オーストリア/ウィーン |
2006.06.30 ウィーン
Sunnyさん
ウィーンにある韓国人宿「キムチハウス」に滞在中に知り合った韓国人のSunnyさんは、日本語がペラペラ。宿に滞在していた日本人男性が、日本人だと思ったというくらいナチュラルな言葉遣い。
ウィーンなのに宿の中はまるで韓国な状態の中、彼女のお陰で他の人とのコミュニケーションも円滑になり、お世話になりました。
Sunnyさんは、美術の勉強をしたいと思って日本に留学。しかし、授業料も高く、道半ばにして挫折して、一旦国に帰った。この時に日本語を勉強したのだそうだ。
それから今後はシドニーにいる親戚を頼ってオーストラリアはシドニーに移住。今はパートナーと人材派遣の会社を立ち上げて、シドニー在住7年目の忙しい毎日を送っている。夢はシドニーの美術大学でもう一度美術を勉強することなのだそうだ。
今回は、パートナーから許しを得て1ヶ月のヨーロッパ旅行で、今丁度半分の道のりを終えた所。
今回の旅の予定は、
シドニー→韓国→ロンドン→パリ→スイス3ヵ所→ドイツ各地→プラハ→ウィーン→ヴェネツィア→ミラノ→モナコ→フィレンツェ→ナポリ→ローマ
ふー、聞いているだけでも凄い。これを1ヶ月で周るのはきつそうだ。毎日午前中観光に出て、午後3時過ぎには帰ってきて「疲れた、疲れた」とベッドで仮眠を取っていた。そう、私も学生の時に経験があるが、こういう旅のスタイルはかなり過酷なのだ。
しかし、彼女は今後の美術の勉強の肥やしにしようと、精力的に周っている。ルーブル美術館で買ったミニデッサン帳には、旅先で見た風景や彫刻の素描などが描かれていて、ベーシックな美術を勉強した人らしいデッサンで埋まっていた。
彼女は旅行好きでもあり、我々が訪れた南米の話をくいいるように聞いていた。そして、「私、インドにも行きたいんですけど、問題があります。それは、私はカレーが好きではないということです」と悲しそうに言う。面白い。なかなかユーモアもあるのだ。
自分の目標を持って、それに向かって精一杯に努力しながらも、その過程で触れた言語や生活習慣など、どんどん自分の中に取り込んでいっているパワーが魅力的だった。何年かかってもいいから、いつか美術の勉強がしたいと目をキラキラさせて言っていた。
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2006.09.11 ウィーン
ウラちゃん
7月の前半から9月の前半までの2ヶ月強、同じアパートで暮らしたルームメイト。
ウィーンで暮らせる宿を探して、「ウィーンの散歩道」というサイトの掲示板を見ていたら、彼女のルームメイトが夏休みで自宅に帰る間、借りてくれる人を探していますという告知を見つけた。
連絡した先がこのウラちゃんだったのだ。町のほぼ中心部に位置するこのアパートはスロバキア人が借りているものなのだが、2部屋あるうちの1部屋をウラちゃん、1部屋をスロバキア人の息子、そしてリビングとキッチンが一緒になった空間を我々が使うということになった。
短大を出てから孤児院や幼稚園で幼児教育に携わっていたウラちゃんは、旅行で訪れたウィーンに魅了され、以来、休みの度にウィーンを訪れていたが、ついにウィーンで更なる幼児教育の勉強を行うことを一念発起して、まずはドイツ語からということで、現在ドイツ語を習得中なのだ。
長く旅行をしていると、いわゆる日本人らしい細かい心遣いというものが失われていく。そうした心遣いが外国人には通じにくい、時にはコミュニケーションの障害になることもある、というのが大きな要因なのだが、ウラちゃんはそうした心遣いを失っていない。そうだ、そうだ、日本人ってこういう気の使い方してくれるんだよねぇと久しぶりな気持ちがした。
それだからこそ、悩みが大きい時もあるようだ。学校で知り合った外国人や学校のスタッフとのやり取りを聞いていると、ウラちゃんが譲歩しても先方は全くもってその心遣いに気づいてさえいない場合もあるようだ。「もう、超ムカつくー」と言いながらもウラちゃんは毎日頑張って色々な人とコミュニケーションを続けいてる。
幼児教育が終わったら、まずは日本人相手の幼稚園を開き、ひいては国際的な幼稚園として様々な人種に開かれた幼稚園にしていきたい。それがウラちゃんの夢なのだそうだ。そうそう、恋の方も頑張りたいって言ってたっけ。「2足、3足のわらじを履いて、私頑張るから」とガッツポーズを取るウラちゃん。なんだかホノボノしてくるそのキャラクターをいつまでも失わずに、頑張ってほしいですね。
