夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2007.02.13
ダウ船でマンダ・トト島へ

ケニア:ラム

 マリンディの茶色い海からそれよりはずっと澄んだ水のラム島にやってきた。しかし、街のある海岸沿いは護岸工事がされていて、海の水もそれ程きれいではない。

 ラム島の実力はこんなものではないだろう。と期待をしていた私たちは、12日にラム島に到着して腹ごなしをすると、早速ホテルの人にダウ船というアラブ式の帆船に乗って近くの島へ行くエクスカーションについて訪ねてみた。

 すると知り合いのダウ船船長を呼んでくれるという。しばらくしてやってきた青年は筋骨たくましい物静かな感じの男性だった。

 ラム島の周辺には、ラム島に近い順にマンダ島、パテ島、キワユ島がある。キワユ島は一番遠いがキウンガ海洋国立保護区というのがあり、ガイドブックに「ケニアで最も魅力的なダイビングスポット」と書かれてあったので、さぞやシュノーケリングも楽しいだろうと期待を膨らませて船長に聞くと、キワユ島まではダウ船で6時間もかかるので向こうで2泊しないと無理だといわれた。しかも宿泊施設がないので、浜辺の砂の上に寝ることになる、食料も持っていかなくてはならない。なとど、かなりアドベンチャーな旅になると聞かされた。いやー、そりゃちょっと無理だなあ。

 ラム島を訪れた旅行者に人気の日帰りダウ船のエンターテーメントは、マンダ島の向かいにあるマンダ・トト島の辺りでシュノーケリングをして、昼ご飯を食べて帰ってくるという内容なのだそうだ。これなら日帰りでできるので気軽だ。多くの人は、このツアーに参加するという話だった。

 じゃぁ、それにしましょう。ということになったのだが、問題は値段だ。私たち二人だけならば、1人KSH3500(=US$47.59、2007年2月12日の換算レートUS$1=KSH73.55を使用)になると言われてびっくり。ガイドブックにはマンダ島への1泊2日のツアーでさえKSH700(=US$9.52)だと書かれてあったのだ。いくらなんでも違いすぎる。

 ガイドブックにはこんな値段が書かれてあると言ってみると、彼としてはダウ船を出すにあたってKSH7000は必要だと考えているらしかった。だから二人だと1人3500。もっと人数が集まるのなら7000の頭割りの金額になるのだという。随分とアバウトな話だが、まぁそういうことなら仕方ない。

 そういえば屋上に1人の女性が上がっていったのを見たなぁと思い、船長に「ちょっと1人スカウトしてみるので、待っていてください」と待っていてもらい屋上にいる女性に声をかけた。白人の若い女性はとても残念そうに、この3日間、そういう人を待っていたのに誰も訪れず、明日はもうラムを出るチケットを買ってしまったのだと残念そうに言った。むむむ。

 すると、別の部屋から白人女性が二人出てきた。お、こっちはどうだろうと話しかけてみると、実は彼女たちも明日ダウ船のツアーにいくつもりで、さきほど町で声をかけてきたビーチボーイと話が進んでいる。こっちは4人いて1人KSH1000で話を進めているんだと言った。二人ともイスラエル人なのだが、そのうちの交渉上手のヒラが「じゃ、今話をしてる船長と話して1人KSH900になったら乗り換えるわ、船長と話をさせて!」と言う。私は、1000くらいなら乗ってもいいなぁと思っていたのでヒラを連れて船長の所に戻った。

 ヒラは、ビーチボーイとの話をして「私たちを含め6人でKSH900にしてくれるならあなたの船で行こう」と話を切り出した。6人で5400だ。しかし、船長は7000は譲れない線だと言った。ヒラは自分の物の言い方が切り口上で気分を害したなら許して欲しいと謝りながらも、金額は変えずに交渉。船長も折れることなく、残念ながら交渉は決裂した。

 はからずもイスラエル人の交渉というのを目の当たりにすることができた。へー、噂にたがわず強気。しかもヒラの場合は数値も織り込んで説得力のある交渉だったが、やはり畳み込み過ぎて船長のプライドを傷つけたのかもしれない。ふむふむ・・・。と思っていたら、ヒラが「で、あなたたちはどうするの?私たちに加わるの?それとも自分達で行くの?」と聞いていた。おっと、そうか、決めなくては。

