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2007.02.03
マサイ・マラ国立保護区サファリツアー第一日目
ケニア:マサイ・マラ |
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ナイロビ到着2日目にしてサファリに出発する。新しい国に入国してこんなにも早くメインイベントをこなすのは、私たちにしては珍しいことなのだが、丁度、ケニアに到着したのが金曜日で、スーパーも閉まってしまう日曜日に、犯罪の多いナイロビにいるのは危険だと思って、さっさとツアーを入れたのだった。
私たちが利用したプラネットという代理店が用意してくれているドミトリーは土日になると断水するという話を聞いて、更に良かったという思いを強めた。
ツアーは日本人ばかりの7人。朝、ドライバーのマイケルがやってきて皆と挨拶を済ませ、9時半にオフィスを出て建物の裏手の道路で車を待った。
みんな5リットル入りの水を買って、お菓子やらピーナッツやらスナックやらを買い込んだスーパーの袋を持っていた。
9時半過ぎに車に乗り込んで出発。最初の見所であるグランド・リフト・バレーまでは道もよく素晴らしく快適なドライブだった。
私たちは、東アフリカの南にあるモザンビークから始まり北のエチオピア、そして海を越えてイスラエルまで9500kmにも続く(ガイドさんの説明による)地溝帯を見下ろせる展望台に立っていた。
グランド・リフト・バレーは日本語で大地溝帯と訳される。遥か昔の地理の勉強で習ったこの言葉にここで巡り会おうとは。地溝帯とは「ほぼ平行に走る二つの断層にはさまれた地域が落ちこんで溝のようになっている地質構造。」(マイペディアより)
その説明通り、眼下にはずーっと遠くまで谷が続いている。谷といってもすぐ両脇に切り立った岩壁が見えるという谷ではなく、もうただただ広い野原がだーーーーっと続いているのが見えるのだった。
この程度の高さからでは、もちろん断層のように地球が分断されている溝は感じられないが、逆にこの高さでも感じられないほどに幅の広い断層が走っているのだという想像をすることはできる。
「ふーむ、これが地溝帯かぁ」と感慨にふけっているのに、その脇で土産物をちょっとだけでも見にこないかという勧誘のおっさんがやかましい。「見るだけただ」という誰が教えたのか日本語で言ってくるのが、ますます憎たらしい。この攻撃を無視しながら、ひたすら遠くを見つめる私たちだった。
11時15分、ここからリフト・バレーに降りてガソリンスタンドで停車。ここのガソリンスタンドは整備工場のような施設も兼ねていて、私たちにはわからなかったが何かマイケルはおかしいと感じる所があったのか車を見てもらっていた。隣には土産物屋があり、見てくれと言われたので店内をひやかしてみた。木彫りのお面や動物はなかなか迫力があって、広い家があるのなら一つ土産に買って帰りたいような魅力的なものもあった。が、「私たちは家がないから買えないのよ」というと、嘘をつけという顔で、それなら仕方ないねと解放してもらった。
CD売りの少年が近寄ってきて、ケニアミュージックのCDはいらないかと言ってきた。音楽は興味があるので見せてもらうと、面白そうなものもあった。しかし、値段を聞くとUS$20という。そりゃないだろうというと、すぐにUS$10まで下がった。それでも高いというと、いくらなら買うのかと聞いてくる。ブラジルのビーチに売りに来ていたCDと品質が似ていた。あの時はUS$2.5だったから、US$3だったら買うというと、少年は馬鹿にされたと怒ったような顔で手を振りながら去っていってしまった。世界標準に照らした値段だったんだけどなぁ。
車の点検も終了して、再出発。バレーを横切って今度は先ほど展望台で見学していたのと反対側に向かって、ぐんぐんと坂を上った。本当にここだけ地球に溝ができているのだ。
12時33分に、何かがはじける音がしたと思ったらパンクだった。
車をあまり運転しない私にとってパンクは馴染みがないのだが、それでも、こんな風にタイヤの中の繊維のような物が見えてしまうほどのひどいパンクというのは、初めて見た。
もちろんマイケルはこんな事態には慣れているので、すぐに代替のタイヤを車の下から出して、タイヤ交換を始めた。
大分前から、周りはひたすらに野原が続く風景になっていた。道端には硬い茶色の三角形、その各頂点から太くて長い棘の突き出した実をたくさんつけた勇ましい草が、あちこちに生えていた。
見た目は柔らかい草原に見えるけど近寄ると痛い目にあわせちゃうわよ。という感じで、この遠目にはおとなしげなサバンナには、痛いものがどれだけ潜んでいるのだろうと想像させる草だった。
タイヤ交換は10分程で終了。再び走り始めたものの、この辺りの道路は舗装道路とはいえ、道中に大きな陥没がいくつもある。この陥没を避けながら走っているものの、どうしても避けきれずに何度か陥没にタイヤが突っ込んでしまう場合があった。そんなことがあった1時間後、またもやパンク。さすがのマイケルも1時間後に2回目のパンクというのは、あまりないことらしく、車を停車させてから一瞬、絶望したようにハンドルに頭をくっつけて嘆いた。まぁ、そこまで嘆かなくてもいいのではないかと、逆に私が思ってしまうほどの気落ちようだった。車を降りてからも、「アスファルトの熱でやられて、その上、この陥没だろ。タイヤはすぐにやられちゃうんだよ」とブツブツと文句を言っていた。後から思ったのだが、ドライバーはこうした車のメンテナンス費用は自腹、というか自分の利益の中から出しているんじゃないだろうか。だから、1時間で2本のタイヤパンクとはすなわち、それだけの損害が自分にかかってくるということになり、それで落ち込んでいたのかもしれない。
