夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2007.07.14
年に一度の女性のお祭り

スワジランド:マツァファ

 モザンビークからスワジランドに入るバスで乗り合わせたアメリカ人女性から、今週末ロバンバで女性だけによる年に一度のお祭りが行われるという情報を得ていた私達は、スワジランドの宿につくなり宿の人に聞き込み情報収集を始めた。

 お祭りは4日間くらいに渡って行われるのだそうだが、14日の土曜日には王様と女王様も臨席して一番のクライマックスを迎えるので、14日に見に行くのが良さそうだということだった。ロバンバまではミニバスも出ているのだが、昼頃から日没までかかる場合もあり、そうなると帰りの足が心配だ。

 ということで、宿で行きたい人を募って車をアレンジしてくれることになった。ところが、宿がアレンジしてきたのは、近所の土産物マーケットや近隣の村の見学も兼ねた立派なツアー仕立て。一人US$20くらいでどうかという提案になっていた。多くの宿泊者は祭りに興味を持っていたものの、そんなツアーにされたら誰も行きたくない。というわけで、そんな金額でもいいから連れて行ってくれというのは、私達とオーストラリア人女性1人だけになってしまった。

 たった3人になってしまったので、宿のご主人はツアー催行に興味を失ってしまったのか、急遽、ご主人の知り合いのイギリス人女性で宿に宿泊していて、車をレンタルしているニサにこの役割を投げてしまった。。車代金は一人往復SZL20(=US$2.87、2007年7月9 日の換算レートUS$1=SZL6.97を使用)でいいという。そうそう、そういうのを期待してたのよね。待てば海路の日よりあり。結局、思い通りの結果に私達はにんまりしたのだった。

 14日の当日は昼食を済ませて12時半頃出発。

 今日は祭りに参加する女性だけでなく、見ている女性も腰布をまとうのが祭りのマナーだということだったので、適当な布を持っていないニサとオーストラリア人女性がまず土産物マーケットで布を物色してから会場に向かうことになった。

 滞在しているマツァファからロバンバを通り過ぎてから10分程車で走った右手に土産物マーケットがある。小さな小屋が軒を並べてずらり100軒くらいもあるだろうか。目当ての布はもちろん、木彫りの仮面、動物、石彫りの置物など、さまざまなクラフト製品が並んでいる。中には石で池を掘った中にカバが浮かんで、周囲に大木に見せかけた樹木を配した、まるで盆栽か箱庭のような置物もあった。何かほしいと思っている人には何時間でも過ごせそうな魅力的な場所だ。

 モザンビーク、スワジランドからずっと南部アフリカのクラフトは、実はどこに行っても同じような物が多い。ということで、何か購入するならば一番値段の安いモザンビークで買うのがいいらしい。これは、先日ムカヤGRで出会った南ア人が言っていた話だ。彼らも、自宅へのお土産は全てモザンビークで購入するつもりだそうだ。

 ここで二人の女性は布を購入。いろいろと迷っていたが結局スワジランドの国旗をあしらったブルーの布にした。

 午後1時半にロバンバの会場に到着。ロバンバはかつて王族が住んでいた場所だったかなぁ、そんなような場所で今は儀礼の際に利用される会場になっているようだった。広大な駐車場にはまだ人もまばら。私達は車から降りるなり、腰布を巻いて本日の衣装になった。

 私の布は実はマサイ族の柄だが、まぁ遠めからはわかるまい。



 駐車場から会場に向かう道中、それらしい衣装を身にまとった女性の一団に遭遇。彼女たちの布のまとい方は私達のように腰から下に巻くのではなく、片方の肩に結び目を作る巻き方だった。

 肩を出すにはちょっと涼しい気温なので私は遠慮したのだが、ニサはやる気満々。さっそく、この女性達と同じような巻き方に変更してもらった。


 この女性達は布を巻く衣装ではなく、もっと手の込んだ衣装を着ていたのだが、聞くとスワジランド人ではなく南ア人でプレトリアからこの祭りに参加するためにやってきたのだという。

 違う国になってしまったのものの、そもそも同じ文化を共有する人々なのだろうか、詳しい背景はわからないが、地続きの大陸だからこういうことも起こる。九州のお祭りに中国人が参加しているような、地続きにはそんな気安い文化交流があるのを知った。

 駐車場から続く道路を進むと、左手に階段状の席が設けられた会場がある。ここが祭りの会場になるらしい。まばらに座っている観客席の中に、この祭りの情報を教えてくれたアメリカ人女性を発見。「あら、来たのね!」と相変わらずハイテンションで迎えてくれた。彼女の情報によると、午後2時頃に王様が来たら祭りが始まるということだった。それまでは、会場裏手にある場所で出番を待って待機。既に多くのグループが待機しているので、そこを見に行ったら面白いだろうと教えてくれた。

