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2007.04.24
温泉を訪ねて〜ベタフ村
マダガスカル:アンツィラベ |
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マダガスカルの首都アンタナナリヴから、タクシー・ブルースで3時間半かけて到着したアンツィラベ。ここの見所は、街中にある大聖堂や市場や温泉、郊外のベタフ村にある田園風景と温泉、7km離れた所にある湖と、18km離れた所にある湖。
私たちがアンツィラベを訪れた4月下旬は、雨季は終わっているというものの、午前中が天気がよく午後か夕方になると大雨が降るというパターンを繰り返していた。アンツィラベには3泊してから次の目的地のフィアナランツァをめざそうと思っていたが、こういう天気では6時間から10時間といわれるフィアナランツァまでの道のりも楽ではなさそうだ。
というわけで、アンツィラベを2泊にして、フィアナランツァまで途中で1泊しながら行くように計画を変更した。
アンツィラベに到着した23日は、タクシー・ブルース乗り場からバスに乗り大聖堂の前で降ろされた。
写真をパチリ。はい、大聖堂の観光終了。
アンツィラベは歩いてみると、そんなに大きな町ではないことがわかる。この大聖堂はこの町には不釣合いなくらいに立派な建物だった。
アンツィラベという町は「ノルゥェー人の宣教師が涼しくて快適で温泉も出るし健康に良いと目を付けた」とガイドブックにあり、宣教師というよりはリゾート開発のディベロッパーみたいな考え方の宣教師がいたんだという史実が面白い。布教活動よりもリゾート開発みたいな発想の罪滅ぼしに、でっかい教会を建てたのだろうか。
で、お昼ご飯を食べていたら、ざんざんと大雨が振り出して、23日の観光はそこでストップしてしまった。2泊ってことは明日はもう出発。だからアンツィラベ観光に使えるのは丸1日しかなかった。
湖と温泉のある村を訪ねるという選択肢。高原地帯で湖で泳ぐという雰囲気でもないので湖は見て帰ってくることになるだろう。ってことで、午前中にベタフ村をタクシー・ブルースで訪ね、アンツィラベに戻ってきてから自転車を借りて近い方の湖にサイクリングしようという計画を立てた。宿の隣にある旅行代理店に聞いたら、自転車のレンタル料金は半日でAr4000(=US$2.05)だそうだ。
ベタフ村へのタクシー・ブルース乗り場は町の東側にある。
メインロードから温泉通りに入り、道なりに曲がったりしながら歩いていくと小さな店がたくさん並ぶ通り。自転車や徒歩や人力車で行き交う人で賑わい、朝9時過ぎのこの辺りはとても活気に満ちていた。
進むうちにガソリンスタンドで突き当たる場所に到達。そこから右方向へは露天が3列に並ぶせせこましい通りになった。
露天の裏側は所々で階段で降りるようになって民家になっているが、その貧しい感じは私たちの宿泊している地区とはまた別のマダガスカルの様相をみせていた。アンタナナリヴでも感じたが、この国は貧富の差が激しいという印象が強くなる。「おい、こんな貧民街で道、あってるのか?」と夫は気ぜわしく聞いてくるが、周囲の人に何度聞いても方角は合っている。
というかねぇ、私たちが利用しているこのタクシー・ブルースという移動手段自体が庶民しか利用しない交通手段なんだから、こういう所にあってもおかしくないでしょうが。
そう、マダガスカルを公共の交通手段で旅行しようと思うとタクシー・ブルースしかないのが現状だ。時間がなくてお金に余裕のある旅行者は飛行機を使う。あるいは1日120〜150ユーロという費用をかけて車をチャーターするようだ。で、その下のクラスになると激安のタクシー・ブルースになる。中間の移動手段がないのだった。
何度も人に聞いたが、誰もが私たちが歩いているまっすぐ先を指し示す。この露天の小道に入ってから7分も歩いて、ようやくタクシー・ブルースの乗り場に到着したのだった。
