夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2007.02.05
マサイ・マラ国立保護区サファリツアー第三日目

ケニア:マサイ・マラ

 昨晩マイケルは皆を集め、今晩は車の総点検のために町まで行ってこなくてはならないので、そのまま町に宿泊し、町からここまで迎えに来る。朝7時半には出発できるように準備しておいてほしい。なぜなら、ナイロビへの道には強盗がでるために暗くなる前にナイロビに到着しないと危ないから早く出発したいのだと、私たちに伝えた。

 そこで、朝7時に起きて朝食を摂り、他の皆も起こして周ったにもかかわらず、7時半になってもマイケルは現れなかった。待つこと30分、8時になってマイケルが現れた。昨日、タイヤのねじがなくなってしまった点検とその他の点検を頼みに町の整備工場に行ったら、もう夕方でしまっていて、今朝一番で点検してもらっていたために遅れてしまったのだ、すまないということだった。

 とにかく点検済みの車だったら、昨日よりは安心だ。私たちは早速車に乗り込み、ナイロビに向けて出発した。昨晩から今朝にかけては、かなりの量の雨が降った。そのために、キャンプサイトの周囲から、もう道はぬかるみ始めていた。

 おまけに、マサイ族の牛たちは曇天の朝ということなのか、寝ぼけ眼でなかなか道からどこうとしない。「日没までにナイロビに戻らないと強盗に襲われるかもしれない」という不安が早くも朝の時点で頭をよぎった。

 朝9時半、もう保護区を出てはいるもののインパラ、ガゼル、小型の鹿のようなドゥクドゥク、シマウマ、そしてホーンビルを見ることができた。インパラやガゼルはかなり近くで見ることもできたのだが、彼らはとても臆病なので車で近づくとすぐに逃げてしまい、カメラに納めるのは難しかった。

 今日のインパラの集団は、この3日間で初めてみるオスだけの集団。インパラは通常多数のメスに一匹のオスという集団で移動しているのだと何度も聞いた。うっすらと、じゃぁ余った男子はどうしているのだろうかと思っていた疑問がここで解けた。若いオスは群れになって生活しているのだそうだ。そして、時々ハーレムのオスに試合を申し込み、そこで勝利を勝ち取ると自分がハーレムの主になれるということらしかった。私たちが通りがかった時、丁度、若いオスがハーレムの主に試合を申し込んでいるらしい場面だった。

 そんなゲーム・サファリを楽しんでいたが、道は相変わらずぬかるんでよくない。所々で車を降りては、車体重量を軽くして、車がスタックしないように私たちはぬかるんだ所を徒歩で通り過ぎるという作業を繰り返していた。

 ところが、午前9時38分。

 ついに川にかかった橋が一部欠落してしまっている場面にぶちあたってしまった。川は右から左に流れていて、上手の右側はまだ水深が浅いので、橋の右手から川の中を渡っていくことになった。

 人間はドライバーのマイケル以外は全員降りて徒歩。ところが、今まで一度もスタックしていなかったマイケルなのだが、この川にはてこずった。後輪がはまってしまったのだ。4WDモードにしてウィーンとパワーをあげると、後輪は水しぶきをあげならますますはまりこんでいく。とうとう、私たちの男性陣が車を後押しすることになったが埒があかなかった。

 そうこうするうちに、通りがかりのマサイ族が近隣の人も呼んで来て、車の後押しを手伝ってくれることになった。

 中には小学生くらいの子供もいる。うんしょ、うんしょと車を押して、とうとう車はスタックを抜けて川岸にたどり着くことができた。マイケルは大人のマサイ族と報酬の交渉を行っている。結局KSH500(=US$7.08、2007年2月5日の換算レートUS$1=KSH70.58を使用)で話がついたそうだ。

 小さな子供たちは、その分け前に預かれないのか、私たちの所に来て直接チップを、金をくれと手を出してきた。仕方ないのでクッキーをあげた。この分だと、あの川で見張っていれば、今日はかなりの売り上げとお菓子を手に入れられそうだった。

 その後も何度か私たちが車を降りて、マイケルが上手くぬかるみをかわしながら先に進むことができた。実は昨日のサファリ中、保護区内でスタックしてしまっている車を何台かみかけている。同じ道を走っても我々はスタックせずに、貴重なサファリの時間を無駄にすることがなかったので、マイケルの運転技術はたいしたもんだと思っていた。

 しかし11時にまたもやスタック。この場所はひどかった。もがけばもがくほど、車は泥の中に埋まりこんいく。

 男性陣も必死で車を押したのだが、足元は粘りつくような泥土でなかなか力が入らない。業を煮やした何人かはサンダルを脱いで裸足で車を押そうとした。しかし、この辺りには棘のある草が潜んでいて、たちまち足の裏が棘だらけになってしまうのだった。

 私もビーチサンダルで避難していたのだが、普通に歩くだけでもサンダルの裏に重い泥がまとわりつきたちまち歩けなくなってしまったので、裸足で泥土の中を歩いていたら数箇所に棘がささってしまった。何の役にも立たずに負傷。

