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2007.06.09
ストーン・タウンを一日散策
タンザニア:ストーン・タウン |
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ザンジバル島の玄関口とも言えるストーン・タウン。ダル・エス・サラームからフェリーで来た人は誰でもここに足を踏み入れることになる。
ダル・エス・サラームからスローボートでやって来た私たちは夕方に宿にチェックインした。同じ宿に宿泊する欧米の旅行者は「ザンジバルを訪れた目的はビーチだ」と割り切って、翌朝にはヌングイやケンドゥアなどのビーチに向かってしまうといっていたが、私たちは、ここにもう一泊して1日ストーン・タウンを散策することにした。
ストーン・タウンの見所が集まっている区域はそんなに広くない。我々が宿泊している場所から一番近い見所は奴隷市場跡。
アラブの奴隷商人が東アフリカ中からアフリカ人を捕まえてきて、このザンジバル島に集めて市場を開催していたという場所だそうだ。今はキリスト教の大聖堂に姿を変えている。
ブラジルを訪れた時にも、「ポルト・デ・ガリーニャス」という名前のビーチがあった。ポルトはポート、つまり港であり、ガリーニャスは鶏、つまり奴隷として運ばれる黒人を指す。つまり、ブラジルの場合は連れてこられたアフリカ人奴隷が上陸した港が名前の由来になっている。
ザンジバル島の場合は、悲惨な歴史を二度と繰り返さないという思いもこめて記念的な場所になっているが、ブラジルの方がお気楽なリゾートビーチであり、黒い鶏の人形までお土産で売っていたりする。うーむ、乗り越えちゃってる感じ。ザンジバル島の方がシリアスだなぁ、なんてことを思いながら見ていた。
ここから細い迷路のような道を進んだ先に、からゆきさんの家がある。
日本から売春目的で売られていった女性たち「からゆきさん」がここザンジバルにも19世紀後半にいたのだそうだ。彼女たちが住んでいた家が、今でも普通の住居として使用されている。おそらく日本人以外はあまり興味を引かないだろうけど、近くまで行くと現地の人が私たちが探している建物を教えてくれた。普通のアパートなので、何も知らなければ見過ごしてしまいそうな建物だ。
21世紀の現在でさえ、ザンジバル島に来たら「私たちも随分遠くまで来たなぁ」と思うくらいなのに、明治時代のうら若き乙女がこんな所まで何も知らずに運ばれてきた、その悲しみ、驚き、とまどいはどんなだっただろうか。建物を見ていると、胸が痛くなってくる。
正直な話、同じ人身売買の話でもアフリカ人奴隷の話よりも、からゆきさんの事を思うほうが胸にずっしりと来た。同じ人間のことなのに、同じ重さでは考えられない。そんな、自分の知らなかった一面を知らされたからゆきさんの家でもあった。
ザンジバルは最初にアラブ人によって支配されていた。ストーン・タウンの中心部は、アラブ人に特有の細い路地が入り組んだ道が縦横無尽に走っている。
私たちが今まで訪れた中では、ケニアの北部東海岸沿いにあるラム島旧市街が同じような作りの町で、ここは世界遺産に登録されている。
ストーン・タウンとラム島の旧市街に共通しているのは、細く曲がりくねった道だけではなかった。時折見られる重々しい木製の扉。これも共通している。もっともラム島の方が、もっと凝った装飾が彫られていて、扉のみならず、木製の家具や彫刻もラム島の特産になっている。ストーン・タウンは重々しさは同じままだが、もっとすっきりとしたデザインだった。
朝の路地は、家の掃除をする人の姿があり、階段に座っておしゃべりにふける老人の姿があり、のんびりとした日常生活に満ちている。
この道を進んでいくと、このアラブの町並みとは違った文化背景を持つ教会の塔が見えてくる。この辺りに、アラブ人の支配から西洋の列強に植民地支配が変わった歴史が見られて興味深い。
この教会はローマ・カトリック教会だそうだ。
真っ青な空を背景に、中庭にやしの木が立っていて、南国の教会という趣がいい味を出していた。
ローマ・カトリック教会から海に向かう道をたどっていくと、もはや建物と建物の間の狭い道は終わり、開けた空間に出てくる。
そこは海沿い近く。
