夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2007.05.02 Vol.1
アンドリンギチャ国立公園1日トレッキング(前編)

マダガスカル:キャンプ・カタ

 昨日ロッジに到着してから色々と資料を検討した結果、私たちはアンドリンギチャ国立公園を4日間かけてトレッキングするコースの4日目の部分を参考に1日トレッキングを行うことにした。

 Camp Cattaから、国立公園の入口でありANGAPの事務所があるムララノMorarano村までは5kmの距離だ。普通に歩いて1.5時間かかると思われる。

 ムララノ村から一旦川へ降りてからはずっと上り坂になるコース。その先には4日間トレッキングコースの最後のキャンプ地となるイアタラヌンビーIataranombyがある。

 4日間のトレッキングではイアタラヌンビーから出発するのでずーっと下り坂でムララノ村までは2時間半だと見積もっているが、逆のずーっと上りということになると倍は時間がとられるだろう。イアタラヌンビーまで行くのは無理だろうなぁと思い、Camp Cattaから歩いていって正午になった時点で、どこでもいいからお昼ご飯を食べて帰ってくるというコースを歩くことにした。


 朝7時に朝食を終えてからレストランを出て振り返ると、昨日は曇っていた空が真っ青に輝き、朝日の当たった岩山は、早くも日光に照らされてできた霞を薄衣のようにまとって美しいことこの上なかった。まさにトレッキング日和だ。


 Camp Cattaからムララノ村までの道順はCamp Cattaのレストランに描かれている地図を参考にした。


 Camp CattaからAndonoko村を左手に通り過ぎたら、川を渡って何となくちょっと右方向にSohavahiny村を目指す。そこからムララノ村までは一直線の一本道しかないので迷うこともないだろう。

 7時56分に宿を出てトレッキングスタート。今日はカメレオン岩の左側をずっと先に歩いていくことになる。カメレオン岩も青空を背景に黒い岩肌を美しく輝かせて、昨日よりは全然魅力的に見えた。


 Camp Cattaのある丘をなだらかに下って、車の轍がある大きな道に出るまでは畑の中の細いあぜ道。

 目の前にはアンドリンギチャ国立公園の山々が見えており、こちらも朝の光で蒸気を出して山頂を白く煙らせていた。

 360度、どこを見渡しても自然が満ち溢れる朝の風景に包まれて、それだけでここに宿泊した甲斐があったと思えてきた。

 大きな道はもちろん未舗装で、マダガスカル特有の真っ赤な大地がむき出しになっている。ここを一路ムララノ村に向けて歩くのだ。宿を出てから10分も歩いて後ろを振り返ると、赤い道の向こうには、宿の後ろにそびえる岩山とその左手にカメレオン岩と一幅の絵を思わせるパノラマが視界に入る。


 やがて小さな村が見えてきて、予定では村の右側を通るはずなのだが道が左側にあるので道に沿って村を回って歩いた。

 赤い道と同じ赤い壁の家に草葺の屋根がこの辺りの定番の家屋だ。

 このAndonoko村を過ぎると、道が2つに分岐する所にあたった。あれれ、どっちだろう?

 折りよく、村人の母娘が通りかかったので、Sohavahiny村はどっちの道かを聞いてみる。娘が右の道を指差して教えてくれたので、お礼を言って通り過ぎようとすると、母親が私たちと写真を撮りたくないかかと持ちかけてきた。

 こういう場合は十中八九、チップを請求されるパターンである。この母娘がエチオピアの部族のような大仰な首輪をして、顔や体中にペインとして上半身裸で・・・とかだったら考えるのだが、普通の農民のマダガスカル人と写真を撮ってチップを払いたくないなぁ。

 断ると案の定、今度は「あんたたちの写真を撮ってあげよう」と言ってきた。どうにも、母さんは私たちからいくらか欲しいらしかった。申し訳ないが結構ですと丁重にお断りしてその場を立ち去った。

 同じく赤い壁の家々が立つSohavahiny村を通過すると、昨夜の雨のせいでぬかるんだ箇所がいくつかある道になってきた。

 こうした泥の中には思わぬ生き物や植物が潜んでいて、必ずしもフレンドリーとは限らないことを、ケニアのサファリの時に悟った私たちは、恐る恐る乾いた所を選びながら慎重に歩いていった(サファリでは泥の中にある刺が足の裏に何箇所も刺さって大変だったのだ)。

 カメレオン岩を右に見ながら、道は緩やかにアップダウンを繰り返しながらどんどんと奥まで続いていた。そして9時6分。歩き始めて1時間10分で国立公園の看板の出ている場所に到達。

 この先、道は右手に丘を登る坂道と左手は平らな道とに分かれる。右手の丘に登っていくと家が立ち並ぶ集落になり、そこがムララノ村なのだった。

 村の一番奥に他の民家とは一線を隠した立派な建物がある。村長の屋敷だろうか?地主の屋敷だろうか?あるいはホテルか?と色々と考えられたが、訪ねてみたらここがANGAP(国立公園管理事務所)だったのだ。