相変わらず未舗装の広場にトヨタハイエース系の車がうんじゃりと停車している。どこからともなく男が現れて「ヴザレウ?(どこ行くの)」と聞いてくる。アンツィラベだと答えると、ある車まで案内してくれた。料金はAr1000(=US$0.51)。まぁ妥当な金額だと思われたので、交渉などはしないでそのまま了解して車に乗り込んだ。
タクシー・ブルースは満席にならないと出発しない。今日の出発までの待ち時間30分。9時50分の出発となった。のどかな田園風景を抜けて10時33分にベタフに到着。ベタフのタクシー・ブルースは教会のある町の中心に停車するとガイドブックに書かれていたが、「これが中心?」ってくらいにひなびた所だった。
タクシー・ブルース乗り場の横の空き地では男たちが大勢集まって、銀色の玉を放ってはぶつけるゲームに興じていて、その隣の市場では女たちが商売にいそしんでいた。
空き地と教会の間には塀があって、市場やタクシー・ブルース乗り場からは教会の上半分も見えない。
生活空間から隔離されてしまっているような教会は、生活空間に溶け込んだアンタナナリブの教会のあり方とは違って見えた。塀の向うに回りこんでみると、2つの塔を持つ美しい教会だった。中は照明が消えて誰もいない。日曜日に来ると、また別の顔を見せてくれるのかもしれないが、平日の教会はここではヨソモノ扱いされているように感じられた。
さて、ベタフといえばこの教会、町から3km離れた場所にある温泉、町の北に10分歩いた丘から見る湖だそうだ。教会は見てしまったので、本来の目的である温泉に向かうことにした。3kmの道のりは、アンツィラベでも見かけた人力車、プスプスに乗ってみようっと。
教会からタクシー・ブルース乗り場に戻ってみると、ある年配の男性が「どこに行くのだ」と聞いてくる。温泉に行くのだというと、車に乗っていったらどうかと運転手を紹介する様子だった。「いや、プスプスでいくから」というと、今度はプスプスの走り手の所に連れて行く。なんじゃ、このおっさんは。
事前に聞いた話では、町から温泉までのプスプス料金はAr1000が相場だそうだ。ところが、このおっさんはAr6000だなんて言う。横からやり手ババア(年齢は私より若そうだったが)も現れて二人でAr6000だと騒ぎ出す。若いプスプスの走り手に「ねぇねぇ、Ar1000だよねぇ」というと、彼は「うん、そうだよ」と素直に言った。にもかかわらず、おっさんとやり手ババアが、「そんな値段のわけがない、こいつが間違えているんだ、Ar6000だ」と譲らない。お話にならないので、歩いていくからいいと断って温泉に向かって歩き始めた。
いったい、あのおっさんは誰だったんだろうか?金持ちの外国人から多くの金をふんだくって、可哀そうな貧しい人力車引きの若者により多くの金を渡そうとしたのか、それともタクシーと絡んでいて私たちがタクシーを断った腹いせに人力車の商売を邪魔しようとしていたのか。いずれにせよ、おっさんの出現によって、タクシー運転手も人力車の引き手も商売を失った。おっさんがいない方が町のためになるのは確かだ。あと、あのやり手ババアもね。一体、何者なんだ?
それにしても、モーリシャスでノラリクラリと暮らした後の徒歩3kmというのは、途方もなく長い距離に思えてきた。歩けるかしら?と思ったところに別のプスプスが登場した。値段を聞くと、Fmg7000だという。Fmgとはアリアリの前の通貨でフラン・マラガシーだ。1アリアリが5フランなのでFmg7000はAr1400になる。この人力車の引き手に比べたら巨漢の私たち2人を引っ張っていこうというのだらから、妥当な値段だ。早速、お願いして、初プスプス体験になった。
プスプスの引き手は、私たちを乗せるといきなり走り出した。座席はかなり後方に倒れこんでいる感じがして、ともするとひっくり返りそうな感じに思える。
坂道を下る時は、引き手は人力車の引く部分を胸の高さまで持ち上げて、上体を反らして足を踏ん張りながら下っていく。