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2006.09.10 ウィーン
カイちゃん、ホリちゃん
ウィーンで家を決める際、もう一軒の候補になっていたのが、この2人が住んでいる家。音楽の学生3人で借りているアパートなのだが、1人の学生が夏休みで日本に帰っている間の借り手を探していたのだ。
訪ねてみると、昔ながらの天井の高い雰囲気のある建物で、いかにもウィーンに住んでいますという気分を満喫できる家だった。かなり心魅かれたが、ウラちゃんの方にインターネットの環境があるというのが決め手になり、結局こちらの家をお断りしたのだった。
しかし、初日に家を見せてもらった時、キッチンでお茶をご馳走になりながら2時間程話をして、我々はこの2人をすっかり気に入ってしまった。
2人とも日本の著名な音楽大学を卒業した後に、更なる修行を積むためにウィーンに渡ってきているのだが、クラシック音楽にまつわるエピソードから、楽器演奏に対する話、ウィーンでの音楽学生の裏話、そして2人がアイルランドの民族音楽を勉強しに行った時の話など、話題はつきることなく、面白おかしく身振り手振りもついて、私たちは笑い転げっぱなしだった。
そこで、家をお断りしたことを口実に、お弁当を作って再びこの家を訪れ、今度は昼前から何と夜中近くまでおしゃべり。今度は私たちが何故旅行をしているのか、そしてこれからどうするのかを含め、彼女たちよりはかなり長い人生の話を披露する番になった。
それから、そちらの家にBBQ設備があると聞いて肉持参でおしかけること2回、夏のウィーンの市庁舎前で行われていたフィルムコンサートの前でばったり出会ったり、オペラを聞きに行くというとおにぎりを握ってもらったり、オーストリア人の私たちの友人とピクニックに行ったり、彼女達おすすめのビアガーデンやホイリゲ(ワインガーデン)に行ったりと、誘い誘われ、一緒に出かけた回数は一体何回になっただろうか。
音楽を志すというのは、精神的にも、肉体的にも、経済的にも本当に大変なことなのだが、彼女達はそこんところを承知の上でガブリ四つで取り組んでいる。芸術っていうのは大変なことなんだなぁ。だからこそ、その中で頂点を極める人の演奏はこちらの胸を打ってくるのだ。こういう友人ができて、ますます音楽が身近に感じられたウィーン滞在となった。
彼女達から最後にプレゼントしてもらったのは、手でハンドルを回すとオペラ[「魔笛」の一曲が流れる小さなオルゴール。夫はこれを耳に当てて「チロリン、チロリン」と曲を鳴らし、「ああ、ウィーン楽しかったなぁ。カイちゃんとホリちゃんに今度会えるのはいつかなぁ」と子供のように心待ちにしている日々を送っている。
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2006.10.13 ウィーン
ムハメット・フェヴズィ・ビルギンさん
ブダペストへの小旅行からウィーンに戻って同じ宿にチェックインすると、前回は8人部屋だったのに、今回は4人部屋を割り当ててくれて、グレードアップした気分。
夜8時くらいまで私たち以外に誰も来なかったので、このままプライベートルームとして使わせてくれるのかと期待が高まった。
しかし、夜8時過ぎに一人の男性が登場。それがフェヴズィFevziだった。話してみると、彼はトルコ人。これからイスタンブールに向かうという私たちに、トルコ人から見たトルコの見所など丁寧に話してくれた。
現在32歳の彼は、アメリカに留学して政治学のマスターコースとドクターコースを終了。合計8年のアメリカ滞在を経て、今はイスタンブールから150km程離れた街で大学助手として働いているのだそうだ。今回もザルツブルグで学会があったので、その帰りにウィーンでオペラでも聴こうとやってきたのだそうだ。
ザルツブルグでは、あの「サウンドオブミュージック」の舞台となったお屋敷に宿泊したというから驚き。確かにあの邸宅は現在ホテルとして宿泊客をとっていることは聞いていたが、宿泊した人とこんな所で会えるとは思ってもいなかったのでびっくりした。彼も主催側が用意してくれたホテルが、宮殿のように豪華な建物だったことにとても驚いたと語っていた。
今はトルコで大学助手を行っているが、いずれはアメリカに在住したいのだそうだ。というのも、彼が専攻している政治学の世界の中心はアメリカ。例えば日本の福岡、例えばオーストリアのザルツブルグなど、世界中の至る所で学会が開かれているが、アメリカで開かれている学会の水準に遠く及ばない。「政治学をやるなら、アメリカに在住しないと意味がないんです」と語った。
