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エジプト/ダハブ |
2006.12.02 ダハブ
阿部暁子さん
この女性が私と同じアキコさんという名前だと知ったのは、最初にカッパドキアで出会ってから彼女が出発してしまった後だった。彼女と行動を共にしていた女性から、「そうそう昨日アキコさんは出発してしまいました」という話を聞いて、ああ、あの女性は私を同じ名前だったのかとわかったのだった。
カッパドキアではチエコさんというトルコ人の旦那を持つ日本人女性のケーキ屋に、毎夜日本人旅行者が集まり色々な話に盛り上がった。私たちもアキコさんもそこの常連だったのだ。多くの日本人が入れ替わり立ち代り入ってきたので、色々とお話した割にはお互いに名乗る暇がなかったのだった。
面白い人だったねぇという印象のまま別れたのだが、ヨルダンのアカバという港町からエジプトのヌエバに渡るフェリーを待っていたら、ひょっこりとこのアキコさんが現れたではないか。
おおお、お久しぶりー。と再会を喜び、一緒にダハブまで来てご飯を食べたりするようになった
カッパドキアで話をしている時に、今回の旅行は3ヶ月だということだったので、小奇麗な旅行をしている旅行好きのOLさんなのかと思い込んでいた。ところが話をするうちに、実は仕事は添乗員や旅行代理店で働くプロの旅行人で、今までに2年、1年半、3ヶ月の一人旅も行ってきたという旅の達人だということがわかった。
今回の度もしょっぱなシベリア鉄道で1週間風呂なしから始まって、中東とエジプトでカイロアウトというコース。「シベリアで、中東でエジプト」なんて郷里の親には言えないから、印象がいい東欧の国々を周ると言って出てきたのだそうだ。実際プラハには立ち寄ったので、プラハから親に電話すると「洒落た所から電話しちゃってー」とご満悦だったそうだ。作戦は成功しているようだ。
「風呂なし1週間って、色んな所が痒くなっちゃったりしないんですか?」と聞くと、「以前にモンゴルに行った時もそうだったしねぇ、郷に入れば郷に従えってやつですね」と言う。「海千山千」なんじゃないですかぁ。それでも小奇麗なOL旅行のように見える所がますますプロを感じる。
インドには行ったことがあるけれど、エジプトは初めてだというアキコさんは、ルクソールやアスワンの客引きの悪名高い噂を聞くたびに、「いやー、面白そうですねぇ。腕が鳴りますねぇ」と、期待に胸を高鳴らせていた。今頃、またまた武勇伝を増やしていることだろう。
面白いエピソードを持っている一方で、アキコさんの情報の捕らえ方はとても鋭く、この後先行してカイロに入ってからもポイントをついた的確な情報をズバズバとメールしてくれた。カイロから出る時には、ホテルに余った薬を私たち宛てに置いていってもくれた。旅行する人にとって、何が重要なのかがよくわかっている人だ。帰ってからは、また旅行代理店で仕事をすることになるだろうと話していたが、実際順調に仕事は確定しているようだ。
今度会う時には、どんな武勇伝を聞かせてもらえるのか、今から楽しみである。
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エジプト/ハルガダ |
一番上のお兄ちゃん、まつげが長くって
メチャクチャ可愛い。いや、そろそろカッコいいって
いわないといけない年かな? |
2006.12.16 ハルガダ
山田智恵(トミエ)さんと一番上の息子さん
2006年の12月12日、ハルガダでの宿探しでクタクタになりつつも、ここでダイバーズショップを営んでいる日本人女性がいるとガイドブックに書いてあるのを頼りに訪ねた先がサーラ・ダイバーズショップ。
エジプト人の旦那様と共にここを経営しているトミエさんは、クタクタになっていた私たちに「うちでツアーを組んでくださったお客様には宿泊施設を提供するサービスがあるんです」という夢のようなお話をしてくれた。
ダイバーしかこのサービスを受けられないと思い込んでいた私たちは、シュノーケリングツアー客も受け入れてくれることを聞いて、大喜びで翌日移動してくることになった。これがトミエさんとの出会い。
私たちが訪れた時、丁度旦那様はカイロに出張中でお会いすることができなかったが、旦那様不在をいいことに、夜はトミエさんを独占して色々とお話をさせてもらうことができた。
トミエさんは若い頃にアフリカを旅行するにあたり、現地のスワヒリ語を学んだ方がよかろうと、ケニアはナイロビの星野学園という所で語学を勉強。のちにアフリカを旅行して周り、その帰りにエジプトに立ち寄った時にハルガダを訪れた。紅海の美しさにひかれてダイビングの虜になり、ダイビングのインストラクターとしてハルガダに滞在するようになった。やがて同じくインストラクターだったエジプト人男性と結婚し、今は3人の元気な男の子のお母さんとして、またダイバーズショップのオーナーとして忙しい日々を送っているのだそうだ。