2回目は右側後輪で、ジャッキがうまくかまなかったので、男性陣が車を持ち上げて石をかませてジャッキをつっこんだ。
こういう時に率先してやってくれるヨシさんという男性が頼もしい。因みにヨシさんは長身でとてもハンサムでもある。だから、ますます格好良く見えるのだ。
こうして2回目のタイヤ交換も終了。そこから1時間走って、昼食を摂る村に到着したのは午後3時になっていた。既にサファリを終えていたフミさんから、昼食は午後2時過ぎだったと聞いていたので、やはりちょっと遅れ気味だったろう。
村は舗装されていない道に、30年くらい前の日本のような商店が並んでいる。
レストランは1階が店舗になっているビルの上の方にあり、途中階はござっぱりとしたホテルになっていた。レストランもこざっぱりとして、私たちのような観光客が立ち寄る特別な場所なのだろう。レストランのテラスから見てみると、赤いチェックの袈裟のような布を肩からかけたマサイ族もフツーに歩いている。電話ボックスに入って電話しているマサイもいる。かと思うと、真っ黒な装束のモスリムの女性や、派手な色合いの服を着た現代風の女性もいる。
ナイロビにいる時よりもアフリカにいるという感じを強く感じる村だった。
ビルの下からドライバーのマイケルに呼ばれて、午後の出発となった。2回もタイヤがパンクしたマイケルは、新たにスペアタイヤを調達していたために昼食は食べる時間がなかったらしい。お腹空いちゃっただろうなぁ。暑さで溶けてずるずるになったチョコレートクッキーだけれど、差し出すと嬉しそうに食べていた。
午後一番で立ち寄ったガソリンスタンド併設の土産物屋では、様々な柄のマサイ族の布が飾られていた。
いよいよマサイ族の地域に入ってきているのだ。
町を抜けると、未舗装の道路に入っていった。午後に入って雲が多く出てきたので、草原の色は午前中ほどあざやかではないが、この中に多くの動物を見出すことができた。午後4時半の時点でまだ保護区に入っていないこともあり、動物達は道路から遠い所で静かに草を食んだりしていたが、遠いといっても肉眼で識別できるくらいの距離だ。
ちょと遠いがトムソンガゼルの群れとその奥にヌー。 |
シマウマの群れ。右端にトムソンガゼルも。 |
最初に姿を現したのは、グランツガゼルとそれよりも少し小さめで腹に黒い横線の入ったトムソンガゼルという鹿に似た草食動物。マイケルが説明してくれる度に、車内には「おおおおーっ」と歓声があがった。
やがてヌーが数匹、シマウマ、トピという足の付け根が黒くて角をもった鹿系(レイヨウ)、同じくレイヨウのハーテビースト。
まだ保護区の中に入っていないというのに、こんなに多くの種類の動物を見ることができるなんて!
鳥類ではスターレーン(美しいブルーで鳩くらいの大きさ)、ゲネアフォールGuinea
Fowl(ホロホロ鳥−鶏くらいの大きさで体は黒地に白い斑があるように見える)、ヴォルチャーVulture(ハゲワシ)が観察できた。
しばらく行くと、鹿によく似たこれまたレイヨウ類のインパラの群れ。インパラはメス多数にオス一匹というハーレムの構成で群れをなしているそうで、私たちが見た群れにもオスは一匹しかいなかった。
これらの動物は遠目でしか見られなかったし、日没が迫っていて車を停めて見る時間がなかったために、あまりいい写真は取れなかった。
一方で、マサイ族が飼育している牛の群れはしょっちゅう近くで見られる。
牛の群れのずっと遠くには赤い布のマサイ族がこちらをじっと見ていた。
今日、最後の動物はバブーン(ヒヒ)だ。走り去る私たちの車を逃げもせずに見つめていた。
ふかふかした毛がぬいぐるみのようで可愛いらしかったが、バブーンはキャンプサイトにあらわれて、強引にテント内の食べ物を荒らしたりするサファリ客の嫌われ者でもあると聞いた。
こうして走り続けて、日が沈む直前の午後7時半前にキャンプサイトに到着。
キャンプサイトのテントは据え置きのタイプで、階段3段を組んだ木枠の上に常設されたテントが中庭を囲むように立っていた。テントの囲む中庭から少しはずれた所にシャワーが男女各1つずつ、トイレが2箇所。
テント内は既に暗く、すぐにろうそくを立てて蚊取り線香を焚いた。鉄パイプのベッドにマットレスが置いてあるだけの簡素な寝床でも、寝袋を敷けば馴染みの快適な環境になる。皆で話し合ってシャワーの順番を決め、番が来るまでテントの外でおしゃべりしたり、それぞれに寛いで過ごした。
シャワーは驚くほど熱くて水量が豊富だった。ナイロビのドミトリーでは毎晩水不足で、貯めた水を細々と使ってしか体を洗えなかったのに、逆にこのキャンプサイトでバサバサとシャワーが浴びられるのが嬉しかった。
夜8時半に夕食。冷えたビールも買えるのだが、今日は控えた。明日は朝7時半にサファリスタートだからね。夕方見た動物達の興奮が蘇り、明日のゲーム・ドライブに期待が高まる夜だった。
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