辺りに民家はますます少なくなり、行き交うのも車ではなく刈りたての稲を積んだ牛車だったりする。
青い空にプカプカと雲が浮かび、収穫前の稲穂が頭を垂れている田舎道を、プスプスの走り手は一路温泉に向かって走り続けた。途中、何度か歩いた部分もあるが3kmのほとんどを走りとおしたと言っても過言ではない。
お影様で、自分たちで歩いたら45分かかる所を10分で行くことができた。
走り手は料金をおし抱くように受け取り、腰を落とした姿勢で握手を求めてきた。通常の1.5倍もごねることなく支払ってくれた外国人客に対する彼の素直な敬意を感じた。
私は走り手のとても純粋な気持ちが嬉しいという気持ちと同時に、正直、とても居心地の悪い思いもあった。乗った最初から、プスプスというか人力車という乗り物に対しては罪悪感が芽生えた。走り手が華奢だという要因も大きくて、何か自分がひどいことをさせているような気がしてならなかったからだ。だって、人間の力で引いているわけですよ。自分の席からは、坂道で踏ん張るこの人の息遣いが聞こえてしまうわけですよ。あー、申し訳ない、申し訳ない、といいながら乗っていた。
「だからといって、プスプスを使わないよりは使ってもらった方がこの人は嬉しかったに違いないだろう?」という夫の意見ももっともだ。チープな罪悪感でプスプスを使わないよりも、使ってあげて少し多めに払ってあげる方が喜ばれるのだ。そう納得することにすると、少しは罪悪感が減った気がした。
舗装されたメインロードで降ろされ、そこから左手に伸びる未舗装の坂道を上がった所に温泉があるとプスプスの走り手が言った。
小さな川にかかった橋を渡り、そこからクッと急になった坂を上がっていくとすぐ右手に小さな小屋がいくつも並んだ場所が見えてきた。
ある程度の建物を想像していた私は、あまりの素朴なたたずまいに驚きを隠せなかった。
ちょっと広めの公衆トイレが並んでいるようにしか見えないかったからだ。
しかし近づいて小部屋の中を見ると、狭いながらもきっちりと掃除されていて、小奇麗な感じになっていた。
幅1.5m、奥行き2mくらいの小部屋は、真ん中に掘り下げられた浴槽があり、両脇にちょっとした空間、左奥がちょっと高い物置台のようにしつらえてある。
お湯は浴槽の奥の真ん中の管から出ている。管には蛇口も何もない。浴槽の向こう側に木の棒があって、使わない時はこの木の棒を管に差し込んでお湯を止めるようになっていた。
浴槽の湯を抜く栓も、ゴム製なんかじゃなくて布を丸めてつっこんである。
素朴だ。非常に素朴だ。ここを管理している夫婦に左手の手前から2番目の浴槽を使うという話をして、お湯がたまるのを待つことにした。15分の利用料金で一人Ar1000(=US$0.51)だそうだ。
布の栓からお湯が漏れていってしまうのだろう、なかなかお湯はたまらない。この分だと、裸になってお湯が溜まるのを待っているうちに15分が終わってしまいそうだったので、お湯が溜まるまでは中に入らないで外で待つことにした。案の定、浴槽の半分になるのに更に15分が経過していた。
浴槽に半分だが、もう待つのもくたびれるので入ることにする。表の木戸を閉めて、内側の手前にレンガを置いたらロックしているということになる。窓の木戸は閉めても、ブワーッと開いてくる。どこもかしこもスケスケなんだけど、通る人もいないし、気にすることはない。
最初に浴槽を見た時、夫婦が湯加減を見てくれといったので手を入れてみるとかなり熱かった。しかし、これだけゆっくりと溜まっていったら、冷めていくんじゃないかと水を加えることはしなかった。浴槽に半分溜まった湯に足を入れると、湯は全く冷めている気配がなく、「あちーーーーっ」というくらいに熱い。それでも、こんな熱々のお風呂に入れるなんて久しぶりなので、意を決して足からそろーっと入ると耐えられないこともない。ってことで、体感温度としては43度くらいじゃないかなぁ?
