ペルー/リマ |
2005.10.05 リマ
宮澤和子さん、武内愛子さん
5日に、リマの旧市街にある日本人宿「沖縄」の部屋を見に行った。そうしたら、何とグアテマラで出会ったこの2人に遭遇。
2人ともに言われたのは「岡田さん、早いですねぇ」。そうなのだ。この人たちは我々がアンティグアに到着したころ、アンティグアを出て行って、最近リマに到着。我々は追いついてしまったということになる。
和子さんの旅は、今回はメキシコ・シティーから始まり、中南米を好きなように回って、最終的にはトルコでカザフスタンのビザを取得して、カザフスタンにいくつもりだそうだ。かつて、大学でカザフスタンの歴史を勉強していて、更に深く研究するためにロシア語が必要なので、カザフスタンにロシア語留学していたのだそうだ。結局、大学卒業後は就職したのだが、今回仕事を辞めて、旅行兼カザフスタンの仲間に会いに行くのが目的。グアテマラで出会った時はそうでもなかったが、今日の彼女のいでたちは、エクアドルで買った厚手の上着に、グアテマラの民族衣装の生地で作ったスカート、極めつけはエクアドルのおばちゃん達が履いていて、あったかそうだから買ったという毛糸の靴下。親指がわかれているので、サンダルも履ける特典付き。すっかり南米の人になっていた。顔つきも、なんだかベテラン旅行者の風格が出てきている。ほんの数ヶ月でも、南米は人をここまで変えるか?といったら大げさだが、彼女はそんな自分の変化も含めて、この旅をゆったりと楽しんでいるように見えた。
一方の愛子さんは、アンティグアの日本人宿「ペンション田代」の屋上で、何時間にも渡って、一人で織物を織っていた。グアテマラの織物は、30cmくらいの幅で、縦に何本も糸を通して織っていくらしい。それを実際にやっていたのだ。コンピュータ関連の会社を辞めて、この旅に出ているという愛子さんの計画は、ちょっと聞きそびれた。でも、グアテマラを出て、パナマに変った織物があるというので出かけていったり、その他の地域で手の込んだレース編みがあると見に行ったりと、織物という軸で各地を見て歩くと聞いている。そういう軸があると、旅ってより楽しいだろうなぁ。この後、またアンティグアに戻るというので、ペンション田代の田代さんに宜しくお伝えくださいと、メッセージを託した。
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ペルー/クスコとその周辺 |
2005.10.14 クスコから76km地点に向かう列車の中
あ、名前きいていなかった!
クスコを起点として、110km先にあるマチュピチュまでは、1kmごとに刻んだ表示が線路沿いについている。今回のマチュピチュ行きは、線路への土砂崩れの影響で、大混乱となった。
本来ならクスコからマチュピチュまで電車で1本で行けるのだが、この日はクスコからとりあえず76km地点まで列車、そこからバスに乗り換え82km地点で再び列車に乗ることになった。76km地点で、バスに乗れるまで30〜40分、停車した列車の中で待たされたが、その時間に彼らと知り合いになった。
この状況にもかかわらず、彼女は、「今日、もし時間があったら1回マチュピチュに登って、もしそれで満足できなかったら1泊してから明日2回目登ろうと思ってるの。ああ、でもいい宿が見つかるかどうか、それが心配だわ。え?あなたたちも宿を決めてないの。大変よね。それにしても、全然バスが来ないわね。・・・もし、明日天気が悪くても、明日にはクスコに帰らなくっちゃいけないの。だって、私達、コロンビアで拾った子猫を宿に残してきているので、餌をあげなきゃいけないしね」としゃべりまくる。
元気な人だなぁと感心して、今回の旅行はどんな旅行なのか聞いてみた。すると、彼らは何とバイカー(ここら辺を旅する日本人の間ではチャリダーと言われている。自転車で旅行する人)なんだそうだ。彼女はカレッジにいる時に、パン・アメリカンハイウェイについて勉強し、アラスカから南米の南端まで貫くこのハイウェイを、自転車で旅しようと思い立った。アメリカ国内は、既に終えていて、今回は隣に写っているカッコイイ彼をパートナーに、メキシコから南米の南端までを走る旅なのだそうだ。今回の旅が終わると、残る区間はアラスカとアメリカの北端までの間になる。一生のうちにいつか達成したいということだ。
