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2007.04.27
ワイナリー「ラザニ・ベツレウ」Lazan'i Betsileo
マダガスカル:フィアナランツァ |
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マダガスカルの首都アンタナナリヴから南西海岸にあるチュレアールを結ぶ幹線道路の真ん中辺りに位置するフィアナランツァは、フィアナランツァの南東にある町からの幹線道路も交差し、交通の要所ではあるものの、町自体にはあまり見所のない場所だ。しかし、近郊の紅茶のプランテーションやワイナリーが観光スポットになっている。
アンタナナリヴの日本大使館に置いてある情報ノートには、ワイナリーのワインの味やお茶の味はともかく、その場所までの風景だけでも見る価値があると書かれていた。
フィアナランツァに到着した日、夫は体調が悪くて一日寝て過ごしたが、その甲斐あって今日はすっかり元気を取り戻した。天気もいいし、手始めにワイナリーから行ってみようということになった。
ワイナリーへはツアーで行く行き方とタクシー・ブルースで行く行き方がある。私たちは当然タクシー・ブルースで行くつもりだったが、一つひっかかるのは、ガイドブックに書かれていた「ワイナリーを訪ねるには事前に予約しておいた方がいい」という解説。
その辺りについて聞こうと観光案内所を訪ねると、若い女性2人が対応してくれたのだが全く英語が話せない。困っていると、「ちょっと待っていて」と呼んできてくれたのはフリーの英語が話せるツアーガイドだった。
ガイドは売り込む気力満々で、解説を始めた。景色のいい場所とワイナリーを訪ねるツアーで、車1台でAr18000だとか言い始めている。「ええっと、その車代に加えてガイド料が・・・」というのを遮って、「ワイナリーに行くのに予約は必要なのかどうかを知りたいのですが」と聞いてもちっとも的を得た答えが返ってこない。このおじさんも英語が話せるようであまり話せないのだった。
どうせワインの味はたいしたことがないのだから、見学や試飲ができなくとも景色を楽しみに行けばいいじゃないか。という結論になり、タクシー・ブルース乗り場へと向かった。
タクシー・ブルース乗り場は相変わらず喧騒に満ちていた。「ラザニ・ベツレウに行きたい」というと血気盛んな20代前半という兄ちゃんが、「お、丁度良かった。あと3人集まれば出発できるところだったんだ。一人Ar3000だよ」と車に案内する。
いやいや、私の手元の情報によると一人Ar1000だ。というと、常套文句「最近、石油が値上がりしたんだよ、古い情報なんじゃないの?」
今年の3月の情報だというと、そんなはずはないという。そこへ、別の男が登場して「俺ならAr2000で行く」と言い始めて若い兄ちゃんを怒らせた。
いずれにせよAr1000じゃないのはおかしいと、チケット販売ブースが並ぶ場所に行き、全く別の人に尋ねたものの、そいつもAr1000じゃ行かないという。その答えを待っていましたと、後ろで話を聞いていた2番目の男が「ね、だから言ったでしょ?特別にAr2000で行ってあげるから行こうよ」と誘ってきた。Ar1000というのはまぁ1ドルの半分、50セントくらいだ。そんな金額でうじゃうじゃ言うのも、もう馬鹿らしくなってきたので2番目の男についていくことにした。
この辺りのタクシー・ブルースは、客引きの男がいて、金を徴収する係りがいて、運転手がいる。3者の利益の合意は1冊の帳面によってなされている。つまり客引きが客を連れてくると、徴収係りがこの車のページに乗客の名前と金額を書き込む。乗客は金を支払い、人が集まって出発する直前に運転手に分け前と帳簿が渡される。運転手は帳簿を見ながら人数と金額を見て、分け前が合っているかどうかを確認するようになっているのだ。
私たちを連れて行った2番目の男は「ね、ね、見て。ほらここには全部Ar3000って書いてあるだろ!君たちは僕の友達だから特別にAr2000にしてあげるんだよ」と言うのだった。違う。この車はここから56km離れたアンヴァラヴァウ行きなのだ。アンヴァラヴァウまでの運賃がAr3000なのであって、15kmしか離れていないラザニ・ベツレウまでがAr3000なわけではないのだ。
タクシー・ブルースは同じ目的地までの人間を満席にして出発したい。途中下車する人間を安い運賃で積んでしまうと、後からそれをカバーする乗客がつかまる保障はないので嫌なのだろう。事情はわかるが、それは普通のバスの常識とは全く異なっていて、君たちの常識は世界の非常識なんだと言いたかった。しかし、もう反撃するのも面倒なので、はいはいと言ってAr2000を支払った。
出発して30分後、運転手は「ラザニ・ベツレウはこちら」という看板の所で下ろしてくれた。
看板にはワイナリーまで300mと書かれていて、その先は未舗装の赤い土がむき出しになった道が坂をくだって、また上ってというように先まで続いていた。