 もう私たちではどうすることもできない。救援の車が通りかかるのを待つしかない状況になった。

 するとまたもやマサイ族を積んだ四駆の車が登場。大量のマサイ族で車を押すことになった。というか、もう一台車があるんだから、そこにチェーンをかけて引っ張ってくれりゃぁいいと思うのだが、それはしない。かなり時間と労力をかけた結果、無理だということになりチェーンで車同士をつないで泥からひっぱりだしてくれた。結局、スタックしてから1時間半後にようやく車は泥から開放されたのだった。マサイ族のリーダーは、こんなに大勢のマサイ族が援助したのだからと破格の金額を請求してきたらしいが、結局、車を引き出したのは車だったということで今回のヘルプ料金はKSH3500(=US$49.59)に落ち着いた。

 再び走り出してから、「最初から車で牽引してくれたら、あんなに時間がかからなかったのにひどいねぇ。それにしても随分高い値段の請求じゃない?」とマイケルに聞くと、マイケルも全くマサイ族の奴はいやらしいと文句を言った。今回も大量の人間を動因したという事実を作りたいために、初めから牽引せずにまず人に押させたのだろう。しかしマイケルは、それでも今回のマサイ族はまだましだというのだった。

 以前に同じような状況になった場合は、とにかくUS$20を支払わないと助けないと足元を見る態度のマサイ族がいたそうだ。ドライバー仲間には、マサイ族がわざと作った泥沼にスタックしてヘルプ料金を払わされた人もいるという。マサイ・マラ国立保護区のマサイ族の中には、悪質なヤクザなマサイもいるようだ。

 おまけに特異な格好をしておいて、今回の出来事を記録に取ろうとカメラを向けると「写真は撮るんじゃない」と猛烈な勢いで言う。ったく。あんたたちのコスプレを取るんじゃなくって、スタックの状況を取りたいだけなのに、勘違いもはなはだしい。マサイ族の中で歪んだ形に進化してしまった文明社会を見た。

 ようやく軌道に乗ったかに見えたが、30分後の午後1時に再びスタック。これは自分達で車を押して、何とか抜け出すことができた。

 それにしても、今回のスタック騒ぎでマイケルはUS$50近い金額を懐から出している。皆でチップを集めて払うべきなのかなぁと薄っすら考えていたのだが、マイケルから提案があった。協力してほしいことがあるというのだ。

 マサイ族の村を抜ける時には、滞在した日数と車種によって異なる金額の通行料を支払っている。これから通行料の支払いを行うのだが、もし係員が確認に来たら滞在した日数を1日だと言って欲しいというのだった。正しくは2日の所を1日ということによってKSH5000(=US$70.84)を浮かせることができるのだった。

 マイケルが通行料の支払いをしに建物に消えてから数分後、1人の係員が私たちの所にやってきた。「君たち、英語は話せるかね?」私たちは顔を見合わせながら、「リトル、リトル」と答えた。係員はゆっくりと「マサイ・マラには何日滞在したかね?」と聞いてきた。一番近くにいたマサヤ君が何を言っているのかを解釈するのに時間がかかる、というふうに首をかしげて少し考えた後、指を一本立てて「ワン」と答えた。係員は、うなずいて戻っていった。

 マイケルは戻るなりエンジンをかけ、「うまく行った。さぁ、出発、出発」と大急ぎでその場を後にした。

 そんなに通行料を取っているのなら、スタックの際のヘルプ組織を作ることができるんじゃないだろうか。そういう組織もなしに、マサイ族に勝手にヘルプさせて手数料を取ることを許している一方で、曖昧な自己申告的通行料の取り方で取り分を誤魔化されている。この通行料がどこに行ってどう使われているのかわからないが、ケニアという国の機能が今ひとつうまく働いていないんじゃないかという気がした。

 私たちの小さな世界の問題としては、今日のスタックで取られた料金は取り返せたし、タイヤのパンク、ねじの紛失、それに伴う車の整備代金などを考えても、マイケルの懐を痛めていた費用はだいたい賄われたのではないか考えられ、チップの問題もこれでなくなり、円満解決。

 3回目のスタック場所を過ぎてからは問題になるようなひどいぬかるみもなく、午後3時15分に初日に昼食を摂った村までたどり着いた。同じ場所で昼食。

 といっても二組のカップル4人は、エチオピアでもらってしまった細菌が活動を始めてお腹を壊してしまっているということで、昼食は食べられない状態。マイケルは再び車の整備工場に行っている。私と夫とマサヤ君の3人だけで食べることになった。

