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2007.05.18 Vol.2
明日の車、確保なるのか?
マダガスカル:ベクーパカ |
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今朝、ANGAPオフィスで若い白人観光客3人を連れたガイドのジョンさんは「君たちの帰りの足は俺に任せておけ!」と随分と頼りがいのあることを言っていた。
夜、結果を知らせに我々の宿まで来てくれるという話だったのだが、宿の女主人のパスカルさん及び旦那さんに、ジョンさんという人をご存知かと訪ねても、二人とも首をかしげるばかり。そこで急に不安になった私たちは、まずは、昨日お願いしていたホレ・デ・ツィンギーホテルに結果を聞きに行き、その後にジョンさんたちが宿泊しているイブラヒム・ホテルの前の食堂で夕食を摂りつつ、彼らが観光から戻ってくるのを待つことにした。
ホレデ・ツィンギーホテルはやっぱり当てにならなかった。頼んだ女の子は「そういうお客さんはいませんでしたねぇ」と本当に聞いてくれたのかなぁと思うようなそっけない態度。高級ロッジは冷たいねぇ。
村に戻って、イブラヒム・ホテルの前の食堂を目指して歩いていると、偶然にも、昨日キャンプサイトの前にある食堂で出会ったホテルディベロッパーの男性が車で通りがかった。「車は見つかった?」
いや、まだなんですよねぇと言うと、その男性は「もしかしたら、僕が明日帰ることになるかもしれないから、そうしたら乗せていってあげられる。夜、タナンクアイに行くよ」と言ってくれた。しかし、夜って何時くらいですかねぇと聞いても、はっきりした時間はちょっとわからないと言われてややあやふやな答え。やっぱりジョンさんに頼るしかないのだろうか。
昨日からこの男性の話をあまり聞いていなかった夫に至っては、もうジョンさんに頼るしかないと思い込んでいるようだった。
イブラヒム・ホテルの前の食堂は安いメニューもあるのに外国人と見るとセット・ディナーしか勧めないというやり手のおかんが仕切っている所だった。ジョンさんを待っている間に、揚げ冷ましの魚がメインの高い夕食を摂る事にした。
午後7時過ぎに、今朝出会った3人組みが私たちが食べている食堂に入ってきた。お、やっぱりここに出没した!3人のうち、一番年長で愛想の良い男性は、「俺のことは覚えやすいように、ジャン・クロード・ヴァン・ダムと記憶してくれ!」となかなか愛嬌もある人だった。ちょっと似ているしね。彼が、この食堂でいつも夕食を摂っているので、今日も準備ができているか確認に来たこと、シャワーを浴びたらまた来ること、ガイドのジョンさんは後から合流することなどを教えてくれて去っていった。
シャワーを浴びたジャン・クロードたちが戻ってきて食事を始めたものの、なかなか肝心のジョンさんが戻ってこない。食堂の前を車が通る度に外に出てジョンさんの車じゃないかを確認した。何台か見送った後に、ようやくジョンさんの車が登場。しかし、中に乗っているのは別の人だった。「ジョンさんは?」と聞くと、例のキャンプサイト近くの食堂で寛いでいて、まだ戻ってこないという。それじゃぁ、ちょっと緊急の用事があるから、キャンプサイトまで乗せていってくれと、その男性にキャンプサイトまで乗せていってもらうことにしたのだった。
キャンプサイト近くの食堂で、やっとジョンさんを発見。今日の仕事も終わり、酒を飲んでいい調子になったジョンさんはちょっとロレツが回っていないくらい寄っている。あっちゃー、こりゃ駄目だ。