なるほど、この溢れるパワーはチャリダーだからか、と納得がいった。メキシコのバハ・カリフォルニア州で同じくチャリダーの日本人青年と会い、自分の缶詰と彼の味噌汁を交換して食した味噌汁がおいしかった、って話や、グアテマラのティカル遺跡の第四のピラミッドの上で野宿してしまった(もちろん禁止されてるけど)時に、夜中に吠え猿の雄たけびがそこここに聞こえて怖かった話とか、とにかくワイルドだけど、充分に旅を楽しんでいるのが全身から伝わってきた。
ちょっと意地悪い質問だけど、「チャリダーだと、移動することが目的になっちゃってて、せっかく滞在しても次のパワーを養うために観光とかしたくなくなっちゃうんじゃない?」と聞いてみた。彼女は、うんうん、そうそうとうなずいて、だから、ゆっくりと旅を楽しみ、マチュピチュみたいな所は自転車を置いて観光するなど、意識的にそうならないようにしてるんだ、と答えた。チャリダーにも色んなタイプがあるんだなぁ。ここで、バスに乗れることがわかり、人々は我先に列車を降りた。しかし、その後もかなり待たされた。途中までまたおしゃべりをしていたが、最後に列車に乗り込む時になって、彼らはさっと乗り込んだ。我々は、外で右往左往。この辺りの要領をつかむのが旅のベテランへの道なのか。
この後、翌日もワイナピチュからの下山途中に彼らに会った。彼らはこれから登るところ。ちょっと出足が遅いのか?と思いきや、もう別の見所2箇所を見終えたそうだ。本当にパワフルだなぁ。この先、同じ道をたどるので、またどこかで偶然に会うかもしれない。
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2005.10.15 マチュピチュから82km地点に向かう列車の中
Ann & Ronald 夫妻
マチュピチュからの帰りも大混乱だったが、そのお陰で会うはずのなかったこの夫婦に出会うことになった。
マチュピチュからの帰り、本来ならクスコまでバックパッカー列車で1本の予定だった我々は、混乱を予想して早めに帰ることにした。110kmのマチュピチュから82km地点までローカル列車の車輌を使った臨時電車で行き、そこからバスに乗り換える。その列車で向かい合わせに座った夫妻は、本当はビスタ・ドームという我々が乗る予定だったバックパッカーよりも高級な列車に乗るはずだったのだ。「バックパッカー列車の私達と一緒になってしまって、お気の毒ですねぇ」「いやいや、こういう時はそんなの関係ないですよ」という会話から始まり、82km地点に到着するまでの一時間ほど、楽しくおしゃべりさせてもらった。
NY在住のご夫妻は、旦那さんは元建築技術者、奥さんは元教師だったそうだ。今はリタイアメントして、国内外あちこちを旅行しまくっているらしい。北京、大連、アンコールワット、ベトナム周遊、イタリア各地、と世界各地の見所の名前が出てきたが、かれらの一番のお勧めはエジプトだそうだ。
旅というのは楽しいけれど、「計画して実行して反省して」という部分は仕事のようで面倒くさいことでもある、という点で意見が一致。この面倒くさい部分は大抵奥さんがインターネットで手配するそうだ。「旦那は、もう何にもしないの。男の人ってこういう細かい所が苦手でしょ、だから私がやるの」と言うと、旦那さんは「いやいや、僕がやってもいいんだけどね。僕が決めた宿は、だいたい彼女の気に入らないんだ。僕は、彼女が決めた宿で満足できるからね」とウインク。こうした掛け合いが、何ともほのぼのとして、いい感じに年月を重ねてきたベテラン夫婦の味わいがとてもよかった。列車を降りると、また混沌とした状況が待ち受けていた。楽しいおしゃべりを終え、今後の旅の無事を祈りつつ、それぞれバスの席確保へと別れた。
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2005.10.19 クスコ