 私たちとしても1人KSH3500は厳しい。船長には申し訳ないが、こちらのイスラエル人のグループに入って行くのがいいと思う。ただし、イスラエル人の探してきたチームのツアー内容が気に入らない場合は、再度船長に連絡することにしましょうと言って、話を終えた。物静かな感じの船長で、本当はこちらの船長と行きたかったが値段が折り合わないので仕方なかった。

 夕方、もう一度ビーチボーイと会って値段の確認、ツアー内容の確認、私たち2人が加わることを確認。ツアーの内容は先ほどの船長と聞いたものとあまり変わらなかった。先ほどの船長がくれたアドヴァイスは、ダウ船にエンジンが付いている場合は出発は9時でもいいが、エンジンが付いていない船の場合は8時に出発しなければならないはず。その点は確認した方がいいという話だった。

 確認するとエンジン付きのダウ船を利用し出発は9時。この点も問題はないようだった。

 唯一つ、先ほどの船長はツアーが決まったら今日中にシュノーケリングギアーのショップに行ってサイズ合わせをすると言っていたのだが、こちらはそういう手順がない。あり合わせのギアーを持っていって、勝手に選んで使えっていうパターンだな。そういう場合、大抵ぴったり合うサイズがなくて苦労するものだ。これだけは、行く前から懸念されていた。ヒラは「シュノーケリングギアなんて、どれも同じようなもんだから大丈夫よ」と言っていたが、そうじゃないんだなー。

 予約の証として手付金の半額を支払い、翌日はセンターポート近くのレストランの前に8時半に集合ってことになった。

 レストラン前に昨日のビーチボーイが迎えに来てくれて、海沿いの遊歩道を歩いて彼らのダウ船まで行く。この道の途中には魚市場があるのだが、そこに水揚げされたばかりのような光輝くキング・フィッシュが運ばれてきた。

 「うわー、新鮮でおいしそうだなぁ」とのぞきこんでいる私たちの横を、目を固く閉じて「オエー」っと言いながらイスラエル人のメアリー(だったかな、名前をちょっと忘れた)が走り去った。彼女は超ベジタリアンなのだった。

 乗船は膝くらいの深さの水の中にじゃぼじゃぼ入って、そこから船によじ登る。しょっぱなから甘くない船の旅を予感させた。




 船長はフェルースという名前のまだ若い青年で、彼はマンダ島の出身。この辺りの海は子供の頃からの遊び場でよく知っているそうだ。

 他のメンバーはビーチボーイとして営業をしていた男性を含めて3人。このチームでずっと仕事をしているのか、とても息の合った仕事ぶりだった。

 ラム島を出ると、マンダ島に作られた運河のような所を通る。ここは最近作られたバイパスだそうで、これができる前は大回りしなければならなくて時間がかかったという話だった。

 この運河が、遅い時間に出発すると潮が引いて通れなくなってしまうので、出発時間が大切だということだった。

 幅20mくらいの運河を通り過ぎると、海の色は急激に青みを増していった。

 この付近では、マンダ島とラム島を往復している定期船も見かけた。

 ぎっしりと付近住民を乗せた定期船は、通勤時の都内の地下鉄並みに込んでいた。


 午前11時、やがて右手に白い砂浜のビーチが見えてきて、そこがマンダ・トト島という説明。これからスタッフはお昼ご飯の用意をするので、皆はこの辺りでシュノーケリングをして楽しんでほしいということだった。

 で、シュノーケリングギアは・・・と見ると人数分ない。イスラエル人2名、その知り合いのアメリカ人カップル2人、私たち日本人2名、最後に飛び込みで入ったイギリス人の男性1名の計7名だが、そもそもシュノーケリングギアは5組しか積んでいなかった。ベジタリアンのメアリーはそもそもシュノーケリングはやる気がしないということで希望者は6人。それでも1組足りない。

