夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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グアテマラ/フローレス
2005.08.08 フローレス
JacquesとNiole夫妻

 ベリーズのキー・カーカーからグアテマラのフローレスに向かう国際バスで一緒だったご夫婦。
 グアテマラの税関を超えた後、いるはずのバスが見当たらないので、キョロキョロしていたら、「・・・・ココデマッテイレバ、キマスヨ」と日本語らしき言葉が聞こえた。

 ふと見ると白人男性がニコニコしている。「あれ?日本語が話せるのですか?」と聞くと、「マァ、スコシネ」と、こなれた答え。実は、5年前まで日本の千葉県で英語を教えていたという二人だった。

 ジャックさんはスペイン語もできるので、パンクしたタイヤの交換で少し遅れるけれど、ここで待っていればくるということを、運転手から直接聞いていたのだった。

 最近、何故日本の相撲界には外国人力士が多いのか?太った人は醜いという印象があるからか?という、出会ったばかりにしては、いきなりディープな質問から、富士山の頂上まで登山したことのある2人が、我々が行ったことがない(私は5合目まで、夫は全く未経験)であることを告げると、その理由を知りたがったり、タイヤ交換でなかなかバスが戻ってこないので、面白い会話ができた。

 翌日の9日には、ティカル遺跡で偶然再会。「蒸し暑いですねぇ」とニコルさんは繰り返して言い、「蒸し暑い」という言葉を使える喜びに満ちている感じが愉快だった。メール交換して「それでは、お元気で」と、あくまで日本語でお別れ。楽しい出会いだった。

グアテマラ/パナハッチェル
2005.08.15 
パナハッチェル
松浦美香さん

 パナハッチェルで同宿だった高知から来たという松浦さんは、第一印象は、ちょっと大人しい、一人旅が好きな、働く女性というイメージだった。しかし、その印象は、出会った夜のリビングでの盛り上がりで一転する。

 地元の会社でバリバリの営業ウーマンらしい彼女は、あちらから話を引き出し、こちらを笑わせ、そちらに話題をしかけと、恐らく仕事の場で練られただろう会話力とするどい人間考察力でたちまち場を盛り上げた。時事問題にも詳しく、政治・経済ネタもビシーっとくる。旅行も、アフリカや中米など、異文化度の高いところに行っているので、話も面白い。

 表面的にはおちょくったり、冗談を言ったりしながら、実はどの人に対しても、とても気を使っていて、そして本音もちゃんと言う。日本語会話の高等技術編である。最近、こうした会話の運び方からすっかり遠のいていた私にとっては、久しぶりに日本の文化に触れたような気持がした。

 元気がないと言われて久しい日本だが、松浦さんのような人が、黙々と仕事をしながら、毎日を明るく真面目に暮らしている。有名経済学者や、政府の役人じゃなくて、松浦さんたちみたいな人たちが、経済の中興の祖として日本中にいっぱいいるんじゃないか、という明るい気持にさせてくれる人だった。

2005.08.22 
パナハッチェルとアンティグア
加藤真理さん

 グアテマラの2ヵ所の宿で偶然会った加藤さんは、とにかく自分が行ったところの地名や、行き方や、面白かったことなど、地名・宿・価格をビターっと覚えていて、何を聞かれても「あ、そこはねぇ」と立て板に水の名調子。おっどろいた。

 しかも、ジンバブエでバンジージャンプしたり、ボリビアでは車でずーっと山を登って、そこから何時間もかけて自転車で降りてくるツアーに参加したりと、やることもチャレンジャー精神に満ち溢れている。自転車ツアーは、友達がやりたいから付き合ったということだが、道がひどくてお尻が痛くて、途中でやめたくてもやめられない、という過酷なツアーだったそうだ。「二度とやりたくありません」と言っていたのが笑えた。

 アフリカ、カナダ、南北アメリカを経験して、最後にアジアに行くそうだ。今のままのエネルギー爆発で、様々なことに挑戦していってもらいたい、そんな印象を持った。

加藤さんのブログ
http:://maryk.exblog.jp

グアテマラ/アンティグア
2005.08.28 
パナハッチェルとアンティグア
佐野りえさんと若林和美さん

 最初、パナハッチェルの宿で一泊同宿した2人。

 中年宿泊者(我々のことだが)及び宿の主人の繰り出す、アクの強い話題にも、引くことなく付き合ってくれ、大いに盛り上がる夜を過ごした。

 そんな2人に二度目に会ったのは、アンティグアのディスコに行った夜。偶然の再会を喜び、サルサナイトを楽しんだ。そして今日、2550mのパカヤ火山の頂上付近でばったり3度目の再会。明日、2人はアンティグアを出て、キューバを体験して日本に帰国するそうだ。

 肩の力が抜けたいい感じながらも、社会人を経験している人の気のまわし方、話題のツボを心得ていて、話していてとても感じが良かったし、楽しかった。この数ヶ月間の中米旅行で、2人とも更に一皮むけたのかもしれない。