櫛田アリシア安紀子さん
クスコのペンション八幡で同宿だったクッシーこと櫛田さんは、なんとペルー来訪4回目だそうだ。
アンデスの民族衣装を来たアンデスの人が、街角でアンデス音楽を奏でるストリートパフォーマンスを見たことがある人も多いだろう。クッシーは、そんなパフォーマンスに魅かれ、パフォーマーと知り合いになり、楽器に触れ、ついに自ら演奏するようになったそうだ。
その音楽の先生がクスコ出身ということで、先生を訪ねるのが今回の旅の目的。一般の旅人と比べると、ちょっと違った角度でクスコを眺めているようなクッシーは、ある晩おいしそうな料理を作っていた。「何作ってるんですか?」と聞くと、今日、昼間に訪ねた先生の実家で、お母さんからペルー料理を教わってきたので、試しに作っているのだという。
その料理は、豚肉(あるいは牛肉など)と玉ねぎと人参などの野菜をパプリカとチチャで煮込む料理だった。パプリカは、ここではアヒと言われ、黄色いアヒ・アマリージョなど郷土料理に良く使われるようだが、クッシーは赤いパプリカを使っていた。チチャは白いとうもろこしを発行させたアルコール度の低い酒で、おそらく豚肉のビール煮と同じ効果で、肉が柔らかくなると思われる。
肉のパプリカ煮というと、ハンガリーやドイツ東側にグラーシュ(グヤーシュとも言う)という具たくさんのスープを思い起こす。が、こちらは、スープというよりも、肉じゃがのように汁は煮とばしてしまって、おかずの感覚で食べるそうだ。ふーん、クッシーの体験は一歩深いなぁと感心した。
クッシーはクスコでの滞在を堪能した後、リマの友人宅に滞在して日本に帰国するそうだ。最近は、仕事が休みの週末に、老人ホームや病院を訪れては、ボランティアで演奏しているということだった。クスコで本場の空気に触れて、ますます演奏に気合が入ることだろう。
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2005.10.19 クスコ
渡辺道子さん
クスコの宿で会った時から、どこかで見たことがあるなぁと思っていた。
スラッと長身で切れ長の目。よく似た別人だろうと思っていた。しかし、数日後、「もしかして、メキシコ・シティのサン・フェルナンド館で会ってませんか?」と聞いてみると、「ああ、やっぱり」という答え。はやり、私たちはメキシコ・シティの同じ宿で会っていたのだった。
あの時、道子さんは悪質な自称アメリカ人に詐欺行為に会い、警察をたらい回しにされて、ぐったりした顔をしていた。ぐったりしたまま、「じゃぁ、もう、出ますので」と、私達よりも先に宿を出たのだった。私達は私達で、同じ時期にメキシコ・シティの地下鉄でスリに会い、やはり自分達のことで大変だった。確か「大変でしたねぇ」くらいの言葉は交わしたように思うが、お互いに、こんなに快活な人だったという印象がなかったので、わからなかったのだった。
あれから数ヶ月経った。「ああ、やっぱり。最初見たときにそうかな?って思ってたんです」と語る道子さんは、あの時と違って、非常に快活でよく笑い、よく話す。聞けば、その後も、女性の一人旅で、様々な大変な思いをして、ここまで来たということだったが、もうトラブルには負けない人になったらしい。そう言うと、「いやぁ、そんなこと全然ないですよぉ」と、はにかんでいた。
30歳になる前には、一度世界旅行に出かけたいと、前々から思っていたそうだ。この旅に来るために、必死に働いてお金を貯めてきたそうだ。旅の間に、今後の人生の方針が立てられたらいいと思うと語っていた。30歳前に一度立ち止まって、ゆっくりと考える時間を持つというのも、一つの方法だろうと思う。丁寧に観光スポットを訪れて、真面目に観光をしている道子さんの姿を見ていると、まっすぐな人なんだなぁと感じる。自分の好きなこと、やりたいことが見つかる旅になることを、心から願っちゃうな。
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2005.10.19 クスコ
M.Oさん
さぁ、この2人の共通点は何でしょう?