ところがジョンさんは名調子で「俺に任せておけって言っただろ?ちゃーんと君たちが明日帰れる車を見つけておいたから、おいで」と言うではないか。本当に?そこで、ややおぼつかないジョンさんの運転におびえながらも再び村に帰り、イブラヒム・ホテルの隣の車整備屋の前に停車している車の前でストップ。この車は、今日のツアーの最中にタイヤがパンクした上にもうスペアを持っていないという最悪の事態を迎えている所をジョンさんからスペアをもらって何とか急場をしのいだのだった。その恩があるから、絶対に乗せてくれるというのがジョンさんの意見だった。
ところが、車の中にいるドライバーは、「俺はいいけど、車に誰を乗せるか権限があるのがガイドの方なんだ。ガイドは今キャンプサイトの食堂に・・・」というではないか。
ジョンさんはぴちゃっと手を額にあてて、「今、そこから来たのにー」とうなった。しかし、すぐにキャンプサイトに戻ろうってことになって再びキャンプサイトに向けて車を走らせたのだった。それにしても、この人は本当に親切な人だった。「困っている観光客がいたら助けるのはガイドの仕事だと俺は思うんだよね。この仕事をやっていて、こういうことはしばしばあるんだ。助けてあげなきゃ。それにしても、昨今のガソリン代の高さには頭が痛いよ。それなのに、うちのドライバーときたら全くそういう事は考えないでプライベートに車を使うから頭にくるんだ」と、途中からドライバーに対する文句になっていったが、もしかしてチップを要求されていたのかもしれないし、ま、酔っているから言っていることがやや支離滅裂ではあった。
そうか、さっき車に乗っていたのはドライバーだったのか。村に向かってくる時にも地元の若い女性を乗せてきたし、私たちとキャンプサイトに向かう時も別の女性を乗せてあげて、「ありがと!うっふん」なんて言われて目じりを下げていた。こんな風にドライバーが勝手にガソリンを消費してしまうのには、やっぱり観光客から高すぎる車チャーター代金をせしめているからじゃないのかなぁと私は考えざるを得なかった。やっぱり、チャーター代金は不当に高いのではないか?
そう考えると、私たちに至っては人様のチャーターした車でこうやって動き回っているのだから、酷い話だと言えなくもない。申し訳ない。
こうして再びキャンプ・サイトに到着して、今度はガイド探し。実はこのガイドとは、先刻イブラヒム・ホテル前の食堂で出会っていた。その時に車に空き座席があることは聞いていたのだった。「あとはクライアントの了解が得られれば、乗せてあげてもいい」という話まで漕ぎ着けていたのだが、そこにジョンさんの車が現れて、そっちと話をしているうちに立ち去ってしまった人たちだったのだ。
ジョンさんがこのガイドに話をすると、「実は今日の車の故障で、クライアントが車を変えろとごねているので、他の人を乗せるどころではなくなった」と本当に泣きそうな顔で言った。私が「直接クライアントと話をさせてもらえませんか?」と言ったのだが、ガイドさんは「もう、勘弁してください。これ以上、事を荒立てたくないので私の話はなかった事にしてください」というばかり。白人のお客さんは厳しいからねぇ。彼の顔色から判断して、もうこれ以上言うのはイジメになってしまうと判断して諦めることにした。
ということで、午後7時過ぎ。ジョンさんが探してくれた車も駄目ということで、もう手持ちのカードがなくなってしまった。後は、ここに集まっていてまだジョンさんが話をしていないガイドに聞いてみるしかないねぇ、という話になってきたのだが、実はこの日、もう一つ不幸な出来事が起こっていた。
キャンプサイトの近くの民家で火災が発生したのだ。台所で火を使っていた所、近くに流れてきたのか置いてあったガソリンが引火して、あっという間に火の手が家中に回ってしまったのだ。負傷者が出て、そのうちの数名は重態で病人に運ばれて手当てを受けているのだそうだ。キャンプサイト近くに並んでいる食堂の一番奥にも、両スネが黒く焼け焦げてピンク色の肉がむき出しになってしまっている男性が苦しそうに座っていた。うわー、こりゃ大変なことじゃないか。
