観光客が6割くらいであとは地元のお客さん。そう、ここからはローカルバスを使うことになっているようだ。スノウリから30分ほどのバイワラという町のはずれにあるバスパークからは更にネパール人が大量に乗り込んできた。

 しかも、彼らは私たち外国人客が座っている席の指定席券を持っているという。私たちだって、スノウリから以降は立ち席で行くとは聞かされていないので、譲れと言われても譲る筋合いがない。バスの車掌に言ってくれと交渉先を車掌に振り向けた。

 車掌はこのダブルブッキングに対して、私たちをどかせるわけにもいかず、後から乗って来た地元民に平謝りするしかなかった。事態を何とか収拾してバスを走らせたものの、住民の怒りは収まらない。すると車掌は外国人観光客に「天井の上の荷台から見るネパールの景色はすばらしいぞ!天井席に移動したいだろ?」と一人ずつ懐柔し始めたが、そんな誘いにのる外国人は一人もいなかった。しかし車掌の努力を認めたのか、住民は外国人客の肘掛に尻を乗せることで怒りを静めていった。

 1時間も走ると辺りはすっかり山の景色に変わった。眼下にはエメラルドグリーンに光る川が流れ、所々に小さな滝もある。

 山間の渓谷沿いにクネクネと走る細い道を通ってどんどんと山の中に入っていく。ネパールは本当に山の中にある国なんだなぁ。

 バイワラから乗って来た子供連れの若いお母さんはバスに弱いのか、この山道に耐え切れずにバスの乗降口に立ってゲーゲーと吐き始めた。ネパール人なのにバスに弱いというのもちょっと不思議な気がしたが、そうなるくらいバスに乗り慣れていないのだと悟った。そうなると、せっかく席を予約して乗って来たのに立っているのは少しかわいそうな気もしたが、こちらも昨日からの移動でヘトヘトだ。ここはお宅の国のやり方がめちゃくちゃだということを認識してもらうしかなかった。

 昨日はあんなに無駄な休憩があったのに、今日は客の乗降があるので停車は何度もするのだが休憩はない。ローカルバスだから休憩しないのが当たり前なのだが、このまま昼食休憩もなしで突っ走っていったらどーするんだ!と不安が走った11時半、ある小さな村で15分間の停車となった。

 目の前の食堂に飛び込んでインドでいう所のターリー、ネパールではダルバートという豆のスープとカレーとご飯の定食を1人前注文して夫とわけて食べた。

 この辺りに来ると、ネパールの土着のモンゴロイド系の顔立ちと、その後に入ってきたインド系の顔立ちが混じって暮らしている。店の娘はどちらかというとインド系だが、少し柔らかい感じでとても可愛らしかった。

 この食堂の他にも揚げたスナックなどを出す店もあり、他の観光客もここで何かしら食べていた。

 席に戻ると、さっき吐いていたインド人系ネパール人のお母さんが私たちの席に子供と座っている。お母さんは吐き気がしてどうにも具合が悪いから座らせてくれとジェスチャーで頼んでくる。具合の悪いお母さんと子供に座られちゃぁもう仕方ない。ここから私たちは立って過ごすことになった。

 午後からは開けた水田も見えてきて村の規模も大きくなっていくようだった。多くの人が乗ってそして下りていった。私の席に座ったお母さんは普段はバイワラで英語の先生をしているのだが、今日は旦那さんと娘を連れて実家に里帰りするんだそうだ。

 私たちがバラナシからポカラに行くまでに支払ったチケットを見せるとRs600という金額に目を丸くしていた。自分達が支払ったバス代金と比較して大分高く取られていると思ったのだろう。席がダブルブッキングになっても私たちが譲らなかった理由をわかってもらえたようだった。

 この家族はポカラの手前で下車。最後は仲良く手を振って分かれた。

 午後3時半過ぎにポカラに到着。バスパークというよりは普通の道端。それでも予約した宿からはちゃんとお迎えが来てくれていて、ここからは車で宿まですんなりと行きつくことができたのだった。

 こうして2日間に渡る移動でインドのバラナシからポカラに到着したのだが、この経験を通じて私たちはカトマンドゥからインドのバラナシに戻るのは絶対に飛行機にしようと決定。ネパールに入ってから山間を走る景色はなかなか楽しかったけれど、この長時間移動をはきつい。

 それにネパールからインドのバラナシに向かう場合の詐欺事件も多い。いくらバスが飛行機の10分の1の金額でも、体力と神経の磨り減るこの移動をもう一回行うのはいやじゃ。これが二人の共通の意見だった。


 
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