意志の強そうな眉、容易なことでは人に屈しないぞとかたく結ばれた口元、しかしよく見ると笑っている目元。
ペンション八幡で同宿のMちゃんは、何と夫と同じ高校卒業で、20数年下の後輩だった。「いやぁ、社会人になってから、初めて高校の後輩に会った。しかもクスコで会うとはねぇ」と、夫もびっくり。20年も経っちゃぁ、制服もつめえりからブレザーに変っちゃうし、夫の同級生はMちゃんの先生といっても過言ではないくらいの年齢なので、同じ高校卒業と言ってもねぇ、なんて話になっていたが、こうして写真で見る限り、三つ子の魂百までじゃないけど、高校魂大人までって感じで、共通点を感じる。まぁ、たまたまかもしれないけど。
Mちゃんは、マチュピチュまでの道を人とは違う方法で行こうとして、数日前から情報ノートを見たり、宿のご主人に聞いたりして研究していた。通常は、クスコからマチュピチュの麓の村、アグアス・カリエンテスまで列車が出ているので、それに乗ってスーッと行く。しかし、それじゃぁ物足りない。宿の情報ノートに出ている、マニアックな方法で行こうとしているのだった。同行者募集中であるが、この勇気あるルートに同行する人は見つかるのか?新しい人が来るたびに、さり気なく「どんなルートで行くんですかねぇ」と質問しているMちゃんを応援しようと、私は「こんな機会めったにありませんよー!」と言うのが逆効果になっているようなので、口をつぐんで静観することにした。
Mちゃんがマチュピチュに行くのは、私達がここを去るころになるだろう。またどこかで出あって、是非、武勇伝を聞かせてもらいたいものだ。夫の後輩、がんばれー!
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2005.10.21 クスコ
小林沙樹子さん
クスコからマチュピチュに行く様々な方法の中でも、最も過酷だけれど、最も感動の深い行き方は、インカ・トレッキングでのアプローチだろう。インカ帝国時代に作られたクスコからマチュピチュに向かうインカ道と呼ばれる山道をトレッキングして、マチュピチュを観光するというものだ。
そのハードだと言われるインカ・トレッキングに挑戦したのが、小林さんだ。2泊3日でマチュピチュまで到達し、マチュピチュを観光して、20日の夜9時には宿に戻ってくる予定だったので、宿の皆で小林さんの武勇伝を聞こうと8時くらいから待ち始めた。しかし、9時を過ぎても10時を過ぎても戻らない。街に帰ってきてから、ご飯でも食べて盛り上がっているのか?それとも何か事故でもあったのか?と心配する中、11時半、「また、土砂崩れがあったみたいで、大変でしたー!」と元気に戻ってきた。疲れてはいるだろうけれど、インカ・トレッキングを達成した喜びが勝っていたのか、皆の期待に応えて、話を聞かせてくれた。
小林さんのパターンのインカ・トレッキングでは、5時間くらい山を登りつめて標高4000m超までいく、という2日めが一番きつかったそうだ。頂上近くでは、気分が悪くなって倒れている人や、嘔吐している人などがいる中、まだマチュピチュに到着していないのに、感動でボロボロと涙をこぼしている白人女性もいたそうだ。この2日めをクリアすれば、大抵の人は最後までいけるということだった。
かる〜い気持で参加したという小林さんだったが、聞けば昨年、大阪から沖縄まで女友達と2人で自転車旅行を達成しているそうだ。それも「自転車持っていこうか?」という話から「じゃぁ、自転車で行っちゃう?」ということになって行ったという。話としては、肩に力が入っていない、全くのなで肩な感じだが、やってることは凄い。その小林さんも、2日めは5回くらい、このツアーに参加したことを後悔するくらいきつかったそうだ。本当はポーターにお願いすれば持ってもらえる10kgの荷物を、自分で全行程背負っていたというのもきつかった理由の一つかもしれない。
「それにしても」と彼女は語る。「到達したマチュピチュ、途中の景色の素晴らしさもさることながら、同行したペルー人スタッフに感動しました。彼らを見られたのが、本当によかった」。
