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ウガンダ/カンパラ |
2007.09.22
Nakivuboショッピングセンター
天本葉子さん、SAMさん
マウンテンゴリラ・トラッキングから戻ってきてからの私たちは、カンパラでネパール行きの準備に奔走する日々となった。
ナイロビの旅行代理店に電話をかけなければならなくなり、インターネットを使った安い電話屋を探してWilliam
St.をうろうろとしていると、「日本語でインターネット」という日本語の表示を出しているビルの中で、インド人経営のインターネット電話屋が見つかったので、そこに何回も通うことになった。
日本語で看板を出しているネット屋ものぞいてみようと探すと、電話屋の隣。中にはウガンダ人のサムさんが座っていて、めちゃくちゃ流暢な日本語で「あ、どうもこんにちは」と話したのがはじめての出会いだった。
何度か通ううちに、日本に一時帰国していた奥さんの葉子さんがサムさんとショップにいる時に出くわし、一緒にご飯でも食べましょうと、私たちが行きつけていたNakivuboショッピングセンターの中華料理屋に案内したのだった。
葉子さんとサムさんは結婚して4年になるから、二人の出会いはそれ以前の日本でということになる。サムさんが働いていたアフリカ料理店に葉子さんが友達と食べに行って出会ったのだそうだ。
日本の両親から勘当に近い反対を受けながらも結婚に踏み切り、アフリカのウガンダという思ってもみなかった地で暮らして4年。最近では両親も二人の仲を認めて応援してくれるようになったのだそうだ。
葉子さんは、カンパラに来てから日本人とアフリカ人の夫婦というメリットを活かして、日本の中古車販売業をサムさんと立ち上げた。もともと商売をしている家に育った葉子さんは、商売の基本や人の使い方などが空気のようにわかっているつもりだったが、ここはアフリカ。日本とは全く勝手が違う。しかも日本の中古車は、葉子さん達が扱っている正規ルートで輸入すると、アラビア半島から違法に入ってくる盗難車系列の中古車より確実に高くなってしまう。それでも、正規ルートで買いたいお客さんがいるはずだと商売を続けるのだが、高い中古車を一度に支払えるお客さんは数少なく、またローンのシステムがないので割賦制度をとろうとすると自分が負債を抱えなければならない。始めたばかりの商売だったのに、支払いの滞りが何件も起きて裁判を起こしても勝ち目のないものが多く、商売は行き詰ってしまったのだそうだ。
そこで、新しく立ち上げようとしたのがインターネットカフェ。私たちが訪れているネット電話屋の隣だった。ところが、いつ訪ねてもプロバイダーの調子が悪いといって開店休業状態。どうしたのかと訪ねると、せっかくマシンを用意して準備して、3ヶ月分もプロバイダーに前払いしたのにプロバイダーが倒産してしまって、支払いを返却してもらおうと係争中なのだという。むむむ。ウガンダでの商売はかなり難しそうである。この4年間の間に、葉子さんは十二指腸潰瘍になってしまって今もあまり体調がよくない。そんな二人を心配したご両親と相談して、そろそろ日本に拠点を移そうかと考えているのだそうだ。
ちゃきちゃきしている葉子さんとは対照的に、サムさんはとてもおっとりとして、明るく優しく朗らかで、私たちが出会ったウガンダ人の良い部分をたくさん持っている人だ。葉子さんもそんな所に魅かれていると思うのだが、二人で商売をしようとすると意見が食い違うことも多く、シビアな喧嘩になることもある。私たちと会った昨日も喧嘩をして、葉子さんは結婚して初めて家を飛び出してホテルに部屋を取った。「それくらい事態は深刻だったんですよぉ」と葉子さんは言うのだが、部屋を取って数時間後にサムさんが迎えに来てくれて仲直り。事なきを得たのだというお話で、え?もしかして、私たちのろけられてます?