 会場裏手に行くと、そこにはグループごとに同じ柄の布を巻きつけた団体があっちにもこっちにもいる。みんな長い葦の枝を持って、あるグループはリハーサルなのか歌ったり踊ったり、他のグループはおしゃべりしたりしているが、一様に祭りに向けての高揚感があり非常に華やかな雰囲気になっていた。

 写真撮影させてもらえるかなぁ?と恐る恐る聞いてみると、嫌がられるどころか大歓迎。一人と写すと「私とは撮らなくていいの?」と別の人から声がかかる。みんな今日はヒロイン気分なのだ。

 そんな得意顔のヒロイン達を紹介しよう。

 手に持っているレインボー色のフサフサは、本来は鳥の羽で作られているものだと思うのだが、最近は鳥の羽で作ると高そう。ナイロン製の車清掃用品で手ごろな値段できれいじゃないってので、このレインボー色のフサフサを持っている人が多くいるのには笑えた。そういえば、私の生まれ故郷の祭りでも、最近ではねじり鉢巻に手ぬぐいを使う変わりに、屋台で売っているネオン管を巻きつけている若者が多い。祭りも時代と共に進化するのは日本もアフリカも一緒なんだなぁ。

 でも肩から巻いている動物の毛皮は本物。一番下に黒いギャザースカートをはいて、肩から動物の毛皮を巻き、その上から布を巻く。頭はアフロヘアーのウィッグをかぶる。足首には貝殻で作ったアンクレットをつける。これが正装らしい。そういえば、先日マンジニで週に一度行われるマーケットを見物に行った時に、このアフロのかつらが大量に売られているのを見て不思議だったのだ。そうか、祭り用品だったのね。

南アのプレトリアから来た女性。
他の人とは違う衣装で
とても洒落ていた。

水色の布がとてもきれいなシスターズ。
左手には動物の皮を巻いた盾、右手に槍。
でもあれ?一番左の女性は槍の代わりに懐中電灯だ。

 こうして様々なグループを周って楽しんでいると、どこからともなく指令が走り、グループごとに整列して女性達が並び始めた。長い葦を持ってお揃いの衣装に身を包んだ大集団の風景は圧巻だった。


 彼女達が整列して向かうのは、昔の王族の住居を模した建物が並ぶ一角だった。

 この住居を取り囲むように木で作られた塀ができていて、ここに手に持った葦を置いてから祭りの会場に向かっていくのだそうだ。

 収穫を喜び、その一部の葦を王宮に供えていくような意味合いがあるのだろうと思われる。

 塀のそばを見慣れた白人男性が歩いていると思ったら、うちの宿のオーナーではないか。おそらくパンツ一丁に伝統の布を巻きつけて、今日の祭りの男性の正装をしている。この人もスワジランドでバックパッカー宿をやっているくらいだから、かなりこの国に見せられて、この国を愛してしまっている人なのだろう。今日の祭りは人一倍楽しむつもりが全身から溢れていた。

 王宮のそばに女性達が待機していると、物々しい白バイ隊がやってきて、道行く観光客を追い払い路肩に待機。いよいよ王族の登場らしい。

 やがて黒いシールドを窓にはったベンツが数台バーッと通り過ぎた。その中のどれかに王族が乗り込んでいたのだろう。

 それを合図に女性達は葦を木の塀に立てかけて、その先の住居の周囲を練り歩いて祭りの会場に入っていくのだそうだ。ここから先は一般客は立ち入り禁止。私達は、ユーターンして会場で待つように白バイ隊に指示された。

 他の観光客と会場に向かおうとしていると、参加者の女性の一人から「あなたたちも参加しない?」とお誘いがかかった。私達の、他の観光客よりも浮かれた衣装が目に留まったらしい。おお、喜んで!

 ただし、男性はダメだということなので、ここからは夫は会場で待機、私達女性3人は祭りの集団に加わって行動することになった。

 会場までは皆で歌いながら練り歩いていく。数人の高音で歌をリードするグループに続いて、その他全員が中低音で歌っていく。内容は王を称えたものや収穫の喜びを歌い上げたものなど、ほのぼのとした生活の喜びに満ちた歌詞だと誘ってくれた女性が教えてくれた。学校で習った黒人霊歌というジャンルの歌、それの源にも思われる輪唱の美しい歌が多く、リズムはそんなに複雑ではなかった。

 こうして練り歩きながら、一番最初に見た運動場のような祭りの会場に到着。時刻はまもなく午後3時半になろうとしていた。

 さぁ、これでいよいよ祭りのパレードが始まるのか?と思っていたのだが、肝心の王様がまだご到着遊ばしていないということで、またもやここで待つことになった。おお、さすがアフリカ時間。