ポーター、ガイド、シェフ、スタッフ2名の計5名がついてくれたのだそうだが、ポーターとシェフは、1つの基地を出発する時には、「皆様、いってらっしゃーい」と見送った後、30kgの荷物を背負って、猛スピードで小走りでトレッキングするお客さんを追い越し、先の基地で食事を用意して、にっこりと迎えてくれるのだという。彼らは、素足に、今はゴムで作った特殊なサンダルしか履いていない。荷物も入れ物分を軽くするためか、何にでも使えるようなビニールの敷布に荷物をくるみ、縄紐を肩紐にして背負って歩くそうだ。インカ道は今でも当時のままの石畳になっているそうだ。その道を、当時とあまり変わりないような小柄な人たちが、素材は異なるだろうが、同じようなサンダルで前を歩いていたら、インカ帝国があった時代にタイムスリップしたような錯覚の中で、トレッキングできたに違いない。
彼女の話を聞いて、インドア派で安全志向で、楽をしたい私達でさえ、ちょっとインカ・トレッキングをやってみたくなった。
21日、帰国する朝、「次はどうするの?」と聞くと、「私、ホームステイってやってみたいんですよ」と、またかる〜く語った。軽やかなんだけど、やりたいと思うことは確実にさらーっとやってのける小林さんは、「あ〜ぁ、日本に本当に帰るんですね、私」と、名残惜しそうに宿を出ていった。さらーっと、又どこかで会えたら面白いなぁ。
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2005.10.21 クスコ
吉田さん
この宿に来た夜は、高山病でちょっと苦しそうだった。それにもかかわらず、話が盛り上がってしまった夜で、具合が悪い中、いろいろな話でつきあってくれた。
そ大学を出てコンサルティング会社に勤めていた吉田さんは、会社を辞めて自分のコンサルティング会社を始めようとしていた。ところが縁あって、ある地方公共団体に誘われ、3年間のプロジェクトに参加することになった。地方の財務局の旗振りで、産官学共同で産業を盛り上げていこうというプロジェクトだそうだ。吉田さんはそこのプロジェクトリーダーの一人で、大学での研究成果を使って事業を行うベンチャー企業家をインキュベートする役割なのだそうだ。
今回は、仕事を辞めて、新しいプロジェクトが始まるまでの期間を使って南米旅行に来たということである。将来は、やはりコンサルティング会社を行う予定だが、もっと年をとったら、外国人相手の宿を日本で開くのもいいなぁと語っていた。実は私達は、そんな宿をやりたい人をネットワークして、世界の人がもっと日本に来やすくできたらいいと思っていたので、その話で盛り上がったのだった。
マチュピチュから戻って来た今日、吉田さんは高山病からも回復して、すっきりとした顔をしていた。これから新しいプロジェクトに向けての英気を養ってきたように見える。これから始まるプロジェクト、頑張ってください。
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2005.10.21 クスコ
勇樹さんと佐友里さん
ペンション八幡で同宿だった2人。今回は、佐友里さんは途中で日本に帰国し、勇樹さんはそのまま旅を続けるそうだ。
2人から聞いたガラパゴスの旅の話が印象に深い。ガラパゴスというと、長い船の旅で、費用も高く、面倒くさそうな割には、体への苦痛が大きいというイメージしかなかった。しかし、島から島へと船で渡り歩き、人間が存在しない島で動物達が悠々と暮している様を彼らから聞いて、興味が湧いてきた。