真っ赤な土の道路の両脇は緑の茂る草むら、その先がブドウ畑になっている。
ずーっと先には大きな岩山がガツーン、ガツーンと見えていて、大きく広がる青空に大きな雲が浮かんでいた。
確かに気持ちのいい景色。この道の終点にワイナリーがあった。
敷地に入って左手にある建物の右脇の外廊下を伝っていくと、最後の部屋に人がいて、「ウェルカム」と迎えてくれた。因みに、この外廊下を一番奥まで行くと、ぶどう畑の向こうに大きな岩山が見える景色。ここからの眺めが今日の中で一番良かったと言える。
若い白衣を着た男性(後から名前を聞いたらエドモンド、通称アダモだと言っていた)が、商品の並ぶ棚のある部屋で対応してくれた。
工場見学と試飲ということでいいのかどうかということを聞かれた。いいと答えると、「案内としてお金を少しいただくことになっています」と言われた瞬間に夫がガイドブックに記載されていた一人Ar1000を差し出すと、「あ、はい、じゃぁそういうことで」と受け取った。金額は決まっていなくて、チップのような形になっているという印象を受けた。
レセプションの部屋を出て、隣の工場の建物の中に入り、説明を受けた。
圧搾があって、フラメンテーション(発酵)の段階があって、発酵を止めて熟成させる段階があるのは、通常のワインと一緒だ。
機械はあまり新しそうな感じはしなかったが、全くの手作りワインというわけでもなく、圧搾の素朴な機械を見たり、発酵用の大きな容器が並ぶ場所を案内してもらった。
高地だとはいえ、南回帰線の内側に位置するこの地で、どうやって発酵を止めるだけの温度を保つのだろうかと思ったら、発酵後のワインは冷蔵室に入れるのだと、ある部屋の扉を開けて見せてくれた。
ヒューッと冷たい風が吹き出してくる冷蔵庫の温度はかなり低い感じだった。
この後、赤ワインはオーク樽に入れて熟成させるのだろうが、ここのワインにはその段階がないようで、次の見学はもうボトリングになっていた。
光に照らして検査に通ったボトルにコルク栓をしてエチケットを貼ってできあがり。
ボトリングを行うのが2月だそうだから、4月の今はもう全ての作業が終わってしまっていて、働いている人は誰もいなかった。
半分手作業のような素朴な行程の一つ一つを丁寧に説明してくれるアダモ君を見学することこそ、今日の見学の主眼に思えてきた。
レセプションの部屋に戻って楽しい試飲の時間だ。
ここのワインは赤、白、ロゼ、グレーがある。
グレーというのは初めて聞いたのだが、赤ワインと白ワインのミックスだそうで、ロゼとも違う。
写真の手前がグレーなのだが、色はロゼよりもずっと白ワインに近く、貴腐ワインを少し赤くしたかという色だった。
赤ワインはとてもフレッシュな味わいで、酸味が強く渋みが少なく薄い色合い。グレーは、日本酒の米のような香りがフッと最初に感じられる不思議な味だった。
検討した結果、あまり好みでもなかったので買うのは遠慮させてもらったが、アダモ君は特に残念そうな表情でもなかったので、ややホッとした。最後にゲストブックがあるので何かを書き込んで欲しいと言われ、分厚い帳面を出された。見ると、割合日本人も来ている。こういう所で日本語を見るというのがとても不思議に思われた。
アダモ君と記念撮影させてもらって、ワイナリーとはお別れ。
帰りのタクシー・ブルースを待って、降りた場所の反対側の木陰で休んでいた。何台か車が通ったがタクシー・ブルースではない。やがてやや大型の車の陰が見えてきたので、おお、やっと来たと思って手を上げると、全くの間違いで大型トラックだった。
しかし、トラックは私たちがヒッチハイクをしているのかと思って停まってくれたのだ。「フィアナランツァの町まで行きたいのだが」というと、間髪入れずに「じゃ、乗って!」と言われた。運転手とその息子なのか2人の若者の3人が乗っていた。息子2人は後部座席に移り、私たちに前の席を譲ってくれた。マダガスカルに来て2度目の、そして人生2度目のヒッチハイクを楽しむことになったのだ。
車高の高いトラックの座席はゆったりしていて、目線もとても高く、気分のいいドライブだった。大きな岩山と田園風景もタクシー・ブルースから見るのとは違った目線で、より美しく見えた。
お互いに通じる言語がないので、車内は無言だったが、それでも私達はウキウキとして楽しかった。
30分弱で街中のある場所で降ろしてもらった。
私達がタクシー・ブルース代金として想定していたAr2000をお礼に渡すと、運転手のお父さんは「こんなにもらっていいのか」とお金を見てちょっと目を見開いてから、「ありがとうね、いい旅を!」と言った。3人ともあまり言葉を交わしたわけではなかったが、非常に朴訥な温かさに溢れていて、気持ちのいいドライブを体験させてもらえた。
ワイナリー自体やワイナリーまでの景色は、はっきり言ってそんなに驚くようなものではなかった。しかし、そこに行き着くまで、そして帰りの道中、そんな事が面白い一日だった。
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