 祭りと言っても、ここまでは非常に冷静で物静かで、狂乱の雰囲気は全くなかったのだが、王様を待つ間に各グループで輪になって踊りたい人が中央に出て踊るという場面になって、人々の間に徐々に高揚感が漂い始めてきた。


 二人一組になって、戦いのポーズを取るのが基本的な踊りの型らしく、私達も輪の中に誘われて手振り身振りで仲間に入れてもらった。

 歌い、踊り、はやし、次の踊り手を誘い、輪の中の人は入れ替わり立ち代り、自分なりの踊りを表現していく。静かに、でも熱く女達の祭りは盛り上がっていくのだった。


 私達が女達の祭りの輪で打ち興じている時、夫は・・・。

 かなり遠い観客席から王様と女王様の到来を待ちながら、遠くで輪になっている女性達がいったい何をやっているのかもわからず、妻がどこにいってしまったかもわからずに、呆然としたような写真を一枚残していた。

 他の女性観光客もかなり暇そうにしている。午後2時に始まるといわれて、かれこれ4時。見ているだけの人は退屈だったかもしれない。

 しかし、午後4時を過ぎる頃から、警備された王族達が貴賓席に向かう様子がカメラにおさめられていた。

 最初に登場したのは女王のお母様だと思う。その頃、踊っている私達にも女王のお母様が登場したという情報は、電光石火のごとく伝えられてきていた。

 やがて民族衣装の男性の中でも一際ゴージャスな毛皮をまとった紳士が登場。これが王様だろうか。

 貴賓席でニコヤカに歓談される姿が写っていた。これが午後4時17分のこと。

 その頃、私達の所にも情報がきて、王様の前をパレードするので準備するようにと号令がかかった。

 王様のいる貴賓席の左端からグループごとに固まって右方向へと歌い踊りながら通り過ぎる。これがまず、祭りの始まりの儀式なのだそうだ。

 まずは、他の集団とはかなり異なる衣装の女性達の登場。最初に出会って話をした、南アのプレトリアから来た女性達だろう。この気張った衣装、やはり招待グループの意気込みだったらしい。

 そして続く団体は、グループごとにおそろいの布をまとった女性達。王族の前での晴れがましいパレードに、先ほど自分達で盛り上がっていたのとは違った、ちょっと取り澄ました表情で歌いながら練り歩いているのが、王族への敬意が感じられてスワジランド人の王族に対する気持ちを感じることができた。

 私達もちゃっかりと王族の前を行進。こんなフォーマルな場所に出てきてしまった良かったのか?ジャーナリストだと名乗る女性が、行進の途中で私達に色々と質問を投げかけてきた。

 後で聞いた所によると、この週末の新聞の日曜版に私達の写真が掲載されたらしい。残念ながら見ることができなかったが、スワジランドのメディアに晴れがましくデビューしていたことになるのだ!!!

 王族の前を通ってお披露目が終わった組は、再びグループごとに横一列に整列して、他のグループのお披露目を待った。待っている間にも、また踊りと歌が始まり、日が落ちるのと同じスピードでどんどんと気持ちが高まっていっているのがわかった。

 私達を誘ってくれた女性に、この後どうなるのかを聞いてみた。すると、このお披露目の後には、各グループごとに今度は王族の目の前で踊りと歌を披露するのだそうだ。で、最後に皆で歌って踊って・・・。

 私達はちょっと目配せをし合って、暗黙のうちに3人で了解しあった。確かに最後まで見ていたい気持ちはあるが、このままでは一体何時になって帰れるかわからない。事前に日が落ちてから帰るのは危険だという話は皆でしていたので、もう、そろそろお暇しようと了解しあったのだった。

 イギリス人のニサが「大変残念ですが・・・」と切り出してくれて、誘ってくれた女性、一緒に楽しんでくれた同じグループの人に挨拶してそっとグループを裏手に離れたのだった。

 観客席で夫は忙しく写真をとりまくっていたが、私達の姿を見て「お、帰ろう、帰ろう」。飽きてきていたらしい。お披露目が終わりそうになって、エズルウィニ・ヴァレーを背景に女性グループがずらりと並ぶ夕景の会場を後にしたのだった。

 スワジランドのお祭りは、ゆったりとした時間の中で、静かにしかし熱く盛り上がる祭りだった。ブラジルのサンバや日本の祭りもそうだが、とかく祭りというと日常とは違う「狂乱」のイメージがつきまとうが、ここの祭りは酒もない、喧嘩もない、買い食いの店もない、日常の喜びを深く感謝して喜ぶという、そんな感じのしっとりしたものだった。この国らしい感じがして、これはこれで面白い体験だった。


 そうそう、今日のお祭りは既婚女性による年に一度のお祭りだったのだそうだが、未婚女性による年に一度のお祭りもあるそうで、マスコミ的には未婚女性バージョンの方が断然人気だそうだ、当たり前か。


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