この4年で二人の絆はグッと深まったみたいだ。
しゃべっているうちに、土曜日のNakivuboショッピングセンターは、立ち並ぶレストランの前にステージが設置されて、大音響の音楽をバックにダンサーが登場して踊りはじめた。ショッピングセンターの人寄せの余興らしい。音楽が鳴り出すとサムさんはステージに釘付け。中でも最初に登場した3人組み女性ダンサーの真ん中の女の子の腰の振りが大変よろしいと評価している。その子は、私たちがブラジルで見たサンバショーのダンサーよろしく、腰を前後に振りながら屈伸して踊るのだった。葉子さんいわく、サムさんもあの動きを家で披露してくれて、それはなかなか見ごたえのあるダンシングなのだそうだ。そーでしょうねぇ。あんなこと、普通出来ませんって。「やっぱりウガンダ人だからできるんですかねぇ」と私が言うと、サムさんはウガンダ人だからできるわけではなく、自分は葉子さんの知らない所で密かに練習しているからできるんだと、ちょっと胸を張って答えた。それを聞いて一堂大爆笑。葉子さんも「練習してたんて、知らなかったー」と涙を流しながら笑っていた。
縁あって日本から遠いウガンダにお嫁に来た葉子さんと、縁あって私たちも出会うことができた。カンパラでの生活は苦労が多かったみたいだけれど、二人は明るさを失っていない。その裏には日本のご両親の支えもあったことだろう。とても真面目なサムさんは日本に行っても好かれるキャラクターだと思う。今まで苦労した分、日本ではうんと幸せになってほしいですね。
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2007.08.21
Nakivuboショッピングセンター
佐藤愛沙さん、Dan Hex Ssemagonjjaさん
Kimathi Ave.沿いのエミレーツ航空オフィスの隣に料金は高いがスピードが速いネットカフェ「Web
City」があると上記の葉子さんから情報を得て、行ってみることにした。
エミレーツ航空オフィスをめざして歩いていたが、道がよくわからなくなったのでシャレたイタリアンレストランに出ていたアイスクリームショップで聞いてみようと立ち寄ると、日本人らしき女性がいて話しかけたのが愛沙さんとサミー(DAN
HEX君のニックネーム)との最初の出会いだった。
このイタリアンレストランはスピークSpekeという高級ホテルの1階に入っているレストランで、私たちも喉の渇きを癒そうと二人と合流してアイスクリームを食べたのだが、洗練されたジェラートでとてもおいしかった。レストランの中庭のオープンカフェにいるお客さんはほぼ白人。私たちがカンパラで一度も見たこともない人数の白人が、ここにはどっさりといてとてもビックリした。
後日、私たちの行きつけの中華料理店(上記の葉子さん夫妻も誘った所)に二人を誘って昼食会を開いて、いろいろと話をして楽しんだのだった。
愛沙さんは早稲田大学生。在学中にフランスのパリに渡り、半年フランス語を勉強した後に、1年間パリでインターンシップを行っていたのだそうだ。ファッション業界に興味があった愛沙さんが選んだ仕事は、日本人モデルとモデルエージェンシーとの間に立つ英語と日本語、あるいはフランス語と英語の通訳という仕事だった。ところが、モデルの世界というのは非常に卑劣で友人でもある日本人のモデルがエージェントに娼婦のように扱われる現実を見て幻滅。自分にはこの世界は耐えられないと、日本の銀行への就職を決めたのだった。
今回は、大学の卒論のフィールドワークのためにアフリカに来ているそうだ。テーマは「司法制度の多様性Diversity
of Justice」。なんですか、それ?