2005.08.29 
アンティグア
ダブルI家

 朝、コインランドリーから宿に戻って玄関の扉を開けたら、知った顔があって驚いた。

 グアナファトとメキシコシティで同じ宿に宿泊していたIさん一家に、またまた偶然、再会したのである。

 今回は、ホンジュラスで一緒に事業を行っている別の一家(こちらもIさん)にも会うことができ、合計3家族8名で、韓国焼肉の晩餐会となった。

 以前お会いした時につかまり立ちだったお子さんは、もうテケテケと歩けるようになっていて、ほんの数ヶ月の間だが、確実に時が過ぎているのを感じた。

 彼らは、近々日本へ帰国する予定である。現在行っている活動を更に発展させる計画があるのだ。29日の夜は、今後の計画と展望、そして我々の勝手な想像と企画を交えて、3家族の今後を語りあった。

 今度会う時、お互いどんな風に変っているだろうか?
 次回の再会が楽しみである。

2005.08.30 
アンティグア
中田英樹さん

 パナハッチェルに行く前に立ち寄ったアンティグアの宿にいる中田さんは、ここを訪ねてくる旅行者の間でも有名な人。

 今回アンティグアに帰ってきてからも、毎日顔を合わせていたが、今日、メキシコ・シティに向けて宿を出るというので、記念撮影させてもらった。

 中田さんは、京都大学農学部卒業後、その後の研究実習(博士課程だと思う。不確かだが)として、グアテマラのサン・ペドロにやってきた。農民たちに立ち混じって研究を行う中、彼らのこれまでの虐げられた歴史にも、自然と触れるようになっていった。

 その頃、チェ・ゲバラの映画が作られ、世間の注目がチェ・ゲバラに集まるようになった。、ある出版社が、革命家以前のチェ・ゲバラについて詳しく知っている日本人を探していたところ、大学などを通じて、中田さんに白羽の矢が立ったそうだ。チェ・ゲバラは、キューバに行く前にグアテマラで活動を行っていたのだ。

 以来、グアテマラの歴史などについては調査して、論文を書き、サン・ペドロ、パナハッチェル、グアテマラ界隈での生活は6年を迎えるということであった。

 こんなお堅いお仕事をしているが、最近アンティグアで一番いけているビューティーサロンで、かっこいいカットと銀髪に(やや金髪がかったが)して、ぱっと見た目は、もっと柔らかい職業の人に見える。 たいていは、大きな声で、関西訛りで冗談を言って笑い、明るく、優しく、気使いのある人だ。

 中田さんが出て行った宿は、大きな明るい声が聞こえなくなって、10人くらいが出て行った寂しさがある。
2005.08.31 
アンティグア
藤田未来さん

 アンティグアの宿で、隣の部屋に住んでいたミキさん。日本人スタッフがいるというサルサレッスンを紹介してくれたのが、彼女だった。また、ディスコのサルサナイトに誘ってくれたのも彼女。お世話になりました。

 私たちが初回レッスンの時、彼女はもう20回近くレッスンを受けていて、サルサの大先輩である。写真は、夫、健が先生からステップの指示を突然受けた時の驚きのゼスチャーをポーズにしたもの。「パソ タケシート(健君のステップ)」として、アンティグアでは有名になりつつあるステップである。(嘘です。)

 サルサとスペイン語に熱中している彼女は、これから中南米で仕事を見つけるという大課題に挑もうとしている。何事にもまっすぐでひたむきなミキさん。本当の夢は、もっと別にあるらしい。詳しくは、彼女のサイトを見てください。
http://www.geocities.jp/isana_clover/index.htm

 頑張ってねー!

2005.09.02 
アンティグア
師匠とMくん

 左から師匠、夫の健、Mくんである。師匠とMくんたちも自炊派なので、夕食時によくキッチンで出会い、言葉を交わすようになった。

 2人の間では、どう見ても師匠の方が、料理の知識や技術が上ということらしく、2人の会話を聞いているうちに、私たちは彼を師匠と呼び始めるようになった。彼らは、ミートソース、コロッケに挑戦し、はては餃子の皮まで作り始めた。これは面白そうだと、私も皮作りに参加させてもらい、かなり愉快な経験をした。

 もう少し話してみると、師匠は実はもう3年近く旅行を続けている人だった。野菜の切り方を見て、几帳面な人だなぁと思う。人参の皮も丁寧に剥いて、お米も炊く前にはちゃんと水につけておく。料理人を目指しているのかと思いきや、そうでもなく、きちんと料理し、読書に耽り、スペイン語も勉強している勤勉な旅行者なのである。

 一方のMくんは、医大生である。「医者になったら、ワーッと金儲けして、辞めて、自分の一言で株式市場が動くような影の大物になれたら、面白いだろうなぁ」なんて冗談めいて言うので、「医者としての志があったから、医学部に入ったんじゃないの?」と聞いてみた。

 確かに、カンボジアの難民を助けたいなど、彼にも情熱はあるのだ。しかし、他の先進諸国に比べて異常に低い医者の収入や研究費、日本から発展途上国に送られる医療援助金の使われ方、医療現場の過酷な労働条件など、医師としての将来が近づくほど見えてくる現実に、情熱が薄れそうになるという本音が見えてきた。どの仕事の現場も、入る前の理想と現実のギャップを感じるものだろう。期待するものが大きいほど、葛藤も大きくなる。医療の現場は、その葛藤が大きそうだなぁ。Mくんが、この問題をどうしてクリアして、どうなっていくのか、将来ぜひ聞かせてもらいたいと思う。そして、もし株式市場を動かせるほどの大物フィクサーにでもなったら、是非いい情報を流していただきたいと切に願うのである。あはは。
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