私とトミエさんは同い年。トミエさんがアフリカ旅行を考えていた頃、私にとってアフリカなんてとんでもない未知の世界で、一生のうちに行く事さえ考えていなかった土地だった。思い切って日本を飛び出してアフリカに来たトミエさんのその後の人生はドラスティックに展開している。トミエさんの人生と比べて私のがどうこうと比較するつもりは毛頭ないのだが、若いうちに大きな動きをした人の人生ってのは展開がダイナミックなんだなぁと、同い年だけになんだかしみじみと思われてくるのだった。もちろん、現在の基盤ができるまでには、日本で生活している人以上にいろいろと苦労もあっただろう。トミエさんの優しさが、逆にその苦労を乗り越えてきた強さを感じさせる。
もっとお話したいなぁと思いつつも、滞在日数も少なく、後ろ髪を引かれる思いでお別れしてきた。またいつか、ゆっくりお話させてくださいね。
サーラ・ダイバーズのHP
http://www.saradivers.com/index_j.html
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エジプト/ルクソール |
2006.12.18 ルクソール
石井新造さん
ルクソールの駅前からまっすぐに伸びるメインロード沿い右手にイッサラームというホテルがある。
かつでは日本人バックパッカーも多く宿泊していたこの宿も、強引な客引きとあまりに汚い設備に、節約タイプのバックパッカーでさえ足が遠のく今日この頃な宿になってしまった。
このイッサラームの屋上にトタンで屋根をはったオープンカフェといえば聞こえはいいが、屋上営業のレストランがある。時々流暢な日本語もあやつれるエジプト人シェフが日本食と韓国料理らしきものを出しているHigh
Lifeという店だ。
面白そうなので行ってみると、シンゾウさんが一人で食事をしていて、同席させてもらったのが初めての出会いだった。日本食とはいえ、マギーのチキンブイヨンと醤油で煮込んだ米に溶き卵で仕上げた雑炊や、醤油で炒めたソーセージと野菜を炊いたご飯に混ぜた炒飯など「日本食らしきもの」の枠を出ないのだが、醤油の味を求めてついついここに足が向いてしまうのだとシンゾウさんは語った。
この後、私たちもシンゾウさん会いたさにここに通うことになった。
シンゾウさんは定年退職後、一人海外旅行を行って、その面白さにとりつかれてしまった。今までまわった国は50を超えたそうだ。今回はエジプトとアフリカを巡る旅だったそうで、ルクソールはもうアフリカも終えた終焉の都市だった。キリマンジャロの登頂にも成功して大満足だったそうだ。
「いえね、西アフリカの国で床屋に入ったら、何も言わずにバリカンでズズズズーって刈られちゃってね。ややや、と止めた時にはもう遅くって、アフリカ人みたいな短髪にされちゃったんだよねー。大分伸びてましになったけどさ」と短く刈り上げられた頭をなでながら話してくれた。現地に溶け込む旅を満喫しているようだ。
「それにしてもここは妙な日本食レストランですねー」と話していたら、タイのチェンマイにある、ある日本食レストランの話になった。チェンマイといえば、今や日本人の定年退職者が大挙している場所だ。シンゾウさんが訪れたレストランにも、日本人の老人がたくさん集っていたのだそうだ。一人でご飯を食べていると、とあるグループが「お、新入りかい?ちょっとこっちへおいでよ」と声をかけてきたそうだ。話してみると、このレストランに集っている人たちが日本からもらっている年給は10万円程度。10万円じゃぁ日本で生活するのは厳しいということでチェンマイにやってきたものの、別にやることもなく、何かをしようとするとお金もかかってしまうので、毎日このレストランに集まってしゃべっているのだそうだ。
「15万円もらえると、ああいうこともできるんだけどねぇ」とその老人が指差す先には、別の日本人男性がタイの女性とその家族に囲まれている姿があったそうだ。
「あんたも10万円くらいかい?」と聞かれて、単なる旅行者だとは言いづらくなり「ええ、まぁ」と曖昧に答えて帰ってきたのだそうだ。
旅というのは、同じ土地を訪れても使う予算によってかなり異なる体験ができるということは思っていたが、訪れる年齢というのも何が見えて、何に出会うかという事の大きな要因になるのだなぁと、しみじみ感じさせられた。同じ場所を訪れても一様でないのが旅の醍醐味でもある。
High Lifeでは食事をしていても、下のイッサラームの客引きが隣に座って明日のツアーはどうか、レンタルサイクルはどうかと言ってくるのだが、シンゾウさんはまるで耳を傾けずに私たちとベラベラと日本語でしゃべっている。かといって邪険に扱うわけでもなく、隣のエジプト人のグラスにも酒をそそいでやっているので、彼らはじきに忠犬のように大人しく黙って横で酒をすするだけになった。さすが大人の旅行者、お見事だと、この様子も楽しく拝見させてもらった。
大抵3ヶ月くらいフラーッと海外に出ては家に帰る。日本では「奥さんや子供に内緒で、孫に飴をやるのが楽しみな爺さんです」とお孫さんの話になると、更に口元が緩んでしまうシンゾウさんは、自由奔放に自分のやりたい事が見つかった喜びを満喫している旅人だった。
シンゾウさんのブログ:「爺の旅」
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