国や地域によって定められている司法制度にどれくらいの幅があるのかということで、具体的には殺人犯に対して恩赦を与えるのかどうか、与えるとしたらどう扱うのかというようなことを調査しているのだそうだ。
今回の旅ではフィールドワークに先立って、ボランティア活動もしていた愛沙さんは、サミー君とそこで知り合って引き続きフィールドワークのアシスタントをしてもらうことにしたのだそうだ。
愛沙さんが属していたボランティア団体は、UPA(Uganda Pioneer Associtation)というNGOで日本のNICEというNGOを通じて日本人のボランティアも常時活動している所だそうだ。アフリカの他の場所でも、NICEを通じてUPAで活動していたという日本人に数人出会っており、ウガンダでボランティア活動してみたい日本人にとってはメジャーなアクセス方法らしい。その時に出会った人の話では、単純に旅行するよりも、ボランティア活動を通じて、地元の人の生活や考え方をより深く知ることができるし、言葉も少しわかるようになるので、ボランティア活動が終了した暁に旅行する準備としても好都合だということも聞いた。
サミー君は、UPAのCENTRAL BRANCHに所属しているカレッジ卒業の青年で、ここでボランティア活動をしながら大学を目指しているんだそうだ。「Central Branch所属」を特に強調してほしいと言われたのだが、というのもUPAにも様々な支部組織があり、特に貧困やゲリラの問題が深刻化している北部UPAのブランチでは、組織が腐敗して汚職問題も起きているらしい。自分が北部ブランチの人間だと思われるのは非常に遺憾なので、カンパラのCentral Branch所属ということを明記してほしいのだそうだ。同じ国で同じボランティア組織にいながらも、これだけの温度差があるということから見ても、北部の問題はそう簡単にはおさまらないことを予感させる。
サミー君とはウガンダの大学の話になった。ウガンダには国立のマケレレ大学という名門大学があり、かつてはケニアとタンザニアとウガンダ3国にとっての東大のような存在だったのだが、今は高級官僚の子女に裏口入学を許したり奨学金を優先的に与えるために大学のレベルが著しく下がっているという。他の私立大学の方が公平な入試を行って、奨学金も正しく与えられているために、真に優秀な人材が集まっているというのが現状なのだそうだ。もちろん私立大学への授業料は高いが、公平に奨学金が与えられるなら、自分も頑張る価値があるというのがサミー君の意見だった。
来年の4月から愛沙さんは日本での新しい生活が始まるし、サミー君もいずれは大学に通うようになるかもしれない。今の所はその目標に向けて準備を着実に行いながらも、日々を楽しんでいるような二人だった。
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ウガンダ/ジンジャ |
2007.09.29
ジンジャの町中のカフェ
宮川純さん
ジンジャはナイル川の源流となるヴィクトリア・ナイル川でのラフティングの拠点となる町だ。私たちが宿泊しているバスパークの近くは庶民が多くて、とても観光客がいるとは思えないような場所だったが、メインストリートである、その名もMain
St.に行くと、ちょっとシャレたカフェやスーパーや土産物屋が並び、白人観光客が在住白人の姿がちらほらと見えた。
ぶらぶらとメインストリートを歩いていると、カフェのオープンテラス席に日本人の女性が2人座っている。話しかけてみると海外青年協力隊員の人たちだった。1人は用事があるのでしばらくすると去ってしまったが、残った宮川さんとおしゃべりを楽しませてもらった。
ここからミニバスで40分ほど離れた村で、聴覚障害者に点字の読み方を教えたりするボランティアを行っているそうだ。イギリス人が建てた学校で、宮川さんの住まいも学校の敷地内にあり、他の協力隊員に比べるとシャワーでお湯も出る環境があって恵まれているらしい。
週末になると村から比べるとずっと都会のジンジャに出てきてコーヒーを楽しんだり、お店をのぞいたり、他の協力隊員と会って息抜きをしているんだそうだ。
宮川さんは日本では視覚障害者の教育に携わる仕事をしていて、今回も視覚障害の仕事と思っていたら聴覚障害と聞いてびっくり。でも、世界でどこでも通用するユニバーサル手話を覚えたりして、何とか日々の仕事をこなしているそうだ。
ウガンダは緑が多くて気に入っているという話だったが、協力隊員としてこちらに来ていると、アフリカの他の国に行きたいと思っても一般の旅行者よりもしばりが厳しい。例えばウガンダ隊員の場合は、南アに行くことができないんだそうだ。理由はヨハネスブルクやプレトリアなどの犯罪率が高くて危険な国だと外務省が判定しているから。
また最近決められた新しいルールでは、任期が終了して日本に帰国する際、決められた最短ルートで帰らなければならないことが義務付けられた。そもそも帰国便は自己負担なので、これまではちょっと旅行して帰ることもできたのだそうだが、今回のルールでは自己負担な上にルートも決められてしまっている。ワイン好きな宮川さんは、任期中に南アにワインを楽しみに行くことも、任期を終えてから南アを旅行することも、パリなどフランス経由で日本に帰ることもできない状況。「ワインを楽しむためにボランティア活動をしているわけではないので、いいんですけど、せっかく遠い日本からここまで来ていて、行けないっていうのは厳しいですねぇ」と残念がっていた。
協力隊員の任期後の旅行で何か事故でもあったのだろうか。
宮川さんのように日々を粛々とボランティア活動をして過ごしている協力隊員に何人も出会った。飛び込んではみたものの、現実の厳しさを知り、現地のやさしさに触れて過ごしている。そんな2年間を過ごして、ちょっとくらい最後に旅行するくらい、許してあげればいいのにねーと部外者の私は思うのだが。
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