 余談だが、エチオピアでもらった細菌による症状は「卵げっぷ病」らしい。この虫が体に入ると、硫黄のようなげっぷが上がってきて不愉快この上ないのに加え、吐き気と下痢に見舞われる。虫は肉好きらしく、野菜ばかり食べていた間はよかったのだが、ここ数日のサファリツアーの料理では肉も多かった。肉を食べ始めた途端に具合が悪くなってきたのだそうだ。虫下しの薬を飲むのが一番いいのだが、それができない場合は絶食して水を飲み続けて虫を体外に出すしかない。お腹は空いているんだけど、食べると下しそうなので食べられない状態なので、とても辛そうだった。

 「卵げっぷ病」についてはインド帰りの人からも同じような話を聞いたことがある。その人の場合は、バラナシだったか日本人宿に宿泊している時、近所にやや怪しい日本料理を作れるインド人シェフがいる食堂があり、そこで出される「卵おくら丼」を食べた時になったそうだ。ご飯の上に炒めたオクラと温泉卵が乗っている丼だそうで、これが侮れなく旨い。宿泊している日本人皆で「卵おくら丼」を食べに行こうと出かけたのが、雨季に入りかけの季節だったそうだ。雨季、それは物が腐りやすくなる季節。この時期に完全に火の通っていない卵を食べて、全員が卵げっぷ病になり、皆で点滴を受けたという話だった。ネタとしては語る方も聞く方も面白おかしく聞けるのだが、事実怖ろしい話である。生ものには要注意なのだ。

 「卵げっぷ病」の話が長くなってしまった。

 さて、昼食を摂っている間にも天気は崩れ始めて雨が振ってきた。ここからナイロビまでは3時間くらいかかるそうだ。

 午後3時50分に町を出る時に、そういえば昨日マイケルが話していたサファリ客を襲う強盗のことを思い出した。今からナイロビに向かうと、ナイロビに到着する頃には日没近くなって危ないのではないだろうか。マイケルに尋ねると、強盗が出るのは、この村から1時間ほど走った場所なのだそうだ。だから、その地点を日のあるうちに通り過ぎれば大丈夫なので、今日は問題ないということだった。

 村を出てから道は一応舗装道路なので、スタックということは考えにくい。

 相変わらず道路にボコボコと陥没はあるので、陥没を避けながら走ろうとすると、雨でハンドルを取られる危険性はあるのだが、来た時と違って道路の温度が熱くないので、熱でパンクすることはないだろう。

 壮大なサバンナの中を頼りなげにフラフラーっと通う一本の道。こういう所をずーっと伝ってナイロビに帰っていくのだった。曇りのサバンナは晴天の時とは全く表情が異なり、何が潜んでいるのかわからない怖いような雰囲気を感じる。実際、晴れていようと雲っていようと潜んでいる動物に変わりはないのだが。

 午後5時、左手に大きな湖が見える。ナイバシャ湖だそうだ。グレート・リフト・バレーGrate Rift Valley(大地溝帯)にある湖で、ロンリープラネットによると様々な鳥やカバを観察できるようだ。

 マイケルの説明によると、ナイバシャ湖の裏手には活火山があって熱い湯が噴出しているということだった。何?じゃぁ温泉もあるのだろうかと聞くと、私たちがイメージしている温泉はなく、ここでは熱い蒸気が噴出している。Jaicaがその蒸気を使った発電所を作ったという話だった。へー、こんな所でJaicaがねぇ。

 ナイバシャ湖を過ぎる辺りになって、マイケルが言った。「強盗が出る地帯はここなんだ」。

 一本道で辺りは林に覆われている。道は相変わらず陥没箇所のあるよくない舗装道路。

 日没で車通りが少ない時、単独で走っているサファリカーをめがけて、強盗集団が車で追いかけてきて襲撃する事件がある所なのだそうだ。つい一ヶ月前にも、サファリカーが襲撃されたというから過去の話というわけではない。

 ここを通り過ぎると幅の広い道路になったのだが、左手の道路端は川かと思われる程の勢いで轟々と水が流れていて、右手は水浸しの風景だった。地溝帯の底だからだろうか、そんなに大雨が降ったとは思えないのだが、ここに全て集まってきているようだった。

 一台のミニバスはタイヤの半分くらいまで埋まってスタックしている。ここまではまり込むと、引きずり出すのはかなり大変なようだ。トラクターがヘルプに来ていた。

 夕方にナイロビ市内に入ってきた。今まで見てきた風景と比べるとネオンの広告看板、高いビル、赤く続くテールランプなど大都会に見える。

 午後7時過ぎにプラネットのオフィスに到着した。大きな事故もなく、様々なスキルで私たちを導いてくれたマイケルにお礼を言って握手。本当にこのドライバーなしではサファリはできない。


 「今度は乾季においでよ。乾季だったら水のみ場にもっと動物が集まってくるし、サバンナの中まで車で入れるからね!」とマイケルは言った。そうだなぁ、カバやサイ、チーターも見ていない。象ももっと近くで見たかった。ヌーの大移動ってどんな感じなんだろう。狩の様子も見たいしなぁ。行ってしまったが故に、ますます魅力を感じる。それがサファリってやつなのだ!


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