 上から見るマンダ・トト島界隈の海は、話に聞いた程には美しくもなくやや緑色がかっていた。

 前回シュノーケリングを行ったのは、何と紅海。この世界でも有数の美海の記憶があるために、ここは敢えてシュノーケリングで入りたいと思うほどでもなかった。しかし、イギリス人の男性が気を使って早めにあがってシュノーケリングギアを貸してくれたので、じゃ行ってみようとドボンと海に飛び込んだ。

 上から見ているよりは海の中は美しかった。もう少し泳いでみるかなぁと思った途端に、マスクに水がガバガバと入ってきてしまった。ちょっと焦った途端にノズルからも水が入って思いっきりむせる。ああ、やっぱり今日はもういいやと船に上がろうとしたら、どこにもハシゴみたいなものはなく、自分の腕力で船に上がらなくてはいけないのであった。無理無理、ぜーったいに無理。ということで屈強なスタッフと旦那に両手を引っ張ってあげてもらったのだが、もう何だか沖に上げられる巨大魚にでもなったような気分。毎回潜るたびにこんな思いをするのも嫌じゃなぁとメアリーと一緒に船に残って楽しむことにした。

 夫は果敢にもカメラを持って海に潜入。内部の珊瑚礁や魚を追って写真を撮ってきてくれた。

 アメリカ人のカップルは趣味がロッククライミングというだけあって、アウトドア派。ガンガンと泳いで楽しんでいたし、時々戻ってきて船に上がる時も、何の苦労もなく上がれる。さすが。

 交渉上手のヒラもアクティブ。「あれー、行かないの?」と私に尋ねたが、「前のシュノーケリングが紅海だったからねぇ」と言うと、紅海の魅力を十二分に知っているヒラは納得。

 一番活動的だったのはイギリス人の男性。とんでもない所まで泳いでいって船に帰るなり、「ロブスターを発見した!」と爆弾発言。

 それまで船の中で昼ごはんの準備をしていた船長以下スタッフは、「なんだって?」と顔を上げた。船長自ら海に飛び込み、イギリス人にロブスターまで案内しろと言う。船の上の私たちには、「今日のメインディッシュを取ってくるからねー」と手を振って出かけていった。期待しながら待っていたのだが、船長が手に持っていたのはなまこ。ロブスターはまだ子供すぎるので、取ってこなかったということだった。残念。メアリーはこの話を「うげー」という顔で聞いていた。かなり強烈なベジタリアンなんだなぁ。

 実際には、メインディッシュは通りがかりの漁船から買っていた。この辺りでシュノーケリングツアーを組んでいる人に向けて、いつも通りかかるようになっているのかもしれない。



 買った魚は船の上でさばいて、別のスタッフはBBQ用の炭をおこす。

 ココナッツの内側の白い部分を削ってココナッツ・ライスの準備も進み、煮物用の野菜も刻まれている。

 小さなダウ船が立派なキッチンとして機能し、屈強な海の男達はシェフに早変わり。海の中を楽しむことはできなかったが、船の上の風景もなかなか面白かった。



 時刻は午後1時。そろそろお昼ご飯かなぁと思う頃、船長はマンダ・トト島の岸近くまで船を寄せて、もう少し準備にかかるから島で遊んできて欲しいと言った。




 島は軽く一周できてしまうような島というよりも砂州で、白い砂浜に透明の水。なかなか美しい所だった。

 島の周辺を岸辺に沿ってグルリと周っていると真ん中あたりに1軒の家が建っているのが見え、家のテラスに座っているご主人らしき人が手招きをしている。

 近寄って行くと、イスラム系の裕福そうな初老の男性が寛いでいた。「日本人かね?」と彼が聞くのでそうだと答えると、シェラという私たちが宿泊している旧市街から3kmくらい離れたリゾートエリアにある高級ホテルの名前を言って、そこに宿泊しているのかと聞いてきた。日本人と聞くと高級な所に宿泊するというイメージなのだろうか。違うと答えて、ここに住んでいるのか、あるいはここはセカンドハウスなのかと聞くと、「ここは私の3番目の別荘(フォース・ハウス)だよ」という答え。なんじゃー、ここは。このおじさんのプライベートな島なのかもしれない。