特に、勇樹さんのエピソードは秀逸。美しい海でシュノーケリングをしていたら、誤ってアシカのコロニーに入ってしまったそうだ。アシカのコロニーは、大きな体のオス一匹と多数のメスと子供によって構成されている。メスや子供のアシカは、人間が泳いでいると寄り添ってきたりして可愛らしいのだそうが、この時は違った。かっこいい勇樹さんは、アシカのオスの目にもも魅力的な男性に映ったらしく、自分のコロニーを乗っ取りに来たと勘違いして、海の中にドボーンと入ってきたそうだ。気が付いたら、海の中で大きく口を開けて威嚇するオスのアシカが目の前にいて、やっとのことで逃げたというのだ。いやぁ、無事で何よりだったが、貴重な体験だ。
まぁ、そんな目には会いたくないが、様々な生物が人間を恐れることなく生息している、というのは、なかなか魅力的だった。
又、勇樹さんは、インドに行った時の話をしてくれた。混沌と貧困が渦巻くインドの話を、実際に行ったことのある人から生々しく聞いたのは初めてだったので、非常に興味深かった。
彼らの旅のスタイルは、ゆったり型に見える。ガイドブックに掲載されていること、人が行ったというところは全て制覇してやるー!というタイプでなく、吟味して自分たちの感性を大切にしている人たちに思われた。いろんなスタイル、タイプの人に会えるのも、旅の楽しみの一つ。そんなことを感じさせてくれる人たちだった。また、どこかで会えることだろう。
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ペルー/プーノ |
2005.10.22 クスコからプーノに向かう列車の中で
AlexさんとAigulさん
列車で向かい合わせになった2人はドイツ語で話をしていたが、1人は東洋系の顔立ちなので、お?日系か?と思っていた。
列車が走り始めてすぐに自己紹介して、東洋人系の彼女はキルギスタン人で、現在ドイツ在住で仕事をしているということがわかった。白人のAlexさんはドイツ人で保険会社に勤務。ケルンに住む2人は、今回、ドイツ人の通常の夏休み3週間に3日プラスして、南米を旅行しているということだった。「このプラス3日というのが、微妙なのよね。4週間だとさすがに周りに気兼ねしちゃうんだけど、プラス3日なら、なんとかごまかせるという範囲かな」とAlexさん。1週間から10日の夏休みが通常の日本人にとっては、3週間も取れれば充分だろうと思うが、その環境に身を置くと、もうちょっと欲しいな、と思うのが人間の常かもしれない。
昨年は、2人で3週間日本を旅行したということだった。私たち夫婦が行ったことがない日本の名所を数々訪れていた。日本への旅行に対する感想は、「恐れていたよりもずっと安い」ということだった。行く前は、どんなにお金がかかるだろうと思っていたが、特にヨーロッパがユーロになってからは、大都市の宿泊費は、今回の日本旅行の宿泊費と比べて、同じか高いくらいだという。食事も、聞かされていたほど高くないと思ったそうだ。
日本人はとにかく親切で、英語ができなくても一生懸命に理解しようとしてくれたし、レストランで英語のメニューがなくても、店の外にウェイターをひっぱり出して、ショーウィンドーの食べたいものを指差せば事足りるし、何を食べてもおいしい。新宿の大きなデパートに傘を買いにいったら、全く別の売り場の人が、傘売り場まで連れて行ってくれた上に、自分達が何を探しているのか、傘売り場の人に説明までしてくれた。と、日本べた褒めだった。
こういう日本びいきの人に、日本の素晴らしさを宣伝してもらえたら、もっと多くの観光客が訪れることだろう。とかく高いといわれる日本。そのコメントに対して、私も今まで「まぁ、日本人にとっても高いですからねぇ」と答えていたが、彼女達の意見を聞いて、これからは違った返答をしようと思った。
我々はドイツのデュッセルドルフに2年ほど住んだことがあり、ケルン在住の彼女たちは、電車で30分ほどのデュッセルドルフには、日本食やショッピング目的で訪れるという。久しぶりに、あの界隈の話になり、懐かしくも思った。ドイツに行ったら是非デュッセルドルフで落ち合って、名物のアルトビアーを飲もうと盛り上がったのだった。
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