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ヨルダン/アンマン |
2006.11.23 アンマン
サーメル君
ヨルダンからイラクに入り日本人人質事件で命を落としてしまった男性がヨルダンで最後に宿泊していた宿がクリフホテル。
このクリフホテルで彼と最後に言葉を交わした人物として、インタビューなどにも登場していたのが、このサーメル君なのだそうだ。
サーメル君の噂は、シリアに入った頃から何度か耳にしたり情報ノートで見たりするようになってきた。とにかく、日本人に対しては非常に友好的で、自腹で紅茶や食事をごちそうしてくれると、サーメル君について語る誰もが感動していた。
そんな有名人のサーメル君に会うために、私たちも彼のいるクリフホテルに滞在することにした。そして出会ってやはりびっくり。決して多くないお給料の中から次々と来る日本人に対してお茶やコーヒーを振舞ってくれるという噂は本当だった。
質問すると、苦もなくニッコリと微笑んで色々な情報を与えてくれる。日本ではサービスとして当然であろう、この微笑んで何かを行ってくれるという経験が、海外にくると極端に少ない。そんな中でサーメル君のこの対応は殊更嬉しく感じられ、人々の心に強く残るのだろう。
それにしてもサーメル君の親切ぶりは通常のサービスを超えたものを感じる。そう感じた旅人がたくさんいるだろう。その中で、サーメル君にその理由を尋ね、彼の半生と日本人に対する考えをまとめた「サーメルストーリー」を書き始めた旅行者がいた。彼女はアンマンでの滞在が3日間しかないにもかかわらず、サーメル君から詳細な話を聞いて、まず英語で原稿をおこしてから自分で日本語版も作成したという話だった。このサーメルストーリーを読むと、彼が何故日本人に対してそんなに親切なのかという理由がわかる。最後の方にはウルッと涙腺が緩んでくる。
サーメルストーリーはクリフホテルにある。訪ねたら是非彼に「サーメルストーリーが読みたい」と言って原稿を見せてもらおう。ヨルダンという国の現状も見えてくる感慨深いストーリーだ。尚、サーメルストーリーでは彼のこれからの夢など、続きのストーリーを書いてくれる書き手を常時募集しているそうだ。これを機会にサーメル君とぐっと親しくなれるチャンスでもある。
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ヨルダン/ワディ・ムーサ(ペトラ遺跡観光の拠点となる町) |
2006.11.29 フランス人おばちゃん
この女性達に最初に出会ったのはヨルダンの首都アンマンのウマイヤド・モスクの周辺だった。
モスクの外国人専用入り口が見つからずにうろうろしていた時に出会い、その後モスクの中でも出会い、もう一回公衆トイレの前で出会った。
モスクの中では必死の形相でお祈りする人たちに囲まれて、「この人たちちょっとおかしいわよね」と頭の横で指をくるくる回して私をハラハラさせたりして、なかなかおちゃめなおばちゃん達だった。
ペトラ遺跡の拠点となる町、ワディ・ムーサを出て1泊2日のベドウィンのテント生活を体験し、ワディ・ムーサの宿に戻ってロビーでくつろいでいると、この元気なおばちゃん達がチェックインしようと入って来た。
私たちが滞在している時は、丁度スタッフにフランス在住のアルジェリア人がいて、彼がフランス語が話せるのでついてきたのだということだった。
「きゃー、こんな所で再会できるなんて!」と少女のように私の手を取って飛び跳ねて喜んでいる。なんだか可愛い。
今日初めてゆっくり話をしてみると、ネパールで3週間もトレッキングする旅行を3回も体験している、超アウトドアーの旅行の達人だった。いつ見ても朗らかで、荷物は少なく、洋服もこなれた物を着ている。達人の余裕を感じさせるわけだ。にこやかにアルジェリア人に付いてきたと話していたが、宿のサービスのチェック、今後の移動の手段、時間、値段など、チェックインと同時にきわめて能率よく聞きだしていて、聞くべきことや得るべき情報はきっちりと押さえている。
新鮮に感動する心を失わずに、飄々と旅を続けているたくましさ、そしていつまでもマドモワゼルの可愛らしさを失わない人たち、色々と学ばせていただきました。
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