フィアンセも同じく現在アメリカでドクターコースを受けるべく試験中。くしくも明日が発表の日なのだそうだ。彼女が合格したらアメリカに行ってしまうかもしれない。
「で、あなた達は何をしているんですか?」って話になった。ええ、私たちは日本の社会で会社員としてずっと働いてきました。ご存知のように日本人は朝から晩まで官僚的な制度の中で生真面目によく働きます。しかし、そんなことで人生を終わりにしていいのか、と私たちは考え、一つの結論に達しました。「どんな結論?」とフェヴズィ。「働かないことです!」
この答えにフェヴズィは大笑いし、屈託のない笑い声が心地よく部屋に響いた。そりゃ誰もがそう考えるけど、そんなことを大真面目に考えて実行している人には初めて出会ったと。それから、私たちがこれまでどうやって旅の準備を進めてきたのか、そしてこれからどうしていくつもりなのかを簡単に話すと、彼はとてもいい質問をいくつかしてから、「今日はオペラの開始に10分遅れてオペラ会場に入れてもらえませんでした。がっかりしてここに戻ってきたら、こんな人生を送っている人の話を聞けた。神は私にこんなプレゼントを用意してくれていたのだと思うと嬉しいです。」と言った。神のプレゼントにしちゃぁ薄汚れた中年夫婦なので、そんなことまで言ってもらえるとくすぐったい気分。さすが、アメリカ流のウィットに富んだ褒め言葉だ。
これから訪れるトルコという国に、こんな素敵な人がいるということがわかって、こちらとしてもとても嬉しくなった。実際には、イスタンブールの観光地には彼とは別の惑星から来たんじゃないかという悪い奴がゴロゴロしていているんだけど、この時は知る由もなく、トルコへの期待が高まった夜だった。
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オーストリア/ザルツブルク |
2006.07.29 ウィーンからザルツブルクへ向かう電車の中で
吉村美貴さん
ザルツブルクへ向かう電車で1人しか座っていないコンパートメントがあったので、入っていった。
「席、空いてますか?」と話しかけてみると、彼女が日本人だってことがわかり意気投合。
結局、コンパートメントは予約の人が来て、私たちは車両から車両へと空き席を探してさまようことになり、何とか食堂車に空き席を見つけて、コーヒー一杯でここに居座ることにした。
美貴さんは、大阪芸術大学を卒業して(ピアノ専攻)、今度はこちらの大学院で更に勉強するべく来ている留学生。最初はドイツのフライブルクで語学を勉強していて、ついて勉強する先生がウィーンで教えているためにウィーンの大学院に入ることになったそうだ。大学院は2年間なのだが、勉強が始まると理論的なことなど紙の上での勉強も忙しくなってしまう。そこで、今年1年は実技に力を傾ける年として、都合3年間の滞在になるそうだ。
今日はフライブルクの友人が日本に帰国するので、お見送りをかねてフライブルクに遊びに行く途中。
私たちがザルツブルクに行くということもあり、音楽の話でおおいに盛り上がった。私が面白いなぁと思ったのは、弦楽器やピアノをやる人は理数系の頭を持ち、歌をやる人は文型の頭を持っている傾向があると思ういう美貴さんの意見。
例えば、「ルフトハンザでは今度、800人乗りの旅客機が作られたんですって」という話題に対して、弦楽器・ピアノ派は興味津々でくいついてくる。今までと何が違うのか、どうして800人乗りが可能になったのかなど、盛り上がるトピックなのだそうだ。一方の歌の人は、そういう話題よりも、どこのレストランがおいしかったとか、今年のファッションの傾向はどうだという話が得意なんだそうだ。
同じレストランの話題でも、弦楽器・ピアノ系の人は、何駅で降りて何という通りを何メートル行ったどちら側にその店がある、というのをピシャーッと言うのが得意で、歌の人は、どんなメニューがどのようにおいしいのかを語るのが得意な傾向にあるのだという。この違いは、弦楽器やピアノが一度に様々な音を鳴らすことができるので、理数的に考えながら音楽を奏でるのに対し、歌は単一音階なので、一つのことに集中してその音色や感情の入れ方に集中するという違いが、日々の生活の考え方に影響しているのではないかというのが美貴さんの推論。面白いねー。