 じゃぁ、さっきヤシの木陰で昼食のテーブルを広げていたのは、このおじさんの観光ビジネスで、この島でランチを取ることができるってやつかもしれない。

 そんな事を考えながら、海辺のパラソルの下で涼んでいたら、おじさんの側にいたマサイ族みたいなガードマンがやってきて「このパラソルはあちらの方(さっきのおじさん)のプライベートプロパティーなので使わないでください」と言われた。

 浜辺で休んでいるアメリカ人カップルとイギリス人の男性に、今見聞きした話を言うと、「ははーん、私たちの船はこの島に上陸するためのお金を払っていないから、上陸もできないし、こそこそしてるんだな!」とイギリス人。

 私もそう思った。この島に近づくにしても、何だか岸から遠い所で降りろとか言っちゃって、私たちが降りたら自分達は遠のいてしまっている。本当は島の使用料を支払えば陸でご飯が食べられたのかも。ここも実は一つのチェックポイントだったのだ。いやー、これには気づかなかった。「お昼ご飯は船の上で食べるのか、島に上陸してたべるのか」。

 でも、実際に上陸して食べている人は、私たちとは全く異なるタイプの旅行者で、真っ白なテーブルクロスの上には銀色のワインクーラー。冷たそうにワインが冷やされていた。ここに上陸するというのはかなりハードルが高いかもしれない。

 午後1時半、船長が呼んでいる。私たちはジャボジャボと海のなかに入り船にあがった。この辺りがいつもちょっと貧乏臭いんだよねぇ。でも、獲れたてのキングフィッシュはラムの町中のレストランで食べるのよりは格段に新鮮でおいしかった(「本日の献立2007年2月13日昼」の写真をクリックして詳細)。

 ご飯の後は、今度はスタッフがミュージシャンになって太鼓を叩き、歌を歌ってもてなしてくれた。

 この小旅行に出る直前に出会った俵さんもラムまで来たのだろうか。行く先々で、各々に伝承される音楽があり舞踊がある。

 この時聞かせてくれた歌は、明るくてのんびりとした凪の海のような曲だった。

 この後、各国の有名曲を皆で歌ってみようのコーナー。こういう時って日本の歌はなかなか難しい。「そうだ、さくらさくらにしよう」と思って途中まで歌ってみたのだが、あまり合わないのでストップ、ストップ。こういう時って何がいいんでしょうねぇ。

 帰りは順風なので帆を張ってぐんぐんと進む。

 運河に入ってから後ろを見ると、ぐんぐんとこちらに近づいてくるダウ船がある。どうやら我々の船に競争を申し込んでいるようである。


 その勝負受けた!といわんばかりに、船長の号令で船に丸太を渡し、その上に二人のスタッフが乗って思い切り帆を張った。

 向こうの船は全員が片側に寄って、船ごと傾くことでより強い風を帆に受けようとしている。






 こちらは観光客グループなのでそこまで勝負に賭けることはできない。

 あっという間に地元チームに抜かされてしまった。仕事とはいえ、このスタッフは真剣に勝負を楽しんでいた。どちらかというとお客の私たちよりも彼らの方がより楽しんでいると思えるくらい。
 午後4時にラムに着岸。正確に言うと、またもや岸手前で降ろされて水の中をじゃぶじゃぶと歩いて岸まで戻った。

 さっきの勝負の間に、みんなしぶきがかかってどうせビショビショだし、ここで洋服が濡れると文句をいう者はいない。

 昨日から嵐のように決まって参加したダウ船のツアー。シュノーケリングはイマイチだったけど、新鮮な魚とセイリング気分がたっぷりと味わえたので満足なツアー。この値段でこの内容ならいいんじゃないかなぁ。

 そうそう、交渉人のヒラは私たちが新たに参加させた功績として、ベジタリアンで食事に全く口をつけていないメアリーの参加費を半分にするという交渉に成功していた。私たちは仲間がみつかり、船長はヒラのお陰で増収、ヒラは友人のメアリーの参加費を半額にして、全員がいい思いができた。これってやっぱりヒラの手腕?イスラエル人はやり手だ。


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