 係りの男性はフランス語あるいはマダガスカル語しか話せない。それでも、自分たちが今日1日アンドリンギチャ国立公園でトレッキングを行いたい旨を告げると、事務所の入口の左側にあるガイド料金表を指差してAr35000をガイド料と公園入場料一人Ar10000を支払ってくれと言ってきた。

 公園入場料金は表の通り1日なら一人Ar10000なので納得したのだが、ガイド料は2日間からのガイド料金しか記載されていなくて、その最低料金がAr35000なのだった。うーむ、彼の問題は言葉ではなさそうだった。違う、違う。1日のガイド料金だからもっと安いはず。手振り身振りでANGAPの総本山でも首都のタナでもいいから、どこかに電話して確認して、確認して!と言っていると男はいずこかに消えて、別の男2人を連れてきた。

 2人のうちの若い方の男性は英語が少し話せたので、ガイド料金について確認すると、私たちが行こうとしているイアタラヌンビーまでなら2日間で最低料金Ar35000、ええとじゃぁ、1日なら半額のAr17500になりますと話が早い。そうそう、それなら納得が行く。英語の話せる彼はANGAPの職員ガイドで名前はルーヴァLova、もう一人の年配の男性はローカルのガイドで名前はローランRolan。

 彼らに相談して、イアンタラヌンビーまでは体力がなくて行けないかもしれないこと、無理はしたくないので正午の時点で昼食を食べてここに戻ってくることなどの条件を言って、今日のトレッキングを行うことにした。公園入場料金は今支払って、ガイド料金はトレッキングが終了してから支払うことになっている。最初に対応してくれた男性が汗をかきかき公園入場料チケットに手書きで名前や金額を書き込んでくれて、お金を支払って手続き終了。さぁ、出発だ。

 と思ったらローランも一緒に来ると言う。いやいやガイドは1人で大丈夫だしローランに来てもらっても私たちは1人分のガイド料しか用意してきてないから支払えないというと、1人分のガイド料金で大丈夫だという。よくわからないが、旅は多いほうが面白いし、出て行くお金が同じならなおさらだ。ということで4人で出かけることになったのだった。

 ムララノ村からは一気に川まで150mを下る。本当に一気に下る感じだ。今日、トレッキングから戻ってきたら同じ道を登るのだと思うと、あーあ、こんなに下っちゃってどーすると今から不安もよぎるが、とにかく下る。

 川の水は、昨日のトレッキングで訪れたナチュラルプールの水と比べてきれいでも、より澄んでいるわけでもないが、とにかく天気が良いので思った通りに川面に空が移りこんでかくも絶景かなという風景になっている。

 川は蛇行しているので2回渡ることになるのだが、2回とも橋は川の中に置かれた自然の踏み石だ。ルーヴァやローランでさえもちょっと足先を濡らしてしまうくらいなので、当然私はサンダルで水の中をじゃぼじゃぼと歩くことになる。

 ここまでで既に足も熱くなっているので、冷たい水が心地よかった。

 川を越えて緩やかに上る道を10分歩くと、そこにも集落が見えてきた。

 今、マダガスカルは稲の収穫時期。ここも農家の庭先で脱穀した米を干す作業が行われていた。


 まだ雨も振ったりするので、赤土の上に直接置くのではなく、あのように土の上に土台を作ってそれが乾いてた上で米を干すのだとルーヴァは説明してくれた。その指し示す先では、粘土の様な黒黄緑色の物体をコネコネして赤土の上に薄く伸ばしている女性がいた。私が知っている限りでは、あの色であの粘着質の物体といえばゼブ牛の糞しかない。そうかぁ、マダガスカルの米はゼブ牛の糞の上で乾かされているのかぁ。ちょっとぎょっとしたものの、この地方の生活の知恵なのだからと、真面目に拝聴したのだった。

 この村を出てから段々畑の中の広いあぜ道を歩くこと更に15分。10時24分に別の集落に到着した。ANGAPのオフィスを出てから30分くらいだ。

 ローランがまぁまぁここにお座りなさいと村の木陰に倒れている丸太を椅子代わりに進める。もう休憩?随分と早いんじゃないかと思っていたら、民家から長老のような老人が出てきて、ルーヴァにノートを渡した。何とこの集落は国立公園のチェックポイントの機能を担っているのだ。ルーヴァは今日の日付と現在の時刻の記載、私たちの公園入場チケットの番号を控えて老人に渡した。

 この村がこれから本格的に公園に入っていく最後の集落というわけで、この村を過ぎてから相変わらず棚田の中の広いあぜ道を歩いてはいるものの、道の傾斜は急に厳しくなった。

