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2007.05.15
タクシー・ブルースがない!
マダガスカル:ベロ・チリビーナ |
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ムルンダヴァを朝9時半にタクシー・ブルースで出発して、チリビーナ川のほとりに到着したのが午後2時15分。
そこから渡し舟に乗ってベロ・チリビーナという町のある対岸に移動したのが2時55分だった。
私たちの計画では、ここベロ・チリビーナからタクシー・ブルースを探してベマラハ国立公園の拠点となるベクーパカ村まで移動することだったが、すでに午後3時。首尾よく午後4時に出発できたとしても、ベクーパカ到着は午後8時、いやタクシー・ブルースのことだから9時になるかもしれないという予想は容易にできた。
だめだ。今日はここまでだ。渡し舟を降りる時点で、ベロ・チリビーナ宿泊が決定した。
とにかく今日の宿と明日スムーズに移動できる手段を今日中に見つけなくてはならない。地元の人に聞きながら村の中心地に向かった。メインロードと思しき通り沿いに比較的大きなホテルを発見したので、中に入って部屋を見せてもらうことにしたのだが、案内してくれた女性はまるっきり英語が話せない。ホテルの上の方でメンテナンスの工事をしていた若い兄ちゃん2人を呼んできて、ようやく値段などを聞きだすことができた。一泊Ar12000。マダガスカルで私たちが宿泊している宿の値段と設備は相応で、通常ならここでもいいかと思われたのだが、今日はちょっと事情が違う。
宿の人の情報網を使って明日の交通手段を見つけなくちゃならないのに、こんなにコミュニケーションできない宿に宿泊するわけにはいかないのだ。「いや、ちょっと待って。他も見てくるから」という我々に対して、受付の女性はちょっと泣きそうな困った顔になって、工事の兄ちゃんを通じてAr10000にするからと値下げを提案してきた。いや、そういう問題じゃないんだよなぁ。困ったなぁ。
そこへアジア系の顔立ちのマダガスカル人夫婦が宿に入ってきた。彼らもベマラハ国立公園に向かおうとしている人で、英語が話せる人だった。午後3時過ぎの今の時間帯からバイクに乗せてもらってベクーパカに向かうことになったというのだ。旦那さんの話によれば、ここからベクーパカに向かうタクシー・ブルースは存在しないということだった。
だから、夫婦二人はそれぞれバイクの後ろに乗せてもらって、ベクーパカに向かい、翌日ここに戻ってくることにしたのだという。バイクと運転手を1泊2日拘束する代金は2台でAr120,000(US$62.96)だ。車をチャーターすると2日でAr400,000(=US$209.86)になるので、それよりはずっと安い。「私たちは必ず明日戻ってくるから、その後このバイクを使って同じように行ったらどうか」とまで言ってくれた。
しかし、それではあまりにもベマラハでの滞在が短すぎる。私たちはもう少し長く滞在したいと思っていたし、この悪路をバイクの後ろに乗っていくというのも危なげかつ埃まみれになるし気が進まなかった。そして、心の奥底ではまだシャヒーナさんへの期待が捨て切れなかったのだ。シャヒーナさんの名前と電話番号、シャヒーナさんのお父さんの名前と電話番号はムルンダヴァにいる時にフランス人旅行者カップルから入手している。何とかコンタクトを取ってみないことには納得できなかった。
親切なマダガスカル人夫婦と別れて、とにかくもっと英語の通じる別の宿を探そうとした時に、インド人顔の青年が4WDの運転席から顔を出して「どうした?」と問いかけてきた。ベクーパカに行きたいのだと告げると、知り合いで車をアレンジする人を知っているから紹介してあげようと言ってくれた。おお、それは願ったりだ。私たちは、シャヒーナさんのようにタクシー・ブルースを走らせている別の人を紹介してもらえるのではないかと思ったのだった。
インド人青年が来るまで連れて行ってくれたのは、街中の教会近くにある事務所のような所だった。中にはアラブ人男性が2人座っていた。そのうちの奥に座った年配の太ったアラブ人男性を紹介してもらって、インド人は立ち去っていった。ありがとうございます。
さて、アラブ人男性に私たちの計画を話すと「はいはい、それなら我々で車を仕立てて2泊でも3泊でもしてここに戻ってくればいい」とこともなげに言う。「車のチャーター料金は一日Ar200,000ですね」。
あーあ、そういうことか。振り出しに戻ってしまった。一日Ar200,000という車のチャーター代金はムルンダヴァと一緒だった。もし明日車をチャーターしてベマラハに行って2泊してここに戻ってきたら3日分のチャーター代金になり、近くまで来ている分1日分を削減できるかもしれなかったが、それでもここまで苦労してきたのに見合う削減ではない。うーん、違うんだよねぇ、私たちの探しているのはタクシー・ブルースなんだよねぇ。そう告げると、アラブ人男性はタクシー・ブルースは存在しないの一点張りで話しにならなかった。ということで、ここもだめ。