ジョンさんが他のドライバーやガイドと話をした所、明日空き席がある車は、こういう病人を連れてムルンダヴァまで搬送しなければならないだろうという話になっているのだった。つまり、健常者の我々の空き席はもうないことが確実になってしまったのだった。
この話を聞いている私たちの横では、太って赤ら顔のフランス人中年男性が、火事の現場を目撃した話を興奮気味に話しながら撮影した写真を見せてくれた。人が深刻になっている中、この人だけが場違いに嬉しそうで、私はちょっと腹が立った。
ということで、もう明日帰れる当てはない。明後日ジョンさんの車に乗せてもらうということで、ジョンさんの車に乗り込んだ。
先ほど、ジャン・クロードから、もう一つ大切な事を聞いていた。ここから、約半分の道のりにある町、ベロ・チリビーナまでは問題ないが、ベロ・チリビーナからムルンダヴァまでは警察の検閲が厳しく、本来は5人までしか乗せてはいけない車に、更に2人乗せるのは問題がある。ジョンさんは日中、「あの日本人を乗せてあげられるとしてもベロ・チリビーナまでだなぁ」と言っていたそうなのだ。
しかし、「明後日乗せてもらえるのはありがたいが、ベロ・チリビーナまでですよね」と確認しても、酒を飲んでいるジョンさんは「いや、大丈夫だ。警察がいたら、パッと荷台から降りてもらって徒歩で警察を交わしてから、また後から荷台に乗り込めば、絶対に大丈夫だ!」と呑気な事を言っている。そんな忍者みたいな技ができるわけないでしょう。
明後日ベロ・チリビーナまでピックアップトラックの荷台で行って、そこからタクシー・ブルースに乗るのかと思うと、気の滅入る行程だったが、とにかくムルンダヴァに帰れるには帰れる。
親切なジョンさんにお願いすることにした。
「ホテルまで送ってあげるよ。えっとー、タナンクアイってどうやって行けばいいのかな?」ジョンさんはとても親切な人で、江戸っ子みたいに気風がいいが、ちょっと調子が過ぎる所もある。本当は私たちのホテルなんて知らなかったらしい。「ガイド歴が長いんだから、俺は何でも知ってるんだ!」と言ってしまった手前、タナンクアイも知り合いだと言ってしまったのだろう。運転しながら、「あれ、随分遠いなぁ」とかぼやいている。おかしな人だ。
宿に到着して、ここで初めてジョンさんは本当にタナンクアイの主人たちと知り合いになることができた。
女主人のパスカルさんに「ということで、明日の夜も宿泊することになりますので、よろしくお願いします」と延泊を告げて、私たちは夜だけしかジェネレーターが動かないので、夜のうちにできるだけサイトの作業をしようと宿のレストランで作業を始めたのだった。
すると夜9時過ぎ、今日村ですれ違った白人男性が突然宿を訪ねてきた。「遅くなってごめんね!」
私よりも全く話を気に留めていなかった夫はもっと驚いたのだった。
彼の名前はミッシェルさん。ミッシェルさんはやはり明日ムルンダヴァに戻る事になったので、乗せてあげるということを言いにわざわざ宿を訪ねてきてくれたのだった。金額は二人でAr100,000(約US$50)。来る時は、この半分の行程に対して同じ金額を支払った我々としては願ったりの条件だった。
ミッシェルさんは「明日の朝8時から10時くらいの間に迎えにきますね」と言って去っていったのだった。
いやー、びっくりした。最後の最後に救世主登場だ。ジョンさんには悪いが、ピックアップトラックよりは乗り心地がいいだろうし、ムルンダヴァまで確実に帰れる。明日、行きがけに断らなくてはならないなぁ。
宿には「事態が急変して、明日帰れることになりました」と告げて延泊を取り消し。私たちは最初から大騒ぎしているのを見てきた女主人のパスカルさんも、良かったわねぇと心から安堵してくれたのだった。
さぁ、明日はムルンダヴァに帰れる!
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