そういえば、ウィーンで知り合ったバイオリンの人の所に遊びにいった時、「アルミの鍋で料理するのは体に悪い」という話を熱心に語っていた。アルミも鉄も料理していると、その成分が料理に溶け出していくのだが、鉄分は体外に排出されるからいいとして、アルミは脳に回って蓄積されるのでよくないという内容だった。話の内容がとても科学的で、音楽イコール芸術イコール科学とはあまり縁のない世界だと勝手に思っていた私にとって、こうした話を熱心に語っている彼女達の姿は新しい驚きだったのだ。しかし、今回の美貴さんの話を聞くと、納得がいく。なるほどねぇ。理系の頭を持っている人かぁ。
幼い頃にピアノを習っていた私は、どちらかというと、というか完璧に文系。「なるほど、だから私、ピアノでやっていけなかったのかぁ。歌だったらいけてたかもねー」という考えが頭をよぎったが、いやいや、そーゆー問題じゃないだろう、と自分でつっこみを入れて、この一人会話を終了した。
それから、留学に対する日本人の考え方、音楽理論など、話は尽きることなく3時間はあっという間に過ぎ去っていった。
来年の8月に地元大阪でオーケストラとの協演が決まっている。今まで友人とリサイタルなどは開いたことがあるが、オーケストラとの演奏は初めてで、これから1年、それに向けての準備に忙しくなりそうだと語っていた。
美貴さんの輝かしい将来がまぶしぃー。応援してますよー、頑張ってね。
それにしても、ウィーンにいるとバイオリニストやらピアニストやら、通常お目にかかれないような人と簡単に出会えてしまうのが嬉しい。ウィーンに来てよかったなぁ。
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2006.07.31 ザルツブルク
駒井寿子さん
ザルツブルクも今日で最後。さーて、今日は何をしようかなぁと、宿のロビーに下りていくと、日本人らしい女性が熱心にガイドブックを見ていた。
話しかけてみようか、と夫と相談して「こんにちはー」と声をかけてみた。
寿子さんは、日本の短大で美術を専攻し、これからワーキングホリデービザを使ってベルリンに滞在する予定。数年前からドイツもワーキングホリデーの対象になったのだそうだ。知らなかった。だってもうワーホリ関係ない年だもんねー。
なぜベルリンにしたのか?と聞くと、ケルンの大聖堂が好きでドイツのワーキングホリデーにしたのだが、知り合いに、最初から田舎に行くと都会に出づらいけど、都会にいれば田舎は行きやすいから、都会に住んだ方がいいといわれて、ベルリンにしたのだそうだ。しかし、ベルリンからケルンはかなり離れている。むむむ、私の理解を超えている説明なのだが、まぁ、そこら辺がアーティストっぽい。
ベルリンでは新たなインスピレーションを受けての作品作りとギャラリーで個展なども開いて売り込み活動も行いたいと意欲に燃えている。
これまでに、バルセロナ、南フランスを周ってきたということだが、バルセロナではガウディのカサ・バトリョCasa
Batlloがとても良かったとパンフレットを見せてくれた。入場料はEUR16と決して安くはないが、日本語のオーディオガイド料金も含まれているので、じっくりとよくわかったということだった。
参考:バルセロナ・ドット・ジェイピーのカサ・バトリョの情報
http://www.barcelona.jp/barcelonainfo/mimiyori/casa_batll.php
また、南フランスではコルビジェの設計したロンシャンの教会にも行っている。ここはとても行きにくい所なので、ロンシャンの教会を見るためだけに途中で宿泊しながら見に行っている。
こうした話を聞いていると、画家さんの旅行は、私たちのような一般の旅行者とは違った視点が面白い。
1時間もしゃべってから、「じゃぁこれで」といったん別れたのだが、我々がこの日、噴水の公園で有名なヘルブルンHellbrunnに向かうバスを待っていると、彼女も通りかかり、結局一緒に行くことになった。黄色い壁の前に黒いベールを被った中東の女性に眼を奪われたり、むっくりとした体系の彫刻を面白がったり、寿子さんといると、自分があまり気にしない所を面白がったり、興味を引かれたりしていて、それが新鮮な体験だった。物は意識しないと見えてこない、というのは本当だ。たまには自分とは違った感性の人と観光するのもいいんだなぁ。
最後に彼女の作品を紹介。
ほわーっとしたノスタルジック作品に、彼女らしさがよく出ている。興味のある方、ご連絡ください、だそうです。
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上:日本で個展を開いた時の案内状絵葉書
下:作品の1つ |
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