かつてのアラブ人の要塞跡が見えてくる。そんなに高い壁に囲まれているわけではなく、物凄く朽ち果てている。
内部の見学は「お気持ちのチップ」を支払えばいい。小銭をチップ箱に入れると、受付の女性は満足そうに奥を指差した。
要塞の中は土産物屋とレストランと劇場があり、劇場の様子などはローマの遺跡を思い出させる雰囲気だった。
砦を右手にすると、左手はもう海が見えている。
島の中心地というわりには水の色はエメラルドグリーンできれい。この分だと、北部のビーチはかなり期待ができそうだ。
道端には漁師さんが座って魚を販売中。まさに産直の魚は獲れたての新鮮そのものだった。ああ、キッチンがあればなぁ。と横目で魚を眺めつつ通り過ぎるのだった。
この右手あたりに「オールド・ディスペンサリー」が見えてくる。かつてお金持ちの家だったのだが、現在はストーン・タウン文化センターになっていて、1階と2階には土産物や絵画販売のショップが入っていた。
ここの2階のベランダがとても気持ちがいい。椅子とテーブルがあるので、勝手に座って海をながめて寛いると、金持ちの気分になってくる。
隣では、地元のおばちゃん3人がビーチサンダルを脱いで、床にべったりと座っておしゃべりにふけっていた。
そうそう、ビーチサンダルが欲しかったんだと思い出して、どこでサンダルが買えるかをおばちゃんに聞くとマーケットのフェリー乗り場寄りにサンダルやが集まっていると教えてくれた。
ありがとう、ありがとうとその場を離れようとすると、おばちゃんの一人が「伝統的な布バッグ入り香料はいかが?」と勧めてくる。なんとおばちゃんたちは土産物屋の店員さんだったのだ。あまりの客の少なさにだれきっておしゃべりしていたってわけ。このやる気のないけだるさもストーン・タウンらしい。
さぁ、こんなものでストーン・タウンの名所はほぼ見尽くした。お昼ごはんでも食べようと、もう一度海沿いに砦まで戻ってくると、砦の手前に「驚嘆の家」が見えてくる。
すごい名前。初めてガイドブックで見た時は思わず笑ってしまった。英語のThe
House of Wonderの訳なんだけど、「驚嘆」っていう言葉にはWonderよりも強いインパクトを感じる。ここは、かつてスルタンの宮殿だった所で、現在は博物館になっている。正面が改装中で、あまり見栄えがよくないのが残念。
「驚嘆の家」の目の前がフォロダニ公園で、夜になると炭焼きシーフードの屋台が並ぶ場所だ。
こうして午前中に大抵の見所を見終わって一旦宿に戻った。
夕方からは、もう一度フォロダニ公園に向かう。日没後は治安がよくない場所なので、それまでに串焼きシーフードをちょい食べて戻ろうって感じで、フォロダニ公園に到着したのは午後5時半過ぎ。
フォロダニ公園は公園というよりは、岸辺の空き地というにふさわしい場所で、昼間来た時には特に心地よい公園には思えなかった。
しかし、夕方来てみると、露天が2列にずらりと並んで、昼間とは全く違ってにぎやかな雰囲気になって楽しげである。
各露天ともだいたい品揃えは同じ感じで、大きな串に魚の切り身を刺したもの、イカ、タコ、魚のすり身を揚げたもの、チャパティー、サモサ、ロブスターやカニの塩茹でを置いてある店もあった。
客引きは激しいが、その中の一軒で、色々と話をしているうちにまとめ買いすれば値段を下げる、ビールも注文があれば買ってくるという所があり、そこにした。イスラム教が多いザンジバル島では酒店は見かけない。バーや中華レストランにはおいてあるのだが、フォロダニで酒が飲めるとは思わなかった。
こうして、魚の串を数種類、イカとタコのミックス串、貝の串とビールを注文してフォロダニ公園の夕方を楽しんだ。お客さんはどんどんくる。ほとんどが観光客だ。忙しく対応しているうちに、客引きの兄さんは私たちが何を食べたかわけがわからなくなってしまって、結局ビール分くらいうくくらいの値段で請求された。まぁ、もともと高い値段設定だし、正規値段なんてないようなものだから、おまけしてもらったということで、そのまま帰ってきた。
NGOで働いているという若い日本人カップルと偶然、同席することになったりして、なかなか面白い会話も楽しめた。
ストーン・タウンは1日くらい見てもいいんじゃないだろうか。そんな感想を持った。
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