 だんだんと無口になり黙々とと登っていく中で、母親と農作業をしていた子供たちが甲高い声で「ハロー、ハロー、ハロー、ハロー」と言ってくるのが励みになる。

 子供たちに「ハロー」と言い返して見たその先には、登ってきた段々畑の風景が広がっていて、最後の通過した村の赤い家の壁が小さく見える。

 毎日ここまで農作業をするために乳飲み子を抱えて登ってくるお母さんは大変だねぇと、身をもって感じるのだった。そのかわり、職場の景色は抜群だけどね。

 段々畑もついになくなり、いよいよ道は急斜面になってきた。トレッキングコースには踏み石が置かれていて、階段をジグザグに上がっていくようにしてある。国立公園のトレイルとしての整備もある程度されているということになる。

 10時37分に中腹の展望台に到着する頃には、二人とも汗だくになっていた。久しぶりのトレッキングにしてはハードだ。パタゴニアのトレッキングだって、こんなに登りばかりではなかった。トレッキングというよりは軽い登山というにふさわしい。


 と、ついつい文句ばかりが並ぶが、目の前の風景は素晴らしい。一番奥に今朝自分たちが出発した岩山があり、その手前にカメレオン岩を要する丘が並び、そして通ってきた村々と道が見え、刈り入れ寸前の黄金色と黄緑色の水田が見える。

 自分たちが立っている側の山々と向かいの山々に挟まれた広い渓谷は右から左へとずーっと水田が続き、人々に豊かな生活の空間を与える谷間になっている。同じように両側を細長く山々に囲まれた地形で思い出すのが、南米はペルーのクスコだ。クスコにもそうした地形があり、その谷は「聖なる谷」と呼ばれているのを思い出した。

 ローランにカメレオン岩の由来を聞くと、「そりゃぁ岩のてっぺんがカメレオンに見えるからさ」という答え。本当だ。今まで反対側からしか見ていなかったのであまり気がつかなかったが、こちらから見るとカメレオンっぷりがよくわかる。しかも、なかなか可愛らしいカメレオンだ。

 この展望台でおしゃべりをしていて、ローランは47歳、ルーヴァは30歳だってことがわかった。ローランは夫より年上だが、普段から体を使っているためにここまでのトレッキングでも全く疲れていない。もうへとへとで、すぐに「休憩、休憩」という私たちの荷物を持って歩いてくれていた。

 展望台のあたりから乾燥地帯の植物を目にするようになった。水気をたっぷりと含んだような厚いしっとりした葉を持つ植物の葉は煎じて胃腸薬として飲むのだそうだ。

 岩に浅く根を張っているのは「象の足(エレファント・フット)」とも呼ばれるパキポディウムの種類。

 こうした植物を説明してもらいながらも、なお私たちは上を目指すことになった。

 11時10分、国立公園のチケットチェックを受けた村からずーっと登り通しだった山の頂上付近まできて、やっと山を右にまわりこむ道に入ってやや下りになった。

 かなり休憩をしながら登ってきたので、実際に登り続けていた時間は30分くらいなのだとは思うが、とても長い時間かかって登っていたような気がした。

 この平原をぐるーっと時計回りに周って右手方向に進む。この平原には大きな岩がごろごろとしていて、中には中が空洞になって家のようになっている岩もあった。

 ローランの勧めで近づいてみると、入口が木で囲われて分かりにくいが確かに洞窟のようになった部分があった。

 中には枯れ草が敷いてあって竈のような所には炭の跡がある。確かにここで誰かが宿泊していたようなのだった。よく見ると奥には平たい石が積んであって、大きな岩と岩の隙間に石を積めて洞窟風にしているのだということがわかった。

 ここは国立公園ではあるが、昔から周辺に住んでいる人にとっては通り道でもある。何かの用事があってここで宿泊することもあるのだろう。全体としては窪みになっていて山から吹き降ろす風も遮られているし、格好の場所なのだ。それにしてもワイルドだ。

 洞窟風の家を過ぎたころから、再び上り坂が始まった。もう夫はかなり疲れている。「えー、また登るのー?もういーじゃーん」とかブツブツと後ろで言っていたに違いない。



 とうとう、自分たちが先ほどまで登っていた山の頂上と同じくらいの高さまで到達してしまった。

 時刻は11時33分。微妙な時間だ。ここでもう休憩して引き返すのも手だ。高度は1600mくらいに達していると思われ、草原を渡る風は涼しくて高原の空気になっている。

 「もうこの辺りでお昼ご飯を食べて戻るってことにしようかと思うのだが」とルーヴァに相談すると、「計画はアズ・ユー・ライク(あなた達のお気に召すままに)」とか言っていたルーヴァは、俄然イアタラヌンビーがどんなに素晴らしいかを語りだした。「ここからなら、12時半には到着するだろうし、イアタラヌンビーまで行くとアンドリンギチャの山々を見る事ができる。今の地点からでは、まだ目の前の丘に視界を塞がれて見えない部分が見えるのだ!」と熱い。後ろでは物言わぬがルーヴァの一言一言に大きくうなづくローランの姿も目に入る。

 どうしようか。まぁ、12時にはまだ30分あるしもう少し行こうか。

 ルーヴァの情熱にほだされて再び歩き出したのだった。


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