日はどんどんと暮れ始めていた。まずい、まだホテルも決まっていないじゃないか。アラブ人の事務所を出ると、左斜め前にホテルがある。2階建てのしっかりした建物で、前庭のパティオも気持ち良さそうだ。
部屋の中を見せてもらい、値段が一泊Ar15000と聞いて、ここにチェックインすることにした。
さて次はシャヒーナさんへの連絡だ。フロントの男性にシャヒーナさんって知ってる?と聞くとホテルの裏手にシャヒーナさんの車庫があるからそこに行けば会えるかもしれないと教えてくれた。裏手ってどこ?と詳しく聞こうとしていたら、よく通る声の黒人男性が登場した。このホテル・スザンナのオーナーのオリバー氏だった。英語もバリバリと話せるオリバー氏の登場で私たちは急に目が見えるようになった気がしたのだった。
ホテル・スザンナの2本裏手の道を左折して右手のブロックに車庫があるのだという。その通り沿いにはホテル・カプリコーンという宿もあった。
車庫は閉まっていてシャヒーナさんがいるかどうかはわからなかったが、車庫の隣に小さな商店がありシャヒーナさんのお父さんが経営しているのかどうかまではわからなかったが、中にいる老人がシャヒーナさんは仕事に出ていて午後6時に戻ってくるということまではわかった。
ホテルで遅い昼食というか早めの夕食を済ませて、午後6時に再びシャヒーナさんを訪ねてみると、まだ戻らないという。むむむ。
午後7時、フロントの男性にシャヒーナさんに電話をしてもらうことになった。こちらの携帯電話はプリペイドカード式なので私たちがカードを買うから、そのポイントで電話をしてくれというのは頼みやすい。やっとシャヒーナさんとコンタクトが取れた!
しかーし・・・。
シャヒーナさんは明日はベクーパカに行かないんだそうだ。そして明後日は未定なんだそうだ。一体どういう予定でベクーパカに行くのだろうか。フロントの青年を介して話をしているので、ちっとも話が見えてこないし先にも進まない。わかったことは、これだけ粘って待ったシャヒーナさんへの望みの綱が断ち切れたということだけだった。
実は、これよりも前に同じ宿に宿泊しているマダガスカル人3人組で、明日ベクーパカ方面に向かうという人をフロントの青年から紹介してもらっていた。私たちがベクーパカまで行きたいのだが、いくら費用がかかるかと聞くと、ドライバーの男性は車1日のチャーター料金はAr200,000だといってきた。しかし、彼らは明日ベクーパカの途中にある村にお客さんを迎えに行き、そこから首都アンタナナリヴまで戻る仕事の途中だ。私たちから丸々Ar200,000もらう気はないから交渉しようと言ってきたのだった。
私たちはタクシー・ブルースの料金は1人Ar15000なので二人でAr30000。この金額が理想的なのだがAr50000でどうかと打診してみると、あからさまに拒否するのは失礼だが、その金額では到底行けないという反応をされた。ドライバーは「だったらタクシー・ブルースを使ったほうが安いですよ」と暗に拒否する返答。こんな場合だが、マダガスカル人のアジア系の人というのは、交渉の仕方が奥ゆかしいというか、きっぱりと拒否するのではなくやんわりと断ってくる方法が日本人に似ているなぁと思った。まぁ、私たちにはシャヒーナさんがいるからいいや、とこの時は交渉が終了していたのだった。
しかし、事態は変わった。
私たちはこのドライバーチームと再び話をしなければならなくなった。
ドライバーの説明によると、本来の仕事であるお客さんはベクーパカへの道のりの半分くらいの所にいる。そこから倍の距離を往復するのが明日の仕事になってくるのだそうだ。ええい、じゃぁもう半日チャーター分のAr100,000支払うからどうだ!
すると即刻オッケーの返事。あれ?こんなんだったらAr70,000くらいから始めてもよかったかなぁ?でもまぁいいや。とにかくこうして、ようやく明日の交通手段の確保ができたのが、午後7時近くだった。偶然こういう人が同じ宿に宿泊していたからいいものの、そうでなかったら、明日チリビーナ川を渡ってくるチャーター車に空き席を見つけて同乗させてもらうか、アラブ人にここからのチャーターを頼むか、あるいは昼間のシャヒーナさんにもう一度交渉してみるか、そんな選択肢しか残されていなかったなぁ。ぎりぎりで、救われたのだった。
※因みにベロ・チリビーナからベクーパカ25km手前のアンディマカAndimakaという村までのタクシー・ブルースは出ている。しかし25km手前で降ろされてもねぇ。
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