「くぅわぁぁああああーーーーー」っと声が出る気持ちの良さ。この素朴な設備から考えて、どこかで水を加えるとか、沸かし直しているとかってのはあり得ない。温泉をそのままかけ流しているに違いない。5分も浸かっていると頭がクラクラして、全身がゆで蛸のように真っ赤っかになってきた(残念ながら、この部分の映像はお見せできません)。
15分なんてあっという間で短いねぇ、なんて思っていたのだが、10分浸かるのが限度。10分浸かって5分で身支度して15分ぴったりで外に出た。本当はもっと涼しい格好で木陰で涼んで、第二回目、第三回目と繰り返し使って、そんで最後に冷たいビールでカーッと喉を潤して、そのまま昼寝。これができれば最高だねぇ。
しかし、私たちには次の予定が待っている。ということで、料金を支払って出かけようとしたのだが、どうにもクラクラして動けない。
奥さんが木の椅子を持ってきてくれて、そこで15分くらい休ませてもらった。今までの疲れがどーっと出て行くような、気持ちのいい疲労感。「ああ、本当の温泉だねぇ」「気持ちいいねぇ」とボーっと木陰で休憩させてもらった。
町まではバスでも通りかかったら乗ることにして、田舎の風景を楽しみながら3kmを歩いた。
農家の家の前には脱穀した米が広げられていた。家の前に置いてある台車の所に若い女性が立って、こちらを見ている。手を振るとニッコリと歯を見せて笑って手を振り返してきた。
道路端の稲はよく実っているが黄金なのは穂先で、茎は青い。
だから遠目に見える棚田も全体としては、まだ収穫時期を迎えていないかのように青々として見えるのだった。
刈りたての稲を束ねて置いてあるのなんて、本当に初めてみたかもしれないし、通りがかりの農家の庭で男たちが稲束を振り下ろして脱穀している姿や、編んだ平たい籠皿に干した実を乗せて女たちが籾殻と米をより分ける姿なんて、教科書の絵で見たことのある風景でしかなかった。それがここでは生きた生活として営まれている。
この散歩道は驚きの連続であり、生き生きとしたマダガスカルの農民の姿のライブステージだった。
お、日頃旨い旨いと食っているゼブ牛ではないか。記念撮影をしようと夫が後ろにそーっと近寄ってポーズを取っていたら、急に後足を振り上げて「殺す!」という目でにらまれた。後ろにまわられるのが嫌みたいだ。
その様子を見て、牛車の陰で横になって休憩していた農民の男たちの大きな笑い声がこちらまで聞こえてきた。エンターテーメントを提供できて、私どもは嬉しゅうございます。
歩いていたら12時を過ぎてきて、お腹も減ってきた。丁度、コンポセComposeというマダガスカルの定番軽食を出す屋台があったので、ここで軽めのお昼(写真は「本日の献立2007年4月24日昼」の写真をクリックしてご覧ください)。風呂上りの火照った体に、野菜たっぷりで酸味のあるソースのコンポセはたまらん!お代わり!
その後も、川で洗濯をしている親子たちと挨拶を交わし、家の前のみずたまりにいるアヒルの子供に見入ったり、とうもろこしを干している農家に見入ったり。
町までの道は、大きな坂を2回上ることになる。途中でコンポセ休憩を入れたこともあり、思ったよりも苦痛なく戻ってくることができた。
ところで、このとうもろこしを見てから、私の頭の中は焼きトウモロコシまっしぐらになってしまった。絶対、今日中に焼きトウモロコシを食べようと決意したのが、この時だった。
帰りのバスは、来るときよりも少し大きめ、広めのバス。人の乗るのを待って、荷物を天井に載せて、結局乗り込んでから25分待って出発だった。
アンツィラベ到着が午後2時4分。これからお昼ご飯食べて(まだ腹が減っていた)、自転車借りて湖までサイクリングかぁ。
温泉とベタフの田舎の風景にすっかり満足してしまった私たちは、曇りゆく空を理由に今日の観光をお終いにすることにした。
ベタフの村は本当にのんびりとして良かった。風呂上り用の涼しい格好を用意して、木陰に敷くピクニックシートを持って、水分もたっぷり持っていけば、1日温泉三昧でもよかったなぁ。
これでアンツィラベとは明日お別れ。湖はそんなに気にならないが、アンツィラベにある温泉に入らないのは心残りだ。ということで、翌25日、温泉に入ってから次の場所に移動しようと、朝7時に温泉に行ってみた。すると係りの人が出てきて、朝9時からだという。車椅子の女性や、杖をついたおじいさんなどがいて、本当に療養所として利用されているようだった。入れないけれど中は見せてくれるというので、裏手の湯釜と内部を見学させてもらった。
湯釜はぼこぼこと熱い湯が煮えたぎったのが見えていて、こちらもいいお湯に見えたが、内部の浴槽がむむむ。西洋の独立した浴槽が部屋の真ん中にポーンと置いてあって、ジャグジーになっているのかあちこちから管が差し込まれているのはいいとしよう。しかし、そのブルーの琺瑯の浴槽や差し込まれているビニールポンプの管が何か汚らしく汚れている。ベタフ温泉の方がよっぽども清潔感のある温泉で、こちらに入らなくて良かったと思った。
ということで、出発する朝にベタフ村と温泉に的を絞って正解だったことを確信してアンツィラベを離れることになった。
ゼブ牛もおいしかったし、宿の人も感じが良く、面白い旅人やここで生活している日本人にも出会えた。短い滞在だったがアンツィラベの印象はとてもいい町となった。
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